ほぼ日の「今日のダーリン」。
以前ほど熱心な読者ではないのですが、今日のものは
今日ここに記しておきたいなあ、「今日」記しておきたいなあと
思ったので、コピーさせていただきました。
「これだけはやろう」と決めてやっているのが、
この「本の読み聞かせ」という習慣なんだそうだ。
先輩がやっていると、後輩おかあさんもやりたくなる。
前にも、ちょっと書いたことかもしれないけれど、
絵本を持って、まだことばをおぼえていない赤ん坊に、
「読み聞かせ」をすると、それなりに
聞いているように見えるから不思議だ。
じぶんに呼びかけられている感じがいいのかもしれない。
ことばのわからない赤ん坊だってよろこぶのだから、
多少なりともしゃべれるようになった子どもなら、
「読み聞かせ」はかなり好きなのではないだろうか。
いちばん安心できる人の声で、
知らない世界に連れて行ってくれるのだから、
それがたのしくないはずはないだろう。
声で、こころを愛撫するような行為なのだろうな
(そういう意味では、歌を歌うのも似てるかな)。
こんなふうに考えていくと「読み聞かせ」というのは、
子どもにとっての、たいへんに贅沢な遊びなんだね。
その遊びで、なにが育ったりだとか、
どこがうれしかったりするのかは知らないけど、
大人でもしてほしいくらいの、ご馳走な行為だよ。
たぶん、一冊の本をぜんぶ読んでくれる人が、
実際に、ここにいるってわかった子どもたちは、
じぶんが大人になったとき、本を読むことを
めんどうに感じないんじゃないだろうか。
おかあさんたち、ごくろうさま、いいことしてるね。
コピーさせて貰った中の最後の1行は、「おかあさん」としての私への
労いの言葉に(勝手に)させていただきました。
ま、今はもうしていないので、いいことしていたね、に(勝手に)
変えて(笑)。
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もしかしてもう何度も書いているかもですが、本日28日は私の誕生日で
あると同時に、娘が生まれて、病院から退院してきた日でもあるのです。
この家で一緒に住み始めた記念日というわけで、翌年の1997年からは
自分の誕生日よりもそのことをずっと意識してきた気がします。
なので、本日の「今日のダーリン」が、なんだか嬉しくて特別に感じられました。
じぶんに呼びかけられている感じがいいのかもしれない。
と糸井氏は赤ちゃんの気持ちを推測していましたが、新米の母親は、その読んでいる
絵本を通して赤ちゃんに「呼びかけている感じ」「語りかけている感じ」が
とても心地よかったのです。
月齢が上がり、やがて反応が出てくるようになって、それはまたそれでもちろん
嬉しかったのですが、最初の頃の、ただ「呼びかけている感じ」だけだったと
しても新米母の気持ちは満たされたのでは、と思うくらいに。
小さな幸せつなぎあわせよう
浅いプールでじゃれるような
大好きな『正夢』の、大好きなフレーズ思い出しました。