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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「マリー・アントワネット」

2007年07月19日 | 映画(マ行)
 良くも悪しくもソフィア・コッポラの作品になっている。

 若くして嫁ぐことになったある少女の物語を、ファッション雑誌を見るように、映画で見せている。ヒロインがたまたまフランス・ルイ王朝のマリー・アントワネットだっただけのことかも知れない。

 フランス革命のような歴史のうねりに翻弄された「悲劇のヒロイン」を期待してはいけない。背景にはあっても、そういう葛藤やドラマ性とは無縁の世界だ。

 ヘアー・スタイルや靴やスイーツの動くカタログ的趣向で、若い女の子の興味は昔も今もそれしかないということか。劇中のロック・ミュージックは評価する人もいるが、アウトと言う人も多いだろう。

 人間ドラマは、ほとんどセックスレスの夫の気を引くことが出来るかどうか、という部分にかかっているが、それもどうにかクリアして夫婦の絆は強くなったようだと言う程度の浅い表現である。

 ヒロインのキルスティン・ダンストは高貴というよりは庶民的だが、金髪と白い肌がコスチュームプレイには合うようで、スパイダーマンのヒロインは??だが、こちらは悪くない。

 「あの胸にもう一度」で官能的な肢体が強烈な印象を残したマリアンヌ・フェイスフルが、マリーの母親マリア・テレジア女帝を演じている。年をとってこんなになったんだ、と感無量であった。

映画 「モーツァルトとクジラ」

2007年07月02日 | 映画(マ行)
 自閉症にもいろいろなタイプがあるようで、ここでは「アスペルガー症候群」と呼ばれる「知的障害がない自閉症」を持つ主人公が登場する。

 脚本のロン・バスは「レインマン」も手がけている。このときのダスティン・ホフマンと同じように、本作の主人公であるジョシュ・ハートネットも、特定の分野で常人をはるかに上回る「超能力」を持っている。

 その能力、暗算や地図を認識する能力(一種の人間カーナビのようなものだ)が、本人の頭の中でどのように認識されるのかが映像として表現されるところが見ものだ。そのずば抜けた数値に対する認識力を認められて職を得ることが出来る。

 この映画を見ると障害は個性の延長上にあるものだということが良く理解できる。同じ障害仲間のグループ集会を主催するなど、まじめに前向きに努力する主人公の恋の行方は・・・と言う映画だ。

 仲間の登場人物もその「個性」が劣らず特徴的なのだが、ストーリーの中でそれら個人の魅力がいまいち生きてこないのが惜しい。

映画 「蟲師」

2007年04月05日 | 映画(マ行)

 オダギリジョーの主演。物々しい出で立ちの割には普通の若者のように演じている。

 原作は未読。ヴィジュアルは面白いし、日本の現風景のようなロケハンの魅力も大きい。加えて役者陣も豪華に揃っている。でも何故なんだろうこの今イチ感は。結局、脚本に無理があったのだろうか。

 冒頭、阿・吽(あうん)の蟲退治はエピソードとして分かりやすくまとまっている。中盤で、蒼井優演じる「淡幽」が絡んで来る辺りから、全体像とエピソードの関係性がとらえ難くなる。江角マキコ扮する「ヌイ」が全体のトーンを形成する要の役なのだが、うまく像を結べていないのは、脚本が原作の持つ独特の世界観をとらえきれなかったせいか?

 蟲の引き起こす不可思議な現象を「妖怪」という形で視覚化したらこれは「ゲゲゲの鬼太郎」の世界ではないだろうか。銀髪に片目という主人公の設定もそっくりなのだ。
 さすがに今回、目玉オヤジの出番はなかったが。

 毎回日本各地の蟲退治をしていく連続ドラマだったら、面白いシリーズになるかもしれない。


映画 「麦の穂をゆらす風」

2007年04月02日 | 映画(マ行)
 メル・ギブソンがスコットランド独立の勇者を描き、1995年のアカデミー賞を受賞した「ブレイブハート」は中世の歴史大作。

 本作の舞台は1920年、アイルランドの独立がテーマ。大昔からつい最近まで、イギリスの歴史には多くの血が流されてきたことになる。(世界を見渡せばどこでもそう、かも知れないが。)

 ようやく英国との間に休戦が成立したと思ったら、どの程度で妥協するかで今度はアイルランド内部が分裂してしまう。独立戦争から内戦へと2部の構成をつなぐ、この中ほどの議論のシーンが、実は大変重要なのだろうが、延々と長くて見るにはしんどい。

 作品の重心は、仲間同士が戦う痛みを描く後半にある。
 親しかった人に「二度と私の前に姿を見せないで」と言わざるをえない悲劇が二回繰り返される。また、冒頭近くで災難に見舞われる農家は再三の悲劇の舞台となる。

 人間はなぜこんな愚かしい悲劇を繰り返さなくてはならないのか?  

 イギリス、アイルランドなど5カ国の合作映画だが、ここでは英国は敵として描かれている。たとえるなら日本軍の中国侵略を描いた中国映画に日本が出資しているようなものだ。

 さすが、かつての大英帝国、その度量の深きこと。

映画「松ヶ根乱射事件」 ~ 良識派眉をしかめる

2007年03月23日 | 映画(マ行)
 あまり予備知識なく見た。
 横溝正史の「八つ墓村」でタタリの元凶になる惨殺事件のような印象の映画かという思い込みがあったのだが、まったく違った。起こるのはタイトルどおりの「乱射事件」なのだが、起こってどうなるではなく、何故乱射されるにいたったかの映画なのである。

 脚色はあるが実話がベースになっている、という断り書きが冒頭に付く。「事実は小説よりも奇なり」を地で行く、「奇妙な」としか言いようのないブラックユーモアが全編にあふれた、特異な作品。
 これでPG-12指定(小学生以下は父兄同伴が望ましい)か?と良識派は思うかもしれない。確かに、驚くばかりの冒頭の子供の行為や、直接的な裸も暴力もある。が、それがねらいではないのだ。
 それにしても、映倫にしては寛大な、という印象だ。

 で、そこのところには目をつむり、大人のための映画としてみると、これはなかなか面白い。良い悪いで単純化出来ない人間の面白さがある。次第に精神のバランスが壊れてくる新井浩文の警察官に、どこか変な彼の家族と、村に紛れ込んで来る不気味なアベックが絡む。このアベックの男を演じる木村祐二の個性が映画全体のトーンを大きく支配している。

 さらに全編の通奏低音のように作用して警察官の精神状態を象徴もしているらしいのが、交番の天井裏にいる(かどうかは分からない)ネズミだ。

 かくして乱射された弾の行方は? 神のみぞ知る、だ。

映画「マッチポイント」

2007年02月15日 | 映画(マ行)
 
 テニスではネットにかかったボールがどちらに落ちるかで勝負が決まる、という意味合いのタイトル。

 「さよなら、さよならハリウッド」でハリウッド決別宣言を果たしたウッディ・アレンがヨーロッパで撮りあげた新作。これまでの身辺雑記風ボヤキ節が一変、スタイリッシュなエンターテインメントに仕上がっている。
 ウッディ・ファンはもちろん、そうでなかった人にも楽しめる作品になっている。

 テニス・プレーヤーの話かと思っていたら、テニスは冒頭で主人公の設定のために登場する程度で、本筋は2組の男女の四角関係がどう展開するかにある。
 テニスボールはネットの手前に落ちたらこちらの負けだが、人生においては逆のケースもあるという映画。

 実力とか努力とか言うものの、結局は運の強い人が勝つのだ、というのがテーマ。ラストで誕生するジュニアに「立派な人になるのも良いが、運の強い人になりなさい」というメッセージが託される。

 ウッディ・アレンは自分を強運と思っているのだろうか?

映画「ママが泣いた日」 ~ 不機嫌なママ

2007年01月25日 | 映画(マ行)
 ある誤解が原因で不機嫌になってしまったママ(ジョアン・アレン)の3年間の物語。したがってトーンとしては辛く、まったく楽しい話ではないのだ。

 その不機嫌に付き合わされる4人の娘たちはたまったものではない。彼女たちなりのささやかな反抗が日常スケッチ風に描かれる。

 その映画に大御所ケビン・コスナーが脇を固める。元大リーガーの選手、今地元ラジオ局のDJという役どころでママの家庭を温かく見守る隣人という設定。ジャック・ニコルソンやアル・パチーノなどの大物スターとは別の路線を歩んでいる感じだ。

 ・・・・とここまで書いてきても登場しない、ママの旦那はどうなっているんだというのがこの映画のキモに当たる。

 4姉妹が、(当然といえば当然ながら)まったく似ていないがそれぞれに美人で、「何か喪失感のある女たちだけのホームドラマ」を見せてくれる。

映画「M:i:Ⅲ」~ ラビットフットは「マクガフィン」

2006年07月24日 | 映画(マ行)
 トム・クルーズの映画。1,2作に比べると共演陣も監督も地味な印象で、その分すっかりトム・クルーズの映画になっている。だけど面白い。

 面白さの理由の一つは、本来「非情」のはずなのに「甘さ」があるせいだ。製作時点でのトムの個人的な事情が大きな影響を与えているのではないかと思う。話に付き物の「裏切り」は今回チームの中では発生せず、強い結束で暖かく、気持ちが良い。

 だからと言って、まったく部外者の妻が訪問してチーム仲間の祝福を受けるような職場じゃないだろう?といった別の甘さはある。
 「愛する人は主人公の本当の顔を知らない」ことが葛藤を生む、ストーリー上の常道をあっさり捨てている。「スーパーマン」や「スパイダーマン」は明らかにそれでストーリーが深くなっているのだが。

 超高層のビルからビルへ命綱一本のアクロバットを見せてくれるが、その大きなビルのどこにどういうガードで肝心のものが保管されているのかは示されることなく、あっと言う間に手に入れての脱出劇となる。
 全編見せ場の連続だし悪役のフィリップ・シーモア・ホフマンはさすがのうまさ。逆にこれで「カポーティ」を見てみようかという人が増えるかも知れない。

 話の核になる「ラビットフット」がいかなるものかは最後まで観客には分からない。
 これはマクガフィンと呼ばれる作劇上の仕掛けで、6月に実施された「第1回映画検定」の問題としても出題されていた。ヒッチコックによって考案された言葉で、それが何かと問われても「なにか」としか答えようのない何かなのである。

映画「マンダレイ」

2006年06月29日 | 映画(マ行)
 ミイラ取りがミイラになるとはこういう事なのだ。

 蜘蛛の巣をきれいにしたと思ったら、まったく別の新しい巣がいつのまにか出来ていて自分がそこの主にされようとしている。囚われの人々は開放されても、何をやったら良いのか分からず、自由をまったく喜んでいない。蜘蛛の巣はある意味で彼らの生活に「秩序」を与えていたのだ。

 アメリカの奴隷制度がこのような語り口で描かれる。舞台劇のような閉塞的な空間が監督の掌の上で自在に操られているような不思議な感覚を覚える。著名な役者ほど脇に配したなんとも贅沢なキャスティング。

映画 「間宮兄弟」 ~ おかしくないコメディ

2006年06月16日 | 映画(マ行)
 コメディなのに上映中ほとんど観客の笑い声は聞こえない。

 本来ホノボノ系の、人情を描くコメディなのだと思うが、ジワッと滲み出してくるはずの面白さ・おかしさが伝わって来ず、作為的な戯画化が鼻につく。どうだ面白いだろうと言われているようで、何だかしらけてしまう。

 キャラクターの設定は面白いのだが、ヘンな人はひたすらヘンなだけで終わっている。コミックならそれで良いのだろうが、コミックの映画化もそれで良いのかどうか。
 人間はもっと多面的な生き物だ。お笑いの人がミステリーや悲劇で思わぬ味を出してくるのもそのためだと思う。

 今村昌平や新藤兼人などのシリアスドラマの方がよほど「おかしいさ」がある。今回は森田監督の才気が空回りしているように感じられてならない。