「ハートにグッと来ちゃう音楽に敏感なのは、世界中のどこの若者も同じなのかもしれない。ここに紹介しますはビートルズにいかれちゃったアフリカの若者たち」とかなんとか、当時の空気を再現出来ていましたか、この文章?なんてことはどうでもいいんだが、まあともかく、そんな文章がその写真には添えられていた筈なんだ。
ビートルズが世界的人気を拡大させ始めた頃、昔々のお話だが、私は新聞の片隅にその写真を見つけて、「へえ、こりゃ面白いや」とか多分、思ったんだろう。こうしていまだに、その記事を見たときの記憶が残っているのだから。
そこには、アフリカのどこかの種族の民族衣装を着た黒人の若者4人がギターやベースを手に、カメラに向かってポーズをとっている写真が載っていた。そして、世界中の若者の心をトリコにしたビートルズ人気はアフリカにまで飛び火し、ついにはアフリカ人の青年たちによるビートルズのコピー・バンドまで現れた、との報告が面白おかしい筆致でなされていた。と、私は記憶している。
今の感性で取れば、特におかしくもなんともない写真であり出来事なのだ。アフリカ人がビートルズのコピーくらい、そりゃするかもしれないだろ、普通に。
が、当時の新聞記者の感性からすれば、相当に滑稽な出来事だったのだろう。「こりゃおかしいや!アフリカの土人がエレキギターを持ってやがる」と。そしてその写真は三面のお座興的埋め草記事となり、ワールドミュージック的視点もクソもない、まだ音楽ファンでさえなかったガキの頃の私もそれを見て、その記者と同じような”時代の感性”でそれを滑稽な現象と感じ、その写真に束の間、見入ったのだった。
まあね、今だってそりゃ、似たような世界理解をしている人は残ってますよ。ここの記事の数回前を読んでもらえれば、
>黒人の世界だけで発展させたらどうなるかは
>アフリカの音楽をいろいろ聴いてみたらいい。
なんて、アフリカ音楽に関する無知丸出しの文章を平気で公にしている人物に私もつい最近、出会ったばかりってのがお分かりいただけるだろう。
アフリカの音楽って、”黒人の世界だけで発展させた”ものなのかね?この御仁、「アフリカの音楽?土人が太鼓叩いて歌って踊ってるんだろ。音楽的には貧し過ぎてお話にならないよ」とか考えていかねないよなあ、この文言からすると。しかもこの人物、アフロ=アメリカンが大きな役割を演じつつ生み、発展させていったジャズって音楽を今、演奏する立場にあるってんだから悲しいです、情けないです、呆れ果てます、まったくの話が。
いやまあいいです、この人の事は。そういう話をしたかったのではない。
たとえばルンバ・コンゴリーズ、我が国で言う所のリンガラ・ミュージックの歴史で言えば、その写真が撮られた頃が、アフリカに先祖がえりをしたアフロ=キューバン・ミュージックがアフリカ風に装いを変じ、そこにラテンバンド編成からロックの影響下でエレクトリック・ギターをメインとした今日あるような演奏スタイルに方向転換する兆しが出始めた頃と考えられるだろう。
一体、あの写真でギターを抱えて得意になっていた若者たちはその後、どうしたのか?もしかして彼らのうちの一人がその後、アフリカ音楽を大きく変える重要な役割を果たすミュージシャンとなっていたりはしなかったか?今、私のレコード・コレクションの内に重大な位置を占めるアフリカン・ポップスのミュージシャンが実は、あの時の新聞の写真のあの若者だったりはしないのか?そんな風に考えると、あの時とはまるで反対の意味でなんだか楽しくなって来たりもするのである。分からないかなあ、彼らの消息・・・