goo blog サービス終了のお知らせ 

SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「初恋」~ 恋の値段は3億円

2006年06月22日 | 映画(ハ行)
 冒頭に出てくる新宿のアンダーグラウンドないかがわしさで一挙にタイムスリップ感を味わえる。当時を知らない世代にはまるで異界かもしれないが。

 ただし、時代のムードはよく出ているものの、学生運動、三億円事件とドラマチックな事件を描いているにしては視点が引いていて、平板な描写に終始している。遅れて失敗するかに見えた強奪もなぜかすんなり成功してしまう。

 ヒロインが大事件に巻き込まれるのが「恋心」のためという説得力がまるでないのだ。登場人物がそれぞれに背負っている事情も表面的に触れられるがそれ以上には立ち入ろうとしていない。藤村俊二のバイク屋も魅力的なキャラクターなのに、ふくらませることなくいつの間にか中途半端に死んでしまっている。
 
 こういう人たちがいてこんな出来事が起きました、という小さな新聞記事の読後感に似ている。したがって誰に感情移入できるでもなく、ラストでそれぞれのその後を示されても感慨を持って迫ってこない。

 予告で流れる元ちとせの主題歌「青のレクイエム」に惹かれて見に行ったのだ。面白い題材なのにもったいない。

映画 「ポセイドン」 ~ 閉所恐怖パニック

2006年06月15日 | 映画(ハ行)
 人物設定など事前の状況説明はまことに手早く、まもなく大波が襲ってくるので全編テーマパーク状態、文字通りのパニック映画である。次から次に迫ってくる危機的状況の中で、命をかけたとっさの判断を迫られる。誰でもパニクッてしまうだろう。

 特に水中シーンが多く、その間はこちらも息を止めてしまっている。過去に溺死の瞬間がこれほどリアルに描かれたシーンは無いのではないだろうか。見ているだけで苦しくなってくる。

 と、スリルと迫力は満点なのだが・・・・1972年の、ここからパニック映画の流れがスタートしたともいえる「ポセイドン・アドベンチャー」にはあった登場人物の人間関係や葛藤、心の動きなど「感動的になる要素」はきれいに吹き飛んでしまっている。98分の上映時間があと30分長ければ何とかなったのではないかと思うのだが。

 「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイクというより、ペーターゼン監督の「パーフェクト・ストーム」に続く大波映画第2弾といった印象である。

映画 「僕の大事なコレクション」~ これは名作。

2006年05月17日 | 映画(ハ行)
 ちょっとトボケタ感じの映画なのかと思っていたら、まったく違った。素晴らしく良い意味で期待が裏切られた。しかし劇場はガラガラ、上映も短期間の見込みだ。地方公開は危うい?

 どうも売り方が間違っているような気がする。
 ポスターやチラシのイメージはまるでコレクターのマニアックな世界をおかしく描いたコメディだ。だがどうして、根本的にシリアスな文芸作品といってよい。

 舞台はロシアのウクライナ地方。オデッサの名前が出るので「戦艦ポチョムキン」の有名なオデッサの階段がこの辺の話なのかというほどの知識しかない。こんな場所にもかつてユダヤ人が暮らし、ナチスの爪あとが残されていることが分かる、過去のルーツを遡る旅がテーマになっている。

 現在と過去は表裏一体の関係で「すべては過去の光に照射されて明らかになる」といったほどの意味を託した原題が陳腐な邦題に置き換えられてしまったのがなんとも残念である。

 典型的なオタクに造形されたイライジャ・ウッドの目がメガネのレンズでさらに拡大されて、もともと目鼻立ちのハッキリした顔がなにやら作り物めいて見える。

 現代の旅の映画なのだが、ウクライナの広大さと人々の暮らし振りがまるで過去へタイムスリップしたような感覚を覚えさせる。これは名作。

 俳優として出演作品の多いリーブ・シュレイバーの初監督作品。(脚本も)

映画 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

2006年04月29日 | 映画(ハ行)
 数学者の父と娘の物語。

 グウィネス・パルトロー、アンソニー・ホプキンス、ジェイク・ギレンホールと俳優陣は豪華。うまい脚本と役者、監督が揃い、つまらない映画になるわけがない。が、今回はホプキンスもそれほどの見せ場がなく、脇を手堅く固めている。

 死んだ数学者ホプキンスの娘姉妹がともに、ややエキセントリックで関係がギスギスしており、見ていて辛い。

 映画は妹役のパルトローが自分の人生の第一歩を歩み始めるまでの物語。
 原題は単に「Proof」だが、まるで原題をそのままカタカナ表記したかのような邦題が、実は意味的には良く内容を表している。

 ほぼ同じ頃、邦画でも数学者が主人公の「博士の愛した数式」が公開されたが、これは日本の勝ち。

 チラシの「アカデミー賞最有力」のコピーが空しい。わるい映画じゃないだけに・・・・。

映画 「僕のニューヨークライフ」 ~ ウディ・アレンの分身術

2006年04月22日 | 映画(ハ行)
 今回の主役はジェイソン・ビッグス。大きな黒目が印象的な好青年。
 アレンの分身的な役割だがずっとハンサムである。

 そのアレンは脇役で同じコメディ作家の先輩格なのだが、これがとても不思議なキャラクターに仕上がっている。
 「ファイトクラブ」のエイドワード・ノートンとブラピの関係ようでもあり、「シックス・センス」のブルース・ウィリスのような存在にも見えてくる。決して悪意はなく主人公の人生の岐路で背中を押してくれる、とぼけた天使のようだ。少なくとも主人公の通う精神科のカウンセラーよりはよほど役に立っている。

 ただ思わぬ強暴な一面も見せる。
 アレン主演のホラーがあれば、それはそれで怖い気もする。

 ラストで主人公はニューヨークを出てカリフォルニアへ向かう。少し前に公開された「さよなら、さよならハリウッド」ではアレン扮する映画監督は、それでは足りずフランスを目指す。

 2作続きではどうしてもアレンのニューヨーク決別宣言と取られてもしょうがないだろう。

映画 「ブロークバック・マウンテン」

2006年04月18日 | 映画(ハ行)
 タヴィアーニ兄弟監督のイタリア映画「父/パードレ・パドローネ」は、小学生の息子が厳格な父親から山の羊番をさせられるところから物語が始まる。こちらは一人だからまったくの孤独だ。しかも幼い。

 同じ羊番でも、舞台や設定の違いからまったく異なる物語が紡がれるが、ともに名作。

 風景を捉えた画面からは山の冷気が伝わってくるようだ。甘美な青春期が過ぎ、その後の現実がすさむほどに、再び二人で訪れる山の景色は美しく、神々しくさえある。
 山は主人公二人の心が常にそこに帰っていく美の象徴のように扱われ、まるで三島由紀夫の「金閣寺」のような存在にまでなっている。

 死んだ相手の実家に両親を訪ねるラストが切ない。

 アカデミー作品賞は惜しくも逃したが骨太の文学タッチの作品。
 一方の「クラッシュ」は洒落た映像感覚と緻密な脚本による群像劇で、観客として甲乙は付け難い。後は好みの差でしかないだろう。

 こんな豪華なノミネーションを味わえた今年のアカデミー賞レースは、「たいへん満足」でした。

映画 「プロデューサーズ」

2006年04月14日 | 映画(ハ行)
 久々のミュージカルらしいミュージカル。「らしい」というのは、やはりコメディだから。 

 シリアス系ミュージカルにも傑作は多いが、これはコメディ路線の傑作。単に舞台を映画化しただけでなく、映画として映像表現の興趣にも富んでいる。

 映画スターとして認識していた人達が歌もなかなかうまい。

 メル・ブルックスの原作(ミュージカルではない映画作品)は1968年の作品ながらほとんどお蔵入り状態で、2000年に日本でも公開された。当時小さな劇場でひっそりと公開されたのを見た友人から面白いと推薦されていたのを見ないままでいた。

 マシュー・ブロデリックは「ウォー・ゲーム」のときと変わらない童顔ながら、達者な歌と踊りで驚いた。もともと舞台の人なのだ。
 ウィル・フェレルもうまい。「奥様は魔女」とは雲泥の差で役が生かされている。

 エンドクレジットに流れる歌もラストでしっかり笑いを取るし、そのまた後に舞台で言うところのカーテンコール的な趣向も用意されており、サービス度は満点。

 最後まで席は立たないほうが良い。

映画 「ファイヤーウォール」

2006年04月13日 | 映画(ハ行)
 人質にとられた家族救出劇なので、どうしても昨年公開のブルース・ウィリス主演「ホステージ」と比較してしまうが、勝負にならない。

 小さな息子は占拠された家の中でも割りに平然と構えているのだが、そういう態度をとらせるにいたった敵・味方の間の、そこにあるはずのエピソードが描かれていない。
 登場人物がストーリを語るための単なる駒のようで、犯人グループも人質の側も人物像にまったく厚みが感じられない。わずかに息子がピーナッツアレルギーであることが分かるくらい。

 建築家の妻が設計した豪邸に住んでいるのだが、パニックルーム並みのセキュリティとか面白い道具立てや仕掛け、抜け道などがあるわけでもない。

 主犯格のポール・ベタニーにルドガー・ハウワーを思わせるところがあり、ハリソン・フォードとの格闘に「ブレード・ランナー」を思い出したが、20数年前の作品でもあり、どうしてもフォードの歳が見えてしまう。
 まして今回はスーパーヒーローでも無いわけだし・・・・。ただ一介のコンピュータ技術者にしてはちょっと強すぎるかな、という感じである。

韓国映画 「春が来れば」

2006年04月04日 | 映画(ハ行)
 日本の現在=花の季節にふさわしいラストシーンが用意された、「風ぬるむ春」にぴったりの作品。

 晩秋から冬、そして春という季節の変化の中で物語が綴られる。色調もストーリーもそれにシンクロしている。

 その季節感からして約半年間くらいの話らしいのだが、らしいというのは・・・・話を切り上げるタイミングを逃していつまでも続いていくという印象で、時間の流れがとても緩慢に感じられ、主人公が指導する中学校の吹奏楽部が大会に出場するという主筋がメリハリをもって語られていないのだ。

 主人公が眠りに落ちている間に、雨が雪に変わって季節の流れを表現するシーンの、この長い不思議な間の感覚など、うまいのか下手なのかよく分からないが、結局は下手なのだと思う。

 それと、結局コンクールの結果はどうだったのかとか、結局あの二人はどういう関係なのかとか、話のディテールはあえて語るのを避けているかのようだ。

 その結果、物語全体がふわっとした、春の暖かさに包まれたようなおぼろげな心地よい輪郭を持つことにはなっている。
 また、子供達はとても素直だし、小さな町の人情は温かいものがあるし、その中で主人公が挫折感から再び立ち上がるまでの「癒し」はジワッと心に染みるものがある。

 チェ・ミンシクはさすがにうまい。
 が、最も良かったのは予告の、吉岡秀隆の語りかもしれない。

映画 「ポビーとディンガン」 ~ 主役が画面に出てこない映画

2006年03月22日 | 映画(ハ行)
 本当に大切なものは目に見えない、ということを映画にしたような作品

 オーストラリアから想像する豊かな自然景観はまったく出てこない。殺伐とした砂漠のようなオパール採掘現場と裁判のシーンが主な舞台。以前ヘルツォーク監督が撮った「緑のアリの夢見るところ」も似たような舞台設定だった。

 最初は観客のほとんども「目に見えないものは信じない」立場から物語を見ることになるが、劇中の同じ立場の登場人物がそうなるように少しずつ心が変化してくるのが分かる。実は、そのイマジナリー・フレンドは本当はいて、ただ我々の目に見えていないだけなのかも知れない、とも思えてくるのだ。

 幼い女の子がこれから現実社会とどう折り合いをつけていくかという、かなり深いテーマをファンタジーの形で見せてくれる。

 子供が主人公だけれど子供の映画ではない。