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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「マンマ・ミーア!」

2009年03月26日 | 映画(マ行)

 中年パワー炸裂のミュージカル。中年男も中年女も3人組だが、女性の方が元気だ。

 主演のメリル・ストリープはロバート・アルトマン監督の遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」でも得意ののどを披露、歌もうまいんだ、と感心した覚えがある。今年60歳だからすでに中年以上だ。

 地中海、ギリシャの島でホテルを経営するメリル一家の娘の、結婚式前夜からの1日の物語。父親知らずの娘が父親の可能性のある3人の男性を招待したことことから巻き起こる騒動をミュージカルに仕立てている。

 ABBAのヒット曲を豪華配役のストーリー付きで楽しもうという趣向だ。いずれも耳にしたことのある楽曲が次から次にオン・パレード。こういう意味の歌詞だったのかと初めて知った。それにしてもうまく物語とシンクロしたものだ。

 先代007・ピアーズ・ブロスナンの歌も愛嬌だ。

映画 「まぼろしの邪馬台国」

2008年11月20日 | 映画(マ行)

 良くも悪しくも吉永小百合の映画である。年齢のない女優だ。20年間に近い物語を63歳の彼女が何の違和感もなく演じるのだから。

 邪馬台国の場所を解明するミステリーとして作ることも出来ただろうが、労作を完成させるまでの夫婦二人の情愛に焦点を当てている。

 島原鉄道社主として観光重視、観光バスの発足などを企画するワンマン社長が竹中直人。すでに視力を失っているにもかかわらず、その精力的な行動力はすごい。

 半ば強制的な退任後、歴史に生涯をかける夫婦二人三脚の旅が始まる。調査地や発掘の現場は山道やだだっ広い野原のようなところが多く、せっかく九州が舞台なのに風光明媚な観光映画的要素は薄い。

 竹中はオーバーアクションが持ち味なので、そこからユーモアも生まれていることは確かだが、役所広司や渡辺謙がこの役をやったら、またまったく別の印象をもった作品になったであろう。

 脇役の窪塚洋介は現在「ICHI」も公開中だが良い役どころだ。

映画 「ミリキタニの猫」

2008年07月07日 | 映画(マ行)

 日系人ストリート・アーティストの数奇な運命を描いたドキュメンタリー。

 原則はないのだろうが撮る人と撮られる人が関わりを持つことをどう解釈するか?という問題が提起されているようでもある。

 不幸な現実を撮影した写真やフィルムを見て、「カメラマンはこの事実を平然とカメラに収めて平気なのだろうか?」「手を差し伸べようと言う気にはならないのだろうか?」と思うことがある。手を貸した瞬間、物事はあるがままではなくなってしまう。しかし、そのことがドキュメンタリーとしての「純度」を損なうのだろうか?

 この映画の場合はスタンスが違う。監督がホームレス状態のミリキタニを見かねて、自宅に住まわせてしまうのだから。それが彼の転機でもあり、止まっていた人生の歯車が再び回り始める。人が人をどう変えたか、そのことまで含めてのドキュメンタリーであり、変えた方の人がたまたま監督であったわけだ。

 アメリカの政策に翻弄された日系人の物語だが、人生悪いことばかりではないなと感じられる。

映画 「ミスト」

2008年05月20日 | 映画(マ行)
 フランク・ダラボン監督の新作。「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続くスティーヴン・キングの原作もの。

 一体何が起こっているのか分からない、事態の始まりにリアリティがある。

 予備知識が無い人にとっては、やがてそういう話なのかという意外な展開。しかし、ホラー的な要素より、スーパー店内の限定空間・密室心理劇的要素が濃厚で見応えがある。そこに重点があるので、何がどうなっているか詳しい説明はない。
 そちらをSF的な別作品に仕立てることも可能だろう。

 異界の侵略でこの世がのっとられるというアイデアは黒澤清監督の「回路」にも共通しているが、まったく違う方向性と表現をとっている。

 それにしてもラストのあまりに深い絶望はどうだろう。主人公はこの先、生きていくことが出来ないのではないか?

 ヘストン版「猿の惑星」ラストシーン以来の絶望感だ。

映画 「モンゴル」

2008年04月22日 | 映画(マ行)
 浅野忠信主演のアカデミー外国語映画賞ノミネート作品。

 チンギス・ハーンの幼少時からモンゴル統一までの波乱の生涯を描いている。
 昨年公開された邦画「蒼き狼」に描かれたハーンの息子の苦悶は、本作のエンドマークの後に続く部分。

 多国籍映画だが台詞は全編モンゴル語、出演する俳優もそれらしい顔つきで、横綱朝昇龍はこういう風土の中で育ったのだと思った。冒頭近くでモンゴル相撲のような場面も出てくる。

 映画は獄中に繋がれたハーンの回想で始まる。幼少時から再びこの獄に話が戻るまでがかなり長い。この間ハーンの半生は受難、また受難だ。そのたびに一から、というよりゼロからやり直している。

 獄を抜けてからが「第2部」に相当するがここからクライマックスの大戦闘シーンに至る間、いかにしてあれだけの支援者が集まり軍を編成できたかはほとんど描かれない。いつのまにか人が集まっている。

 コッポラの「ゴッドファーザー」はその辺のディテールに説得力も魅力もあった。

 本作はむしろ戦闘シーンに相当の重心があるようだ。画調、色調が重々しく変化し、血しぶきが逆光の中で赤く輝く。

 浅野忠信は熱演、獄中で風呂にもいらず顔面が垢と汗の痕で覆われ、まるで土の仮面のような形相は鬼気迫る。モンゴル統一をなしえた男の並大抵ではない気力と迫力が伝わってくる。

 それにしても、パオというモンゴルの住居は移動を前提にしている。遠征に出た男たちが、広大なモンゴルの大地のどこにいるのかさえ定かでない家族の下へ再び帰ること自体が奇跡のようなものだ。 

映画 「ミルコのひかり」

2008年03月24日 | 映画(マ行)
 今回も子供の映画が続く。
 実在のイタリア映画音響デザイナーの少年時代を描いた感動作。10歳で失明し、全寮制の盲学校に入れられた少年が自分の世界を見つけ出すまでの物語。

 規律によって管理された世界とそこに納まりきれない個性の対立は、例えばミロス・フォアマン監督の「カッコーの巣の上で」にも見られる。その少年版といっても良いかも知れない。

 イタリアの法律では「・・・の子供は盲学校に入らなければならない」と規制されていたが、この出来事きっかけにという訳でもないだろうが、1970年代に法改正されたそうである。

 子供たちが実に生き生きとしている。
 盲学校の生徒たちは実際に視覚的障害を持つ子供たちが扮しているが、みんな達者で見事なものだ。

 主役のミルコは視力を失う役だがその目力(めぢから)が素晴らしい。見えようが見えまいが、夢を実現するものの目はこうでなくてはいけないという見本のようだ。

映画 「魍魎の匣」

2008年01月11日 | 映画(マ行)
 いずれカルト作品となるべき資質を持っている。

 豪華配役で描かれるマッド・サイエンティストの妄想世界だ。昭和初期の日本が舞台のはずなのだが景観に何か違和感があり、ノスタルジーというより異界の出来事のようだ。
 むしろ中国のようだと思って見ていると、ラストのクレジットに「中国ユニット」が延々と出てくる。

 会話のスピードやカット割がこれまでにない独自の境地で、観客が通常の映画と思って近づくことを拒否しているかのようでもある。

 江戸川乱歩風の猟奇的な世界が描かれるが、陰湿な雰囲気は無くカラッとした、むしろコミカルな要素で見せている。

 主演の堤真一と阿部寛、椎名桔平を中心に据えて複数の事件が展開するが、その絡み合った相互の関係や、それを見せていく時間の前後関係など迷路に踏み込んだようで、サイエンティストとエセ宗教の教祖、狂気に駆られた刑事、サイコ作家などが入り乱れてハチャメチャな様相を呈する中、クライマックスの舞台となるオウムのサティアンのような巨大な匣が崩壊していく。

 あの状況で主要人物がすべて、何事も無かったかのように生き残れたのも不思議だ。

 というわけで、この作品、カルトになると踏んだのだが、前作「姑獲鳥の夏」よりはよほど面白く見ることができた。早いカット割で見落としてしまうが、ディテールにもこだわりがあるようで、DVDで繰り返し見るほどに面白みが増していくだろう。

映画 「マリア」

2007年12月05日 | 映画(マ行)
 敬虔で清らかな作品だ。その分エンタテイメント性は薄い。

 「パッション」がその受難の現場を眼前で見せてくれたように、今度は神の子の誕生の場に観客を立ち合わせてくれる。

 民の期待を一身に集めて、クリスマスの夜イエス・キリストが誕生する物語は誰でも知っているので、処女懐胎に対する身内の批判があっても、救い主誕生の予言に怯えるヘロデ王が幼児虐殺を実行しても、無事聖夜が到来することに疑問の余地は無い。

 映画の中でも、何かあったら必ず神の使いが出てきて導いてくれる。そのため、虐殺隊がやってきても特にサスペンス演出は無く、淡々と追っ手を逃れてイエスは誕生する。

 主役のマリアはニュージーランド映画「鯨の島の少女」でマオリ族の少女を演じたケイシャ・キャッスル=ヒューズだ。どこかかつてのオリヴィア・ハッセーに似ている。
 そういえばオリヴィアもフランコ・ゼフィレッリ監督の「ナザレのイエス」でマリアを演じている。

 救世主の誕生を予感し現場を訪れる3賢人はコミカル・パートを受け持っている。
 身ごもったマリアが「生まれてきたら自分で救世主だと言うのかしら?」と言っているのもおかしい。

 カラー映像は色調が押さえられ、ほとんどモノクロームに近い。クリスマスを目前に少し純な気持ちになってみたい人にはお奨めだ。

映画 「めがね」

2007年10月17日 | 映画(マ行)
 春が来る、という現象を擬人化して描くとこんな作品になるのかな。「春」は、もたいまさこ演じる旅人の「さくら」だ。作中で引用される「ひねもす のたりのたりかな」がそのまま作品の印象を表現している。

 「かもめ食堂」がいかに素晴らしかったかが、本作を見ると逆に良く分かる。そのつもりで劇場に足を運ぶと肩透かしを食うかもしれない。
 空気感も含めてすべてがシャープに決まった前作と、何かモワッとした感じが最後まで全体を包み込んだ本作。旅人の登場や何が詰まっているのかわからないボストンバッグ、グルメ志向など共通するアイテムは揃っているのだが印象はまったく違う。

 食堂を営む小林聡美のヒロインを基軸に旅人が絡む前作の構造と、ヒロイン自身が旅人として漂泊の途にあるという状況の違いも反映しているのだろう。

 「めがね」の中で基軸と呼べる一番確かなものは何か?と考えると、それは毎年決まってこの地を訪れる「さくら」なのだ。あるいは彼女が作る「カキ氷」と言っても良いかもしれない。
 「かもめ」との比較で言えば、基軸になるはずの民宿の主人さえ、「あのカキ氷に出会って人生が変わった」と言っているのだ。どちらが古くから確実に存在して来たかを考えると軍配は「カキ氷」に上がりそうだ。

 「不思議な」と言う言葉がぴったりの本作、作り手が違えば「不条理劇」にも、ブラックな味わいの筒井康隆風ホラーにもなっただろう。

映画 「ミス・ポター」 ~ POTTER をどう読む?

2007年10月09日 | 映画(マ行)
 同じ POTTER でも「ハリー・ポッター」だったり「ミス・ポター」だったりする。児童文学つながりの両作だが、本作はその作者にスポットを当てた「ピーター・ラビット」の誕生秘話とでも言うべき作品だ。

 イギリス映画らしい登場人物と美しい風景。やや類型的とも言えなくは無いが、その人物描写も楽しめる。

 ヒロインのビアトリクス・ポターに扮するレニー・ゼルウィガーとその家族、婚約者ノーマン・ウォーンに扮するユアン・マクレガーとその家族の面々が個性豊かに物語を支えている。ただ今回最も素晴らしいのはノーマンの姉ミリー役のエミリー・ワトソンだ。脇の固めとしては最高の布陣と言える。

 全編にみなぎる幸福感とその谷間にはさまれた悲哀で、都合3回は涙してしまった。

 イギリスの自然景観を保全するナショナル・トラスト運動創始者としての一面も描いて、魅惑の湖水地方の景観を楽しむにはもってこいの作品だ。

 所々に顔を出すピーター・ラビットのアニメ表現もファンタジーを添える。パスすることも考えたが、心から見てよかったと思える作品。