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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

ふたりの5つの分かれ路 ~ 神の視点を持った観客

2005年09月09日 | 映画(ハ行)
 クールな原題「5×2」に珍しくまともな邦題が付けられている。

 リバースムービーと呼ばれる時制形の作品。
 同じ形式の「アレックス」は「時間がすべてを破壊する」というテーマで凄まじい破壊の風景から至福の過去へ遡ったが、本作はもう少し穏やかでしみじみ、切ない系である。
 アルバムを後ろからめくっていくようにその時々の思いがうまく切り取られている。ただし、そこはフランソワ・オゾン流、さりげない毒が混ざっている。
 逆もまたしかり、毒(POISON)の中にはオゾン(OZON)がいる。

 エリック・ロメール監督の「緑の光線」(1985)では、見た人を幸福にすると言われる「日没の最後の一瞬に見える光」を愛する人と共に見ることを夢見る女性が描かれていた。そのとおりならラストシーンはまさに至福のハッピーエンドといえる。
 ただ、未来を知る神の目を与えられた観客には、夕日が美しければ美しいほど切なく見えてくる。

ヒトラー 最後の12日間 ~ 知らないことの罪

2005年09月08日 | 映画(ハ行)
 ヒトラーは第三帝国の壮大なモデルの前で夢を語るが、現実の帝国は地下の要塞の中にしかなかったようだ。

 「ナチス=絶対的な悪」という世界共通の認識の中で、その中枢の人間的な感情を描くこと自体がタブーのようなものであっただろうと想像される。本作ではヒトラーの女性秘書の眼からその「人間」が描かれているものの、情感に流れることなくクールな視点でつづられているのが良いと思う。

 ラストシーンからは戦後に向けての微かな希望の光が射してくるようである。そこに描かれた たくましさがドイツに限らず現在の社会を再構築したのだと思えてくる。
 
 さらに本編の後に、すでに老いた生前の彼女への短いインタヴューシーンが挿入される。
 その中で彼女は「外の世界で何が行われていたのかを知らなかった。若かったからと言うだけでは済まされない。もし知ろうと思えば可能だったはずなのに・・・」と語っている。そして、そうしなかった悔いが終生、彼女を苦しめたようだ。
 あなたなら果たしてそう出来ましたか、とすべての観客に向けて問われているようで重い。

 それにしても世界からいまだに戦争はなくなっていない。

亡国のイージス ~ 出逢いのない共演

2005年09月06日 | 映画(ハ行)
 久々の堂々とした日本映画。おりしも衆議院選挙戦の真っ只中で、国のありようについて考えさせられる部分もあった。

 ボリューム的にイージス艦の乗っ取り犯と奪還のために潜入した二人の攻防がメインとなるが、乗っ取り組が潜入者を必死で探し出してやっつけるふうでもなく、たまたま出逢ったらそこで攻防が発生するという感じで、潜入した二人組はわりに自由に行動しているように見えるし、食事なんかもしっかり取っている。意外にのどかだ。
 その辺の見せ方(スリルとかサスペンスとか)はもう一歩かな、という気がした。また、女性テロリストの扱いが中途半端で物足りないということはあるが、見ごたえのある大作。

 イージス艦グループと永田町の首相以下緊急対策本部グループ、それぞれに豪華な役者をそろえている。両者はまったく同一画面に出ることはないのだが、役者さんにとっては「あの人と共演しました」みたいなことになるのだろうか?
 寺尾聡と原田美枝子は「半落ち」に続きまた夫婦だが今回は生死を交代し、家族写真で一緒に写っているものの同時には出番がない。

ベルリン、僕らの革命

2005年09月02日 | 映画(ハ行)
 クライム・ムービーのように始まるが、結果的には、大人になることのほろ苦さと悔恨までを包含した青春映画になっている。
 なりゆきで誘拐に発展するが、誘拐した方とされた方が対立項というよりむしろ同根であることが分かり、ラストの意外な落ちへと進展していく。
 サスペンスで盛り上げるでもなく、甘美なラブシーンがあるわけでもなく、描写は淡々としている。山に逃げてからの風景の清々しさが人間の行為の小ささを際立たせるようでもあり、青春のはかなさと重なって美しい。
 最近の映画で気になるのは、フィルム撮影ではなくビデオを最終的にフィルムに焼いているらしき画像の多いことだ。画質が良いとか悪いとか言うのではなく、「硬い」気がする。暗さに強いためか夜間の描写に使われることが多いが、本作は全編に渡ってかなり多用されているようで画面の質感に違和感を感じてしまう。TVで見る分には良いのかもしれないが、映画館の大スクリーンでは辛いものがある。

微笑みに出逢う街角

2005年08月29日 | 映画(ハ行)
 とにかく豪華な顔ぶれが出演した、大作ではないが、味わいのある作品。
 ソフィア・ローレンの100本記念とその息子の監督デビューということでの大スターの結集だが、二人の夫であり父である大製作者のカルロ・ポンティの影響力も大きいだろう(本作の製作は別人)。
 群像劇とまでは行かないが、オムニバス的な構成で3人の女性の物語が展開する。少年ギャング団と天使のような少女が各エピソードの繋ぎになっている。
 しかし圧巻はなんといってもソフィア・ローレン。「ひまわり」でも見せた家族との別離が抑制した感情の内に表現され、今回も哀切極まりない。

フライ、ダディ、フライ ~ Shall we fight?

2005年08月03日 | 映画(ハ行)

 「ラン・ローラ・ラン」というドイツ映画のタイトルを思い出した。

 本作も、走って走って最後には飛翔してしまう。武闘版「Shall we ダンス?」とでも言えばよいだろうか。最高に良く出来たファンタジー作品である。
 青年がオヤジを鍛えるプロセスで、ある種の擬似家族的な感情が芽生えてくるところなど、関係は逆転しているが「ミリオンダラー・ベイビー」のようだった。ユーモアと詩情が巧みにミックスされ、深夜バスの常連に連帯感が生まれてくるあたりも面白い。
 冒頭のモノクロパートが切れも良く、とても美しい。岡田准一の鳥を模した身体表現も見事で、マシュー・ボーンの「白鳥」のようだと思っていたら、これは「鷹」だそうだ。

 まもなく上映終了だが、夏の洋画大作は見てもこの邦画を見ようという人はあまりいないのだろうなあ。


バットマン ビギンズ ~ 悪の造形

2005年07月14日 | 映画(ハ行)

 コミックの映画化の場合、キャラクター、特に悪役の造形のコッテリ感が有名俳優の起用につながり、むしろ彼ら、彼女らもそれを楽しんで演じている感じがあった。今回は配役は豪華版であるがどれもコミック・キャラらしからぬあっさり感である。はじめの方に善良警官=ゲイリー・オールドマンが出てくるのを見て、そのうち本性を現すに違いないと思うが、期待は見事に裏切られる。

 あくの強さで言えば、冒頭にオリエンタル・テイストで渡辺謙が健闘しているのと、「羊たちの沈黙」でレクターがかぶるようなマスク(おどろおどろしいが本当にガスマスクの機能が果たせるのかという感じ)を精神科医がかぶってスケアクロウと称しているくらい。したがっていわゆるコスチューム・プレイはバットマンの独壇場となるところが浮いているといえば浮いている。

 クリスチャン・ベールのバットマンは歴代の中でも若々しく、なかなか(たぶん最も)良い。富豪の御曹司らしい気品とダークな影の部分が魅力的なヒーロー象を作っている気がする。

 クライマックスのモノレールの脱線激突シーンはテレビで繰り返し目にしたJRの脱線事故が脳裏によみがえった。もし関係者が鑑賞した場合、精神的にどうなのだろう。

 


バットマン・ビギンズ ~ コスチューム編

2005年07月05日 | 映画(ハ行)

 ヒーロー物に関する一番の疑問は「コスチュームを誰が作っているのか?」である。作った人はヒーローの正体を知ってしまうのだから、よほど律儀に守秘義務を全うする職人がいるに違いない。まさか作った後、殺されているわけではあるまい。

 「スパイダーマン」は賭けプロレスに、自分で縫ったみすぼらしい衣装で参戦したが、後の素晴らしいコスチュームは一体誰が製作したのか分からない。
 少なくとも今回のバットマンに関しては、この疑問にきちっと答えてくれる。しかもそれぞれのアイテムがどういう原理でそのような機能を持ち、動きをするのかというところまで描こうとしている。(単なるコウモリ型の手裏剣というだけのものもあるが。)
 そもそもバットマン=ブルース・ウェインの父が生前に所有していた大企業の廃部寸前の部署の開発商品であったという、これまでは描かれなかった秘話の部分でもある。
 007のような諜報機関の場合は秘密兵器を開発する部署を持っているがバットマンは個人営業だから、もし父親の企業が早い時期に傾いていたら息子に悪撲滅の意思はあってもバットマンは誕生しなかったことになる。

 トレーニングを積み、コスチュームも完成して準備編は終わり。さて悪を退治に行くか。


バットマン ビギンズ ~ トレーニング編

2005年07月04日 | 映画(ハ行)

 チベットの山奥のような風景の中に忍者らしき軍団も現れるなど、東洋的なイマジネーションが支配するパートである。ここで主人公はリーアム・ニーソンに徹底した訓練を受ける。スターウォーズでアナキンを鍛えたかと思うと今度はバットマンの訓練、と売れっ子トレーナーである。「ギャング・オブ・ニューヨーク」ではレオ様も彼に育てられたのだった。

 主演のクリスチャン・ベールが本作に先立って東洋武術とガンアクションを組み合わせた技を披露した2003年日本公開の「リベリオン」では、武術の様式(=型)が「カタ」として日本語のまま用いられていた。ハリウッドの新しいアクションの流れは東洋を志向しているのかもしれない。(「マトリックス」しかり。)

 このトレーニング編とでも呼ぶべきパートの終わりに大爆破シーンが用意されているが、あわや谷底へというシーンはそのまま「ファイト!一発!リ○○○○D」で、思わずニヤリとしてしまった。


フォーガットン ~ 「想定外」への対処

2005年06月14日 | 映画(ハ行)

 毎日のように小説よりも奇なりという印象の出来事が頻繁に起こるのに、どれも「想定内」と聞いて「そんな馬鹿な」という気持ちになることが多いが、これは「想定外」の作品。

 映画は、そのジャンルが好きな人に足を運んでもらうために、予告という手段を使って一応それがどんな種類の映画かということを知らせてしまうというルールがある。それを逆手にとった作品をルール違反と怒るか、意外なドンデン返しとして楽しむかで作品の評価は変わってしまう。

 あるバレースクールを舞台に次々と起こる連続殺人事件をミステリーとして鑑賞していたら、古くからこの学校にたたっている怨霊のせいだった、といきなりオカルト・ホラー映画に落されて釈然としない気分になってしまった「イタリアの鬼才」の作品があった。

 「24」を見ていたらこれは実は「X-ファイル」でした、というようなものだ。幽霊や宇宙人を登場させたら「何でもあり」になってしまう。