熊本熊的日常

日常生活についての雑記

Why before how

2010年07月29日 | Weblog
ハンス・コパー展を観てきた。コパーの作品は、製作手法としてはリーの作品と同じで素焼き無しの本焼き一本勝負。シンプルな造形もリーに通じるものがある。しかし、やはり表現というものはその人固有のもので、コパーの作品も一つ一つの要素は陶芸としては特に変わったところのないものでも、ひとつのまとまったものになると、彼固有のものが現れる。ひとつのものが角度を変えることで全く違ったものに見えるというところに彼なりのこだわりがあったように見受けられる。また、実用というよりは鑑賞用のようでもあるが、実用としても違和感が無いような微妙な感じも彼独特の味わいではないかと思う。実用と観賞用の大きな違いは、焼き物が主となることを想定するのか、焼き物が従となってそこに用いられる花や料理が主となることを想定するのかの違い、と言ってもよいだろう。引き立つのか引き立てるのか、役割の違いによって自ずと造形も違ったものになるものだが、そうした境界をあやふやにすることで、そこに深みを見出すことも可能なのだろう。

コパーはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アーツで講師も務めるが、学生には「どうやって作るかを考える前になぜ作るのかを考えなさい」と指導していたそうだ。戦間期のドイツにユダヤ人として生まれたがゆえに、多感な青年期に生存の危機に晒され、自分が何故生きるのかということを否応なく考えさせられた経験から出た考え方なのかもしれない。単純な造形なのに、見る角度によって違ったものに見える彼の作品に込められているのは、やはり、存在するとはいかなることなのか、という問いのようにも感じられる。