ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

Volver 幻視

2010-04-15 21:42:32 | 南アメリカ
 タンゴの名曲、帰郷(Volver)といえば、近年ではスペイン映画「帰郷」の中で印象的な使われ方をしていて、記憶に残っている方もおられるでしょう。まあ、私はこの映画、見てないんで、何の記憶もないんだけどね。なんだ、それは。
 と言うわけで。もう4月の半ばと言うのに真冬みたいな薄ら寒い雨が降り続ける日の夕暮れ、窓を伝う雨だれの向こうに霞む灰色の街の風景を見ていたら、タンゴの名曲、「帰郷」を聴くたびに思うことなど書いてみる気になったのだった。
 あ、あの曲に関する何らかの資料を必要としている人は、ここではなく他のサイトをご覧ください。これから記すのは私の見ている幻想でしかないのだから。

 「帰郷」は、タンゴ形成期の大歌手、カルロス・ガルデルの書き残した名曲の一つ。彼が1935年、飛行機事故で惜しくも44年の生涯を終える、その直前に撮っていた映画の挿入歌としても使われていた曲である。
 帰郷と言う、まさにそのものを歌った歌なのだが、懐かしい旧友との交歓や故郷の美しい山々、なんてものを歌った、のどかな代物ではない。張り詰めたメロディと暗示的な歌詞を持つ、いかにもタンゴらしいと言うか、恐ろしく痛ましい物語がどこかに大きな影を落としている、そんな気がしてならなくなる、重苦しい影を背負った歌である。
 私がかってにこの歌の背後に見てしまっているのは、たとえば一時の感情の爆発で何人もの人を殺してしまった、なんて罪人の後日談。

 彼は長い刑期を終え、年老いて刑務所を出所したところだ。迎える人もいぬままに一人、古ぼけたローカル線の汽車に乗って故郷を目指す。昔と代わらぬ小さな田舎の駅に降り立ってみたものの、行き過ぎるのは見知らぬ人ばかり。塀の中で人生を費やした彼を、時間はとうに追い越していた。
 彼はよろめく足で彼が育った家を目指す。彼の愚行によって大いに迷惑をこうむったはずの家族は彼を、どのように迎えるのだろうか。合わせる顔もない彼だが、帰る場所が他にあるわけでもなかった。
 彼の生家は、当の昔に放擲された廃屋となっていた。崩れた土壁から差す光が、荒れ果てた家から住民たちが立ち去っていってから流れた年月が決して短くはない事を明らかにしてた。身内の犯した醜い犯罪のおかげで、住む家さえ追われた父母や兄弟たち。
 彼らの生きた過酷な運命を思って、彼は廃屋の戸口に立ち尽くしたまますすり泣いた。
 なんて話なのだが。

 いや私の幻想ばかりではなく本当の歌詞だって、つかの間の人生、忍び寄る老い、宿命的に呼び戻される厳粛なる運命の場と、相当なものを歌っているのであって。
 じきにやって来る村祭りの予感に胸を躍らせながら洗いざらしのジーパン一つ、懐かしい故郷へ鼻歌交じりで帰って行く五木ひろしの歌とはとんでもない隔たりがある。
 故郷へ帰る、それだけの事だって、ここまで重たくなってしまう。なんてタンゴとは業の深い音楽なんだろうなあとか、いつまで待ってもやってこない春を待ちながら思っているわけです。
 
 下に貼ったのは最初に述べたスペイン映画で使われたフラメンコ・アレンジの”帰郷”です。ガルデルの戦前録音のオリジナルでは、ちょっと地味過ぎるかなあと思いまして。それにしてもこの映画、見ておきたいなあ。





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