「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「バレンタイデーのチョコ」

2006-02-13 00:29:33 | 和歌

 今年もまたバレンタインデーのチョコを姪が送ってくれた。毎年忘れずに送ってくれるので、葉書に下手な絵を描き、歌を添えるなどしてきたが、改めて整理してみるとかなりの数の拙い歌が溜まった。その数ほどのチョコを頂いたということか。姪とオジちゃんとの、年に一回の楽しい交流が何時まで続けられるだろうか。



 
  


             あなうれし 君よりチョコの届きしは

             新たな世紀の寿ぎなりけり



  




             年経ても何故かほころぶ頬なるか

             バレンタインのそなたのチョコは

  

             紅の衣まとえる姫君は
 
             まぶしかりけり かのおさなごが

  

             麗しき美女のあふれるお写真に

             小さき庵は「びじょびじょ」にして



  




             背の君と息女の写真に文添えし

             チョコ賜りぬバレンタインに

  

             幸せの証なるかな如月の
 
             チョコに托せる君の便りは



             何方の姫君なるやかの太き

             やんちゃ娘と見違えしかな



  




             掌ひらにチョコを受ければトキメキの
  
             はや伝わるか とけて応えぬ
  







「十一月後庭梅花盛開」

2006-02-12 00:28:49 | 和歌
 
     十一月後庭梅花盛開   蔡襄(さいじょう)詩

     迎臘梅花無数開
     旋看飛片点青苔
     幽香粉艶誰人見
     時有山禽入樹来


 この詩を初めて読んだとき、「蝋梅」の花が無数に開いた情景を、頭に描いた。読み進むと、花びらが青い苔に舞い散る風情が詠まれて、幽雅な詩情に惹きつけられた。がしかし、何かウソっぽくないか?? 蝋梅の花びらは、風が吹き禽が飛んできたくらいでは、散らないのではないか・・・。蝋梅には、風に舞う花びらの風情は無い。しかし、明らかに「臘梅花無数開」と詠われているではないか!?



 



 頭を抱えて暫らくして、詩の題名を見た。「十一月後庭梅花盛開」とある。なになに? 十一月に裏庭で梅の花が盛んに咲いている? チョッと早すぎではないの! でもまあ中国の何処か知らないが、早く咲く処もあるのかな・・・、などと考えているうちに、ハッと気が付いた。
陰暦十二月を「臘月」という。「蝋梅」ではなく、「迎臘」、すなわち「十二月を迎えて梅の花が咲き誇っている」と詠っているではないか!

 恥かしながら早とちり、虚庵氏ご粗末の一席。

  

 




             人知れず寒空に咲く梅の花

             飛び来る禽に花びらこぼれて


  

             ほのかにも香れる梅の樹の下に
  
             佇みおれば ひとひら舞いきて





「不器用に咲く」

2006-02-11 01:12:08 | 和歌

 思わぬところで、「万作」に出会った。

 幸いにもデジカメを携えていたので、そそくさとシャッターを切ったが、虚庵居士の力量では、満足な写真をご覧頂けないのが残念だ。

 これまで生花の花材としてアレンジされた万作は、何べんか目にしたが、自然の状態で咲く万作には初めての出会いだ。枝のあちこちに枯れ葉を付けたまま、それを意にも介さずに咲く万作は、花弁の繊細さとはうらはらに、男気のあるのが気に入った。
  


 



             梢にもごつごつとした身を開き

             不器用に咲く万作なるかな



             枯れ葉をも枝に残して気にとめず

             万作咲けり 男の流儀に



  

 



             如月の浅葱の空に金色の

             細き花びら万作逞し



             虫食いの枯葉を携え万作は

             吾が春見よと手足を拡げぬ


 


 



             金色の細き花びら温かき

             産毛の莟みに含むぞいとしき



             万作の金色の花まじまじと

             近くに見れば赤き口かな



             凍てつける真冬を耐えて解き放つ
             万作の花 花弁の歓び






「ヒマラヤ雪ノ下」

2006-02-10 00:58:55 | 和歌

 「うつろ庵」の庭にも、友人から頂いた「ヒマラヤ雪ノ下」を大切に露地に植えてあるが、今年は花を付けなかった。近くの遊歩道の、巨岩を積み重ねたごくごく狭いところでは、日陰であってもひっそりと花を付けて、故郷を偲んでいる風情だ。生まれ故郷の環境に近いところが、やはり己の居場所だと心得ているのであろうか。

  

 




             大いなる岩を組たる合い間にぞ

             可憐に咲けりヒマラヤ雪ノ下



  


 




             故郷は山河のヒマラヤ雪ノ下

             せめて安らげ岩の間にまに







「春の寿ぎ」

2006-02-09 11:34:52 | 和歌

 車を運転していて、蝋梅に出会った。

 数日前に、お寺さんの蝋梅を観に行ったが、あの時は巨木の木漏れ日が一輪にだけさしきて、ひっそりと虚庵居士を迎えて呉れた。今日の蝋梅は、全身で陽ざしを受けて、天真爛漫の歓待であった。お寺さんの蝋梅と、今日の蝋梅では花びらの形も異っているようだ。花弁が細長く、種類が違うのであろう。透ける花びらの清しさには、どちらも心が洗われた。

 

 




             初午を 祝うや蝋梅清しくも
  
             禊を受けて浅葱に浮かぶは



             凍みいるに誰が守るや蝋梅の

             薄き花びらまさきくあれば



             香りたつ細き花弁の蝋梅に

             よりて受けまし春の寿ぎ


  

 




             萌いずる春の息吹を身に受けて

             梢に高く蝋梅咲きたり







「出自はいずこ」

2006-02-08 00:09:48 | 和歌

 道路の脇に、ひっそりと咲く「姫つるそば」に出会った。

 立春とは名ばかりの凍てつく寒さに、葉の色は、霜焼けに凍えた乙女の手の色と見れば、哀れを誘う。はたまた、花のかんばせに合わせた衣装と見れば、この上なく気品に満ちている。道端にも拘らず穢れなき姿に、エールを送る虚庵氏であった。

  

 




             葉の色を浅蘇芳にぞ染めたるは

             姫つるそばの雅のこころか



             ぼんぼりに花咲く姫のつるそばの

             出自はいずこ卑しからずも



             穢れなく身を整えて控えしは

             やがてなる日を夢に見ゆらむ



             凍てつける舗装の道に耐えて咲く
   
             姫つるそばの小花をな踏みそ






「柊南天?」

2006-02-07 12:57:19 | 和歌

 町内を散歩していたら、思いもかけない花に出遭った。

 残念ながら名前を知らないが、柊南天の仲間であろうか。房花を逞しく打ち広げた様に、虚庵居士は子供の頃の懐かしい記憶が甦ってきた。出征兵士を見送る「バンザイ」を思い出したのだ。夕闇が迫り門灯に浮かぶ様は、打ち上げ花火を思わせるに違いあるまい。

 住み人が門べに植えられた「思い」が偲ばれる。

  

 




             八方へ黄色の花房 咲き放つ

             君の名前は 「柊南天 ?」



             暁の光を受けなばもののふの

             旅立ち祝う花と思ひき

  

             ぬばたまの闇に浮かべば大空の

             花火と見らめ音はなけれど

  

             住み人は朝に万歳受けて出で

             花火の迎えを受けて帰らむ





 後日になって、「柊南天チャリティー」が花名だと判明した。
柊南天は冬になると葉が紅葉するが、チャリティーは紅葉しない。そしてこの写真のように、花房は放射状に大きく広がるのが特徴であると、解説に書かれていた。(06-03-10追記)


 

「野蕗の薹」

2006-02-05 02:07:44 | 和歌

 「うつろ庵」に閉じこもる日が続くと、無性に春の息吹を求めて、枯れ野を彷徨いたくなる。

 近くの蕎麦屋で、「そば湯割り焼酎」と「湯葉かけ丼」の昼飯で体を温め、シッカリと身支度を整えて、早春とは名ばかりの野に出でた。久しぶりに来て見れば、なにやら大工事が始まって、何時もの散歩道は物々しいフェンスで遮られ、あらぬ方角まで回り道をさせられた。所どころ残された枯れ野は、緑の色など殆ど見当たらない寒々としたものであったが、幸いなるかな、野蕗の枯れ葉の一叢が残っていた。

 よく見ると、野蕗の薹が小さな頭をもたげているではないか! 
 早春のお土産を、少しだけポケットに頂戴した。


  

 




             北風の東風に変わるを待ちかねて

             枯れ草を踏み蕗の薹摘む




             いとけなき野蕗の薹を手に摘めば

             凍える指も馨しきかな




             枯れ草に隠れて生ふる蕗の薹の

             萌葱の衣のあはれなるかも







「恋ふる想いを」

2006-02-04 01:03:49 | 和歌
 
 色物の少ない冬の庭では、葉隠れの小さな赤い実にも、トキメキがある。
 「うつろ庵」の庭の片隅にも、鉢植えの万両が赤い小さな実をつけて、密やかに息ずいている。


  
 




             万両は恋ふる想いを秘めたるか

             紅もゆる実は誰がため



             密やかな葉隠れの実の万両に

             木漏れ日さしきてあはれなりけり






「はしき花びら」

2006-02-03 00:51:16 | 和歌

 近くのお寺さんの庭に、蝋梅の古木があったのを思い出して、観にいった。

 残念ながら時刻が午後だったので、蝋梅の花は、大木の木陰になって陽が遮られていた。
しかしながら幸いにも、ひとすじの木漏れ日が蝋梅の花びらにさし来て、スポットライトを当てたように浮き出させてくれた。わざわざ歩を運んで観に来た虚庵氏に、花びらを透かせて見せて呉れたかのような風情であった。

 

 




             高ひかる日ざしを遮る大木々も

             蝋梅思えば木漏れ日なすらむ



             さしきたる木漏れ日ひとすじ蝋梅の

             はしき花びら透かせて見せけり



             蝋梅の莟はすでになくなれば

             けごろもの冬足を速めむ



             蝋梅の花時知りせば綻びを

             めでに来つらむあやに悔しき





「生薬女王!」

2006-02-02 11:53:53 | 和歌

 「うつろ庵」にもアロエが在るが、殆ど知識がないので調べてみた。

 曰、アロエ、漢字では蘆薈と書く。
 また曰、ラテン語アロエ(Aloe)の語源は、ヘブライ語の“苦い” allal から。
 又又曰、原産はアフリカの地中海地方。
 更に曰、胃健薬、黄疸を治す。虫刺され・切り傷・皮膚病や痔によい。婦人病・下剤・口中の一切の病気・万病によろしい、とある。

 借問す、「虚庵居士は、何時から薬売りに転じたるや?」

  

 



             いきり立つアロエの花はいかでかは

             斯くも異形に咲きて訴ふ



             故郷の阿弗利加なれば 美女なのよ

             アロエのあねごに「痺れる!」って言うワ



             蘆薈さま 貴女の薬効 敬服デス

             世界に冠たる 「生薬女王!」




 

「枯れ草ゆれて」

2006-02-01 12:15:26 | 和歌
  

 



             吹き荒ぶ凍てつく風に背の高き

             枯れ草ゆれて行く人もなし



             夕されば雲の切れ目に落ちる陽の

             さし来て枯れ穂の白くひかりぬ



             けごろもの冬の夕陽はうらさびし

             ただ枯れ草の風に揺れいて



  




             枯れ草のやがて朽なむ春の日に

             若草踏みてまた訪ね来む