ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

海辺のコラール

2009-10-12 04:59:21 | いわゆる日記

 たびたび書いていることだけれど、しばらく前に経営していた店をたたみ、いわゆるシャッター通りの仲間入りをした。その後、別の商売を始めるパワーもなし、どこかに勤める気もなしの中年ニート道を歩いている。
 そんな、定休日も何もない生活のくせして、やっぱり日曜日の夜が切なくて仕方ないのはどういうわけだろう?「明日からまた新しい一週間が始まる」と思うと、重苦しくどす黒い想いが肩の辺りに覆いかぶさってくるようでやりきれない。もう開けねばならない店も、通わねばならない会社もあるわけではないのに。

 私は海辺の温泉地のど真ん中に住んでいるのだが、土曜日にはさすがにかきいれ時、押し寄せる観光客で賑わい、街は活気に溢れる。
 そして翌日、日曜日の夜は、「まあ、一段落ついたかな。明日からまた通常営業だ」みたいな、一服後の満足感と哀感の入り混じったような独特のダルい気分が流れ、街はその空気の中、ふと輪郭のゆるんだような生暖かい表情で夜の中に横たわっている。

 そんな日曜日の夜、海岸沿いの遊歩道をウォーキングしていたら、若い(ように夜目には見えた)女が一人、ヨットハーバーに向って立ち、クラシックの発声で朗々と何かを唄っていた。
 当方、クラシックはろくに聴くこともなく、何も知らないに等しいのだが、聴いた感じでは、それは古い歌曲のようで、どこの言葉かは分らぬが神を讃える関係の唄、と思えた。
 片側には係留されたヨット群が控える夜の海が広がり、片側には国道の向こうに盛り場のネオンサインが瞬いている。そんなシュチュエーションで一人、ソプラノを響かせる女は相当に場違いな存在ではある。が、その歌声は意外に夜の海辺の空気に馴染むようで、静かにあたりに広がっていた。

 遊歩道のベンチにはあちらに一組、こちらに一組と若い男女が寄り添って座っているのだが、連中がどんな顔して”歌う女”を見ているのか、もう街路灯も消されているので暗くてうかがい知ることは出来ない。
 自分は、こいつはなかなか良いものだな、もう少し聴いていたいなと思ったのだが、近くに歩を進めるだけで唄を中断してしまうくらい本人も微妙な心理状態で歌っているようで、立ち止まって聴き始めたりすると、唄をやめて立ち去ってしまう感じもある。しょうがないから当方、遊歩道とその隣の駐車場を無意味に行き来しながら、彼女が海に向って行なう神との対話を盗み聴いていたのだったが。

 彼女はどういう立場の人だったのかね?クラシックを学ぶ学生?街の愛好家?ちょっと危ない人?
 夜の散歩の途中、ヨットハーバーの向こうに広がる海を見ているうちに唄ってみたくなったのだろうか。まあ、そりゃ確かに気持ち良いかもな、とは思える。でも、今まで誰もあの場で唄なんか歌った奴はいないんだが。
 これからも毎晩、唄ってもらえないものかなと期待するのだが、あれはおそらく観光客なんだろうから、それはありえないだろうけどね。