くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

ロンブ・カトー「わたしの外国語学習法」

2014年03月28日 | Weblog

■ロシア旅行準備で旅行案内等探していると、ロシア関係では米原万里が面白いという人がいて彼女の著作を図書館で探していると見つけたのがこの本。僕は彼女のことを知らなかったがロシア語の同時通訳者で面白い著作もたくさん出していた。すでに癌で亡くなっている。その彼女が同時通訳者として活躍していたまだ若いころに訳した本で、一読して引き込まれてしまった 

ハンガリー人の著者は16ヶ国語をあやつる世界初の女性同時通訳者の一人。その彼女がどうやって言葉を勉強したのかが書いてある。訳者の米原自身がこんなすごい本を昔自分が訳していたことが信じられないというような本なのだ。中身は一見普通のことなのだが、、その説得力が違うのだ。

本当に16ヶ国語が話せるのか?どうして外国語を教えないのか?才能が必要なのか?といういつも聞かれるこの3つの問いに対する著者の考えが全編におよんでいる。

外国語ができるということは、読む、書く、聞く、話す、がどういう局面で必要になるか、ということであって、彼女の母国語はただ1つである。つまり、彼女の外国語は学習することで身に着けたのだということ。どうやって学習するかが問題なのだがそれは一人ひとり違う。1つ外国語を学ぶことは2つの言葉を同時に学ぶことだという。話し言葉と書き言葉のことだ。

教えることと学ぶことは違う。いくら学んでもすぐに教えることができるわけではない。いくら手術の経験が多い患者だからといって医者の代わりにメスを持たせることはできないという。彼女の同時通訳のプロとしてのプライドがでるのかもしれないが、ポリグロット(多言語所有者)というかわりにリンギスト(外国語学習者)という言葉を好んで使っている。同時通訳者は学者じゃないというのだろう。

 彼女は才能を否定する。その成果は分子が(努力した時間+興味)で分母が(羞恥心)だという。一般に女性のほうが自尊心に制約されることがなく分母が小さいからよく話せるようになるのだという。男の同時通訳者はひどく少ないのだそうだ。

彼女が強調するのは興味。インタレストとはラテン語でインター(~の間)に生きるという意味の語尾がついたもののようだ。生きていく意欲というようなことだろうか。 

彼女のアプローチはまず読むことから始まる。語彙をコンテキストの中で理解しながら覚えていく。単独に単語の意味をひとつ丸暗記するようなことをしない。単なる暗記は興味をそぐばかりだから。解らない単語をいちいち辞書で調べないと前に進めないような勉強方法は間違っているんだろうな。

 文法について何も言ってないが、必須の学習項目であることを前提としているようだ。文法の知識が必要ないのは母国語だけだと言っている。

話す能力は重要だと言っている。話す能力はあたかも女性の容貌のようだという。あとで彼女が意地の悪い馬鹿な女だとわかったとしても最初に誰に対しても注目を集めることができることは重要なことだ、という。

世界にポリグロットはたくさんいたけどイタリア、ボローニャ生まれのメゾファンチ枢機卿というすごい人がいたそうだ。一説に100ヵ国語をあやつるといわれた。彼自身の言葉によると、50ヶ国語といくつかの方言ができるといっていた時から7年後には70ヶ国語といくつかの方言ができる、といっているので毎年3ヶ国語をマスターしている計算になる。

当時イタリアの内紛で傷ついたさまざまな人種であふれかえる病院を訪れる懺悔聴聞僧としてさまざまな言語の祈祷テキストを使って習得していったらしい。生涯ボローニャから半径40キロ以外のところに出たことはなかったという。

ハンガリーの諺で「中途半端にやるくらいならやらないほうがいい」というのがあるが、著者は外国語の学習はこの例外だという。少しでも言葉を知っていれば、それはすぐ役に立つのだから、、、。中国語や日本語さえできる彼女が90歳を過ぎても新しい言語に挑戦していたそうだし、外国語を習得したものだけが本当の意味で母国語の大切さを理解できる、というようなことを言っていることに共感を覚えた。

英語、中国語、スペイン語の他にロシア語も、、などと考えている僕にとっては衝撃的な本でもあったし、こんな本を見つけ出した米原万里という人の嗅覚はすごいと思った。

 

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スキーシーズンも終わりだ。

2014年03月27日 | diary

■このまえはせっかく頑張ってブログ書いたのにネットが切れてパア!その後はいつもしばらく書く気が起きなくなる。何度失敗しても同じこと繰り返すへま。しかし、このショックが続く間はしばらくは草稿できてからアップロードするようになるが、いつまでつづくやら、、。

シーズン最後のスキーはすごいのりで、急にうまくなったと思って飛ばしたら、ちょっとしたギャップが、、やば、、。一瞬飛ばされ一回転して大の字になって雪面滑走。気がついたら右手にストック一本持っているだけで横たわっていた。右腕の袖が肘までまくれ上がってしまった。痛いなと思ったらまるでバイクで転んで擦りむいたような傷になっていた。

四方八方に飛び散ったスキー、ストックを通りがかったスキーヤーたちが拾ってくれて、、。これでヘルメットがなかったらどーなっていたか、、。まずめがねは間違いなくつぶれていただろう。凍った雪面はコンクリートの壁と同じ。いつもは袖口をグローブの上からしっかり閉めておくんだが、その日みたいに晴天でいい雪の日に限って気持ちがはやってめんどうくさくなるもんだ。ほんのちょっとしたことなんだが、、。

それにしてもストックが飛んでしまったのには驚いた。新しく買ったやつでベルトをゆったりとさせたのがまずかった。実はそのあと同じストックをリフトからうっかり下に落としてしまった。リフト降り場で気がついて、リフト下を探しながら滑っていると、前を滑っている人があんなとこに落ちてるよと教えてくれて、あんなところまでおっちらおっちら上って、、。でも見つかったのがすごい。

このシーズンはこのスキー場でいろんなことがあった。iPhoneを落としたが、見つかって夜わざわざ取りに来たっけ。キーを車の中においたままドア閉めたり、ライト消し忘れてバッテリーがあがっていたり、シーズン券家に忘れてきたり、、。いいこともあって、帰り際の抽選は11日券が1回、2等クリアファイルが3回、そして3等ステッカーが2回当たった。今年は宝くじ当たるかもしれないと思ったり、、。

最後の日の23日はラナさんは帰国準備のため僕1人だったし、コースにあまり人もいなかったのでちょっと気持ちがゆるんだ。もうそんな歳じゃあないぞ!

ジャムのシニアクラブ面々(ほとんど1人できているおじさんだが)は僕が知らなくてもラナさんは一緒じゃあないのかと聞いてくる。彼女はすっかり有名人になっていて、もうこれないと知ると残念がることしきり。かんがえてみると、冬の時期ブログも書けない忙しさというのはスキーのせいだった。ああ~もうおわりかぁ~!

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ロシア旅行に向けて

2014年03月18日 | Weblog

今日ようやくHISの最終見積もりにGOサインを出して32万円を振り込む。紆余曲折を経て振り返るとやはりロシア旅行はわからんの一言。最初はビザ取得の前提となる全行程のホテル代と交通手段を確定するには、時間をかけてウエブで安いホテルを根気よく探すことが決め手だ、と思った。旅行社に任せず直接安ホテルにコンタクトしてバウチャーを入手して自分でビザ申請するのが一番だと思ったが、それもよくわからない。やはり、専門旅行社の格安ツアーに乗っていくのが一番いいかもしれない。

HISの紹介するホテルの値段を細かくチェックして最安値に近く評判もいい1泊7000円のモスクワのホテル と、1泊3500円のサンクトぺテルブルグを見つけてラーナさんを驚かせたのだが、HISの見積もりでは双方とも一泊1万円以上。バウチャー取得の手数料みたいのがあり、どうにもならないようなことも言われる。HISも他の専門業者に出しているようでよくわからないようだ。そんなら、せっかくラーナさんの紹介してくれたモスクワのホテルがいいと思って変更を申し入れた。

ヤロスベリーのホテルは候補の中から一番安そうなところを頼んだら、1泊1万4千円!。ラーナさんに言わせるとモスクワやSPB(サンクトぺテルブルグ)よりも高いなんてありえないそうだが彼女に紹介されたIBISはHISのリストにないから、、まぁいっか、ヤロスベリー訪問こそ今回の旅行の目玉なんだから、と思って。早朝の電車でモスクワからヤロスベリまで1便だけなので、時間がかかるがバスはいくつもあって現地で切符が買えるというのでバスにした。ラーナさんはバスは利用したことがないという。そしてヤロスベリーから直接SPBまで2等寝台で行くことにした。これで1泊うかせるが、このルートはラーナさんも知らなかったとか、、。だいじょうぶかな?

修正後の見積もりを見ると合計金額は変わっていない。なんやようわからんが2週間の旅行でこの値段は安いそうだ。 出発前はあわてずにゆっくり妹のところで準備しようと思って出発は4月20日に延ばすことにした。

iPhoneのロシアでのローミング設定を聞きに販売店に行った際に、たまに来日する外国人が日本のケータイを使い続けて同じ電話番号を維持することができるか聞いてみた。2年契約を続けない限りできないようだ。プリペイド携帯は番号がかわってしまう。ローミングは使わなくてもバックグラウンドでアプリが自動で動くから使わないときはいちいちモバイルデータ通信をオフにしたほうがいいようだ。日本時間でチャージするから時差にも気をつけないと、、。コスタリカはローミングのリストに載ってないようだ。

ロシア旅行と行ってもいったい何があるんだろう?歴史でも調べてみようか、みたいな気分で「世界歴史の旅・ロシア(和田春樹、中村喜和著 山川出版)」を図書館で借りて読んだ。ロシアはこれだけ行きにくいところだけあって資料が少ない。意外だった。やはり、ツアー時代からの建築物、、、。美術館がすごそう。バレイ、音楽、演劇など、、帝政時代の農奴からを才能あるものを国家が選別して、、などのシステムがあったんだなぁ、、。

今話題のウクライナは実はロシアより古いのだ。いつか行きたいと思うようになるかも、、。とりあえずボリショイサーカスでも見てこようか。

 

 

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長らくご無沙汰いたしました。

2014年03月13日 | Weblog

随分とさぼってしまったので、もう死んでしまったのかと思われるかもしれないが、実は遊びに忙しすぎてブログる暇もなかったというか、、、反省!!さぼり癖がつくとなかなか治らない。本当に2月はいろんな事があった。南方熊楠じゃあないから40日分の日記をいっぺんにつけるようなことはできないから、、、あきらめよう。

とりあえず明日はスペイン語のクラスで「コスタリカ」のことを話そうということになっているから昨晩ネットで調べたことを整理する。

なぜコスタリカは憲法12条で非武装中立を謳い軍備を放棄したのか?

その歴史的背景は親米政権のもとで中米諸国の中でいかに政治的安定を保つかという知恵があった。USAの中米戦略は軍部に親米勢力が多いことを利用して反米政権に軍部のクーデターを起こすことを裏で画策し親米政権を作ってきた。このような中南米諸国のなかで政治的安定のために問題の多い軍をなくしてしまおうという発想なのだ。軍事予算を教育につぎこもうとして「兵士の数だけの教師を」というキャンペーンが功を奏して、中米のスイスといわれる永世中立国家ができたのだ。

隣のニカラグア革命のサンディニスタを支持しながらも内戦に対するUSの作戦基地化を回避し、さらに中米紛争解決に尽力したことで1986年にアリアス大統領がノーベル賞を受賞している。

その彼でさえ連続再選は許さないという憲法の規定がすごい。この憲法は1948年のコスタリカ内戦後その反省から作られたのだが、その時点で女性、黒人の政治参加を謳っている。USAの黒人差別問題が65年代まで続いたことを考えると明らかに憲法のもとで民主化は米国より進んでいる。ちなみに2010年の選挙で初の女性大統領ラウラ・チンチージャが選出された。今年は選挙の年だ。

2003年のブッシュ政権のイラク戦争を政府は支持したのだが、1学生がこれを憲法違反で最高裁で争い、USAのホワイトハウスのホームページからコスタリカの名前を削除させる判決を勝ち取った。その学生は来日して講演したというのだが、、知らんかった。

僕はピースボートで1991年にニカラグアを訪れた際、選挙にやぶれたサンディニスタ解放戦線が国民に惜しまれながら去っていき親米UNOのチャモロ政権(そうだここも女性大統領だった。)となった政治状況の把握がいまいちできなかったがこうして隣国の歴史のなかで理解が深まることがある。確かにコスタリカは中南米にあってきわめて特異な政治状況をたもっている。

まだたくさんコスタリカには語るべき事がある、、、が、その前にロシア旅行が控えている。ロシアの歴史やロシア語も勉強しないと、、、。

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