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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画「墨攻」と「風林火山」

2007年02月27日 | 映画(ハ行)
 国境を越えてアジアの才能が結集した大作「墨攻」を見た。

 舞台は趙、燕の大国に挟まれた梁、主人公は墨者・革離と漢字づくめ。登場人物もごく一部を除いて顔と役名が覚えられなさそう。冒頭で早くもそんな不安が心をよぎったが対立関係、状況もそう複雑ではないので面白く見ることが出来た。

 しかし、何より驚いたのは週末2月25日に放送されたNHKの大河ドラマ「風林火山」第8回「奇襲!海ノ口」と酷似していたこと。

 墨家は「非戦」を説いたそうだが、墨者・革離は戦闘に長けた「軍師」である。一人梁城を訪れた革離が戦いの指南を行う。方や「風林火山」では浪人にして優れた軍師としての才を持つ山本勘助が海の口城で武田軍を迎え撃つ策を城主に授ける。

 で、その戦いのディテールが、例えば城壁に土を塗って火矢の燃焼を抑えるとか、例えば城で使用する地下水に毒を流すとか、例えば城外からトンネルを掘って防御を突破するとか、例えば大軍が撤退して喜びに沸く城を、敵の少数残党が奇襲して結局城を落としてしまうとかとか・・・・そっくりなのだ。

 勘助は諸国を放浪しながら戦いの術を学んだそうだから、中国の、この古い戦の戦術が海ノ口の戦いに応用できると気付いたのか?

映画 「武士の一分」

2006年12月15日 | 映画(ハ行)
 主人公の生き方そのもののように、まったく小細工のない、映画の王道を行くような作品。

 冒頭で、方言を話す下級武士のキムタクがSMAPのバラエティ番組のようでコンフリクトを起こしかけたが、すぐにアイドルスター・キムタクは姿を消し、俳優・木村拓哉がそこにいた。

 前二作は似通ったイメージを持っていたが本作はテーマも作り方もまったく違う。どちらかと言うと舞台劇のようで、近松の世界などに近い感じだ。テーマはズバリ夫婦愛で真正面に据えられ、まったくぶれがない。

 主人公が盲目となる設定からか、風や雷、虫の音、鳥の声、鐘の音など画面の外の豊かな世界の広がりを音で聞かせる作りになっている。
 「虫」は特に蚊と蛍がビジュアル上も場面の大きな要素になっている。蛍は、CGで画面上を光が舞うように合成されることはあるが、本作では画面の片隅で、障子にとまった蛍が羽を広げて飛び立つのだ!

 前二作も共通するが、食事の中身や作法など「時代の生活」がとても丁寧に描かれる。城の中では、毒見のあと主君の部屋まで膳が届けられるが、そこでさらに御前へ運ぶための役どころへとバトンタッチされる分業制を初めて目にした。殿の目に触れる者たちは服装も明らかに差別化されている。

 その、もうろくしてどうしようもないと思わせるように描かれた主君の、実はとても大きな人情が物語の隠し味になっている。

映画 「フラガール」

2006年10月30日 | 映画(ハ行)
 「しずちゃん」がユルいフラを披露するスポット予告を見たときはパスしようと思っていた。その後、社会派のかなりシリアスなトーンに予告が変わって、こういう映画なのかと認識を新たにしたところ、公開後の評判もなかなかで、これは見に行くか、という気になった。

 映画の王道を行く、まさに定石どおりの作品。すべてが収まるべきところにうまくはまってパワーのある作品になっている。
 ジャンル的には「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」系の未体験分野達成ムービーなのだが、学園祭で高校生がなにかやろうという訳ではない。「フラ」にいたる背景に社会的な要因があり、切羽詰った状況にヒロインたちが置かれているところに新味がある。そして、それゆえに泣ける。

 劇中の台詞にあるとおり「女性は強い」。松雪泰子、蒼井優、富司純子の3人が圧倒的に良く、男優陣がかすんでしまう。

 ハワイアンにも激しいリズムのものがあったり、またフラの動きが手話的な意味を持つことなど初めて分かることも多いし、全編を支えるジェイク・シマブクロの音楽も魅力的だ。

映画「プルートで朝食を」

2006年10月18日 | 映画(ハ行)
 コマドリの語りで物語が始まり、同様に幕が下りる。
 物語そのものは全体が36章の構成で、ポップな色彩に彩られたアルバムでも見るようにファンタジックな主人公の一代記が展開する。

 下手をすると危ない性倒錯者の話になりかねない題材をニール・ジョーダン監督は良質の切ないファンタジーに仕上げている。
 孤児の恋しい恋しい母探しの旅の物語だが、主人公は、自分の人生も母の人生も肯定的に受け止めており、切ないながらも爽やかな後味を残してくれる。劇中の台詞にもあるように、母を捜しているのに父親と出会い、不思議な絆が生まれる。

 関わりをもつ暴走族系ロックスターや尋問する警察官までもが、主人公の不思議な魅力に惹き付けられるところがなんとも微笑ましい。女性的な魅力と言うより、人間としての肯定的、前向きな姿勢と優しさのなせる技であろう。

 ニール・ジョーダン監督らしくアイルランドの政治的な情勢も背景にはあるが、これまでとは一味違うコメディである。リーアム・ニースンの役がリーアム神父というのは単なる偶然なのか?

 太陽系惑星の見直し論議が進む中、タイミングよく問題の冥王星(プルート)がタイトルになっている。

映画「ブラック・ダリア」

2006年10月17日 | 映画(ハ行)
 ブライアン・デ・パルマ監督の新作。

 ここ一番のケレン味を発揮する監督が、それぞれに闇を抱える訳ありの登場人物がうごめくハリウッドの夜を映像化するのだから、ゾクゾクするような世界を期待してしまう。

 予備知識としてある、本題の殺人事件はなかなか起こらない。当時の時代色、平行して描かれるまったく別の事件、警察の内部事情、それに関連した主役二人のボクシング試合など余裕たっぷりに周辺が描かれるのだ。これは相当な見応えがあるかも、と期待し覚悟したが・・・・。

 本題に入ると展開がやや説明不足だし、謎解きもあれよあれよと言う間に終わってしまう。ああそうなんですか、といういう感じで「闇」に迫る人物像の彫りが甘いようだ。
 スカーレット・ヨハンソンは主人公二人が惹かれるわけだから、さすがに美しくはあるのだが終始若奥さま風で影が感じらず、豪華な配役がもったいない。
 期待の「ケレン」もカット割が中途半端で不発に終わってしまう。

 劇中「BD」というイニシャルが登場するが「予備知識」段階ではこれが「ブラック・ダリア」だと思っていた。

 あと1時間長いバージョンならどういう作品になったかな、と期待は大きい。

映画 「ぼくを葬る」

2006年09月06日 | 映画(ハ行)
 もし若くして余命が無いことを宣告されたらこんな風に死を迎えたいと思うような穏やかな対峙、波の音に包まれて迎える静かな境地を観客も追体験することになる。

 同性の愛人との関係、家族との関係、息子(主人公の父親)を捨てて家を出た祖母との関係、何を残して何を残さないか、一つ一つを整理していく主人公が丁寧に描かれる。そして、その道中で偶然出会う子供のいない夫婦との間に奇妙な絆が生まれることになる、という当たりがフランソワ・オゾン監督らしい。

 オゾン作品では海が象徴的に描かれる。

 「まぼろし」では主人公夫婦の夫が海で死ぬ。また前作「ふたりの5つの分かれ路」では二人の幸せがそこから始まる日没の海辺がラストシーンだ。

 続く本作では冒頭とラストに海辺のシーンが配置される。冒頭は海に向かう子供のころの主人公。「宣告後」主人公はしばしばこの少年時代の幻影を見る。

 その姿を通して、彼は自分の人生を肯定し、他人を思う優しさと生命に対する愛おしさを心の中に回復するのだ。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」

2006年08月23日 | 映画(ハ行)
 第1作はスカッとして明快な活劇だったのに、今回はダークファンタジーにコメディがバランス悪く絡まったような印象である。映像の色調設定と海洋生物をモチーフにした幽霊軍団のキャラクターが支配するトーンによる。
 最近の大作は「ハリー・ポッター」シリーズもそうだが、ひたすらダークだ。

 個性的な主要人物も前作に比べて生彩を欠き、魅力がなくなってしまったように感じる。これは単に2作目で新鮮味がなくなったせいなのだろうか。

 一作目はかなり独立性が高くそれ自体で完結した作品になっていたので、2作目がそれをどう引きずるのか見当がつかなかったが、見た限りでは復習しておいた方が良い。前作を見ていない人の目にはどう映るのだろう。
 予告には熱心な製作・配給会社も劇場も、本編に先立って前作の総集編やあらすじを流そうという配慮がまったくないのは観客サービス上問題ではないかと思う。

 ただ中盤以降のアクションは目を見張るばかりで、次々に繰り出される展開は見事というしかないし、軍団のメーキャップやモンスターの迫力は映画ならではの楽しさだ。

 やや遅れて公開された「スーパーマン」の新作も本作も150分を超える上映時間。「ポセイドン」の98分は短かすぎるにしても、もう少し刈り込むとグッと良くなる作品もある。 

映画「ブレイブ・ストーリー」

2006年07月25日 | 映画(ハ行)
 宮部みゆきの原作。
 それにしても色々なジャンルをこなす凄い作家だ。

 映画は「スター・ウォーズ」と「千と千尋」をミックスしたような印象で、一見子供向けのファンタジーのようだが、ベースには他の宮部作品にも見られる現代の家族の問題が横たわっている。

 子供にとって家族がいかに大切か、親の問題で犠牲になるのはいつも子供たちだ。自分なりに何とかしたいという彼らの健気さが切なく迫ってくる。子供には限りない愛を与えなくてはいけない、と思う。

 「この世に生まれるってことは、すでに生を受けた時点で祝福されている。世界中の子供たちがたっぷり幸せを獲得しても、この世の幸せは少しも減らない。まだいっぱいあるんだよね。」
 これは沖縄の版画家・彫刻家・詩人である名嘉睦稔氏のことば。

映画 「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

2006年07月18日 | 映画(ハ行)
 「心の闇」を封じ込める男の姿を描いた作品。

 これまでは心の闇そのものを描きつづけてきたクローネンバーグ監督であるが、今回は珍しく分かりやすい。冒頭からの各エピソードが次第に絡み合っていくストーリー展開は見事である。

 悪に染まった人間が更生を図ろうとするとき、かつての仲間や社会の壁が立ちはだかってくるが、家族の信頼がそれを乗り越える大きな支えとなることを正面から描いている。
 善良な一市民であるヴィゴ・モーテンセンの食堂店主が悪と対峙した時に見せるアクションの切れが全編のキーとなる。

 二人の大物俳優エド・ハリスとウィリアム・ハートが、悪役でもさすがの光り方をしている。

映画 「花よりもなほ」

2006年06月23日 | 映画(ハ行)
 テロリズムの横行で憎しみの連鎖が断ち切れない世界に対して、是枝監督流の異議申し立てを、実にさわやかに行っている。一種の忠臣蔵外伝になっているところが面白い。

 出演者の顔ぶれもにぎやかに、是枝作品としては珍しく、一般的にもとても楽しめる映画になっている。(と言っては失礼か?)
 舞台となる今にも倒れそうな長屋の「汚い美術」が特筆もの。たたけば埃が出そうだが、本当に出ていた。雪降りしきる中で登場人物の吐息が白くならないことに驚いた「春の雪」とは対照的である。

 軽やかな音楽と岡田、宮沢の主人公の魅力、加えて脇のキャストが誰も、とてもいい味を出している。

 加瀬亮と夏川結衣の場面はちょっと黒沢明の「赤ひげ」を思わせるところがあったが、他の人物像はそこそこに長屋全体のアンサンブルが描かれ、それに赤穂浪士が絡んでくるところで主人公の仇討ち話と対比的に深みが出てきている。