熊本熊的日常

日常生活についての雑記

藍より青く

2010年07月25日 | Weblog
昨日、日経ホールで雀々と志らくの二人会を聴いてきた。ふたりともそれぞれの師匠を彷彿とさせる噺ぶりだった。どこがどう似ているというような個別具体的なことではない。なんとなく枝雀や談志の雰囲気が漂うのである。

「刷り込み」と呼ばれる現象がある。もともと動物の生活史のなかで、ある特定の認識や行動が獲得されることを指すらしいが、人間にも似たようなことがあると思う。躾のなかにはそういう側面もあるだろうし、習い事や進学、就職といった新しい社会経験において、最初の出会いが大きな影響を及ぼすというのは誰しも体験として了解できるのではないだろうか。私も最初の就職で、最初に配属された職場の上司や先輩たちの言動や行動には大きな影響を受けたと今でも思う。落語家も未成年のうちに師匠の家に住み込んで、芸事はもとより、その世界のしきたりや作法といったものを身につけるのだから、当然に師匠や兄弟子の影響というのは強く受けるのだろう。

「青は藍より出でて藍より青し」という言葉もある。もし、人の能力というものが誰でも同じなら、弟子はその師を超えることは無いはずだ。しかし、現実は超えない者もあれば遥かに超える者もある。能力というのは個人のなかで完結するものではなく、それが置かれた社会や時代や文化といった文脈のなかで規定されるものだろう。超えたのは本人の才能や努力も勿論あるだろうが、それだけではなく、超えることができなかったのは、才能や努力に不足があったということもあるかもしれないが、やはりそれだけではないのだと思う。

また、能力というものは果たして比較可能なのかということも考えなければなるまい。個別具体的な行為において、それを人より正確にできるとか、短時間でできる、というのは特定の尺度から見た結果であって、それが行為全体として、その場に与える影響もまた、行為とそれを取り巻く状況との関係性のなかで決まってくるものだろう。

今回の落語会で、志らくがマクラのなかで語っていたが、例えば「紺屋高尾」という噺を聴くには、花魁というものが何者で、吉原というところがどのような場所で、紺屋職人というものの社会的地位がどのようなもので、といったことを知らなければならないが、かといって、そういうことをいちいち説明していたのでは噺にはならない。「紺屋高尾」という噺が誕生した時は、当然にそこに盛り込まれている風俗は当時の社会の常識であったはずだ。演者という行為者と、聴衆という被行為者との間に物事の理解ということについての共通の基盤があるなかで噺を口演する場合の「能力」と、そうした基盤が無いなかで聴衆を魅了する「能力」とは全く別のものだろう。例えば吉原に遊郭があり、花魁というものが現に存在していた時代に「紺屋高尾」を語る落語家に必要とされる能力と、いまこうして「紺屋高尾」を語る志らくに要求されている能力は違うものなのである。遊郭がなくなってしまった後であっても、その名残が社会に残っている時代と今とでは、やはり噺家に求められるものは違うだろう。それを同じ落語家というだけで過去の伝説の「名人」と目の前の演者とを比べることは不可能だ。

事は落語だけの問題ではない。我々は不用意に「能力」ということを口にして、人を比較するのだが、たいていの場合は、「能力」が意味する内容を考えたことはなく、単なる数字や世間の評判といった表層だけで並べているだけだろうし、人そのものをそもそも理解していないことが多いだろう。世間の口などというのは無責任なものなのである。

さて、今回の落語会だが、二人会というと看板二枚がそれぞれ一席ずつというものもあるなかで、二席ずつ、しかも大ネタだったということ、前座が前座にするにはもったいないような人だったこと、出演者のチームワークが良かったことから、中身の濃いものだった。前座と「手水廻し」のマクラが念入りで、会場の感度やリテラシーを十分に把握した上で、「手水廻し」本題に入り、その盛り上げられた会場の雰囲気に乗ってマクラなしで「紺屋高尾」が続き、中入りに至る。噺自体もよかったが、演者たちがどれほど意識しているのかいないのか知らないが、前座と看板2人とのチームワークのようなものが感じられ、緩急自在に会場が操られている面白さ、操られる快感のようなものがあって、中入り前に前に十分心が熱くなったように感じられた。

中入り後は「疝気の虫」と「さくらんぼ」というナンセンス噺で、こういうものこそ噺家の力量が要求されるのだが、見事というしかないものだった。これまであまり考えたことがなかったのだが、独演会と二人会というのは異質なものだということに気がついた。

余談だが、私と同じ列にかつての職場の同僚夫婦がいて、落語会がはねてから駅まで話をしながら歩いた。久しぶりに会ったので、これもまた短時間ではあったが、楽しかった。

2010年7月24日のネタ
「普請ほめ」紅雀
「手水廻し」雀々
「紺屋高尾」志らく
(中入り)
「疝気の虫」志らく
「さくらんぼ」雀々

開演 13時30分
閉演 16時30分

会場 日経ホール