”船村徹が歌う愛惜の譜”
新聞の通信販売の広告にある懐メロ演歌の箱ものCDセットが妙に気になったりする、なんて事を何度か書いている。最近では森繁ものか。まあ、実際に買ったりすることはありはしないのだが、朝刊の隅っこにあるそんな広告の曲名にふと見入っていたりはする。
今日は歌謡曲作曲家の大御所、船村徹氏の10枚組である。すべて自作自演であるのが凄い。本気で買おうかとも思いかけたほどだ。船村氏がギター抱えて思い入れたっぷりに自作を歌うのは、一度テレビで見たことがある。もともと、人前で歌うことに抵抗がない、というかお好きなほうなのだろう。
昭和30年の「別れの一本杉(春日八郎)}をはじめとして、戦後の歌謡界の一方をリードしてきた船村氏であるが、この種のもので定番の突っ込みどころの曲はある。たとえば「サンチャゴの鐘」「青春パソドブル」なんてあたりは、当時、ラテンブームに乗って、先生、若気の至りで作ってしまったのかな?なんて匂いがして楽しくなる。
まだ聴いてもいないのに面白がっては申し訳ないが、若き日の船村氏はプレスリーの”ハートブレイク・ホテル”を聴いて衝撃を受け、「日本人だってこれだけやれるぞ!}と一気呵成に書き上げたのが、あの小林旭の「ダイナマイトが150トン」である、という挿話をお持ちの方であって、ヒットしそこなった曲を皆洗い出せば相当な拾い物があるかも知れない。
とはいえ、その辺の収穫はこの箱には期待は出来ない。自作を歌うということで、歌唱技術上の問題もあるのだろう、どちらかと言えば自身の心との対話、ともいうべき地味目の内省的な曲中心に編まれた作品集となっているからだ。その結果、あんまり聴いた事のない曲中心のラインナップとなってしまっているが、こちらは別に演歌の大ヒット曲にさほど興味もないのでむしろちょうど良い。
思えば船村氏が新進作曲家として売り出した頃、歌謡曲は戦後日本の復興期における都市の発展と農村の疲弊とを一つの大きなテーマとしていた。そこでは若者たちが夢を追い、恋人を追いして”夢の東京”を目指し、老人たちだけが取り残された村では渡る者のいなくなったつり橋が揺れ、恋人たちの別れを見送った一本杉の元に、もう二度と立ち寄る人影もなかった。すべてのものが変わってしまった。
そして船村氏もまた、都会に出て成功を掴んだ村の青年の一人だったのだろう。「王将」やら「風雪流れ旅」といった「高尚なる」作品の製作により一つの権威としての位置付けの完了した「演歌」と、その作り手である自分自身。その事への後ろめたさの補間作業のように船村氏はここで、失われた村の風景を郷愁を込めて何度も繰り返し歌い、裏町のしがない酒場の哀感に生きながら自らを葬ることとなった。
悔やんでも仕方がない、彼に、彼ら無辜の個人に、精一杯生きる以外の何が出来たわけでもなかったのだが。
下に貼ったのは、船村徹と、彼とは学生時代からのパートナーであった作詞家の高野公男が歌う三橋美智也のヒット曲、「あの娘が泣いてる波止場」です。これなんか素朴で良いんで、ますます自作自演集が欲しくなってくるんですが・・・
新聞の通信販売の広告にある懐メロ演歌の箱ものCDセットが妙に気になったりする、なんて事を何度か書いている。最近では森繁ものか。まあ、実際に買ったりすることはありはしないのだが、朝刊の隅っこにあるそんな広告の曲名にふと見入っていたりはする。
今日は歌謡曲作曲家の大御所、船村徹氏の10枚組である。すべて自作自演であるのが凄い。本気で買おうかとも思いかけたほどだ。船村氏がギター抱えて思い入れたっぷりに自作を歌うのは、一度テレビで見たことがある。もともと、人前で歌うことに抵抗がない、というかお好きなほうなのだろう。
昭和30年の「別れの一本杉(春日八郎)}をはじめとして、戦後の歌謡界の一方をリードしてきた船村氏であるが、この種のもので定番の突っ込みどころの曲はある。たとえば「サンチャゴの鐘」「青春パソドブル」なんてあたりは、当時、ラテンブームに乗って、先生、若気の至りで作ってしまったのかな?なんて匂いがして楽しくなる。
まだ聴いてもいないのに面白がっては申し訳ないが、若き日の船村氏はプレスリーの”ハートブレイク・ホテル”を聴いて衝撃を受け、「日本人だってこれだけやれるぞ!}と一気呵成に書き上げたのが、あの小林旭の「ダイナマイトが150トン」である、という挿話をお持ちの方であって、ヒットしそこなった曲を皆洗い出せば相当な拾い物があるかも知れない。
とはいえ、その辺の収穫はこの箱には期待は出来ない。自作を歌うということで、歌唱技術上の問題もあるのだろう、どちらかと言えば自身の心との対話、ともいうべき地味目の内省的な曲中心に編まれた作品集となっているからだ。その結果、あんまり聴いた事のない曲中心のラインナップとなってしまっているが、こちらは別に演歌の大ヒット曲にさほど興味もないのでむしろちょうど良い。
思えば船村氏が新進作曲家として売り出した頃、歌謡曲は戦後日本の復興期における都市の発展と農村の疲弊とを一つの大きなテーマとしていた。そこでは若者たちが夢を追い、恋人を追いして”夢の東京”を目指し、老人たちだけが取り残された村では渡る者のいなくなったつり橋が揺れ、恋人たちの別れを見送った一本杉の元に、もう二度と立ち寄る人影もなかった。すべてのものが変わってしまった。
そして船村氏もまた、都会に出て成功を掴んだ村の青年の一人だったのだろう。「王将」やら「風雪流れ旅」といった「高尚なる」作品の製作により一つの権威としての位置付けの完了した「演歌」と、その作り手である自分自身。その事への後ろめたさの補間作業のように船村氏はここで、失われた村の風景を郷愁を込めて何度も繰り返し歌い、裏町のしがない酒場の哀感に生きながら自らを葬ることとなった。
悔やんでも仕方がない、彼に、彼ら無辜の個人に、精一杯生きる以外の何が出来たわけでもなかったのだが。
下に貼ったのは、船村徹と、彼とは学生時代からのパートナーであった作詞家の高野公男が歌う三橋美智也のヒット曲、「あの娘が泣いてる波止場」です。これなんか素朴で良いんで、ますます自作自演集が欲しくなってくるんですが・・・