”雨 / 渡良瀬橋”by 森高千里
まさかこのような盤を前にしてあれこれ言いたくなる日がこようとは思わなかったわけである。
かって若者たちに独特の人気を誇った歌い手である彼女のレパートリーのうち、とりわけウエットな物件二曲をカップリングしたシングル盤である。仕事で出かけた某所でかかっているのを聴き、後になってなんだか知らないが気になって仕方なくなり、慌てて通販サイトに注文した次第であるのだが。
このような盤が出るということはそのような需要があるということであり、しかもそれは、彼女の人気が生々しかった時期にではなく、もはや”懐かしの”的存在となった今になってでなくてはならなかった。「ようするにお前らが聴きたかったのはこれなんだろう」、そんな売り手側の総括の言葉が添えられてさえいるように思える。
かって彼女を微妙なアイドルとして支持した若者たちも、さすがにもう人生のそれなりのポジションに流れ着き、諦念の末の沈黙のうちに身を沈めている頃である。
両曲とも、描かれているのは成就出来なかった恋愛を振り返り嘆息する女性の姿である。時系列で言えば”雨”は恋愛喪失直後であり、”渡良瀬橋”はある程度時間を置いて静かに振り返る様子が描かれている。いずれにせよその世界は濃厚なアジア的湿度に満たされており、現実に雨が降っている”雨”はもちろん、曲の舞台上の天気としては”晴れ”のようである”渡良瀬橋”も、描かれる風景が歪むほどの湿度の高さのうちにある。
彼女自身の作詞になる”渡良瀬橋”のエピソードがどれほど現実に即しているのか知らない。ここで追憶される恋愛はすべて空想の産物であり、曲の実態は実は、舞台となった故郷、あるいは過ぎ去った青春の日々に対する感傷であると考えたほうがいいような気がする。
ともかくファンでもなんでもない単なる野次馬の私には、”渡良瀬橋”やら”八雲神社”、”公衆電話”や”夕暮れ”といった民俗的呪物(?)が妙にリアルに感じられ、逆に肝心の”男とのエピソード”は、なんだか作り物っぽく見えている。
これらの曲が彼女の歌手としてのキャリアのもっとも盛んな時期に生み出されたものであり、そんな時期特有の”ついうっかり到達してしまったなにものか”であることは確かだろう。そのなにものかの正体については、それこそ諦念の底でしか認め得ないような原寸大の我々の恥ずかしい姿だったりするのだが。
それにしてもやっぱり、”橋”の絡む歌には何かがある。これが気になって仕方がないのであるが。