熊本熊的日常

日常生活についての雑記

堂々と独断と偏見

2010年07月16日 | Weblog
ある人とメールのやりとりをしていて、話題がイギリスのことになった。それで、限られた経験と知識から得た英国論のようなものを開陳したら、「熊本流英国論」と言って面白がって頂いた。しかし、ふと、史実に誤りがないか不安になったので、以下に自分がそのメールに書いたことを引用する。史実誤認があればご指摘いただきたい。

(以下、引用)

○○さん

こんにちは。暑い日が続きますね。

文明の利器、ですか。難しいですよね。現に文明のなかで生活しているわけですからね。携帯とパソコンの話は、私自身も時々どうしようかなと思うときがあります。今時、携帯持っていない奴とかパソコン持ってない奴はいます。彼等は、仕事では当然に職場で使っているわけで、使えないというわけじゃないんですよ。でも、そんなのは例外中の例外でしょう。今や移動通信もブロードバンドも水道光熱と同じ社会資本としてすっかり定着してしまいましたね。何が必需品でどのあたりからが文明の横着か、というのは線引きが難しいところです。 個人の生活様式によって一概には言えないでしょうし、時間の経過と共に変化しますから。確かに、△△△△△のバッグの考え方でiPadのケースというのは悩ましいところだとは思います。でも、△△△△△のデザインがあの手の機器に似合うと考える人が多いのは事実だと思います。

ところでイギリス話なんですが、私の独断と偏見で言わせてもらえば、今日「英国風」 とされている文化的要素の多くは成金によって形成されたものだと思います。欧州という括りで英国も大陸諸国も同じようなものとして考えられがちな気がしますが、大陸諸国とはその歴史や文化の成り立ちが異質であるように思います。

例えば、大英博物館とルーブル美術館を比べてみると、そこに端的な違いが反映されていると思います。大英博物館は、もともと医者で古美術品蒐集を趣味にしていたハンス・スローンのコレクションから始まり、そこに主として中産階級の人たちの寄付や遺品が加わって今日の姿になっています。対するルーブルはフランス王室のコレクションが基になっています。

これは何を意味するかと言えば、国の中で経済力の中心がどこにあったかということの違いだと思います。片や中産階級、即ち市民であり、片や王室、旧来の階級制度の頂点ということです。

英国のばあい、産業革命の影響もさることながら、国の位置が大きく関係しているのではないでしょうか。英国は欧州のなかでは辺境です。緯度も高く気候が厳しい上に地力にも恵まれず、国家を維持するには海外との通商に依存するしかなかったはずです。当然に、海運が発達します。海運が発達するということは、造船に象徴される工業、運搬品の保険に代表される金融とリスク管理、航海や工業の基礎には数学や天文学などの科学といったものが発達するということでもあります。科学の基礎には合理性がなければなりませんから、相対的にキリスト教あるいは宗教の位置が低くなり合理的精神というようなものが形成されるはずです。英国で、カトリックでもプロテスタントでもない、英国国教会が成立したのは、表向きは時の国王ヘンリー8世が再婚するときに、再婚を認めないカトリックと対立したから、ということになっていますが、根底にあったのは、地中海世界に起源を持つキリスト教の価値観が辺境である英国には、そのままの姿では通用しなかったということでしょう。この英国国教会が成立するのが16世紀で、17世紀には欧州のどこの国よりも早く市民革命が起こり、18世紀にはやはり先頭を切って産業革命も起こり、その後、世界各地に植民地を築き、 というようにどの国よりも先に新しいことを始めてきた先進性は、結局のところ、辺境で生き延びるための必然だと言えると思います。

対する大陸諸国は、英国の覇権に対抗すべく、時の権力者が己の地位を守るべく、軍事力の強化と対外進出の活発化を図るわけですが、英国のような科学技術や資本の蓄積が無いので被支配者階層に対する徴税などの収奪を強化することによって賄うしかありません。 科学技術と商業によって市民階級が財力を持って、しかも彼等がその財力をさらに充実させるべく投資を行った結果として、あたかも自己増殖するが如くに国力全体が成長した英国とは大きく異なるところです。

例えば、フランスの市民革命は、そうした王権による収奪に耐えかねて市民が蜂起した結果です。革命の目的が現状の窮状を打開するということ以外、思惑が入り乱れているわけですから、ルイ王朝が倒れた後も国家としては迷走を続けることにならざるを得ないわけです。 似たようなことはハプスブルク家のオーストリアやスペインも同じことですし、そうした混乱のなかで今日のドイツやイタリアが統一されるのは19世紀後半です。

科学技術という点では西洋は日本よりも先進的であったかもしれませんが、社会の成熟とか文化といった点では西洋も明治維新当時の日本も大差がない、と私は思っています。日本が明治に急速な西洋化という意味での近代化を成し遂げたのは、もともと大差がなかったからではないでしょうか。石の家に住むか木の家に住むか、洋服を着るか和服を着るか、というのは習俗の「違い」であって、先進性とか後進性ということを意味するものではないと思います。

結局、先手必勝ということなのでしょう。どこよりも早く市民社会が形成され、科学技術が発達し、貿易が盛んになり、富が蓄積され、富が投資原資となって、さらなる富がもたらされ、中産階級がますます繁栄するわけです。彼等は世界中の文物に触れる機会に恵まれているわけですから、いやでも物に対する鑑識眼が研ぎ澄まされ、その要求に応えるべく、彼等が使う日用品を作る 国内の職人たちの腕も上がるということではなかったのかなと思います。

だから、世界最高の水準を極めたはずの英国のクラフトマンシップが失われるのは、 第二次大戦後の英国の凋落と軌を一にしているように思われます。戦後、国際社会の中心が政治も経済も米国に移り、民族自決の動きのなかで植民地が失われ、日本やドイツのような新興国の勃興で工業力の優位性が失われ、過去の遺産だけが頼り、というと言い過ぎかもしれませんが、それが現実に近いような気がします。

○○さんが「回顧的英国」と表現されておられましたが、今の日本で「英国風」とされているようなライフスタイルとその小道具類は、今の英国にはなくて、過去を振り返らないと見つからないものが多いように思われます。

好むと好まざるとにかかわらず、時代には流れというものがあるように思います。英国が先頭を切って繁栄を極めた後の低迷期に入り、その後を日本も追っているような気がしてなりません。彼の国は「世界に陽の落ちる場所が無い」と言われたほどに栄華を「極めた」後の凋落です。日本はバブルの馬鹿騒ぎの後の凋落です。凋落の開始時点が違い過ぎるのが心配やら、情けないやら、困ったものです。

そういうなかで、自分が生きていかなければならないかと思うと、気楽なような気がしないでもありませんが、まだまだ希望があるとも思っています。 なんといっても世の中は広大なので、全体とか平均の姿に目を奪われるのは賢明ではないと考えています。私も人生が残り少なくなってきましたし、いつ終わるかわかりませんから、せいぜい我侭に心地よい場所を作って暮らしたいと思っています。

とりとめが無くなってしましまいました。長々と申し訳ありません。

熊本 熊

(以上、引用)