Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

読む力・聴く力  河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎(岩波書店)

2014年08月31日 | 本と雑誌
Hitorigaten

 十数年前、業務遂行上、のっぴきならない必要に迫られ「乱読」をはじめたものである…
 難解な哲学書や最先端の専門書を読み漁ることはできなかったものの、興味の湧く分野や面白そうな表題に惹かれ、手当たり次第だが自分の読めるペースを崩さず続けてきた…
 道半ばであるが、今感じていることは、他人の書いた企画書などの「起・承・転・結」の良否の判定が頗る速く確実になったこと、そして何より、自らの話し言葉や認める文章の語彙が格段に増えたとの実感があることだ。

○本も自分を入れ込んで読んでいると、体が反応します。桑原武雄先生が「ほんまにええ本読んだら、腋から汗が流れるでっせ」と言われたことを覚えています
○要するに、人間がいろいろなものがわかるためには、すべて何らかの意味でフィード・バック回路が成立して、自分の行動・行為の結果が自分に入っているということが必要なんです
○だから、何か言葉にならない、意識化の混沌みたいなものをインプットして、それを言葉としてアウトプットするのが詩ではないかと、思っていました
○多くの情報量を得て、それをしらみつぶし的に検討する能力と、全体を俯瞰する力の両方が必要なわけ
○俯瞰できる能力は何によるかというと、一人ひとりの人間の経験による知恵みたいなものではないか
○「読むこと」、「聴くこと」の背後に、「生きること」がある
○「われわれの本当のリアルな世界は全部出会いなのです」:立花隆
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