飛騨の自然と巨木に親しむブログ

飛騨をうろうろぐるぐる歩き、飛騨高山の自然と巨木をご紹介します。あと、宮笠、登山、トレランのネタなども登場します。

神渕神社(天王山)のお祭りに

2012-04-21 23:26:54 | できごと
 (ちょっと前ですが・・・)4月15日(日)、故郷の神渕神社のお祭り(例大祭)に行ってきました。今年は実家のある地区が当番で、兄や甥、姪が祭りに出るということで、カメラマンとして久しぶりにふるさとの祭りを見てきました。

 神渕は「かぶち」と読みます。昔は神淵と表記していました。別名「天王山(てんのやま)の祭り」とも呼ばれます。
 神渕神社は、集落から離れた山奥にあり、細い林道を車で登った終点にあります。子供のころは、山の中に歩道があり、そこを歩いて登っていた記憶があります。

 神社一帯は、杉の大木があちこちに生え、特に大きい一本が「神渕神社の大杉」として国の天然記念物に指定されています。




 子供のころは、祭りになるとやってくる屋台(売店)が楽しみで、少ないお小遣いを握り締めて、にぎやかな屋台をうろうろした思い出しかありません。小学生の時に祭りに出た時は、祭屋台(山車:やま)に乗って小鼓を打ちました(かすかな記憶しかありませんが・・・)。
 ということで、我ながら意外でしたが、祭り全体を通して見たのは今回が初めてだったかもしれません。

 構成としては、昼から社殿で祭典が行われ、その後鳥居から祭行列が本殿に神様を迎えにいき、御神輿を伴った祭行列が鳥居近くのお旅所まで戻り、神事を終えたら御神輿が本殿に帰ります。最後に祭屋台で太鼓や鼓の演奏、天狗とオカメの舞、とまあ、ざっとこんな構成でした。


神様を迎えにいく行列(その1)


神様を迎えにいく行列(その2、笛)


御神輿を伴った祭り行列の獅子舞(先導する人の持つ榊をめがけて獅子頭が動き回ります。十数人が獅子を動かすのであっちこっちに暴れまわります)


お旅所に入った神様の前で神事


祭屋台の上での太鼓、鼓の演奏


祭りの最後を締めくくる餅まき


 どこに行くかわからない獅子舞や、子供たちがササを持って鬼を打つところ、巫女さんが神饌を捧げるときの所作、断片的な記憶が改めてつながって、生き生きとした天王山の祭りの全体像が見えました。

 おそらく人口が減って、また人々の意識が変わる中、祭りを支える人も減り(見物人も昔と比べて少ない印象を受けました)、これだけの祭りを毎年継続していくのは大変なことだろうと思いました。久しぶりに会った親類の方も、あり方を変えていかないとあと10年もしたらやっていけなくなるだろうとおっしゃっていたのが印象的です。

 ただ、これだけの歴史ある祭りなので、地域の方の誇りになるような、または充実感が得られるような仕掛けを加えることで、もっと多くの方が自ら支える地域の祭りにできる可能性もあるのでは、と思いました。(外からの無責任な思いでしかありませんが・・・)


 最後になりましたが、今日はハーフの距離(21km)走り、今月は週30~40kmのペースで走っています。

 月末には、飛騨高山ウルトラマラソン愛好会(?)のメンバーで、雪で通れないところを除き、試走する予定です。そこで初めてフルマラソンの距離を超え、60kmほど走る(歩く?)予定なので、うまくいけばそれで今月も200kmを達成しそうです。獲らぬ狸の皮算用という言葉もあるので、どうなりますやら・・・
 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みやてる 様 (風来坊)
2012-04-22 22:59:25
 魅力的な祭りですね。
 有名無名を問わず祭りというのはいいものですね。
 私の古里では子供の頃から既に形骸化されていました。
 といっても形骸化されたと気がついたのは大人になってからですが・・・
 一時、写真にはまっていた時は祭りのスナップを結構撮ったものですが今は何もせずです。
 私のブログネタには最適かもしれないのですが・・・
返信する
 風来坊さんこんばんは。 (みやてるさん)
2012-04-23 23:41:35
 祭りは、昔は社会的に何か意味・目的があり必要とされて毎年行われていたのでしょうが、現代になって必要性が薄れ(なくなって)、祭りをすること自体が目的になっている面があるのでしょうね。だから楽しいけど、何のためにやっているか、やっている人自身もわからずやっていることも・・・
 歴史的な意味を再認識したり、今日的意味を付加するなど、やって楽しく充実感のある祭りにできれば、と思いますねー
返信する

コメントを投稿