くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

旅の総括

2012年06月29日 | Weblog

■出発の早朝、小高、小張が食事とタクシー手配を準備してくれた。出かける前に先般癌で亡くなった老張の遺影の前で手を合わせた。

彼が日本に来て僕と初めてあった時、彼は僕が初めて話す日本人だと言った。僕は普通の日本人とはちょっと違うかもしれない、というと彼も自分も普通の中国人ではないと応じてくれた。僕とは5、6歳ぐらい上だと思うが、戦時中は日本人を殺すことが最大の喜びだったひとがいるから年配の人と話すときは気を使うときがあったのだ。彼は日本の娘の相談相手として僕を信頼してくれるところがあったとおもうので言葉が全く通じなかったが気持ちは通じている気がした。

ちゃきちゃきの上海人で初めて上海に行った時、来て初めて覚えないといけないことは道路の渡り方だと言って、手をとってびゅうびゅう車の行き交う車道をゆうゆうと横断することを教えてくれた。もっと漢語でいろんな話が出来るようになってから一番話したかった人だ。「老張、我来上海、叫ニイ謝謝、再見。我再来上海。謝謝。再見」と話しかけて家を出た。

小雨の降る上海から小松空港に降り立つと真夏のような暑さで意外な気がした。とにかく疲れた旅だったが総括をしてみよう。

僕にとってこの旅の目的の最大の効果はiPhoneの利用を確認できたこと

①世界中のどこでも国際電話をかけることができるのだが、旅行中でもないと実際に試す機会がないのかもしれない。
②写真やビデオが旅やサルサの記録に不可欠であるほか「メモ」機能がとても便利だった。地図、予定表、住所連絡先などの他、バス停の路線表と停車駅を写真メモすると下車駅を間違えなくてすむ。
③旅に地図はつきもの。GPS機能の威力は最高。
④ネット検索で情報検索、僕はSiriよりGoogle音声認識のほうが利用しやすい。
⑤世界時計とタイマー、そして各種アプリで
⑥日中辞書
⑦FastFinga(手書きメモ)で指で漢字を書いてもらう。そして買い物には
⑧カレンシー換算は必須。さらに
⑨懐中電灯ソフトや
⑩コンパス、、とこれくらいは常時使用する機会がある。iPhoneなしではなのもできない。

一方で充電の問題がある。お金が足りないより電池残量が気になる毎日だ。次にメモリー確保。サルサワークショップで録画ができなかったのは悔やみきれない大失敗だった。メモリ残量が少なくなったらPCにデータ移動するなどの管理をしておくべきだった、、。そしてデータローミング。GPS地図とウエブ検索は集中して行い、その他は忘れずにオフにしておく、、みたいなところだろうか。

ネット喫茶みたいたところにも行ってみたかったな。

サルサについては、、一言でいうと疲れた。3日間、ワークショップ、パーティとアフターパーティで朝の3時4時まで、、疲れます。

グローバルな大会の進行役には韓国勢の活躍が目立った。皆、ネイティブ並の英語で見事に仕切っていた。日本勢がまさのりペアのパフォーマンスとロドリゴのDJだけでは少しさみしい。日本人の参加者も少なかったし、、、。ワークショップは皆ハイレベルで良かったし、いちど見てみたかったスウイングも体験できた。

三番目は上海の過去と現在に触れてきたこと。

土山湾博物館は中国の西洋文化芸術の入り口を展示しているがここは万博の予算で造られた。万博の2年前に来た時、上海は遠い北京のオリンピックより地元の万博といったムードだった。万博のときは長い待ち時間でうんざりしたものだが、その2年後の今、万博に間に合わなかったメトロも開通している。年間の予算を残さないように無駄な工事をするような国とは一味ちがう長期な視点で都市づくりが進行している気がする。その結果、中国の伝統的食文化さえファミレス、コンビニを産み、若者は洒落たマクドで食事するようになった。街なかで日本語で答えてくれた若者もいたし、にうにうみたいに漫画を書いたり、アニメはワンピースのファンだったりする。こんな日本文化の吸収力にも上海のバイタリティを感じる。肉体的には疲れた旅行だったが、精神的にいつもエキサイティングな気合を入れてくれる街だと思っている。

最後に言葉のこと。
そんなに今熱心に勉強してなかったが本当に聞いてもわからないし言っても通じないもんだ。まあ、気長にやるしかないか、、、でも、1人旅ができたのは成果だ。今回、ゆっくり回ってみたかった杭州、西湖も次回しっかり見てこよう。

 

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西湖1日ツアー

2012年06月28日 | Weblog

■早朝7時半にホテル前から2,30人の団体ツアーのただ1人の外国人としてバスに乗った。
代表的な西湖の観光地点である平湖狭月、柳浪聞鶯、雷峰夕照、花港観魚、龍井問茶、南屏晩鐘とかいうプログラムになっているが、どこがどうなっているのかはもちろん詳しく知らない。

ガイドはショートカットで白のホットパンツのまぶしい女性で、僕のことは中国語がわからないことや、途中で1人離脱する事情は知らされているようだがガイドの説明は全くわからない。おりしも上海は梅雨期でこのところずっと雨が続いている。みんな傘をさし手にカメラを持ってぞろぞろガイドについて歩く。湖畔の庭園はきれいに整備されていて綺麗なのだがどこも同じような感じで説明がわからないのでは味気ない感じだ。すると、中学生ぐらいの子供たちが興味を持って「アンコーアンコー(uncle?)」と話しかけてくる。話が分からないと知ると「このおっちゃん聞くのはダメだけど書けば読めるよ」といって携帯で中文を素早く打ち込んで見せるのがすごい。年配者はにこにこ優しいのだがなにを言われてもわからないので話が続かない。子供たちは生意気にも皆男女のペアで来て、もうそろそろ集合時間だから、と言ってもまだ時間があるからいてあっちへいこうこっちへいこうと誘ってくれる。

昔、ルーマニアを旅行した時を思い出した。年配の親は英語が話せない人が多いが小さい子供たちの英語力はすばらしく、デジカメで写真を取ってみせると群がってきた。大人同士話がわからなくなると子供を呼んできたものだ。昔からどうも僕は年寄りと子供には好かれるタイプみたいだ。

そのうち高校生とおぼしきポチャリした女の子が英語で話しかけてきた。英語の勉強に話したいようだ。彼女は黄南希と言ってどうも受験に失敗したらしく母親と二人で旅行にきたという。2人ともいろいろ気を使ってくれて一緒に行動した。自由行動時間になると集合時刻を言うのだが聞き取れない。ガイドは僕に携帯で数字を打って見せてくれる。自由時間が終わると集合場所に戻らないといけないが、遅れてくる人が必ずいる。似たようなグルーがいくつもあって似たような人がいっぱい動いているのでちゃんと知っているひとのそばにいないとすぐ迷いそうできがきでなく、正直、観光どころではない。その点、彼女たちや子供たちには助かった。

西湖の観光船に乗って景色を楽しんだが、僕の予想した青く透き通った西湖とは似ても似つかないただの湖だった。パナマ運河を登ったところにあるガッツン湖が丁度こんな感じだったかな?きっと雨の日と晴れ上がった天気のときとは違うんだろうなと思う。手漕ぎの人力船で行く西湖の夜景が素晴らしいと聞いていたがあいにく昨夜は雨のためやっていなかったとのこと。

とある公園になんと福井との友好関係で作られた大きな石碑が2つあった。酒井市長の名前が入っていた。鈴木さんが自分たちで造ったと言ってたあの公園のことだなと思った。たしかにここには大阪に並んで福井をしっている人がたくさんいるようだ。

1600年に建立されたとかいう大きな寺を見た後の自由時間に好物のZongzi(ちまき)を買って食べた。小黄は粉条(はるさめ)を食べていた。午後の観光が始まるので皆がバスに乗り込んだが、ぼくはここで終わりだ。3時発の上海紅橋行きの列車に乗らないといけない。皆に別れを告げてバスを降りる。ガイドが携帯に21と打ってここに行くように指示し、さっさとバスは行ってしまった。あれっ、旅行社の人が車で迎えに行くって言っていたんじゃあなかったっけ?指示されたバス停には21番という路線がない。21路という所なのかな?、、、もうわからん。まあいいか時間も十分あるしタクシーで火車駅へ行く事にした(30元)。

昨晩は直接西湖に行ったので、結局このとき初めて杭州市を見たということになる。詳しく調べていないのでどこをどう動いたのかわけがわからないまま。本来なら僕の旅の形態をなしていないようだけど、誰の助けもないまま一人旅ができた、ということは一つの成果だ。当初、小高も小張も交通費と宿泊費だけで600元はかかると言っていたがトータルでそれ以内の予算で抑えることができた。これには驚くかもしれないぞ!!

こんどこそゆっくり西湖見物と杭州めぐりをやってみよう。あまりにも自分の漢語が未熟なのを思い知った一方で、これで一人でどこへでも行けるという自信も付いたみたいだ。

杭州駅も上海駅と同様な構造をしている巨大な駅だ。チケット売り場には膨大な数の人が並んでいる。席は指定だし列車も立派だから中国国内旅行はこのチケット購入が1番大変なようだ。旅行者の人が一緒に連れて行ってくれたところのように簡単に買える場所があるようだが、、、。出発時間までに間があったので駅のファミレスで、いわゆるカレーを食べた。日本風で悪くない。時間もかからないし、わからんメニューを見ながらあれこれ悩むこともない。従来の中国での食事イメージはなんたら飯店で丸いテーブルで皆でわいわいいいながら、時間をかけて旨いものを探すみたい感じだったが、今風にファミレス、コンビニ、マクドですばやく済ませるのもいい。一人ひっそりと、、スマホ片手に、、ってのも悪くない。

上海紅橋駅行きの列車には充電用コンセントがなかった(iPhoneもつかな?)。昨晩、検索して、そこからメトロ乗換ができるようなことが書いてあったので隣のビジネスマン風の人に聞くと②番線に乗り換えられるとのことで安心。僕の携帯している2年前の交通地図には書いてない。今回本当にゆっくり出歩く時間がなかったので新しい交通地図を買う暇がなかったのだ。前回の上海は万博の時だが、その時ネットで調べると浦東空港から市内へのメトロが書いてあった。ところが、それはまだ出来てないんだが堂々と書いてある、、てのが上海風だった。いまは浦東空港も紅橋空港からもメトロが通じている。

明日帰国で早朝出発するからオミヤゲを買うなら今夜しかない。頭に浮かんだのが上海火車駅の待合室で物売りが売っていたおもちゃの駒。賑やかな音がしてピカピカ光り、光の輪を放つ奴。夜の外灘でよくやっているあれだ。そこで上海火車駅(いつもメトロ駅出口を間違えるととんだ方向に出て苦労する)のセキュリティーをわざわざ通って待合室まで行って物売りのおばちゃんを探す。いくらだと聞くと100元だという。一瞬、エッ、、でも疲れきっていた(本当に疲れていたんだ)ので判断力が麻痺してたんだろう、、いいや1つと買ってしまった。あとで聞くと1つ50元ぐらいだそうな、、。何事もお金についてはまず交渉する、これがこの国の礼儀だった、、。あぁ、、。

 

 

 

 

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杭州への一人旅

2012年06月27日 | Weblog

■朝はやく起きてiPhoneのデータローミングをオンにした。昨晩にうにうの部屋のインターネットを遅くまで使わせてもらって迷惑をかけたわりにはうまく情報収集できなかったこともあってiPhoneで旅情報を集める。FaceBookにも問題なくアクセスできる。(こちらのADSLではぼくのPCをつないでもFaceBookに繋がらないからクッキーの操作などではなく一般家庭の回線上の障害みたいだ。外国人が使うようなホテルでは問題なく入っているらしい。)

10時頃家から外灘に出てガソリン用に使っているクレジットカードを試して見ることにした。普通の銀行では外国のクレジットは使えないようで、隣のICBCに行くようにいわれた。ICBCのATMで使えるのだが暗証番号と6桁のPINナンバーが必要だが心当たりがない。仕方ないなるべく切り詰めよう。思わぬ出費があったこともあり、ちょっと資金不足の感じだから。

上海も梅雨の時期だ。雨の中をバイクや自転車で走るときはまるでテルテル坊主のようになるカッパを使うがこれは具合良さそうだな。

近くのメトロ駅を通りがかりの人に聞いて歩くがよくわからない。そこでiPhoneのGPSを入れるとマップ上に一目瞭然。道を人に尋ねるところからサバイバル語学習得の練習は始まるのだが、、、、。

メトロ駅の上海火車駅を出て上海駅に入るとまず荷物検査とゲートのチェックがある。上階は広い通路があってゲート番号ごとの待合室が続く、まるで空港セキュリティー並だ。ちょっとおかしいなどこで切符買うんだろう?と、チケットオフィスは完全な別棟になっているのだ。しかも別の自販機の棟が2つある。まず自販機を操作して買おうとすると人民カードを入れろという形になる。外国人はパスポートを見せて窓口で直接買わないといけない。発音が不十分でわからんということで、、またいろいろある訳だ。そうこうしてうろうろしてやっと買って待合室に入ると出発は3時ちょっと過ぎになる。これでは到着4時半ぐらいになるのでホテル探しで今日は終わってしまう。明日の午前に帰宅はちょっと無理だな!  

この上海火車駅というところはセキュリティ面で面白い構造になっている。切符売場と汽車乗り場を完全に切り離し、乗り場入り口を絞ってセキュリティチェックを置いて空港並にしてある。しかもその利用者たるや膨大な数に上る。上海のメトロゲートにはどこにもセキュリティチェックがある。中国の集団のアクセスコントロール、物流を管理するシステムには刮目すべき点が多い。各地に「なになに交通大学」があって高い評価をされていることと関係あるかもしれない。

「軟座」席(二等)といっても指定席だしとても綺麗で日本の特急と大して変わらない。車両前にビデオ液晶画面も付いている。ずごいと思ったのは各席の下部にコンセントが付いていて携帯の充電ができることだ。丁度心配になってきたところなので助かった。

杭州行きには高架高速道と言うのもあるらしいが遠いし不便だそうだ。列車の隣座席に座った若者と話すがなかなか通じない。しかし、西湖に行くと言ったら携帯で駅からのバスの便を教えてくれた。一時間半ぐらいで杭州に着き、出口まで歩く間に通路の壁にある広告のなかで、西湖の周りのホテルを地図に表示してあるものがあった。さっそくiPoneで写真にメモする。

改札を出るまえにデスクをおいて客の呼びこみをしている旅行社があったので相談してみた。ホテル代が1にん160元、西湖1日ツアーが20元という。これは安いな、と思って明日は午前中だけにして帰ることはできるか交渉してみた。英語の少し出来る男が出てきて送り迎えするからというので頼むことにした。まず、帰りの切符だけは買っておくことにして2人で改札を出てチケット売り場に行く。78元で明日の午後3時のものが買えた。あとで解ったことだが駅で切符を買うのが大変なのだ。人がぎっしりで、列を待つ時間が長い。その時値段がちがうのは杭州駅行きの速い予約が取れずに割高を買ったとばかり思っていたのだが、、帰りは上海行ではなく上海虹橋駅だったことにその時気づかなかった。彼が案内してくれたから間違い無いと思い込んでいたのだ。

待合室でほかの客を待ってマイクロバスでなんたら酒店(しまった、気がついたらホテル名のメモを忘れた)に言ってチェックイン。ここで238元払わされる。てっきり龍井茶の茶会の費用と思っていたが本当のところはわからない。内、100元はヤーチンだというからチェックアウトの時戻ってくるのだろう。

部屋の具合はいいが、TVのコントローラーが壊れていたり、トイレカバーがはずれかかっていたり、、4階の7,8室中僕の部屋ぐらいしかチェックインしてなくて、華やかなインテリアの割りに構造はおそまつ。もし大地震があればまず生きて帰れない気がする。

ホテルを出て食事に出る。紹介されたところは鼓楼城門付近の周記排なんとかというレストラン。ここで注文した料理はうまかった。青い野菜と椎茸の炒めもの、西紅柿風の湯にもう一つ注文したのがすごい。石の焼いた鍋に海鮮物混ぜご飯が入っていて、焦げ付かないよう汁をかけながら混ぜる。もういいのかなと思って湯の下に沈んでいるご飯を取り出したらまだ早かった。石鍋が再度ふつふつと沸騰してきて給仕の女性がまた水を加えてかき混ぜにくる。これが何回かくりかえされて後、中のリゾット風をすくい出して食べる。この3品で35元でお腹いっぱい食べきれない。大満足で外に出ると素敵なライトアップの瀟洒なおみやげ街がつづいて雨の夜にもかかわらず人通りが絶えない界隈になっていた。

全く知らない夜道をたった一人でホテルから遠く離れて安心してうろつき回れるというのは本当にGPSマップのおかげだ。iPhoneの威力を体感する。ここは龍井茶とシルク製品が特産でファッショナブルな店が並んでいてウロウロしているうちになにかお腹がおかしくなってきた。やばい!かえろう、まにあうか?

そうだ、着替えなんて持って来てないし、、、我慢してやっと部屋にたどりついてトイレに駆け込もうとした瞬間、、、あれれぇ~!!

この日の夜は手洗いしたパンツと靴下を枕元で干しながら裸でベットに、、。

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自行車が通る

2012年06月26日 | Weblog

■昨日はすっかり疲れて今朝5時近くに帰宅したので今日はゆっくりしたい。杭州行きは明日にしよう。西湖の夜景が見たいが日程は未定。

にうにうが小張と一緒にバトミントンをしに体育館へ行こうということになった。僕が真ん中で3人が自転車で市内の車道を走り回る。広い道路には端のレーンが自転車、バイク専用になっていてガードレールで車道と仕切られているところもある。そこを、パンパンに空気をいれた自転車でとばすのは気分がいい。日本では車が主で、自転車は影がうすいが、ここではびゅんびゅん車の走る広い車道でもすきをみつけてどんどん横断するような自転車王国だ。携帯で話しながらバイクや自転車に乗っているのも普通だし、我々も棒冷(アイスバー:これ結構うまい)かじりながら快走。体育館でバトミントンで汗を流す。

高架の下にたくさんの机があって年寄りがいっぱい集まって麻雀に興じている。その間を風を切って自転車がはしる。これが上海。

 

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事件発生

2012年06月25日 | Weblog

■今日のワークショップは別会場のクラスも取りたいと思って早めにでかけて場所を探した。サルサの他に以前からやってみたいと思っていた「スウイング」にも参加した。クラスはどれもハイテクニックないい内容だったが、ビデオ録画ができないというのでは、、、残念!5時間連続でしかも睡眠不足ではもう疲れ果てて、、。夕方、静安寺のマクドで食事。疲れ果ててテーブルでうとうとする。時間が近づいたのでワイタンまででてバスで行こうと思った、この日はお金を換金したくて2万円持って来たのだが銀行が閉まっていて換金できず、元が少ないので無駄遣いできないからだ。

バスを待っていると、妙齢の女性が近寄ってきて「新天地」はどこか知らないかと聞く。聞くと友人と2人で北京から旅行に来ているが上海がはじめてだという。なぜか僕が日本人だと知って時間があれば皆で一緒に行こうと日本語で誘う。僕はこれからパーティがあるから一緒には行かないが僕が来たメトロ乗り場まで案内するからと一緒に歩き出した。夏暁敏と名乗る日本語英語を操るなにやら金持ちそうな得体のしれない女性と一緒のほうがサルサよりいいな、と思ってちょっと喫茶店でその友人とやらを待つことにした。

メトロ駅近くの中国喫茶店(隣が上島珈琲だった)に誘われ「一般テーブルと個室とあるがどっちがいい」と聞くから「どっちでも、、」と言うと居心地よさそうな個室の方に入った。メニューをみると1番安い紅茶が40元でいやに高いなと思った。これじゃあ帰るタクシー代に困るかもしれないから、ちょっと話して別れようかと思った。いろいろ細かいことを聞いてくる。家族や、今どこで誰と住んでるか、どんな仕事をしてるか、、昔は事務所をもって仕事していたというと「それは社長さんでしょ」などと可愛く聞いてくる。とても64歳とは見えない、私はエステの仕事をしているから肌をみるとわかるヨ。パスポートみせて、、日本のおかねは見たことないのであったら見せて、、友達は学校の先生をしていてきっと気に入ると思うから紹介するわ、、といいながら電話をする。

すると大きなデザート皿が出てきてワインが2つ運ばれてきた。僕はこの1万円札しかないから、、というと今あんまりもってないけど換金してあげるよ、いくらになるのというから渡すと200元を渡してあとで残りは渡したいけど、もう私達友達だし北京に来た時いつも寄ってくれればいいから私にプレゼントしてよ、、などと言って自分の財布にしまってしまった。あれ~おいおい、、、。

みると又ワインが2つ来ていて盛んに僕に飲ませる一方、彼女は飲むフリをして机の下にこぼしているのを目ざとく見つけた。こりゃ~もしかして、、、。「ここは僕が持つからもう帰ろう!勘定して!」と言って1万円を取り返し勘定書きを見ると1100元!ん なんじゃこりゃ!マネージャーを呼べ!

私がマネージャーですと言い張る女性服務員と話しても2人で半分づつ払って下さい!私お金ないがこの人財布に1万円札もう一枚あったヨ、、、みんなぐるだ。俺は注文してない!、、やっと男のマネージャーが現れ、あなたの分は700元にしますから、、ということで1万円を渡すはめになった。あぁ、、。私も払ったらお金ないよ!帰りのタクシー代50元ちょうだいヨ!とわめく彼女を無視してタクシーでパーティー会場に向かった。タクシーで北京まで帰るつもりかい?バスなら2元だよ。

3日目のパーティになると来ていた日本人は皆帰ったみたいだ。今夜のパフォは日本のと代わり映えしないような感じに終わった。アフターパーティには先程着いて明日帰国するという女性が日本から来ていた。この日は生バンドでそういえば2年前の時も来てたな、、、。とにかく疲れた。

 

 

 

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ドラゴンシップ

2012年06月24日 | Weblog

■この3日は端午祭でドラゴンシップレースの日だ。テレビで竜舟レースを放送している。これは各大学が代表になっているのでイギリスのテムズ川のレースからの繋がりがあるのだろうか。端午祭にはzhong zuを食べるのがしきたり。こいつは上海で1番の僕のお気に入りで、肉いりもち米のおにぎり風を(lu wei ye zi)という笹の葉で包み紐で結んで蒸したもの。肉でなくあずきとピーナッツのものもある。路上で買って食べておいしかったと思ったのがきっと僕が最初に上海を感じた瞬間だったもしれない。

朝ご飯はこれと豆乳。サルサのワークショップに出かけるが、バスの乗り継ぎで行くより大連路からのメトロが速いと思ったので、とりあえずバスに飛び乗った。皆ここのバス停を出るものは大連路にいくはずだと思ったので、この便は運転手席の次駅停車の表示が消えていても通りの道路標示でわかるはず。ところが大連路を過ぎても止まる気配、がない。さっきの停車場を降りないといけなかったのか、と思ってあわてて中年女性ドライバーに「大連路で降りたい」と言ったが通じない。ターレンでは全くわからないんだ。地図をみせると「過ぎたか降りて」とドアを開けてくれた。その瞬間横に座ってたおばちゃんもあわてて一緒に降りてきた。わからんのは僕だけじゃあないんだ。

ようやくワークショップのある銀行の9階にある場所を見つけたときにはもうスピンテクニックのクラスは始まっていた。どのクラスもレベルが高くいい内容だったが、(もっともバチャンガという踊りはわけがわからんかったが)人が多くて外側にいるとよく見えない。しかも最後のビデオ撮影のときにiPoneの記憶領域がなくなったことに気づいたがあとの祭り。幾つかプログラムを消してもおっつかない。iPoneのデータ転送はiTuneを使うのだがウエブで同期するにはインターネット接続が必要だから帰らないとできない。やむを得ない。

パーティの始まるまでの間に「新天地」でヒロさんと待ち合わせて食事。場所は以前サルサ会場のあったBrownSuger隣のレストラン。隣のテーブルで1人ステーキを食べていたオーストラリア人と話していて意気投合し一緒にサルサパーティに行くことになった。ポールはずっとブリティッシュ航空で働いていたが今はこちらで再就職したという747のパイロット。丁度サルサをしたいと思ってたところだったのでグッドタイミングだそうだ。3人で会場に!福井のメンバーも来ていた。この日はウエブで日本のトップダンサーと紹介されていたマサノリ先生もパフォのトップに登場。大きな声援をうけていた。アフターパーティから帰る時、もう4時に近かったがなかなかタクシーが捕まらない。すると白タクが寄ってきて60元でどうかというので50元で乗った。深夜にぶっ飛ばす上海語の若いタクシーの運チャンなんて初めてで、あまり気持ちいいものではなかったが、到着して支払いをしたときはうれしそうだった。

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2日目

2012年06月23日 | Weblog

■来る時の機内の東方航空の案内誌をぱらぱら見ていて土山湾(Tushanwan)博物館の彩絵玻璃(ステンドグラス)の写真が目についた。そういえば今週末に友人のステンドグラス作家の個展がある。皆に宣伝する時間がなかったが興味ある人は僕のFBの友人を調べて見に行ってほしいなぁ。(とFaceBookを探すのだがなぜかでてこない。ブラウザを変えてみても同じ。他のサイトにアクセス出来るのだが、、、ニウニウもFaceBookのことを知らないし、、、)

そうだ明日はここを見に行こう!と思って小高に場所をネットで探してもらった。スージアホイの近くであの天主堂の経営する孤児院に関連する施設らしい。当時ここがカソリックを通して中国がヨーロッパの文化にふれた最初の場所だ。ステンドグラスもここから中国全土にひろまっていったらしい。
当時も、革命前も、現在もこのスージァホイというところは常に上海の、中国の最もトレンディでファッショナブルな場所でありつづけた、ということだろうか。

ということで実際に見に出かけた。場所はメトロの上海体育館駅から行く。ひとつおいて上海体育場駅があってまぎらわしい。なんといっても交通手段はメトロが1番だ。カードが使えるし非常にわかりやすい表示になっている。最初に車両に乗り込んだ時の第一印象は、なにこれ!と思うほど乗客の着ている服の色がカラフルなこと。これが、現在の上海なんだというような気がした。

駅をでてしばらく歩くと土山湾博物館があったが、メトロの地図ではなんとか芸術学院になっていた。博物館の窓口に人がいなかったので中に入って、見て回った。これが無料とはすごいなと思ったが、実は5元の入場料が必要だった。はいっていいか?と言ったら「いいよ」と言われたのだが、、。ここは2010年の上海エキスポの予算で作られたようで、その時に開館された。昔の孤児院で同時に学校であり制作工房であり図書館であり、、、という施設の場所に当時の建物の一部を含む形で建てられている。

この因除光后という人がすごい人で、ここにその墓がある。その出身地からチュウジァホイという名前が付いたのだ。アヘン戦争の後、キリスト教布教禁止令が廃止されて彼がはじめてカソリック教会を建て(これが近くにある天主堂だ)孤児院を作り、ヨーロッパ各地から専門家を傭聘して孤児にヨーロッパ最新の知識、教育を施した結果、時代を超えて芸術界の世界的アーティストを輩出しつづけてきた。フランスで写真が発明されてから僅か45年でここに写真科ができた、なんていうことが書いてある。

例のステンドグラスもあった。各種の実際の建築模型などの展示室をでると庭に出る。はっと気づくと中庭に面したレンガ壁は当時のもののままだ。そのデザインがそのままこのファッショナブルな街の建築にぴったり。そこで初めてこの場所が孤児院のあった場所なんだと気づく。みると隣の建物からなんやら電子学院とかいう学校がいくつも一緒になって繋がっている。この博物館は歴史の時空をこえた見事なデザインだと思って感動があった。

博物館の前に日本食堂があって入ると他に日本人もいなかったし、日本語も通じなかったが、呼び込みだけは「らっしゃいませー」。一番人気の「銀たら西京焼き定食」が65元。味の方は値段と上海製を考慮して評価は微妙。

随分歩きまわったので疲れた。一旦家に帰って皆で食事するまでいと休みして夜のサルサに出かける。会場には西さんのほか日本人は誰もいない。時間が遅れてはじまってからヒロさんが現れる。会場のBarrelsはいつもの上海のように人であふれている。エスニックムードにあふれるパフォーマンスが終わっても日本勢は現れない。RICORICOのアフターパーティも始まってから現れたようだ。ここは建物の屋上の一角にテントをはって、みたいな感じで、上階の泊まり客が面白そうにベランダから見ている。2時を回ったのでタクシーで帰る(47元)。

 

 

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上海到着

2012年06月22日 | Weblog

■便が遅れて上海到着が3時半ごろ(現地時間)になった。すぐに小高の携帯に電話するが通じないというメッセージがでるので、家の固定電話に電話してタクシーで行く旨を伝える。浦東空港で2万円換金するとレートが7.4だった。
タクシー乗り場の案内人に行き先を書いた紙をみせて住所をどう読むのか聞いた。「宇」の真ん中の横棒のない字は「ニン」と読むのだ。タクシーの運転手は「ニングー(宇国)路ってどこだ?」っていう感じで地図を見ていたがわからないので、場所を示して、ここの高架と「長陽路」の交差点の近くだと言って出発したが、本当にわかっているのかな?
この日のタクシーは特に飛ばす。いつもこの広い、7,8レーンもありそうな高速をタクシーがめっちゃ飛ばすんだがこの40代くらいのドライバーは特別みたいだ。車の間を縫うように右へ左へと移動しながらすり抜けて追い越せる隙間を探すのだ。道の表示板に「事故多発につき運転注意」みたいなこと書いてあるので「ちょっと早いんじゃないの?」と言ったつもりだが通じない。ま、いいか。レースみたいで結構スリルあるし、、。
見慣れた「浦東大橋」が見えたので少し安心。臨青路の表示の方にむかったのでもう少し安心。すると彼は大声で怒鳴り始めた。どうも英語らしいが意味がわからん。やっと、もう一度住所書いた紙を見せろ、と言いたいのだと分かった。それを見て電話してくれ、というので電話して彼に渡すと運転しながら小高に道を聞いて走っている。おい、これ国際電話だぞ!と言いたいところだが行っても通じないだろう、、。でもiPhone持って来てよかった!。
「銀河荘」の中にはいって「ここか?」「そうだそうだ」「ちがうみたいだ」「??」と言っているうちに小張(小高の旦那)が現れた。
銀河荘内にある建物はみんな同じようでなかなか覚えられない。前回も間違って違う人の家に行ってしまった。小張が荷物を皆持ってくれて階段を5回まで、、扉をあけて「ニーハオ!」高校生になったはずの「にうにう」(彼らのひとり娘)も現れる。2年前と比べて「背高くなったねぇ!」
この3人家族が今回僕がお世話になる場所だ。

TV見ながら食事していろいろ話す。といってもそんなに通じないんだが、、。小高の携帯が通じなかったのは上海局番の21を付けたからだと分かった。携帯番号には付けないんだ。

タクシーの領収書をノートに貼り付けていると小張がおもしろがった。しかし、この領収書には乗車時間5時12分、下車時間6時、走行距離40キロで145元(1800円)単価3.6元など克明に印字されているので便利なのだ。

食事は豚いんげん、小エビ、カニ(ここのカニはどれでも上海蟹なのだ!)、豚の骨に筍やいろいろ入った湯、空心菜、それに見た目「きゅうり」の浅漬け風(味はぜんぜん別だが、、)などが並んだ。きゅうりは何て言うの?と聞くと、「黄瓜(ホングァ)」だという。そうか!だから「き・うり」なんだ!!
そういえば「東瓜」ってのもあった。たしか「トーガン」じゃあなかったっけ、、。
冷蔵庫の上に先般ガンで亡くなった張文興さんの写真が飾ってあった。小張と福井の美香さんのお父さんだ。生前は食事は全て彼が作っていた。元レストラン経営者である自慢の腕をふるってもらったものだが、、。
もう夜だが散髪に出かけた。銀河荘内にある小さい店を小張が案内してくれた。短かくしてくれというと
ハサミだけで切ってくれて洗髪。15分ぐらいで10元(125円)。帰る時小張に「ちょっと早いんじゃない」「そうだよー、ここではなんでもめっちゃ速いだろ!でも、めっちゃ安いだろ」と言った、てか、言ってるような気がするというか。

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旅行準備

2012年06月20日 | Weblog

■明日上海に出発する。今回はサルサメム-チョフェスティバル(22~24日)に参加した後、杭州見物にいくつもりで、1週間の予定。航空券は1ヶ月前に手配できたので4万円の小松便が入手できた。言葉も練習しないといけないと思ってラジオの「まいにち中国語」4,5,6月号を復習することにした。と、いっても日本語教育を勉強するようになってからずっとご無沙汰でほとんど放送を聞いてなかったが通常の会話程度ならこれで十分の内容だと思う。

問題はiPhoneが使えるかどうか?販売店で確認すると3G回線での通話は問題なく、ただ通話料が国際電話になるから2倍くらいになるだけ。インターネットでのウエブブラウジングは1日2~3000円定額のローミングに自動で切り替わるようだ。使う時にデータローミング設定をオンにすればいい。

充電についてはコンセントの旅行用アダプターが見つからなかったので500円ぐらいのを購入した。問題はUSBの専用ケーブルが200Vで使えるかどうか?PCの電源アダプターは通常200V対応だから問題ないがこちらは家電店の店員さんに指摘されるまで気が付かなかったけれど問題ないようだ。

仕事のパートナーの松村さんから海外のホテルではバスルームのコンセントだけは皆100Vになっていると聞いた。日本製髭剃りが使えるわけだ。知らなかった。

美香さんの上海の実家の電話番号を聞いて直接かけてみることにした。iPhoneでは+86(中国)21(上海)につづけて番号を入力すると繋がった。ニウニウの母さんの小高が出た。準備したつもりがとっさのことで言葉がでない。後で美香さんの所へ出発は今週か先週なのかはっきり分らなかったという連絡がはいったそうだ。久しぶりだからこんなものかな。

夜、サルサワークショップ日程などネットで調べてたり、4年前の旅行の地図やメモなどを見ているうちについ思い出にひたってしまい遅くなってしまった。今回は3日間びっしり予定がある。1時から朝5時までのパーティもある。どうしようか?

杭州のLinさんから西湖の夜景が素敵だというFBメッセージをもらった。そういえば観光協会の橋本さんもそんなこと言っていたようだ。楽しみだ。

明日は上海に持っていく美香さんの荷物を預かって小松に出発するつもり。で、パッキングは今夜、、。

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日本語教育

2012年06月19日 | Weblog

■ペルーのMさんの日本語の指導にはようやく慣れてきた。スカイプやメッセンジャーでの指導は双方時間も合わないしセッティングも手間がかかって長続きしない。それに対しメールでの添削のやり取りは効果が大きいと思う。特に「ひらがな」入力にはすぐ慣れてくれた。多少の入力ミスがあるが、単なる不注意による入力ミスなのか異言語により入力方法がちがってくるのか、そのあたリはよくわからない。やはり対面で指導しないと理解のレベルが評価しにくいのは確かだ。こちらで言うことはローマ字でメモを取っているのを見るとひらがなメールを見ているだけに少し妙な気分になるが、仕方ないか、、。やはり僕の場合、媒介語のスペイン語に頼る部分が非常に大きい。

今当面する最大の問題は学習のモチベーションをいかに維持するかということだ。彼女は若くないし、日本語の必要性をたいして感じる環境にない。日本人が英会話教室に通うのとさして違わない状況だ。教師の技術的な力量よりも、興味を持続させるような企画力の勝負になってくるように思う。しかも多数を教える場合とこのように対面で説明するばあいとは相当違ってくる。これは外国語教育に限ったことではないが、僕ができる日本語教育のなにかいい方法はないものかと考えた。

従来、語学の交換学習などというものは双方ともに語学の習得にあまり効果がないというのが僕の持論だったのだが、実際の指導がこんなに媒介語だよりだと自分のスペイン語の力量不足が頭痛の種になってくる。ベテランになれば媒介語の介在がないほうがよいことも多いのだろうが、指導の初心者として背に腹は変えられない。しかし、考えてみるとボランティアで言葉を教えることと教わることは共通の興味に関わることだからお互いに言葉を教えあうというのがモチベーションを維持するために最適ではないかな、という考えに変わった。確か、教えることは2倍の効果で学ぶことだという格言もあったはずだ。彼女の日本語に対するモチベーションを高めるにはまず僕がスペイン語を学習するモチベーションを高めることが第一歩なのかなぁ。

そこで、テキストの会話部分や、問題文をスペイン語訳して、それを彼女に添削してもらった。そうするうちに彼女自身で今まで気づかなかった部分の発見があったようでなかなか良い感じになってきた。これはネイティブの補助者を使うプロの翻訳者の翻訳手法と同じで語学習得には最高だな~とさえ思うようになって僕のモチベーションも自然に高まる。

あんまりガチガチ記憶したり、細かい文法や意味のちがいを云々するよりも、お互い歳だし、ゆっくり人生楽しみながら仲良く勉強続けて行きましょう、、的な方向性を確認するに至った次第。そこでさっそく彼女をサルサパーティに誘って一緒に踊りにでかけた。とても楽しくすごせたので、そのうち、息子さんや旦那さんも一緒に、、、。

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