去る9日~11日にかけて、宮城県岩沼市のボランティアセンターへお手伝いに行ってきました。
緊急的な災害支援は徐々に減り、生活再建に向けた取り組みが中心になってきているという感触を、被災地のボランティアセンターのHP、ブログ等で持ち始めていましたが、その様子を確かめることも目的のひとつです。
9日に日付が変わったころ、飛騨高山を出発。松本ICから高速道路に入り、朝8時に岩沼市災害ボランティアセンター到着。身支度をして、玄関前に並ぶ人の列の後ろに。8時半から受付、その後ニーズとのマッチングという流れで進みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/96/5d464a37b29ab8a2ba6b99b7bedf096d.jpg)
(マッチングの様子。室内で座って、しっかりやるスタイルでした。)
こちらのボランティアは、午前・午後2時間ずつの完全分割制。時間が来れば途中でも帰り、新たなニーズを出してもらうスタイル。移動の手間と時間が余計にかかりそうですが、午前で疲れてしまった場合や、午前しか作業できない場合などには参加しやすい形態といえます。
9日は午前午後とも浸水した倉庫の片付け(全部廃棄するように運び出す)、10日の午前は民家の庭の泥等撤去、午後は町内会の方と一緒に側溝のヘドロ上げ。11日は午前中に民家の畑の草とりという内容でした。
折しも東北に梅雨明けが訪れ、日向で立っているだけ汗がダーダー、消耗するコンディションでした。(そのため11日は午前中のみ作業で、午後帰郷。)
岩沼市は、仙台平野にあり、津波が内陸深くまで入り込んだところですが、今回の活動中や移動する中では、被害があまり目に付きませんでした。これは、被害が無かったということではなく、地震後4ヶ月のうちに徐々に復旧してきた結果ということを聞きました。実際、集落を離れ海沿いの地区を通ったときには、見渡す限りの水田に泥と海水がたまり、磯の香りに似た異臭がしていました。津波を受け止めようとして逆に引き抜かれた防風(砂?)林のクロマツもあちこちに転がっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/00/2c5bc16b4f6f1179646b05f736248864.jpg)
11日にお手伝いした畑の草とりも、はじめマッチングで聞いたときは「草とりって、震災と関係あるのかな・・・」と思ったけど、実際行ってみると畑の上にうっすらヘドロが堆積し(乾燥していたので臭いがあまりしなかったのが救いでした・・・)、家の方が「これまでこんな雑草は無かった」と言われるように泥が雑草の種も運んできて芽生えているようでした。草とりした家の建物のほうはというと、壊れてはいないながらも床上浸水しており、床板をはがしてようやく泥を撤去したところとのことでした。生活再建に踏み出したところなのでしょうが、まだまだ普通の生活を送るようになるまでには時間がかかりそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/e3/c3deb43efea0c0f740d14907e741d741.jpg)
(草とりする中見つけた、がんばって残っていたジャガイモ!根元には育った新ジャガが顔をのぞかせていました)
今回、初めて職場にボランティア休暇を申請して行きました。また高速代も「災害派遣等従事車両」の証明をもらい無料で行くことができました。
地域ごとのばらつきはあることを承知でいうと、全体の印象としては、震災後4ヶ月がたって、かなり復旧が進んだなぁ、と思いました。今回お手伝いした被災者の皆さんは、戸惑いながらも新しい生活を築いている途上とお見受けしました。今回も、新潟、千葉、埼玉、徳島など、はるばる遠くから駆けつけた方々と一緒に活動しましたが、「そっと行って、ちょっと手伝って、そっと帰る」をコンセプトとしているわたしの震災復旧お手伝いは、そろそろ出番がなくなってきたんだろうなぁ、と感じました。「東北魂」「岩沼魂」などと書かれたTシャツをよく見かけましたが、東北で、あるいは市町村などもう少し小さなコミュニティごとに、お手伝いに行く人が増えるようになってもらえたら・・・と思いました。
今日、塩釜市と石巻市の社会福祉協議会から、前に行ったお手伝いのお礼状が郵送されてきました。あちらも、活動や組織をいったん仕切りなおして、継続した新しい活動に取り組んでいくようです。「東北魂」「○○魂」の踏ん張りを、飛騨高山から期待を込めて見守っていこうと思います。もしかしたらまた気が向いて、ちょっとだけお手伝いをしにいくかもしれませんが。
緊急的な災害支援は徐々に減り、生活再建に向けた取り組みが中心になってきているという感触を、被災地のボランティアセンターのHP、ブログ等で持ち始めていましたが、その様子を確かめることも目的のひとつです。
9日に日付が変わったころ、飛騨高山を出発。松本ICから高速道路に入り、朝8時に岩沼市災害ボランティアセンター到着。身支度をして、玄関前に並ぶ人の列の後ろに。8時半から受付、その後ニーズとのマッチングという流れで進みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/96/5d464a37b29ab8a2ba6b99b7bedf096d.jpg)
(マッチングの様子。室内で座って、しっかりやるスタイルでした。)
こちらのボランティアは、午前・午後2時間ずつの完全分割制。時間が来れば途中でも帰り、新たなニーズを出してもらうスタイル。移動の手間と時間が余計にかかりそうですが、午前で疲れてしまった場合や、午前しか作業できない場合などには参加しやすい形態といえます。
9日は午前午後とも浸水した倉庫の片付け(全部廃棄するように運び出す)、10日の午前は民家の庭の泥等撤去、午後は町内会の方と一緒に側溝のヘドロ上げ。11日は午前中に民家の畑の草とりという内容でした。
折しも東北に梅雨明けが訪れ、日向で立っているだけ汗がダーダー、消耗するコンディションでした。(そのため11日は午前中のみ作業で、午後帰郷。)
岩沼市は、仙台平野にあり、津波が内陸深くまで入り込んだところですが、今回の活動中や移動する中では、被害があまり目に付きませんでした。これは、被害が無かったということではなく、地震後4ヶ月のうちに徐々に復旧してきた結果ということを聞きました。実際、集落を離れ海沿いの地区を通ったときには、見渡す限りの水田に泥と海水がたまり、磯の香りに似た異臭がしていました。津波を受け止めようとして逆に引き抜かれた防風(砂?)林のクロマツもあちこちに転がっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/00/2c5bc16b4f6f1179646b05f736248864.jpg)
11日にお手伝いした畑の草とりも、はじめマッチングで聞いたときは「草とりって、震災と関係あるのかな・・・」と思ったけど、実際行ってみると畑の上にうっすらヘドロが堆積し(乾燥していたので臭いがあまりしなかったのが救いでした・・・)、家の方が「これまでこんな雑草は無かった」と言われるように泥が雑草の種も運んできて芽生えているようでした。草とりした家の建物のほうはというと、壊れてはいないながらも床上浸水しており、床板をはがしてようやく泥を撤去したところとのことでした。生活再建に踏み出したところなのでしょうが、まだまだ普通の生活を送るようになるまでには時間がかかりそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/e3/c3deb43efea0c0f740d14907e741d741.jpg)
(草とりする中見つけた、がんばって残っていたジャガイモ!根元には育った新ジャガが顔をのぞかせていました)
今回、初めて職場にボランティア休暇を申請して行きました。また高速代も「災害派遣等従事車両」の証明をもらい無料で行くことができました。
地域ごとのばらつきはあることを承知でいうと、全体の印象としては、震災後4ヶ月がたって、かなり復旧が進んだなぁ、と思いました。今回お手伝いした被災者の皆さんは、戸惑いながらも新しい生活を築いている途上とお見受けしました。今回も、新潟、千葉、埼玉、徳島など、はるばる遠くから駆けつけた方々と一緒に活動しましたが、「そっと行って、ちょっと手伝って、そっと帰る」をコンセプトとしているわたしの震災復旧お手伝いは、そろそろ出番がなくなってきたんだろうなぁ、と感じました。「東北魂」「岩沼魂」などと書かれたTシャツをよく見かけましたが、東北で、あるいは市町村などもう少し小さなコミュニティごとに、お手伝いに行く人が増えるようになってもらえたら・・・と思いました。
今日、塩釜市と石巻市の社会福祉協議会から、前に行ったお手伝いのお礼状が郵送されてきました。あちらも、活動や組織をいったん仕切りなおして、継続した新しい活動に取り組んでいくようです。「東北魂」「○○魂」の踏ん張りを、飛騨高山から期待を込めて見守っていこうと思います。もしかしたらまた気が向いて、ちょっとだけお手伝いをしにいくかもしれませんが。