goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

「アフリカのビートルズ」の痕跡を追って

2005-11-05 03:52:35 | アフリカ

 「ハートにグッと来ちゃう音楽に敏感なのは、世界中のどこの若者も同じなのかもしれない。ここに紹介しますはビートルズにいかれちゃったアフリカの若者たち」とかなんとか、当時の空気を再現出来ていましたか、この文章?なんてことはどうでもいいんだが、まあともかく、そんな文章がその写真には添えられていた筈なんだ。
 ビートルズが世界的人気を拡大させ始めた頃、昔々のお話だが、私は新聞の片隅にその写真を見つけて、「へえ、こりゃ面白いや」とか多分、思ったんだろう。こうしていまだに、その記事を見たときの記憶が残っているのだから。

 そこには、アフリカのどこかの種族の民族衣装を着た黒人の若者4人がギターやベースを手に、カメラに向かってポーズをとっている写真が載っていた。そして、世界中の若者の心をトリコにしたビートルズ人気はアフリカにまで飛び火し、ついにはアフリカ人の青年たちによるビートルズのコピー・バンドまで現れた、との報告が面白おかしい筆致でなされていた。と、私は記憶している。

 今の感性で取れば、特におかしくもなんともない写真であり出来事なのだ。アフリカ人がビートルズのコピーくらい、そりゃするかもしれないだろ、普通に。
 が、当時の新聞記者の感性からすれば、相当に滑稽な出来事だったのだろう。「こりゃおかしいや!アフリカの土人がエレキギターを持ってやがる」と。そしてその写真は三面のお座興的埋め草記事となり、ワールドミュージック的視点もクソもない、まだ音楽ファンでさえなかったガキの頃の私もそれを見て、その記者と同じような”時代の感性”でそれを滑稽な現象と感じ、その写真に束の間、見入ったのだった。

 まあね、今だってそりゃ、似たような世界理解をしている人は残ってますよ。ここの記事の数回前を読んでもらえれば、

>黒人の世界だけで発展させたらどうなるかは
>アフリカの音楽をいろいろ聴いてみたらいい。

 なんて、アフリカ音楽に関する無知丸出しの文章を平気で公にしている人物に私もつい最近、出会ったばかりってのがお分かりいただけるだろう。
 アフリカの音楽って、”黒人の世界だけで発展させた”ものなのかね?この御仁、「アフリカの音楽?土人が太鼓叩いて歌って踊ってるんだろ。音楽的には貧し過ぎてお話にならないよ」とか考えていかねないよなあ、この文言からすると。しかもこの人物、アフロ=アメリカンが大きな役割を演じつつ生み、発展させていったジャズって音楽を今、演奏する立場にあるってんだから悲しいです、情けないです、呆れ果てます、まったくの話が。

 いやまあいいです、この人の事は。そういう話をしたかったのではない。

 たとえばルンバ・コンゴリーズ、我が国で言う所のリンガラ・ミュージックの歴史で言えば、その写真が撮られた頃が、アフリカに先祖がえりをしたアフロ=キューバン・ミュージックがアフリカ風に装いを変じ、そこにラテンバンド編成からロックの影響下でエレクトリック・ギターをメインとした今日あるような演奏スタイルに方向転換する兆しが出始めた頃と考えられるだろう。

 一体、あの写真でギターを抱えて得意になっていた若者たちはその後、どうしたのか?もしかして彼らのうちの一人がその後、アフリカ音楽を大きく変える重要な役割を果たすミュージシャンとなっていたりはしなかったか?今、私のレコード・コレクションの内に重大な位置を占めるアフリカン・ポップスのミュージシャンが実は、あの時の新聞の写真のあの若者だったりはしないのか?そんな風に考えると、あの時とはまるで反対の意味でなんだか楽しくなって来たりもするのである。分からないかなあ、彼らの消息・・・




海辺のクラリネット

2005-10-17 04:33:11 | アフリカ


 大西洋の北、アフリカ西海岸の沖合いに浮かぶ小島、カーボベルデ。かって大航海時代に、ポルトガルの航海者がそこに降り立ち、その地の領有を宣言した。その後、ヨーロッパとアメリカ大陸とアフリカの三角地帯を結んで行われた、陰惨な奴隷貿易の中継基地として賑わいもした、ほの暗い過去を持つ島国。今は世界史の裏通りで静かに午睡のときを過ごしているように見える。

 ポルトガルが足跡を残した多くの国々の例に洩れず、この島国にも独特の大衆音楽の発展があった。その音楽の名を”モルナ”という。大西洋を挟んで、同じポルトガル語文化圏に属する大国、ブラジルの音楽と多くの共通点をモルナは持つ。あの、”サウダージ”と呼ばれる哀愁味を、モルナもまた、濃厚に含んでいる。
 だが、ブラジル音楽がその身内に抱え込んだ広大な大地の豊穣の代わりに、モルナには、いかにも島国の音楽らしく、海の気配がある。吹きぬける潮風の香りがある。その、ウエットでありながら外海に向かって開けている感性のありようが、カーボベルデの音楽の大きな特徴であり魅力である。

 今回取上げる”ルイス・モライス”は、カーボベルデで広く愛されていたクラリネット奏者とか。一昨年亡くなり、このCD、”Boas Festas”(”素敵な祭り”とでも訳すのだろうか)は、その追悼の意を込めてリリースされた作品のようだ(内容は67年度作品のボーナストラック付き再発とのこと)
 そんな予備知識がなければ、彼が吹いているのがクラリネットとは分からなかったろう。非常に図太く硬質な音色であり、私には最初、ソプラノ・サックスに聞えた。

 そんな音色で吹き鳴らされる、ラテンの香り豊かな哀愁味の濃いメロディ。おそらく現地では庶民の気のおけない場において、ダンス・ミュージックとして機能していたのだろう。
 彼の音楽からは、西欧風のドラマティックな構成美を、あまり感じない。どちらかといえば露骨な起伏を持たない、ある種アジア的な、殷々と鳴り渡り続ける”音曲”のありように近い。それは始まり、川の流れのように穏やかにただ流れ過ぎ、やがて時が来たれば消えて行く・・・

 ジャケに水彩画で描かれたモライスは、茶色に枯れ果てた大地の隅っこに開けた小さな漁村の、ちょっと寂しい風景の中、一人佇んで愛用のクラリネットを奏でている。風に吹かれて砂粒とともに、漁村の人々の生の孤独が舞うような、そんな風景の中で。



サウダージ、のち上天気

2005-10-13 04:29:51 | アフリカ


 雑でいいなら世界地図はフリー・ハンドで描ける私だが、ギニア・ビサウという国が正確にはどこにあるかを示せといわれても、困ってしまったりする。西アフリカのガーナやトーゴといった国々がある海岸線あたり、までは見当はつくのだが。
 今回ご紹介するアルバムは、そのギニア・ビサウに伝わる、GUMBEなる大衆音楽の現代化ものとか。アルバムタイトルも”Renascimento do Gumbe”である。
 過去、ポルトガルの植民地であった歴史も長いとかで、冒頭、飛び出してくる曲も同じくポルトガル文化を被った国、ブラジルとかなり通じるところがある。タイトルも”Mata Saudade”とブラジル色濃厚、若干の哀愁を帯びつつリズムに乗って跳ね回る曲調など、なんだかブラジル音楽を素朴にしたような感触がある。

 これはしかし、ポルトガルの置き土産を共に持つ国同志の共通点と解釈するべきなのか、ブラジル音楽そのものに普通に接した結果なのか、何の資料もない状態では判断が付け難い。ともかく2曲目3曲目と聞き進むにつれ、アルバムの主人公、ラミロ・ナカの音楽はブラジルとどんどん離れて行くのだ。
 ”サウダージ”の斜に構えた翳りは薄れて行き、複数のパーカッションが絡み合う中をラミロの歌声は汎アフリカ的昼寝音楽とも言うべきか、かなり緩めのハイ・ライフ・ミュージックの世界にドヨンと浸かり込んで行く。
 さては”外向きの営業上、あるいは遠くのかっこよい世界の響きとしてブラジルっぽさを演じはするが、本音は別のところにあるのか?”なんて思ったりするが、まあそれも勝手な想像でしかないな。

 アルバム中盤、アフリカ色が支配的になるが、ともかく緩めの手触りが良い。やや能天気なラミロの歌声に絡むパーカッションやバックコーラスは、緊迫感とは逆のベクトルを徹底して維持し続け、スカスカに間の空いた陽気さ、実に心和む。一般的なアフリカのポップスならキンキンした音色で絡んでくるだろうギターの代わりに、きちんとしたフレーズを吹く気もあまりなさそうなハーモニカがブカブカと鳴り渡るのも、ほどよい脱力感を演出してくれる。
 この緩い浮遊感が、実に”アフリカど真ん中”な気分であり、うんまあ、まとまっていないけど、この文章もここで終ってかまわないやあ、なんて気分になってしまうのである。

 (写真は、ギニア・ビサウの市場の女性たち)
 
 

旅するアフリカン・バンド

2005-10-05 03:37:13 | アフリカ

 楽器とメンバー全員をトラックの荷台に押し込み、気ままに国境を越えて行く”越境するリンガラ・バンド”の物語は、気楽な野次馬のロマンティックな妄想をなかなかにかき立てるものではあったが、さて、実情はいかがなものだったか。

 ヨーロッパでは”コンゴ・ルンバ”、我が国では”リンガラポップス”なる名で呼ばれる音楽がある。発祥はアフリカへ里帰りしたアフロ・キューバン系のラテン音楽だったのだが、その後、アフリカ伝統音楽の再流入や、ロック・ニュージックからの影響による演奏楽器の変化(ホーンセクション主体のラテン系楽団からエレキギター中心のバンド編成へ)などを経て、独自の洗練を行い、いまやブラックアフリカ全域で愛好されるに至った、アフリカ独自のポップミュージックである。
 その音楽の本家というべきがアフリカ大陸中央部に位置する大国コンゴ、かってザイールと名乗っていた場所である。とりわけその首都キンシャサは”音楽の都”と呼ばれ、リンガラ・ミュージックの聖地だ。おっと、”リンガラ”というのは、コンゴを横切って流れる大河の流域で話されている共通語の名称。歌唱にその言語が使われる割合が多いので、日本ではこの音楽をそう呼ぶようになっている。

 なにしろ黒人の住むアフリカ全域で愛好される音楽であるから、本家コンゴから周辺諸国へ出稼ぎに出るバンドも少なくはなく、今回取り上げるファースト・モジャ・ワンも、その一つ。ちなみに”モジャ”とは出稼ぎ先のケニアで使われる共通語のスワヒリ語で”一番”を意味するのだそうで、「最初の、一番の一のバンド”とは、なんともおめでたいネーミングといえよう。このバンド名にもすでに出稼ぎ先の言葉が流入しているが、この種のバンドの音楽はそれに象徴されるように様々な出稼ぎ先の文化が混入し、ある種のデフォルメが起こってしまっているのが、スリリングなのである。
 まず、本来はリンガラ語にコンゴの元宗主国ベルギーが持ち込んだ準共通語(?)のフランス語がときに混じる形で歌われていた歌詞に、現地の言葉やケニヤで広く使われている英語が混じる。と同時に、ケニヤの伝統音楽の要素流入も、「ともかくその場で受けねばならない」との、出稼ぎバンドの最重要課題に即して行われる。

 とか何とか知ったようなことを言っているが、そもそもが様々な音楽要素の混交して出来上がっているリンガラ・ポップスであり、また、現地ケニヤの文化に通暁しているわけでもなく、たいしたことは論じえない。のであるが、雑な印象として、概してまろやかな耳触りを持つリンガラポップスが鋭いエッジを持って迫ってきているとは感ずる。フットワークがより軽くなり、濃厚な密林の音楽然としていたリンガラポップスに、都会の喧騒が忍び寄っている。現地ポップスとの影響のし合いもあろうし、異郷に生きる厳しさが音楽を尖らせる事もあったろう。
 ファースト・モジャ・ワンの音楽は、そんなケニア・リンガラの、いわば2流のスリリングさを濃厚に伝えるものだった。ボーカルのモレーノのしわがれた低音の響きと、スカスカのバンドのサウンドがいやにファンキーで、なんとも好ましく思えた。もっとも、ケニヤ盤などというものがそもそも入手困難でもあり、モジャ・ワンの盤もなかなか手に入らず、もどかしい思いもせねばならなかったのだが。

 当時、というのは、もう20年も前になってしまうのだが、そんなモジャ・ワンが日本の写真雑誌に突然登場し、驚かされたことがある。”写楽”なる雑誌がどのような気まぐれでか行ったアフリカンポップス紹介のページで、モジャ・ワンが取り上げられていたのだった。日本のアイドルたちの水着写真に混じって、モジャ・ワンのメンバーがカメラ目線で微笑んでいるのには、喜ばしいというよりむしろ「こりゃ無茶だ」と感じた。アフリカ音楽が我が国で注目を集める日が来るとも思えなかったし、リンガラ音楽に興味を持つ者たちの中でも、モジャ・ワンなんてバンドは知られていなかったのだし。

 私がそんな具合にケニアにおけるリンガラミュージックの動きに注目し始めて程なく、ケニア政府は、自国の産業を守るための一連の政策を発表した。その中には、外国からの流入ミュージシャン規制法も含まれていた。詳細は忘れた、というより、あまり詳しい情報がそもそも入って来なかったのだが、ミュージシャンが演奏をしてギャラを受け取るにはしかるべき資格取得が必要で、その取得のための書類提出費用自体が、出稼ぎミュージシャンには払い切れないものだった、そんな形で規制は行われたようだ。 
 私にその情報を伝えてくれた、アフリカ音楽に力を入れていたレコード店店主は、「ひどいものですよ」と嘆息し、私も「このままではケニア・リンガラ滅亡かなあ」などと頷いたものだった。世の東西を問わず、浮き草稼業のバンドマン人生である。

 その後、ケニア・リンガラがどうのと言う以前に、アフリカンポップスの日本における極小ブームも終焉し、一部の人気ミュージシャン以外、レコードも情報もまるで入って来なくなってしまったのであるが。いや、在ケニアの出稼ぎバンドの運命を嘆じたレコード店主のあの店も、とうの昔に商売をやめてしまっている。諸行無常。

(写真はケニア・ナイロビ市街)



神の小さな音楽、マロヤ

2005-09-28 02:22:34 | アフリカ

 ”ZELVOULA by グムラン・レレ”

 アジアとアフリカの文化が微妙に混交したインド洋文化圏とでも呼ぶべきサークルのアフリカ側に位置して、独特の自然誌と文化的光芒を放っている不思議の島、マダガスカル島。それに寄り添うようにして海に浮かぶ小島が、レユニオン島である。これはその島の”マロヤ”と呼ばれる音楽だそうな。

 聞いてみれば、現地のポップスと呼ぶのもためらわれてしまうほど、素朴極まりない音楽。いくつかの曲ではサックスなどが入りはするものの、基本は、レレの枯れた歌声を取り囲むパーカッション群と、アフリカ臭さを濃厚に発するコーラスのみによって出来上がっている音楽である。それも、ほとんどの曲で、シンプルなメロディ・ラインをコール&レスポンス形式で歌い交わす、実にプリミティヴな構成となっている。

 とはいえ、同じ打楽器のみで出来上がっている、例えばナイジェリアのフジのような迫力で聞かせる音楽ではなく、むしろのどかさ、穏やかさの印象が強い。
 民謡調というよりわらべ歌風とでも言いたい、素朴すぎるメロディラインは、なぜか南米のフォルクローレなども想起してしまう、不思議な哀調をおびている。このメロディの成立に至る道筋に、当然の如く想いは向かうが、今はまだ気ままな空想を行うレベルの情報さえなし。どのような歴史を辿ってきたメロディなのだろう。

 なんだかまるで田舎の村祭りの現場、それもカーニバルなどという大仰なものではなく、収穫を祝う小村のつつましい村祭りの音楽が、そのままの形でポップスに変じた、そんな気のおけない素朴な楽しさが一杯。
 歌声の向こうに吹き抜ける潮風の気配も嬉しく、人間がこんなにのどかに生きる余地が、まだこの地球の片隅には残されていたのだな、などと、なんだかホッとさせられるものが伝わってくる音楽だ。



アフリカ最前線!コンゴトロニクス!

2005-09-23 02:59:57 | アフリカ

 共鳴箱に自転車のスポークなどを流用した長短さまざまな金属棒を斜めに差し込み、それを両手の親指で弾いて複合リズムを刻む、いわゆる”親指ピアノ”は汎アフリカ的民俗楽器として、かの大陸一帯で使われている。サンザ、ムビラ等々、所によって呼ばれ方を変えながら。この楽器に焦点を当てた取上げた「ショナ族のムビラ」などという盤が名盤としてもてはやされもした。

 そのような素朴な民俗楽器にピックアップをつけアンプに通し、電気楽器化して、今日を生きる大衆音楽シーンのど真ん中に持って来ている、そんな連中の音楽が、アフリカのど真ん中、コンゴに存在していると聞いたのはずいぶん前のことなのだが、実物の音がなかなか手に入らず、じれったい思いをしていたのだった。
 それが先日、とうのコンゴのかっての宗主国たるベルギーのレーベルでCD化され、やっと音の実態に接することが出来たのだった。それがこのバンド、”KONONO No1”のアルバム、「コンゴトロニクス」である。初の単独レコーディングながら活動歴25年を越すとは驚くしかない。どこでどうやって生きてきたのだ。

 ともかく痛快なのは、アフリカ人の魂とも言うべき親指ピアノをエレクトリック化して大音量で都会の雑踏に解き放ってしまったこと。
 電気による音量増幅により、より今日的な狂騒表現を可能とした親指ピアノの暴れまわる様は実に痛快な、しなやかに逞しいアフリカの魂に関わる誇り高き雑音風景である。
 彼等の音が、コンゴ名物としてすでにアフリカ中を席巻した感のあるコンゴルンバ、日本で言うところのリンガラポップスの持つ流麗さとはほぼ対極にあるガサツなものであるのも興味深い。洗練され過ぎた自国のポップスに対する”アンチテーゼ”の意図があったのか?いやいや、やりたいようにやっていたらこうなってしまった、天然と理解するのが自然だろう。

 複数の電化された親指ピアノが打ち出す複合リズムと、打ち鳴らされるパーカッション群。歌い交わされるコール&レスポンス状態の歌唱。音素としては極めて素朴なものの集合体とはいえ、出来上がってくるものは民俗音楽への回帰ではなく、その音楽の鉾先はあくまでも時代の最先端に突き刺さっている、そのありようが嬉しい。

 そして、そもそもが廃物利用臭い親指ピアノだが、それを取り囲む複数のパーカッションもまた、廃車の部品などを流用したリサイクルであり、それら楽器が勢ぞろいした有様は、結果としてガレージセールの風格を醸し出す。
 彼等の後ろの方につき立っている古めかしくも馬鹿でかいスピーカーは、どこかの建物にでも付帯していたものを再生させたのだろうか。そのスピーカーから、彼等は、おそらくは路上にあって、彼等の誇り高き騒音を街角に鳴り響かせてきたのだろう。25年にわたって。
 まさに路上に生きるバンドの心意気を背負ってそそり立つ、そのスピーカーのビジュアルがまた痛快である。このボロ市風ビジュアルをを押し立てつつ、世界の音楽シーンの一方の最先端に飛び出してしまった”KONONO No1”の奴等に拍手を!

 人類が核戦争によっていったん壊滅的打撃を受けて滅びかけ、が、やっとの事でその文明を再び旗揚げした瓦礫の町。そんなSF的場面に忽然と登場して、嵐の如くに演奏を聴かせ、またいずこへかと去って行く、そんな彼等の姿を、ふと夢見た。