飛騨の自然と巨木に親しむブログ

飛騨をうろうろぐるぐる歩き、飛騨高山の自然と巨木をご紹介します。あと、宮笠、登山、トレランのネタなども登場します。

『いのちはみんなつながっている」上映会&いきもの対談、開催しました!

2013-01-28 23:41:42 | 環境教育
 昨日の27日(日)、動物学者の千石先生の活動の様子を記した『いのちはみんなつながっている』上映会&いきもの対談を開催しました。

 映像上映では、千石先生の元気な頃の様子や病院のベッドでのお話、最後の西表島の自然探索の様子などが流れました。

 そこからは、なくなる直前まであらるいきもの(鳥は除く?)に対して真正面から向き合い、その面白さやつながりの大切さを多くの人に広めようとする千石先生の意思が伝わってきました。

 自分ががんと分かったらどんなことを思い何をするか想像がつかないけど、千石先生は静かに死とも向き合いながらも、そんなことはお構いなしに、いきものと向き合い続けていました。まるで、野生動物が死期が近づいても自分の生を全うするように。


 


 上映会のあとは、千石先生と長年活動を一緒にしていた間曽さんから、千石先生にまつわるエピソードのお話があり、続いて『ふるさとのいのちのつながり』をテーマに、飛騨のグリーンマンこと小野木三郎先生によるいきもの対談。

 小野木先生の、歯に衣着せぬお話とさむーいギャグは千石先生と通じる点もあるようで、間曽さんは小野木先生と漫才のような(?)対談を繰り広げられていました。






 千石先生という、スゴイ人を失ってしまった私たちは、これからどうしたらいいのでしょうか。そのヒントは、間曽さんがトークの中で紹介されていた、千石先生最後の本の『つながりあういのち』のあとがきの一節にあるような気がします。


 ・・・生き物は必ずいつか死ぬ。

 これは人間に限らず、すべてのいのちにいえることだ。

 けれど、それが「いつ」かはわからない。

 ただ。俺には近い将来死が訪れる。これは確実だ。

 そこで考えた。

 たとえ自分のいのちが終わったとしても、自分の考えが残っていれば、

 それは「いのちがつながっている」ということだ。

 だったら、俺の考えを書き残しておこう、と。


 千石先生から受け継いだこと、考え方、見方などを、自分なりの方法で広めていくこと。少しずつでもそんな活動を続けていきたいなぁ、と思っています。


『いのちはみんなつながっている』

2013-01-26 21:02:15 | 環境教育
 いよいよ明日、千石先生さいごのメッセージ『いのちはみんなつながっている』を開催します。

 今日は大雪警報が出る中、準備作業を進めました。参加記念品のどうぶつ写真はがき、抽選で当たる千石先生と小野木先生の著書。明日は天気、どうなるかなあ・・・

 この映像作品が見れるのは、飛騨ではなかなか機会が無いと思います。せっかくの機会ですので、ぜひ多くの方に目にしていただきたい!と願っています。

 みなさまお誘い合せの上、防寒着を着こんで、お越しくださいませー!!

’千石せんせい’を知っていますか?

2013-01-14 22:42:57 | 環境教育
 今日、初めてアマゾンで本を買いました。買ったのは『つながりあういのち』という本です。



 この本を書かれたのは、千石正一さんという方で、(このブログを見ている方は記憶にあるかもしれませんが)かつて私が働いていた自然環境研究センターというところの大先輩で、昨年病気で亡くなられています。(亡くなられた時のブログ記事はこちら

 「千石先生」という名前に反応する方は、きっと生き物大好きな方でしょうか。

 かつて生き物の生態をバラエティ形式でわかりやすく伝えてくれたテレビ番組の、『わくわく動物ランド』、『どうぶつ奇想天外』といった番組に登場し、ちょっと変わった風貌で、主にヘビやトカゲ、カエルなどのコーナーで出演し、受けないジョーク(鋭すぎて分かりにくかったという説も)を連発していた方。

 一方、動物学者としての一面もあり、生物多様性や外来生物などに関して、講義や講演などの場で述べられるお話は、一般の方のみならず、生物学の専門家の方々にも影響を及ぼしていたと思います。

 この本は、自分が亡くなる運命にあることを知ってから、あらためて「いのち」、そして「いのちといのちのつながり」について考えたことを記した内容です。

 まだ、読み始めたばかりですが、「これはいい本、いやスゴイ本だ!」という予感がしています。

 この感じは、『いま自然をどう見るか(高木仁三郎著)』『センスオブワンダー(レイチェルカーソン著)』とかの、じぶんの人生に少なからぬ影響を与えた本との出会いに似ているような予感がします。

 まえがきに書かれている一文は、一個のいのちとして死を前にした時の、嫌悪とあきらめ(達観?)が記されたものとなっています。

・・・「俺は、自分がガンで死ぬのはどうってことないと思っている。いや、どうってことないことはないな、本当は死ぬのは嫌だ。嫌に決まっている。死ぬのが嫌なのは、生き物としてあたりまえのことだから、ぜんぜん恥ずかしくなんかないよ。自分が死ぬのは、個体としての死なのだから、「しょうがねぇなぁ」という気がしているんだ。でも、他の生き物が意味もなく絶滅してしまったり、人間のエゴで地球そのものが死んでしまうような事態には、がまんがならないんだ。もっと、みんな「いのちについて」考えるべきなんだ。」・・・

 嫌悪とあきらめ、でもその先に残された私たち人間(たぶん特に子供たちへ)への、メッセージというか願いがこめられていると思いました。

 今回この本を読んだ理由のひとつは、今度、千石先生の活動を映像化した作品の上映会を開催することになっているからです。

 というか、本を出版されたという話をきいて、それについて間曽さん(千石先生の元マネージャーで、上映実行委員。今回の上映会でもお話を披露していただく予定です)に連絡を取ったのがきっかけで、映像があるので上映会をやりましょう!となった、というのが正しい流れです。



 今回は、千石先生が亡くなる直前まで、いのちのつながりについて見て、触れて、考えたことをメッセージにした映像の上映会と、千石先生と活動をともにしていた間曽さんのお話、そして飛騨の自然を長年見続け、市民にそのすばらしさを伝えてこられた小野木三郎さんと間曽さんとの「いきもの対談」という内容になっています。

 3年前に千石先生が飛騨一之宮で講演された時に話を聞いた方はもちろん、千石先生のことをはじめて知る方にも、ぜひ聞いてほしい内容となっています。

 1月27日(日)、午後2時から4時。たくさんの方に参加してほしいです!


森を知るツアー「樹から木が生まれるところ」

2012-12-17 00:47:32 | 環境教育
 12月15日は、地元の森作りに携わるネットワークが主催する森を知るツアー「樹から木がうまれるところ」のお手伝いに行ってきました。

 ここでいう「樹」は、生きている樹木のこと。そして「木」は、木材のことをいいます。山で樹を見ることも、木材を見ることもありますが、生えている樹が木材になるところを見たことがある方はほとんどいないのでは無いでしょうか。

 参加者19名とスタッフは、高山市丹生川町にある森林作業現場に到着。森林組合のスタッフから、「伐採、枝払い、玉切り、運搬」の流れを、実際の作業を交えて説明していただきました。ハーベスタという林業機械は、伐った樹の枝払いと玉切り(市況などにあわせ2m~4mに効率よく切り落とすこと)を同時にできる高性能林業機械で、樹をつかむところだけで2,000万円もする機械とか。これを効率的に使えるようになれば、低コストで木材の生産ができるのです。





 続いて、切り出された樹が運ばれる「木材市場」。とても広くて、文字どうり樹が「売るほど」あり、並んでいます。生えている樹の種類は分かっても、切り出した原木の状態では、なんという名前の樹かわからないものもありました。

 



 その次は、切り出された樹が製材され、四角い部材になる製材工場に行きました。説明している森林組合のスタッフの後ろの青い扉は、高温乾燥機で、木材の含水率を計画的に下げていく施設。

 カベに、製材機用の帯ノコがかかっていて、参加者からは「これで木が切れるの?」などと質問が。確かに私も柔らかい帯ノコが木を切るということに対して、ちょっと不思議な感覚があります。






 そんなこんなで、雪模様の天候のなか、樹から木への流れを目にするツアーは無事終了。

 参加者の方は樹を、そして木を大切にする心を養っていただけたでしょうか。


森づくりの視点から見た伊勢神宮

2012-03-10 22:41:13 | 環境教育
 今日は、飛騨で森づくりに関する活動をするグループの「お伊勢参り」に行ってきました。

 森づくりと伊勢神宮のつながり???それは、来年に向けた式年遷宮が関わっています。

 式年遷宮は、伊勢神宮が古来より行ってきた儀式で、20年に一度、本殿などの建物を新しく作りかえるものです。そのために平成17年(だったかな)から木曽地方などから建築用のヒノキが伐り出され、伊勢に運ばれます。

 実は、飛騨の木もかつては分水嶺を越えて飛騨川を流し、名古屋、大阪、江戸などの建築に使われたとのこと(伊勢神宮は・・・?)

 ということで、ちょっとこじつけですが、式年遷宮を前にした伊勢神宮に見学ツアーに出かけたのです。

 湿った新雪が積もった高山を予定通り7時に出発、でものっけから高速道路で渋滞にはまり、外宮に行く予定が直接内宮の昼食会場へ・・・。ここでは、伊勢名物の「伊勢うどん(太くて柔らかい麺!なんともいえません・・・)」と「てこね寿司」のランチ。おいしかったです。



 その後、宇治橋を渡って内宮へ。

 参道にはたくさんの人であふれています。道脇には、なかなかの迫力の巨木がそこかしこにあり、巨木林の様相を呈しています。



 いよいよ本殿に近づくと、ここでも渋滞が・・・。これではお参りするのに30分以上かかってしまいそうです。


 そのため、列の後ろで二礼一拍手一礼をし、国家と我が家の安寧を祈った後、おかげ横丁に向かいました。

 神宮の森では、飛騨ではほとんど見られない暖地の植物(常緑広葉樹)やシダ植物がいろいろあり、昔の知識を掘り起こしながら写真を撮って歩きました。

 個人的に気になったのは、石垣です。いろいろなタイプの石垣がひっそりと積まれていました。専門知識はありませんが、いろいろな手法が混在しているような印象を受けました。永年にわたり、さまざまな職人がつんできたのでしょうか。



 飛騨と伊勢の距離の制約で、移動時間が多かったけど、いろいろ目の保養になりました。あと明日のマラソンに向け体も休まりました。

 明日はどうなるかな・・・?