熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「ブロデックの報告書」

2009年02月02日 | Weblog
自分と同世代という所為もあるのかもしれないが、フィリップ・クローデルは私が今最も注目している人物のひとりである。とはいえ、彼の作品を読むのは本作で3冊目でしかない。「リンさんの小さな子」も「灰色の魂」も本作も、同一人物が書いたとは思えないほど、それぞれに凝った造りになっている。小説には、そこで展開される物語を味わうという楽しみかたもあるが、建築物を眺めるように物語の構成の妙を楽しむという読み方もある。この作家の作品は勿論どちらの楽しみかたもできる。登場人物に極限状態を経験させることで、人間の心根を描き出そうとする姿勢は各作品に共通であるように思う。

但し、この作品では主人公に戦時中の強制収容所を経験させ、その前後の歴史に翻弄される故郷の山村の悲喜劇をさんざん描いておいて、最後に全てひっくり返してみせる。作品の最後の数行で読者を驚かせるというのは「灰色の魂」と同じなのだが、そのオチの激しさが「灰色」よりもさらに磨きがかかったという印象だ。さすがにそれでは読者が付いて来ることができないと心配したのか、後半の終わりちかくに伏線を張ってみせている。これには賛否両論ありそうな気もするが、私はこの伏線となる挿入寓話によって、物語の全体に深さが与えられていると好意的に解釈したい。

以前にこのブログのなかでも何度か触れているかもしれないが、尾形乾山の辞世の句を思い出した。

憂きことも 嬉しき折りも 過ぎぬれば ただあけくれの 夢ばかりなる

この歌と同じことを小説で表現すれば、この作品のようにもなるということだろう。毎日あたふたと暮らしているが、結局のところ、人生とはこういうものかと思う。