この土曜日から日曜日にかけて放映された、毎年夏恒例の”24時間テレビ”の批判を書こうとしたんだけど、以前、別の場所に発表したあの文章を読んでもらうほうが早いなと思い出し、下にコピペしたものであります。そのような事情を踏まえたうえでお読みいただければ幸いです。
~~~~~
「感動ドキュメント’05・鼻をなくした小象物語・命の奇跡をアフリカに追う!」批判
怠惰に正月休みを送る者にとってテレビはこの上なき慰め。とは言うものの、正月のテレビって、これがつまらないんだよなあ。2時間特別枠とか3時間特別枠とか、やたら時間は長いが内容はダレダレのものばかりで、面白くも何ともない。そんな、長時間枠をわざわざとって放送するんだから、テレビ局も力を入れて作っているんだろうし、というか、そもそもわざわざつまらない番組を作ろうとするわけはない。面白くしようと意図して、それがことごとくズタボロってのは、まずいんではないか。いまさら、テレビの世界に過大な期待なんか、そりゃしていないが。
とか何とか言いつつ正月4日に見た、というかテレビを付けっぱなしにしていたら偶然始まってしまった番組が、「感動ドキュメント’05・鼻をなくした小象物語・命の奇跡をアフリカに追う!」(TBS)なる代物であったのだ。
いやまあ、私はアフリカ方面の文物には心惹かれるものがあるんで、初めは楽しんでみていたんですよ。初めのうちは。怪我によってなのか、それとも生まれつきの奇形なのか、象の象たるにもっとも特徴的な長い鼻が失われてしまっている小象の物語。水一つ飲むのにも苦戦する彼(だか彼女だか知らないが)は、はたして過酷な自然の只中で、無事に生きて行けるのであろうか?
撮影スタッフは、偶然に発見されたその小象の成長の記録をカメラに収めるべく、たびたびアフリカの地に赴くのである。が、何度目かのアフリカ訪問で、その小象の姿を見失ってしまう。スタッフはいくつもの象の群れを追い、目撃者を求めてアフリカの地をさ迷う。今は乾季だが、むしろ雨季に来た方が捜索には効果的なのではないかとの土地の古老の助言に従い、いったん日本に引き上げ、日を置いてから再度アフリカを訪れさえする。と。このあたりに至って、なんかこりゃ変だぞと思わずにはおれなくなって来たのである、私は。
この群れに、あの鼻のない小象はいなかった。我々は別の群れを求めて草原を走った。こちらの群れにもいない。やっと、あの鼻のない小僧の母親である、耳の一部に特徴ある怪我の痕を持つ象がいる群れを見つけた。が、その群れにも、あの小象はいなかった。一体、どこに行ってしまったのだろう?とナレーターは、弱き者を思いやる憂いの影差す口調で捜索行を伝えるのであるが、おい、ちょっと待ってくれ、その鼻のない小象さえ無事に成長出来れば、世界は万事オッケーなのか?
この群れにも小象はいなかった、の一言で切り捨てられる象の群れだって、この世の楽園に住んでいるわけでもあるまい。アフリカの地に、彼等象を含む野生動物の影が年々薄くなって行っているとは、普通に聞かれる”憂慮される事態”なのではないか。とか言うさらに前に、彼等、”普通の象の群れ”だって、敬意を持って接すべき生命たちなのではないのか。
結局お前らは。お前らってのは、小象を追う撮影スタッフやら、番組をそもそも企画したテレビ局を指すのだが、ヒューマニズムを気取って”感動ドキュメント”とか作っているお前らは結局、”あるべき鼻がない”という、その小象の”タレント性”に用があるだけではないか。”可哀相な象”を画面に出せば頭の悪い視聴者の同情を引けて視聴率を稼げるだろうという、それだけの都合でたびたびアフリカに出かける、その費用だって安いものではないだろう。もし本気で、生き残ること自体が、多くは人間の干渉によりますます過酷になっている草原の暮らしを憂慮するなら、その金をもう少し効果的に使う道だってあったはずではないか。
長時間番組を批判していたくせに無駄な長文をグタグタ並べてしまった私だが、要するに言いたいことは、”善人面してんじゃねーよ、バーカ!”なのでありました。うん、そういうことなんだ。