ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

不器用なる予兆?

2009-12-18 21:32:48 | 時事

 2009年12月15日(火)
 posted at 20:48:21
 先日来、行きつけのスーパーで冷凍のブルーベリーが売り切れたまま。しょうがないから街の別のスーパーに行くと、そこも売り切れ寸前で、しかも「本日限り」なんて札までかかっていた。慌てて残り全部を買ってきたけど、どうしたんだ?12月初旬をもって地球の全ブルーベリーが絶滅したのか?

 2009年12月17日(木)
 posted at 16:40:12
 町のDoItYourselfの店に行ったらずいぶん混んでいて、複数あるレジにはどこも客の列が出来ている。それなりに盛況の店ではあったんだけど、こんなのは初めてだ。この間のスーパーのブルーベリー売り切れ事件を想起する。やはり世界の裏側で何ごとか起こりかけているのではないかと。

 2009年12月17日(木)
 posted at 23:53:42
 テレビで言うほど、地震は強くなかったな。すぐ終わってしまったし、震源はそれほど深くないんじゃないか。震源地直近より。

(Twitterより : http://twitter.com/mgo_gt )

ペテルブルクの娘

2009-12-17 02:34:02 | ヨーロッパ

 ”Косы”by Юлия Михальчик

 なんかシベリアの方から寒波がやって来ているみたいですね。ドカンと寒くなりまして、北の土地からはもう雪の話題だ。もう、本気で冬なんだなあ。
 昨夜、深夜のNHKで酷寒の地に生きる動物たちの記録映画をやっていた。セイウチ。シロクマ。ペンギン。冬を前に食料の食いだめをするためにセイウチの群れを襲い、返り討ちにあって雪原を血に染めて崩れ落ちるシロクマ。生まれたばかりのペンギンたちは凍え死なないために氷結した野原の上で身を寄せ合う。震えながら。

 お前らは、寒さのあまり普通にしていては死んでしまうような土地で、何をわざわざ暮らすことにしたのか。私の住む、冬にも雪は降ることのない土地でさえ、冬の寒さはこんなに身にこたえるのに。なんて質問は、逆に不条理なんだろうな、雪原に生きる動物たちには。

 という訳だから、ロシアの女性歌手の歌でも。ユーリヤ・ミハイチク嬢であります。アルバムタイトルは”おさげ”という意味なんだそうですが、ロシア語は分らないし、どのような歌詞内容かは分かりません。
 そもそも、きれいな姉ちゃんが私の好きなロシアンメロディのきれいなポップスを歌っているからとアルバムを買ってみただけで、ここに書くべきこともあまりないんですね。彼女に関する詳しい情報も持ち合わせないし。彼女の最終学歴が面白いからかいてみようか。

 ”サンクトペテルブルク人文科学労働組合大学PR学部中退”

 まあ、あちらではこんな学校名は珍しくもないんだろうけど。

 ともかく、いかにもロシアらしい憂愁を秘めた重いメロディラインの歌をきちっと端正な歌唱で聴かせる人です。彼女の年齢にちょっと驚かされました。1985年生まれという事で、このアルバムの発売の年、2007年にはまだ22歳だったことになる。
 全編、気品のある揺るぎのない歌いぶりで、私はてっきり、少なくとも10年くらいはプロとしてのキャリアのある人かと思っていた。でもどうやら新人なんですね、きっと。

 というわけで。これから迷惑にも続くのであろう冬の日には、何度かお世話になることになる、このアルバムであります。
 重たい雲に覆われた北の空の、そのまたずっと向こう。サンクトペテルブルク名物の重く湿った霧が石畳の道を這い広がる、そんな夜の一刻など思い描く気分の時には。



ベニンのポリリズムだよ、あーちゃん!

2009-12-16 02:24:49 | アフリカ

 ”Orchestre Poly Rythmo de Cotonou 2”

 CDのデジパックや分厚い解説書を同じ形のボール紙のケースに入れてあるのだが、そのケースがいやに汚れていて、さらにあちこちシワが寄っていたりするのだった。なんだよ、商品管理なってねーなとよく見たら、そうではない。
 アフリカ発売されたアナログ原盤のジャケ写真をコピーしてジャケ写真に使っているので、古いアフリカ盤のジャケの汚れやヨレがそのまま転写されてしまっているのだ。でも、この汚い感じがリアルに当時のアフリカのバンドの熱気を伝えてくるようで、こいつはこれで正解かもしれない。

 それにしてもジャケに写ったメンバーの人相があまり悪くて嬉しくなる。いかにも裏町のヒーローって風格がジワと伝わってくるのだ。
 アフリカ音楽のレア音源を発掘・復刻するレーベル、”アナログ・アフリカ”からの、これは逸物である。西アフリカの小国ベニンで60~70年代に活躍したバンドとのこと。

 ともかく武骨という言葉がもっとも似合う男っぽいファンク振りで、ドラムスとパーカッション群が織りなすガツツガツツと地面に垂直に叩き込むようなハチロク気味のリズムが、岩石のように不動のノリを誇示している。
 時にチューニングがおかしい管楽器群は鄙びたソウルなフレーズを吹き鳴らし、ファンクなアフリカを誇り高く歌い上げる。

 ギターは、アフリカらしい乾いて硬質な音でコリコリとリズムを刻むかと思えば、ファズ(ディストーションなんて軟弱な響きではない)を思い切りかけたルーズなプレイでアドリブを垂れ流し、場違いなようなこれでいいような黒いサイケ感覚を振りまく。このサイケ祭りには参った。60年代末、サイケデリックへの憧れはアフリカの岸にも打ち寄せていたんだなあ。さらに、それにきりこむチープなオルガンの音も、ファンキーなアフリカン・サイケデリックを演出して、快感だ。

 そしてボーカル勢の武骨極まる男くさい歌声。音楽が佳境に至りワン・コード状態になって同じフレーズを繰り返すアフリカ方面ではお馴染みの瞬間が訪れても、トランス状態の陶酔と言うよりは律儀に任務を遂行する兵士の行進みたいな汗臭い覚醒感覚で迫ってくる。
 ともかく、このアクの強さがたまらないのだ。こいつはめっけものだよ!

 冒頭の曲”Se Ba Ho”が、なぜか細川たかしの”北酒場”という曲を思い出させておかしくてならなかった。もとより同じ音階が使われているのだが、そのイントロと言い、何度となく”北酒場”が始まりそうな気配を漂わす瞬間が訪れるんだよなあ、なぜか。
 これに限らず、その他の曲にも、そこはかとない演歌の気配は忍び込んでいる。
 サイケと同時に演歌の心も持ち合わせているあたり、たまらないねえ、こいつら。いや、本気で言ってるんだが。



タガログ微炭酸色

2009-12-15 00:52:10 | アジア


 ”Aimee”

 この頃、何となく気になって目につくと買っているフィリピンのタガログ語ポップスの一枚です。これはなんか切ない一枚でしたねえ。全然派手なところはないんだけれど、彼女の歌の世界にスッと引き込まれてしまった。
 けど、ともかく盤には”Aime”としか書いてないし、何も分らない。これは彼女のファーストネームなのか、ニックネームなのか。アルバムのタイトルもないのだろうか。
 彼女の事をもっと知りたくて検索かけたけど、私のやり方がよくなかったのか、これといった情報も出てきませんでしたね。

 音楽全体の感じとしては、ほんのりと南の香りを漂わせたフォークロックとでもいいましょうか。Aimee自身の歌声も、なんだかほんの独り言みたいなさりげない感情表現が切ないのです。
 軽い憂愁を含む美しいメロディをそっと噛み締めながら、南の風の中をゆったりと渡って行く歌声。道端で静かに揺れている野の花みたいな音楽です。
 あるいは、夏の日差しを避けて飛び込んだ日陰で飲む清涼飲料水みたい。色は透明か極薄い色が付いている。味もそんな淡い感じでしょうか。で、微炭酸。

 ジャケの裏を改めると1997年盤とある。もう10年以上前に出たアルバムなんだなあ。検索して出てこなかったのは、もう彼女は歌っていないってことなんでしょうか?
 そんな訳で、You-tubeでも試聴を見つけられなかったので彼女の歌をここには貼れません。非常に残念です。どこかで彼女の盤を見かけたら、聴いてあげてくださいまし。

ルーマニアのジプシー・ポップス

2009-12-14 02:10:21 | ヨーロッパ

 ”Pretul succesului” by Carmen Serban

 ”MANELE”と現地では呼ぶんだそうです、ルーマニアのジプシー・ポップス。そのベテランの歌い手、カルメン・セルバン女史の2004年度のアルバムであります。(この人、以前にも別のアルバムを取り上げたことがあるような気もする。まあいいけど)
 文化錯綜する地、バルカン半島のルーマニア、しかもジプシー系ですから当然、さまざまな文化が彼女の歌には入り乱れて、アルバムを通して聴いて行くとクルクル目くるめく万華鏡の世界でありますな。演奏面では特に、複雑に変化しつつパワフルにスイングするリズムの迫力が凄いです。

 地中海の潮の香りがするような南欧風のポップスだけど、カルメン女史の歌声には濃厚に泥臭いコブシがかかっていたり、アコーディオンの奏でるいかにもバルカン風のイスラミックなフレーズに導かれ始まるのが、意外にも昔の日本の戦意高揚歌謡みたいな時代錯誤気味な行進曲もどきだったり、何がどうなっているのやら予測がつきません。
 ともかく、さまざまに曲調は変わっても、すべては下世話な歌謡曲チックな泥臭さを濃厚に持っていて、芸術かましてやろうとか、変な上昇志向はかけらも窺えないところが偉いんじゃないかと思います。
 この庶民の猥雑なエネルギーと、音楽の上にさまざまに文化の混交するスリルなど、まさにワールドミュージックの楽しみの典型例といえましょう。

(それにしても下のYou-tubeの映像の中でダンサーたちがへんちくりんな踊りを踊ってますなあ。”セクシー健康体操”とでも呼ぶしかないだろ、みたいな奴。この種のものを見て背筋がゾワ、と来る、そんな楽しみもまたワールドミュージックならではのお楽しみと申せましょう)




韓国ロック、時間をジャンプ!

2009-12-13 01:56:17 | アジア
 ”24 Hours of the Playgirl”by Playgirl

 韓国ネタが続いて恐縮です。こちら、アイドル然とした女の子3人組、”Playgirl”による、60~70年代サウンド中心のポップで楽しいアルバムであります。私なんかには甘酸っぱい、過ぎ去りし青春の日々への感傷なども浮んでこようというものですが。

 冒頭、まるで007とか昔のスパイ映画のサントラみたいなオーケストラが鳴り響きます。なんだなんだ?でありますが、まあ、アルバムの中身へのイントロなんでしょうなあ。このような虚構の世界が開陳されるぞ、という。
 2曲目、今度は60年代風エレキバンドの音をデフォルメした屈折回顧ロックが展開されます。それに乗って、実にあっけらかんとした女の子3人組のコーラスが広がります。資料によるとまだ20代前半の彼女たちはこれら音楽への過剰な思い入れなど当然、持ち合わせず、シンプルに音楽そのものを楽しんでいるだけ、そんな印象を受けます。

 韓国のインディーズ出身という3人ですが、これら、過去のロックの遺産への想いを込めた結構凝った曲調やら音作りは、それなりにオヤジ世代のミュージシャンがバックにいて、丁寧な”仕込み”を行なっていると考えたほうが良さそうで。
 それらの仕掛けに楽々と乗ってすっ飛んだ歌声を聞かせる女の子たち、ということになると、これは韓国版のパフィとか、そんな感じで受け取ればいいのかな、などと想像するのですが。
 内封されている歌詞カードを兼ねた小写真集にも、深刻そうな内容を想像させる分厚い本を、わざと伊達メガネをかけて読み耽ってみせる彼女らの姿があり、カビの生えた教条主義をせせら笑っているみたいですが、そんな部分が気になること自体、事大主義のオヤジの証明と笑われちゃうんでしょうねえ。

 などといっているうちにも古いポップスやバラードやらボサノバまがいが、3人の陽気な笑い声など織り交ぜつつ歌われて行き、20分に満たないミニ・アルバム(シングル盤の存在しない韓国には、これが非常に多い)はプツンと断ち切るように余韻も残さず、実にあっけなく終わってしまうのだけど、こいつも”粋”って奴ですねえ。こんな風に過去への旅を終えてみせるのも。

 ところでこのアルバム、メンバー各々の写真を使った絵葉書やら栞やらケーキ屋への招待券?やらがオマケとして入っているのは楽しくていいのだけれど、CDジャケのサイズというものを計算に入れずにそんなものを突っ込むから、中に納まりきらず、すべてを包む大き目のビニール袋がもう一つ必要になってしまっている。
 この辺の大雑把さに昔ながらの大韓ロック魂はいまだ健在とか思えて、なんかちょっと嬉しくなってしまったりもするのでした。



トロット娘の逆襲

2009-12-11 03:09:27 | アジア

 ”Lee Na-Young 第一集”

 韓国のトロット演歌の新しい動きに興味のある日本のファンは。なんて、そんな奇特な趣味の人が何人いるのやら知りませんがね。
 まあとにかくイ・ナヨン嬢のこのデビュー・アルバムは、その辺に、ことに若い女の子が歌う生きの良いトロットに惹かれている韓国演歌ファン連中がリリースを待ち焦がれていた一発である。その売り文句も”ネオ・トロット”トロット演歌の新しい波なのである。
 あちこちのサイトで謳われていたものなあ、”新しい波が来る”と。ポップスならともかく、演歌がその扱い。そりゃ、興味を惹かれますよ。とりあえず私、韓国演歌の新譜を予約までして買ったのはこれがはじめてです。

 ジャケ写真なんかも、ロックのアルバムと見まごうほどのタッチで、お洒落な存在として歌手、イ・ナヨンを捉えたもので、こりゃカッコ良いですな。
 さて、音のほうはといえば。まずはいきなりシンセの音の壁が立ち上がってきて、これは確かにこれまでのトロット演歌のサウンドと違うと言いたいところなのだが。そのシンセ群の奏でる音楽は、昔ながらの演歌歌手のバックを務めるフルバンドの音をシンセに置き換えたみたいな、相変らずのブンチャカ・ミュージックなのだった、基本は。

 あ、だから良くないと言うんじゃないんですよ。”ネオ”と名乗り新しいサウンドを世に送り出すといっても、変に欧米のナウい音楽の影響をうけたりせずに、自分たちのこれまでの音楽の展開の延長線上に新世界を切り日浦いて見せる。それもまた一種の見識といえましょう。
 それに、終始鳴り続ける打ち込みリズムなど、これまで聞いたことのない迫力に満ちたものであるし、ド演歌基調のテクノなファンクというのもユニークじゃないか。聴き続けて馴れて来ると、”焼き魚の匂いがする宇宙基地”みたいな、アジアなファンキーさが滲み出すのを楽しめるようになってくるのだ。

 また、終始彼女のバックに寄り添い、支え族けるギターなど、演歌~ロック~ソウルの三界を行き来して、地味ながらなかなかにイマジネイティヴなプレイを繰り広げていて、忘れがたいものがあったのだ。
 そして肝心のイ・ナヨン嬢の歌はといえば。実はもっと硬質でクールでお洒落な声質を想像していたので、結構湿度が多くペチャとした響きが意外だった。ところがこれが踏ん張るべきところに行くとブワとパワーが湧き上がってきて、ど根性娘のドスコイ演歌の力唱を繰り出す二枚腰振り(?)なのであった。ひゃあ、新人どころか相当にキャリアがあるぞ、この子は。こんなエモーショナルな歌声を聴かせるなんて。

 うん、期待していた”韓国のパフュームがテクノな演歌を歌いまくる”って世界とはちょっと違っていたけれど、気が付けば不思議な方にぶっ飛んだファンク演歌の魅力にどんどん惹かれて行く。お洒落って言えばお洒落だしさあ。それはきついか。いや、きつくないぞ。




エデンの創造

2009-12-09 04:39:05 | ヨーロッパ
 ”Irfan”

 このようなバンドを、どう紹介したら良いのだろうな?ブルガリア発の、風変わりな音を出すバンドなのだが。民俗音楽系プログレとでも呼べば良いのか?2003年作の、これがデビュー作のようだ。

 まずシンセによる重苦しい低音の音像がその場に渦巻く。その中から響いてくる重々しいグレゴリオ聖歌風の詠唱。そして、非常にエモーショナルな響きの女声ボーカルが、イスラミックなコブシを前回にして、グネグネとそれに絡みつくように歌い上げられる。この女声ボーカルの迫力が凄い。ヨーロッパの歌い手とはとても思えない深い土俗性を感じさせて。

 サントゥールの金属的な弦の響きがこれも東方の音階で装飾音をまき散らす。民族打楽器群が乾き切った音で官能的なアラブのリズムを送り出す。砂漠の砂嵐やらラクダにオアシス、などというイメージが目の前を行過ぎる。
 バンドの視線は完全にオリエントの方角に向いているようだ。素朴な民俗楽器と最先端の電子楽器の巧妙な融合。イスラム音楽の大胆な導入。あのマウロ・パガーニの傑作、”地中海の伝説”なども想起させるものがある。

 いかにも東洋と西洋、イスラム教とキリスト教のせめぎ合う歴史の繰り返しだったバルカン半島の国、ブルガリアらしい音楽と思えるが、イギリスにかって、このようなサウンドを志向したバンドが存在していて、彼らはその影響下にあるとの情報も伝わって来ていて、それほど簡単な話でもなさそうだ。どこかに他者の視線を持たねば、このような堅牢な音楽世界を作り上げるのは難しい、との考えもあるようだ。

 ともあれ。この、音楽による架空世界の創造は非常に刺激的な結果を生み出していて、何度も聴き返さずにはいられないのである。



懐かしい闇に抱かれて

2009-12-08 03:58:52 | ジャズ喫茶マリーナ
 ”John Coltrane And Johnny Hartman ”

 昨日の夕刻、ウォーキングに出かけたら水平線に伊豆大島がきれいに見えていた。夕日の照り返しを宿した黄金色のモヤの中で島は、屏風絵のように浮んでいた。
 子供の頃、通学の途中で海を振り返り、あんな具合に大島が見えると、なんだか凄く得したような気分になったものだ。まあ、遠くの島が泳いで行けそうなくらい近くに見えた、それだけの話なんだが、なんだかそれだけでシアワセみたいな気分になったものだった。

 などという文章を書いてみて、そのようなことがあってから、もう12時間近くが過ぎていることに気が付く。今頃、街の裏山から見下ろした海のかなたの風景も、深い海の闇に沈んでいることだろう。そしてすぐに残酷な夜明けはやって来て、ちっぽけな感傷を吹き飛ばしてしまうだろう。
 時間は人間の都合など軽がると無視して、容赦なく永遠の歩を進めて行く。こいつも当たり前の話だが。

 コルトレーンとハートマン。どちらかといえばジャズの最前線で濃厚で激烈な力演をぶちかましていた人というイメージの強いサックスの巨人コルトレーンと、ビロードの手触りと言うのだろうか、美しい低音の持ち主であるクルーナー型歌手のハートマンの共演と言うのも意外もいいところで、思いついた奴も何を考えていたのか。
 このような素晴らしいアルバムが出来上がると、そいつも予想できていたんだろうか。しかも、レコーディングはコルトレーンがもっとも過激にジャズ表現と戦い続けていた時期に行なわれているのだ。

 ピアノトリオをバックに、見事にコントロールされた低音でハートマンが歌い始める。呼びかける。コルトレーンが静かな夜にふさわしい神秘を秘めた、トロリと甘いフレーズを吹き、それに答える。使い慣れた道具みたいにしっくりと心に馴染む古い歌が立ち上がり、流れて行く。
 深い闇の底の優しく懐かしい音の対話。聴き入りながら、それにしても俺は何でこんな古いレコードを引っ張り出す気になったのかと不思議だったのだが、そうか、昨日亡くなった町内の長老、Aさんの通夜のつもりなんだ、これは。

 実直な実務家だったAさんと、何かとめちゃくちゃな私では話が合う筈もなかったのだが、それなりに敬意をもってAさんは接してくれた。Aさんの奥さんと私の母が古い友達であることも関係しているのか。いや、Aさんにとって私は、見慣れた近所のガキがただ変な出来上がりのオトナになった、それだけの事だったのかも知れない。
 
 いやもちろん、Aさんはジャズなんか聴く人じゃなかったけどね。俺が勝手に聴きたかっただけ。




アイルランドからの最高級クリーム

2009-12-06 02:24:21 | ヨーロッパ
 ”Lumiere”

 私がときに使うフレーズとして、「いもしなかった場所には帰れませんてば」というのがある訳だけれど、そのフレーズで突っ込まれるのを覚悟で言ってしまおう。
 アイルランドへ帰ろう。行ったこともない島国だけれど、その国に帰ろう。そもそも今、時は冬の始めなのであって、この音楽の向こうに見えてくる穏やかな緑の原野の風景なんか、かの国へ行ったって待ってくれてはいないのである、それも分っているのだけれど。

 アイルランドのトラッド界を代表するきれいどころのお二人、Éilís KennedyとPauline Scanlon がこのほど結成したデュオチームのデビュー盤であります。
 完全なジャケ買いだったんだけど、聴いてみたら中身はジャケと同じくらい良かった。

 何より二人のコーラスが良い。たまらなく柔らかく優しく絡み合い、最上級の織物みたいに美しい文様を描き出している。あるいは最高の出来のクリームを口に含んだ感じだろうか。二人のコーラスによりメロディはふわりとこの世に生まれ出て、ゆったりと空気の中に溶け出して行く。
 二人の伸びやかなコーラスのうちで、決して激することなく乱れることなく、ひたすら緩やかな癒しの軌跡を描いて上昇し下降するメロディたち。よくもまあ、こんなに良い曲ばかり選んだものだなあ。二人の繊細な優しさに満ちたコーラスを生かせる曲が古い民謡ばかり、見事に並んでいるものなあ。

 α波出まくり、という奴だろうか。癒される、癒される。などと能天気に浮かれているうち、気が付けばアルバムはゲール語曲連発の神秘を秘めた終盤に至っており、こちらの魂は彼女らの思惑通り(?)大昔のアイルランドの晴れた空の下で、なにやら古代アイルランドの蔡事の列に加わったりしているのである。
 と言うか、それでかまわない。出来ればそのまま現世に帰って来たくないくらいだ。