◾️パートナーを変更したいと言う林さんの気持ちはわかるが、国家大の方が私立より規制が強そう、パコムに行って担当のTrangさんによると私立の日本語センターはダメだと言うことでPhương Đôngを続ける理由を探したらどうか?と提案。ではBing学部長と話してくれないかと言うことになった。僕としては、外国人教師のいないphươngĐôngに日本から教師招聘するプログラムを提案するつもり。海外NGOは外国からの寄付は受けるが国内からの寄付は受けられないと言う全く自国の利益優先の制度、なんでこれがNGO?の感があるが、何かに使えそう。まず、年金生活の先生でベトナム生活を楽しみながらボランティアをしてくれる人を探そう。当方に給料を支払うお金はないので副業アルバイトをしてもらうことになる。こちらの学校の先生方はほとんど臨時アルバイトみたいだと知った上での教師招聘プロジェクトだ。僕が学部長と話してみると言うことで林さんは帰国することになった。
◾️連休前、最後のタイン先生の授業が終わると林先生が迎えに来てくれてハノイ司法省(sở tư pháp T.P.H.N)に行った。営業時間は8:00−11:00、13;30−16:30受付は30分で満杯になるとか。ここで無犯罪証明 Lý lịch tư phápの申請をするがパスポート、ビザの他、地域の公安から居住証明がいるのでLong Biênの公安に行って担当者を待つこと1時間余り、ようやく現れたHuyさんは私の家にきて契約書を見るなり、5月4日に転居しろと言う。明日から始まる5連休明けの日だ。外国人は居住できない地区だとのことで、林さんがまくし立てた結果5月11日になった。やばい、思いがけない薮蛇だった。タイン君に連絡して家主に相談することにした。林さんにモールまで乗せてもらって別れ、ヨガ水泳の後、タイン君に連絡し、家主からタイン君と一緒に住めば問題ないと言われたと聞く。ちょっと不確実性も残るが、一安心か?
無犯罪証明は申請後2週間くらいで発給されるようだ。しかし労働許可申請にはまだ7種の書類が、、、。
◾️夜、ルネスのヨガから帰ると戸口であの管理人が2通の封書をさも自慢げに手渡してくれたのでOKありがとうと言った。銀行からの封書による報告を有料化すると言う内容と、年金機構からの年金送付通知で、4月17、18日のヴェトナム着の消印があった。ベトナムに着いてから1週間経つ訳だ。宛先の電話番号がなくても届いたことに感動!あの管理人がとにかく僕の帰りを待っていたかのように手渡してくれたことに感動!あいつWi-Fi止まった時もちゃんと対応してくれた。当たり前のことだが、あいつちゃんとできるのかもしれない。
以前、WiFi止まった時、ちゃんと翌日電話してきて、その時はイエン先生が取ってくれて、WiFiの様子見たいから合鍵で部屋に入ると言うので先生がOKした。おい、おい、いつも勝手に入っていたんじゃないかい、、と思いつつ、ま、いいか。そう言えば、キーが変更になるって時もちゃんと電話してきたっけ。聞いても彼のベトナム語わからんから人に聞いてもらったが、いつもタインやビッちゃんを通して電話しないで直接かけてくるようになったのは進化だ。
◾️林先生が夕方訪ねてきて2人で日越大学のベトナム人日本語教師研修オンラインコースを見た。このコースの主催が古田、宮崎先生なので我々のプロジェクト設計に何かヒントはないかと思った。林先生は月末帰国して考えて見ると言っていた。時間はあるので僕もゆっくり考えなおそう。
昨晩、WiFiが落ちたので朝、管理人に電話して、オンライン授業を受けるために近くの68Cafeでコーヒー注文してzoomした。ここ初めてだが客が少ない、てかこの辺は皆そんな感じかな、店外で客が集まってるところはたくさん見かけるが、、。多すぎるのかな?。
先日から掛け時計が止まり、電池を入れ替えても治らない。近くの電化製品修理店に持ち込むが断られた。あきらめ半分で自分で分解して秒芯を引っ張ったら動き始めた。やったー。
午後にWiFiは繋がり、突然入室してきた管理人が、修理が来てるぞと言う。電気水道をチェックして、まだ浴室が汚い、掃除しろという。もう〜、、と思うが月1くらい掃除してもいいかなと思い直す。ここは排水がうまく流れないというと、わかっていると言う。それでも、分かってるのか、、。
5時に電話して下の事務室で賃料500万ドンとユーティリティ65万ドンくらいを支払う。
◾️林先生は僕のビジョンにはやや否定的な見解を示し、JICA草の根プロジェクトのコミュニケーション検定を主題に応募したいという案を出した。内容はわからないが、彼は相当困っているような気がする。そこで僕のストレートなプロジェクトを構想してみた。年金生活の元日本語講師でベトナムでボランティア日本語指導をしながらベトナムで長期滞在してみたい人にビザを出してベトナムの学校で教えてもらうのはどうだろう。ベトナムでの年金生活、日本語教師編。野口さんの文科省派遣プロジェクトは安倍首相が亡くなり、なくなってしまうのは惜しいので、民間でやるにはこういうのどうだろう、、という構想なのだ。日本語教育自体とは離れるので僕の個人的プロジェクトとして、、と思ったら彼も同様な構想した事があったという。
◾️ゴミ拾いに野口さん紹介のJR研修の人が来た。彼自身は旅行とか、、。
二ノ宮さんが日本料理店主からの寄付金の分配に来た。こちらのメンバーが意外と多いと思った様子。今日はあのフォンガーちゃんも来てくれたので嬉しい。マスク美人の16歳の中学2年生。2、3週姿を見せないのでやめちゃたかなと思った。彼女をボランティアマスターに育ててみたいと思うから、、。
林先生の報告の返しで僕のNGOプランを整理してSNSした。パートナー候補として日越大学で古田校長に直訴してはどうか?二ノ宮さんに日本経営を講義させる内野先生を仲間にして、スピーチコンテストに加え就職支援、ガーさんの児童教育イベントさらに教師育成研修セミナー開催、講師招聘など夢は広がる。
■高田君が結婚するので来週の土日にクアンナムのハロンに行く事になった。16人だかマイクロバスで行く準備はタイン君がする。僕はダット君と一緒にイオンモールからのることになって、ひさしぶりにダット君と連絡をとった。ちなみに、明日のゴミ拾いに誘ったが行かないとのこと。
昨晩は東京のティエン君から連絡があった。彼はベトナムの彼女から日本人の恋人ができてふられたショックで茫然としていたようだが、今は仕事に某中して忘れるようアドバイス。3回目の連絡の昨晩はあまり話すこともなく。彼は仕事、僕は調理。
その時始めて牛肉コマでマーボ豆腐を作ってみた。やはりマーボは豚コマだ。
◾️林先生がゴミ拾いに来てくれてガーさん、野口さんに共同事業可能性の話をした。ガーさんはまだ説明が必要。野口さんは時間が必要、と言った感じ。文廟に行って西山さんに決裁実務の話を聞いた。その後先生の家(172Ngọc Hà)にいくと、1年生のヅウさんとハンさんが待っていた。共同台所でお好み焼きを作って居間フロアで食べた。大きなフライパン2つで4人分は十分。1つはうまく返ができず、ボロボロになってしまったが、お好み焼きソースのおかげでなんとか美味しく食べられた。彼女たちを教えられなくなるね、というとオンラインで続けたいようだ。僕を去った佐久間さんの代わりにスタッフ登録させたいようだ。無給で働けると言えば僕ぐらいだから、僕も乗り込まざるを得ない。