熊本熊的日常

日常生活についての雑記

盗人猛々しく

2010年07月06日 | Weblog
国税に「ノー」…主婦の訴え、税務行政揺るがす(読売新聞) - goo ニュース

年金方式で受給を受ける生命保険金に対して、これまで相続税と所得税の両方が課されていたのだが、これが「違法な二重課税」との判決が今日、最高裁判所で下された。生命保険金というと、それを狙った殺人事件が思い浮かんでしまうが、おそらく圧倒的大多数の生命保険は、自分が死んだ後の家族の生活を心配して掛けているものだろう。私は幸か不幸かこれまで死亡保険金を受け取った経験がないのだが、当然に無税だと思っていた。なぜなら、例えば給与生活者が保険を掛けるとすれば、掛け金は所得税と住民税とを納めた後の所得からやり繰りして支払うのである。そうして掛けた保険をいざ受け取る状況というのは、働き手を失って困ったことになっている人たちが少なくないはずだ。しかも、事故で亡くなった家族のものであれば、その喪失感は金銭には換算できないほど深いものだろう。病気で亡くなった家族のものであれば、看病や介護で既にそれなりの負担を抱えて後のことである。そういう人たちが受け取る保険金に課税するというだけでも非道だと思うのだが、ご丁寧に二重にかけるとは呆れて何も言えない。

私は常々、公務員というのはヤクザと同じだと思っている。暴力団というのは、末端の者はしばしば反社会的行為で市井の人々に迷惑を振りまくものだが、社会秩序の維持という点においては、それなりの役割を果たしているのではないだろうか。いわば、秩序維持のための民間組織がヤクザで、公的組織が行政官庁だという理解だ。表沙汰になれば、いかにもスキャンダルであるかのように報道されるが、現実としては暴力団と政治や行政との交流は常態として存在していると考えるのが自然だろう。何がどう変化したのか知らないが、ここ数年、警察が暴力団追放に躍起になっているという話をしばしば耳にするようになった。おかげで歌舞伎町などはずいぶん様相が変わったそうだ。ところが、暴力団の抜けた穴を警察やその他の行政が補いきれるわけもなく、そこに非日本人の困った組織が蔓延りだして却って厄介なことになっているという話も聞こえてくる。

「お役所仕事」というと、形式主義で融通の利かないことを指す否定的な意味に使われることが多いが、地方自治体とか国家行政というような巨大組織を動かすには形式主義でなければ機能しないのである。私が子供の頃は郵便局の局員だの国鉄の駅員だの役場の窓口だのに居る人というのは、妙に威張り腐っていたものだが、近頃の公務員はこちらが恐縮してしまうくらいに腰が低い。現場で働く個々人の公務員は職務に忠実で、少なくとも私の個人的経験に基づく限りは例外なく親切だ。いったい、いつごろからこのように変化したのか、何がきっかけだったのか、今となってはわからない。国鉄は民営化が契機となって組織が変わったのだろうが、郵便局は民営化前から既に変化していた。実家の近所の郵便局では、少なくとも私が中学生の頃までは、ひどく横柄な高齢の女性局員がいて、その態度に腹を立てた客と言い合いをしている姿をしばしば目撃した記憶がある。しかし、官公庁の窓口へ足を運ぶ用件というのは、そうたびたびあるわけではないので、国鉄と郵便局以外は記憶が連続していない。

末端の現象面の話はともかくとして、この国には「泣く子と地頭には勝てない」という精神風土があるのは確かだろう。言葉遣いや態度が慇懃であっても、親方日の丸が背後についているという意識は公系の人たちにはあるのだろうし、そういう意識があるからこそ、保険金に対する二重課税という発想が生れるのである。

保険金ではないが、私個人として、どうも納得しかねることに現在遭遇している。国民年金なのだが、ロンドン滞在中の2007年9月から2008年12月の分に対して支払えというのである。国民年金は日本国内に居住していなければ支払義務は無いと思っていたので、その旨の問い合わせをしたところ、「日本国内に居住していない場合でも、住民票が日本国内にある場合は納付義務があります。」という返事だった。しかし、日本を発つ前にそれまで住民票を置いていた自治体には転出届を提出しているし、帰国後に転入届を出した自治体が発行した私の住民票にはそれ以前に居住していた場所は「海外」とある。この期間、私の住民票は日本のどこにあったというのだろうか。

余談だが、国民年金の納付に関しては「もしもしホットライン」と名乗るところから電話があり、高齢の男性の声で、慇懃ではあるが高圧的な物言いで支払うことを要求された。「もしもし」自体は三井物産系の上場企業で、知り合いのなかにも学生時代にここでアルバイトをしていたという人もいるし、仕事の関係で代々木の事務所に何度かお邪魔しているので、よく知っている。しかし、私のところにかかってきた電話の主は、コールセンターの社員というイメージとは程遠い、コワイおじさん、という感じの声で驚いた。

こうした電話があってもなくても、お上に楯突く気などない小市民なので、粛々と毎月少額ずつ国民年金を納めている。わが国の年金制度は現役世代が年金受給者が受け取る年金を賄うというものだ。今、年金を受け取る人たちの血と汗と涙があればこそ、我々は今日の取り立てて不自由の無い生活を享受できている。それを思えば、納めないわけにはいかない。毎月給料が入ると、納付書を手にコンビニに赴く。心の中で手を合わせ、「ありがとうございます」とつぶやきながら納めるのである。あと2ヶ月で納付完了だ。