くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

MITO-Uと会食。

2018年09月24日 | Weblog

■MITO-Uは活動始めたばかりのコンサルタント会社。代表者のズオン弁護士の他にもう一人日本人弁護士がいて、くしはらさんは弁護士ではないけど日本の法科大学院を出てベトナムの弁護士研修も終えているそうで、3人体制でこれからいわゆる弁護士法人も立法過程にあるそうなので、これから法律事務所の体制ができつつあるそうだ。なんだ、そうなのかハノイで大手法律事務所なんて言っているのは正確にはうそっぱちなんだ。弁護士法人すらまだないのだから、、。皆とてもいそがしそうでやっと食事の機会を持つことができた。

ズオンさんはメールで民族博物館近くのラオス料理店を指定。屋台常連の兄ちゃんがバイクを出してきてにわかセーオム。本当はGrabのアプリを動かしてみたかったのに、、。少し遅れる連絡があったので先にビールとサラダを注文。このサラダはメニュの最初にあったので選んだのだが、その辛いこと、、。後で聞くとラオス料理で超激辛NO1だった。

くしはらさんとズオンさんが来て話しが始まった。国民健康保険は日本で住民票入れときなさいということだが、、、。70歳では民間の保険がなく、観光ビザでカードの海外旅行保険を使うつもりだというと、長期滞在だとわかると旅行保険は出ないかも、、そうかもしれない。非営利法人所属で業務ビザを取る話、、非営利かどうかは関係ないができるようだ。でも3ヶ月も6ヶ月もおんなじだ。僕はビエンチャンの別荘を楽しんでるから、、もちろん学生ビザが本命なのだが、なぜ大学院かというと、実習生サポートを続けたいためだ、インタビューでベトナム語力を向上させたいからだ、と話を続けた。

くしはらさんによればベトナム側の問題は選別だと言う。実習生で送れない日本語レベルを留学生で送る。その留学生が化粧品を万引きしてベトナムで売る。最近の留学生の急増による問題悪化の危機意識はとても共感できたようだ。彼らの実習生・留学生をサポートする活動を展開しているのはズオンさんのお姉さんでベトナム語環境のみで手探りの状態だと言う。日越同じ問題意識を持ちながら日本はメディアの影響もあって問題意識が高いがベトナムでは日本人の関わるこういう忙しいところがようやく問題意識を持ち始めていると言う状態だ。いくらベトナム人の犯罪が増えているといってもベトナム側では反応が鈍い。一般の人にとって見れば心配してもどうにもならない問題で、それは政府が考えることで一般人は自分の明日が大問題、日本に働きに行きたいという気持ちをさえぎるものは何もない。日本語力が足りなければたくさん借金すればいいと考えるのかもしれない。親が借金して子が返済する。それが子のため、親のためになるという家族意識、、この辺がポイントかなと思う。

通訳としてのくしはらさんのベトナム語のポイントを聞いた。ベトナム語の難しさは発音だけ。3ヶ月ベトナム語づけにならないと聞こえてこないと言われた。法制度は大陸法だけど選挙による国会の立法ではないから自ら決めた規則を守るという規範意識は育ちようがない。学会は組織内でしか作れない、

ベトナムでは自分で作り出すものがない。サムソンがベトナムで作り、日本企業がベトナムで作る。しかし作ったものはベトナムのものではない。活況を呈しているのは不動産業だけだ、、なるほど、、。とてもいい話が聞けてよかった。

僕がバスとアプリの話をしたら2人とも知らなくて僕がびっくり。くしはらさんバスに冷房が入っていること知らなかったし、ズオンさんアプリでバスの現在地表示を目を丸くして見ていた。僕が福井出身だというとズオンさん敦賀や東尋坊、永平寺に来たことがあるとのこと。帰りはタクシーで乗せてもらってきた

 

 

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潤一来越

2018年09月22日 | Weblog

■公認会計士の潤一が来たのでシェラトンに会いに行く。7,8年ぶりだろうかもう50近くでまだ独身というのが意外だった。なにかニューヨーク時代の友人はみな一人なのかな。誰も結婚したうわさを聞かない。

文廟を見て、旧市街を歩いて疲れ果てる。彼は映画のビデオを探したりしていた。ホアンキエムの東というとあまり食事処がないが日本食レストランで食事。顧客の招待でゴルフに来たそうで、仕事ではなさそうだ。また来るといって別れた。

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営業復帰

2018年09月18日 | Weblog

■買い物に出た。出ようとした。屋台でこの前までここで店をしていたトンが来ていて呼ばれた。なんと廃業かと思っていたニョウがいるではないか!そこでぴんと来た。そうか、トンと一緒に続けることにしたんだ。でも、利益が半分づつとしてもその利益がでないのだから所詮無理だが、、、。とにかく、いつもどおり50kのチャンリャオを注文してお茶を濁す。というのは、このところ彼女のところでブンダオを食べてない。やはり向かいのクアンの食堂のご飯がおいしい。同じ30Kならご飯のほうが栄養のバランスもいいし、、、。

久しぶりにインドシナのATMでお金を下ろしてメトロのスーパーへ行こうとした。バスでスーパー近くのバス停で降りたがスーパーは道の反対側。折りしも夕方5時ごろと言えばラッシュの真っ只中。どうして反対側に渡るかは至難の業。まず、中央分離帯の乗り越えられそうな場所がわからない。なにしろ通行が絶えないので分離帯が見えないのだ。しかしである。女の子たちはその流れの中に入っていく、、そこだなと思ってそのあたりで車の流れにはいって、、いつもは交通量がない分高速で走る車は、この渋滞の中でのろのろ運転。その隙間を縫って中央分離帯にたどりつくとちょうどそこに隙間があって。。。意外と簡単!

スーパーで太いTLのボールペンを探す。0,8ミリしか見つからなかったが2本入りを買った。ベトナムのボールペンはTLしか使い物にならない。でもTL社製のボールペンは芯のインクが見えずどこまで使えるかわからないようになっているのがセコい。できの悪いボールペンを今まで使って毎日テキストを書いて覚えていたので去年買った20本が残り1本になった。よく使ったなと思うが、これからはTLでやってみる。

ラーメン「出前一丁」と「辛」を買った。後者は日本でも良く食べた韓国製の激辛。いくつかベトナムのラーメン試してみるがおいしくない。ベトナムは屈指のラーメン消費国だが嗜好はちょっと、、、。帰宅するとニョーが待ち構えているのでもう一度50kのチャンリャオ。彼女にとって僕はもっとも大事なお客のはずだ。チャンリャオ2杯で100kdも払うベトナム人はまずいない。たった500円なんだけど。

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見送り

2018年09月17日 | Weblog

■今日はシー君が日本に出発する日なので見送りにノイバイ空港に行った。7番バスで行くからお金がかからないので、こういうことは全然苦にならない。午後7時のVNでホーチミンまで行って日本に行くと言う。5時の待ち合わせに3時に出かけた。この空港もようやくわかってきたが、結構わかりにくい。

5時近くに彼は来てしばらくすると一緒に来日する1人の仲間と子供を連れた奥さんと友人が来た。彼らはいずれも3年の実習生の経験があって今回は例の東京オリンピックの工事需要に認められた「特定」資格で行くことになるので2年間になる。2人とも鳶職。シー君は専門は電気工学なので電気工事関係につきたくて福井にいるときは僕も紹介したりしたこともあるが、見つからなかった。しかし今回は給料もいいからこれがよかったと思う。

障害のある2人の息子のうち上の子を奥さんが抱いて来るのだが、5つぐらいの彼は自力で歩けないし話せない。顔の表情をすこし変えることはできるが、目の動きだけがたより。手足の動きもにぶい。下の子はまだ病院だ。2人ともはじめは病院でチューブにつながっていたのだからだいぶ楽になったほうだ。シー君はこの子供のために働きに行くわけだ。

チェックイン後ゲートに入るまでの間すこし話していたが時間になったので別れてバスで帰った。バスは旅行客はあまり使わないようだ。86番のハノイ駅行きは36kdでこれだけは普通バスの5倍するがちょっと発着が便利かな。

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廃業?

2018年09月16日 | Weblog

■夕方食事に外に出ると、なんとニョーの店が真っ暗で閉まっている。さては、廃業かな?彼女にはここの営業が無理だと言ったのにきかなかったので、仕方なく見守っていたがやはりだめだったか。チェンリャオが飲めないのはさびしい。

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教師会

2018年09月15日 | Weblog

■起きたら11時。明け方まで起きていたから仕方ないか。3時の教師会に間に合うように1時半には出発しようと思ったのにバスルートアプリが働かずあわてた。午前中1時的につながったので治ったかなと思ったが不具合のままだ。会場の国際交流基金には38番と35番のバスがあるが北のHOANG QUOC VIET通りの停留所に行っていつ来るかわからない38番を待とうと思ったがセーオム(バイクタクシー)が声をかけてきたので小銭の有り金20kdで交渉しようとしたが全然ダメ。7,80K要求する。もう2時を回ったのでアプリが使えなくてバス時間がわからなあいのでとりあえず、すぐきた7番に飛び込んでCAU GIAYまで行く。するとちょうど49番が来た。チャンフンダオ通りの1本北のリトンケット通りを走るので女性博物館で降りて少し歩けば間に合うかもしれない。ようやく10分程遅れて到着。堀岡氏による求職情報の見方という話を途中から聞いた。

ベトナムでの雇用情報は僕には不要でも日越文化慣習の違いを巧みに解説されて面白く聞けた。ベトナムの会社で長く働いてくれるベトナム社員といっても、せいぜい3年だと聞くと唖然とするが、なるほどと納得する内容だ。給料が上がらなければ転職したほうがキャリアが付くし、スキルが上がらないなら新しいところで心機一転したいと考えるからだ。実際はスキルを上げるまえに飽きてしまい転職するから給料もあがらないのだが、、。でも雇用する方としてはつなぎとめるために給料は上げなくても従業員の家族に会社が誠意を見せると家族優先のベトナムでは効き目があるという。転職時期はテト(正月)なので会社も休みで従業員が故郷に帰っている時に社長はそれぞれの従業員の家族を訪問し挨拶してまわるのだそうだ。日本とは違う人間関係がとても重要なのだ。

日本人がベトナム人を雇用するとき、いうこと聞かない、約束守らない、ホウレンソウできない等のストレスでつぶれる日本人は2割いるそうだ。楽観的(ポジティブに計画する)に行動できないと楽天的(計画さえ立てない)な彼らを使えない。日本人にありがちな感情的な怒り方に彼らは非常に傷つく。枠にはめたがる日本人的発想はあてはまらない。計画を立てても対応できない戦争、災害の歴史風土に生きてきた彼らの生き方を日本人の枠にはめようとしても無理なのだ等々、、。

次期会役員の推薦に困難があるらしく自薦を求められた。1人の女性が挙手して無職なので時間があるからと言って、、、やはりここも人材難なのか。

懇親会の席は新しい人が多く、いろいろ面白い話が聞けた。お開きになってすぐにビンコムセンター前バス停に駆け付け38番バスに乗ったのが9時半。この時間でも間に合うのだと思ったのもつかの間。ありゃ反対方向が終点?遅すぎて最終は普通の便とちがったようだ。その場にいたクラブのセーオムと交渉100Kで走り出す。あれっ道の両側に湖!なんとリンダム湖だ。ハノイ市の真反対方向まで来ている。

ファンバンドンの家の近くに来て中央分離帯が工事で道の反対側にはずっと大回りをしないといけない。大回りをしたが中央よりの車線と端の車線間の工事の切れ目がなくて、うっかり中央よりの車線に入ったのでまたまた家を素通りしてマイジック街まで行ってしまった。あれあれ、仕方がない。夜中のマイジックの細い迷路を右や左や、、ようやくたどり着く。件の運ちゃん追加料金をねだられた。これだけ走ったのならやむ得ないかな。でも財布の中は小額紙幣のみ20kもなかったが全部あげた。何を感激したか、件の運ちゃんいきなり僕をスマホで写真を撮って、握手してわかれた。 

 

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「日本語で話そう」再開

2018年09月14日 | Weblog

●ベトナム語クラスの同窓会のメールを出す。

FB「日本語で話そう」をずいぶん長い間放置していた。投稿しろというメッセージがきたので再開することにした。ここで日本語を教えることもできる。

久しぶりにテキスト最後の16課をする。

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ハノイ着

2018年09月13日 | Weblog

●早朝カウチェオの国境出入国管理事務所について事務所が開くのを待つ。ベトナムとラオスの入管事務所の関係がようやくつかめた。2事務所は数百メートル離れた場所にあったのだ。バスが通関している間にわれわれはテクテク歩いて事務所に向かうのだ。

手紙でもらったビザの申請は写真つきの申請書を書かなくてもパスポートに処理してもらえることがわかった。

コロラドから来ている兄ちゃんが食堂にかかっていたバイク用のオーバーオールが欲しくておばさんに200ドルでどうかと言うのだが言葉のわからないおばちゃんはノーというばかり。ちょっと話してあげればよかったかな?知らない兄ちゃんでも200ドルはないでしょ。

ハノイのヌクガムターミナルに着く。なんとか市内バスに乗れたのだがアプリのサーバーがはたらかない。

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ビエンチャン発

2018年09月12日 | Weblog

●夕方5時の迎えの車でバスターミナルまで行く。すると、客引きの男がハノイ行きを探しているので初めわからず相手になっていたら僕のチケットを誰かがもって行ってしまいわからなくなった。客引きのバスではないとわかったので僕のチケットを持ってあらわれた男のバスに乗った。下のフロアの席には入れてもらえず上の座席に、しかも横にも兄ちゃんが来て、、この兄ちゃんの良く寝ること、、。トイレ休憩にも起きないのでその上を通って通路に出るのも大変。

休憩に外に出るときバスのスリッパがない。やむなく裸足で、、、。

夜中トイレ休憩、、外に出ても何もない。バスの隣で立ちしょん!!

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4日目・夜市

2018年09月11日 | Weblog

■この国が思いがけなく小さいことにやっと気が付いたがそういえば仏領時代フランスはあまりに遅れているので初めからこの国のインフラ整備や教育に全く手を付けなかった。何の利益も考えられなかったからだ。日本が最初の海外青年協力隊がはいったのもこの国。ベトナム戦争で実際に戦禍が多かったのも、現在不発弾処理の残っているのもこの国。ベトナムとはまた違った観点から将来が面白い国ではないかと思う。

宿の隣に新しいレストランができたのでこれは便利と思い入ってみた。メニューは1品しかないみたいだ。出てきたラーメン風は最悪!ベトナム料理で嫌いなものばかり入っている感じ。

タラートサオ(朝市)、タラートレーン(夕市)、タラートなんとか、、とにかく市場が多い。近くの中国市場と称するところへ行こうとしたがどうも見当たらない。道端がずうっと市場みたいな感じだから、、。車の修理工具や部品みたいなものがやたら多い場所だ。そのうち小雨が降り出したので帰ることにした。

最後の夜なので夜市に行くことにした。不思議なことはいつもここだけは人がいっぱい。メコン沿いに露店を見ながらあるくと知らないうちにアヌウオン像まできてしまう。またてくてくと露店市を歩いて戻るうちについ色々かってしまう。カッターシャツ、アイホンのケーブル、ベルト、小さい像柄ポーチ合わせて1700円ぐらい。

タイとラオスの国境がメコン川だという理由もかってのシャムが支配していた地をフランスが武力行使でメコン東部をもぎとった所以。ルアンパパーン王国を傀儡としフランスはここメコンのほとりに行政中心を置いた。メコンは物流だけでなく生活の中心なのだろう。ベトナム、カンボジア、ミャンマー、タイ、ラオス、中国の6か国を流れる東南アジア最大の川。ベトナム名ではクーロン(九龍)ともよばれる。福井の九頭竜川とちょっと似ている。

帰りに前回見つけた豚スープ屋にはいって小を注文。(ここのメニュは大と小の2つだけ)ハノイのフォーと似ている。ただし、フォーは牛肉と鶏肉しかない。

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