ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

カイオワに秋降りて

2005-10-01 02:18:45 | 北アメリカ

 秋のことを”Fall”と呼ぶのは、英語としてはどの程度正式なものなんでしょう?少なくとも学校の英語の時間には、そうは習わなかったと思うけど。でも、このストンと落ちる、みたいな語感は、秋という季節の手触りを良くとらえていると思う。ザワザワガサガサと荒れ狂っていた夏の空気が、しっとりと落ち着いた感触に代わって地表に降りてくる。そんな感じ。空なんか高く、青くなってねえ、なんだかどこかへ旅に出かけたくなるような気分が起こって来たりする。

 でも、年々、そんな良い具合の季節って短くなって行っているように感じられて、これはなかなか悲しい。地球温暖化とかその辺と関係があるんでしょうかね、猛暑の夏が去ったかと思うと、それが酷寒の季節に直結し、つい昨日までTシャツ一枚で汗をかきかき歩いていた道を、翌日は吹き過ぎる寒風に奥歯を噛み締め歩く、オーバーに言ってしまえばそのくらいの事になりつつあるような気がしませんか?夏と冬、厳しい季節ばかりが幅を利かせ、春や秋といった優しい季節がその間で、どんどん短くなってしまっているような気が。いや、気がするだけじゃなく、気象上の数値に現れているんじゃないかなあ。

 ともあれ秋。そんな貴重な(?)秋になるとふと取り出してみたくなるのが、アメリカインディアンのフルート奏者、いや、アメリカ大陸先住民の伝統楽器である木製の笛奏者と呼ばねば正しい言い方ではないのかなあ、ヴァスケス(Andrew Vasquez)が1996年に発表したアルバムである。いや、こういう呼び方しか出来ないの。このアルバム、どこを探してもヴァスケスと奏者の名があるだけでタイトルというものがないんだもの。あとは、先住民の伝統衣装に身を包んだヴァスケスの写真があるだけのジャケ。ヴァスケスは”カイオワ・インディアン”の血を引く伝統音楽家だそうな。

 ヴァスケスが操るのは、一尺、という単位で表現するのが妙にしっくりと来る、単なる木の棒に数個の穴を穿っただけのシンプルな楽器。なにやら乾いた悲しみを表現するのにいかにも長けた感じの短音階が鳴り渡る。何も伴奏は無し。聴いていると、彼が自身の息で振るわせる木の管だけを相手に行う瞑想に付き合っている感じだ。あっと。先に断っておくが、アメリカ大陸先住民の音楽には何の知識もない私であります。

 青く澄んだ空の高みに、かってこの世に生きた何人も何人もの人々の胸に抱いていた孤独が吹き溜まっていて、それがヴァスケスの笛の音に反応し、ふと息を吹き返して我々の生きる地上に彼らが残した想いを語り、そして消えて行く。そんなひととき。

 秋よ深まれ。もっと深まれ。