熊本熊的日常

日常生活についての雑記

攻めて果てて

2010年07月20日 | Weblog
陶芸は、今日は先週挽いたものの削りだ。5月最終週から皿を作り始めている。茶碗のような器に比べると、皿は形が不安定な分、土が軟らかい段階でも形を保持できるよう高台周辺中心にかなり厚めに挽く。このため削りのときは、器類に比べると、厚く挽いた分だけ余計に削ることになる。削るときは、裏返しにするので、削る前に表側を観察して削りの位置や厚さの見当をつけておかなければならない。轆轤を挽き始めてちょうど1年が経過したところなので、そろそろそうした作業にも慣れていないといけないのだが、削りはどうしても慎重になり、結果として出来上がったものの底が厚めになってしまうことが、まだ多い。底が厚いということは、それだけ重いということでもあり、重いということは使いにくいということでもある。

今日削ったのは直径20cmほどの皿が2枚と茶碗が1つ。皿は1枚目は無難に削ったが、少し削りが甘かったと感じた。あまりにも削り足りないときは、轆轤の上に戻して更に削るのだが、一旦轆轤から外してしまったものを改めて置き直すと中心が微妙にずれてしまって、かえって上手くいかないこともある。先生の指導を拝見していると、さすがに難なく置き直して、しかも大胆に削りすすめていくのだが、私が同じことをしたら作っているものが破綻してしまう。それで、多少の不満は飲み込んでしまう。

そうした伏線があって、2枚目の皿を削り始めた。高台も決まり、高台の内側を削っていると、考えている以上に深く鉋が入ってしまう。妙だなと思ったときには、高台が陥没していた。高台以外の部分は狙った通りの薄さになっていたので、惜しいことをしてしまった。

気を取り直して、茶碗を削る。皿に比べると、茶碗は挽いた段階でかなりの程度まで完成形に近いところまでできているので、削るのは高台の整形のようなものである。しかし、今日は2枚目の皿を削るところから、「ぎりぎりまで攻めてみる」という気分になっていたので、自分としては普段よりも大胆に削ってみた。結果としては、それで上手くいったと思う。

素焼きがあがったものがあるので、来週はそれらに施釉してもよいのだが、それは来週でなくともよい工程なので、来週も轆轤を挽くつもりでいる。もちろん、作るのは皿。なんとなく了解できるまで皿を作り続ける。

会心作は偶然に」で紹介した茶碗と同時に焼成に出した茶碗の残りが焼きあがってきた。同じ土から同じ時間に轆轤を挽き、同じように削って、素焼き、施釉、という工程を踏んでも、同じようには焼きあがらない。結局、そのロットで作ったもののなかで、上手くできたと思えたのは、あのひとつだけだった。面白いものである。