最初に目にしたのは、新聞の広告面。 『ミラクルバナナ』というタイトルの映画の宣伝でした。
「バナナの皮から紙を作る」をメインテーマに、主役の日本人の女の子と、現地でその作業に携わった人たちとの交流を描いた映画だということが、その新聞広告からわかりました。
その後、HPを探して読み、この映画の元になったものは、1冊の絵本だったことを知りました。脚本・監督の錦織良成さんという方が、ある日書店で、バナナの皮でできた絵本を見つけたことから、すべては始まったのだそうです。
『ミラクルバナナ 』
ジョルジュ・キャストラ ロドニィ・サン・エロワ 作
ルイジアーヌ・サン・フルラン 絵
加古里子 文
映画の広告、ホームページ。なんとなく気になったまま時間がたち‥。私も、偶然図書館で、その絵本を見つけ手にとることができました。
バナナの皮からできているという紙は、しっかりしていて、ぱりっとしていて‥厚手のパラフィン紙のようでもあり、一度濡れて乾かしたレポート用紙みたいでもあり‥というのが私の印象です。インクの色もきれいで、普通に作られた紙と比べてもどこにも遜色はないと思います。
なぜ、バナナの皮から紙を作ろうと思ったのか。
誰が、そのプロジェクトを始めたのか。
映画は、そのあたりをどのように「ドラマ化」して見せ場を作っているのか。
とても興味深い内容です。
本の一番最後には 日本のODA(草の根無償資金協力)によりハイチ大学で実施したバナナ紙製造セミナーがきっかけとなりました。と書いてありました。プロジェクトリーダーである森島紘史さん(名古屋市立大学芸術工学部教授)は、絵本のあとがきでこんなふうに書いています。 (あとがきより一部抜粋)
もし、バナナの木から
紙ができたら、そのぶん、
森の木を切らなくて
すみます。
森にすむ虫や動物たちも、
きっと、よろこぶでしょう。
南の島にある、ハイチという国では
文字をよめない人が、
はんぶんいじょうもいます。
バナナの木から、紙が
つくれるようになれば、
それが、しごとになります。
子どもたちは、きょうかしょや
ノートをつかって、
べんきょうができます。
さて。
ここまでは、どちらかというと話したいことの「きっかけ」の部分でした。前回書いた、ずっと気になっていた「遠い所」の話がここに繋がってくるのです。
もしも、ハイチが『ミラクルバナナ』の舞台になっていなかったら、私はきっと『ミラクルバナナ』の映画の広告を見つけたりできなかったでしょう。ハイチという国が、ずっとずっと気になっている、私の「遠い所」なのです。
ハイチはカリブ海に浮かぶ島国で、ドミニカ共和国とひとつの島を分け合っています。近くにはキューバがあり、ジャマイカがあります。
キューバやドミニカ出身のメジャーリーガーが居ても、ハイチ出身の野球選手っているのでしょうか。ジャマイカはレゲエの神様の出身地であり、そのメッカとして世界的に有名です。キューバも独自のキューバ音楽で知られています。もちろんハイチにだって、ハイチ独特の音楽(たぶんメレンゲだと思うのですが)があるのですが、それを求めてハイチへ旅をしようとする人はまずいないと思います。
ハイチだけががくんと貧しく、ハイチだけが、どこからも取り残されてしまっているといっても、言いすぎにはならないと思うのですが‥。
ある時、夜中にハイチについてのドキュメンタリー番組を見ました。
何年かに渡って取材を重ねているようで、ストリートチルドレンだった双子の男の子が、青年へと成長していく姿を通して、ハイチの情勢や市民の生活を伝えるといった番組構成だったと思います。
家のような建物と、そこらじゅうに溢れているごみの山(公共で担うべき作業がまともに機能しなくなっているのです)、そして、やんなっちゃうくらい青い空が今でも映像として、印象に残っています。
双子は大きくなると分かれて生活するようになり、一人は家庭を持ち仕事を見つけ、もう一人はひとり暮らしで、仕事もなくしてしまいます。
家庭がある方の男は、奥さんと赤ちゃんと、奥さんの母親と兄の5人でとても小さな家に暮らしています。稼いでくるのは、その男だけ。あとの大人には仕事がないのです。その男の仕事は、洗車屋さん。空港から出てくる車(空港へ行くのはお金持ちだけ)を路上で待っていて、近くのどぶからバケツで水を汲んできて、ばしゃばしゃと、ただばしゃばしゃとお金持ちの車を洗うのです。そして、お金を貰います。
家では、みんなが男の帰りを待っています。その日に食べるものも、本当に買うことができないのです。
ある日、男はおみやげを持って家に帰ります。赤ちゃん用の蚊帳。ハイチでは蚊に刺されて、命を落とすことだってあるのです。
一方、双子のもうひとりは仕事がありません。たしか、何かの事故に遭い、それで仕事を失ったと説明があったような‥。日課は、体力を回復するように部屋の中で運動すること。そして身支度を整え、仲間がやっている屋台を手伝いにいくこと。もしも、残りがでれば、貰って食べることができるから。
そんな日常におこった変化を、番組は伝えていました。
ハイチ独立何十周年とかで、街の様子が変わってきたのです。メインストリートにはモニュメントが建てられ、海外で暮らしていた人たちも続々と里帰りをします。
すると、空港近くの道路は、外から勝手に入ることができないように柵でしきられてしまい、洗車屋さんは廃業を余儀なくされます。家庭がある男は、腐ることもなく、潔くただの物乞いを始めます。(しかたなくやっているのだとわかっていますが、彼の行動はてきぱきしていて潔しと映ったのです)
もうひとりの男は、建設中のモニュメントを毎日、毎日見に出かけます。建設現場の中で工事に携わっている人より、その男のように見物に来ている人のなんと多いこと。何が出来上がるのかより、仕事にありつけたラッキーな人を、見に来ているのかもしれません。
そんな中、双子のひとりのその男が言うのです。
「なんか、ここには素敵なものが建ち始めているんだよ。オレは、字も書けないし、本も読めないから、よくわからないけど、それでもここにできあがりつつあるものが、なんか素敵だってことはわかる」
その建造物は、エッフェル塔の縮小版なのです。3階建ての家くらいの高さに見えましたが、あるいはもっと高かったかもしれません。
そうか、毎日毎日ここへ来ているこの人たちは、エッフェル塔を知らないんだ。
とてもショックを覚えました。頭の中で整理して、いろいろ理屈で説明できるようになるまでに、白い空間が心の中にできた気がしました。
知っている、と知らない、の間には、埋めることのできない大きな大きな溝があるのがよくわかりました。と同時に、その彼はこうも言っていました 「なんだか素敵なもの」
優れた芸術作品は、心に直接訴えかけてくるのだということを、私が教えてもらった瞬間でもありました。
赤ちゃんへのおみやげの蚊帳。
ミニチュア版エッフェル塔。
遠い遠いハイチという国は、この2つの事柄で私と繋がっています。
小指に刺さったトゲのように、ちくりとした想いを、ここへ書いてしまうことができてよかったです。
バナナ・ペーパー・プロジェクトによって、ひとりでも多くの人が仕事を持つことができ、ひとりでも多くの子どもたちの手に本が渡ることを願いつつ。