くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

再訪NY9日目

2016年12月31日 | Weblog

■はじめセントラルパークへ行こうとしたが結局この日はマンハッタンに出ずじまいだった。なにしろ今日の大晦日の晩のタイムズスクエアのカウントダウンはそれこそ身動きできない人出なのでリンカーントンネルも渋滞するし警察が非常警戒状態になる。そのためマンハッタンに入ること自体が面倒になる。カウントダウンを見るために見物人は7,8時間は並んで待たなくてはなるし、この寒い中にトイレに立って列を離れるわけにもいかないのでおむつを持っていくという話もある。この日にタイムズスクエアに行くニューヨーカーはいないといってよい。誰もが家でTVを見ているかせいぜい近くのパブでさわいでニューイヤーメールや踊っている動画をスマホで送るぐくらいらしい。タイムズスクエアで騒いでいるのは外国人観光客ばかりだという。

ぼくは家でたまったブログを書いたりして時間をつぶし、夕方Georgeの友人たちが集まるケニア人のパーティに行った。相当遠くの感じで道端にずっと車が停車していてなかなか駐車する場所が見つからない。そこはみなキクユ族のひとばかりだとかで、一種異様な雰囲気だと言っても過言でない。アフロアメリカン(アメリカの黒人)の気さくな雰囲気と違ってそんなに声をかけてくる風でもなく、気さくに挨拶してくるわけでもない。もちろん黒人のアメリカ人でアメリカで生まれた人もいるのだから普通のアメリカ人にはちがいないけれど移民の人はアフリカ人の英語でなまりがあるし握手の感じも違う。こんな微妙な違いを区別するのもNYならではのことかもしれない。

スワヒリの飛びかう中、オーラやリンダもちょっと端の席で手許無沙汰にしている。誰かの誕生日にはいつもどこかで開かれるそうで、子供もたくさん来ていて大きな机いっぱいに料理が並べられていて皆思い思いに紙のお皿に取り分けて食べている。

やがて、ヤギの焼いた肉が回ってくる。これに少し塩をかけて食べるのが特別にうまい。キクユの伝統料理だ。230人の人が入れ替わり立ち変わりくる。NJにこんなにキクユがたくさんいたんだ。

帰宅して遅くまでブランドンも一緒にTVでタイムズスクエアの映像をみていた。

■FBメッセンジャーにハドソン川向こうのマンハッタンの夜景をバックにブランドンと一緒に写したニューイヤーメールを投稿するとすぐにヴェトナムから失踪したフオンの姉さんや僕の追っかけをするヒエンさんなどのメールが早速来てしまった。頭がいたいなぁ!

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再訪NY 8日目 WTC跡地 WinterGarden カラオケ

2016年12月30日 | Weblog

■朝Georgeにバス停まで送ってもらってマンハッタンに入ったが渋滞もあって時間につけなさそうなので駅でブレンダに電話しようとしたら番号違い。あわてて+1番号でかけようとするとつながらない。メッセンジャーを見ると彼女も遅れるようなので安心してメッセージした。3番線チェンバー駅で降りて歩く。意外と近いのだが最初なので感覚が合わず、通り越したのにも気づかなかった。急いで戻って店にはいるとブレンダがテーブルに待っていた。

 彼女は911のあとルーテナント(消防司令)からキャプテンに昇進して退職した有名な女性消防士だが今はアーティストだ。NYタワーの36景を描いたといっていた。ミネソタ出身の65歳だと知って驚いた。もっと若いと思っていたが、、、僕がシニアのメトロカードを見せると彼女も持っているといった。今はミネソタでお母さんの面倒を見ているといい、昨日NYに着いて忙しい日程をこなしているそうだ。福井の観光資料と土産のかりん酒と黒龍を渡した。

 食事は昨日と同じオムレツを頼んだが昨日のレストランの方がおいしかったかもしれない。食事のあと歩きながら何か飲むかというから、いつものようにアルグレイを頼んでテイクアウトした。

 まずタワーの中心になる鳥をデザインし天井が開くというシンボルのホールへ行った(これを彼女は何とかと呼ぶのだが、、誰もしらない)。さすがにすばらしいデザインで中央はスケートリンクになっていて各タワーの中心にあり中央から天窓を見ると第一タワーが見えるようになっている。被災したというダメージを観光客を呼び込む十分なエネルギーに転換できているすばらしい設備になっていると思う。

 ■トリビュートセンターへ行くと係員は皆彼女を知っていてそのままスタッフ事務室に入り、皆と挨拶をかわし日本からの友人だと紹介された。

そこの展示を見て15分後に戻ってくれと言われて、会場を一回りした。ミュージアムとはちがい被災状況の当事者関係の展示で、総北地震の福島の展示があったり、千羽鶴がかけてあったりする。

2時のツアーの時間になって入場券も買わずに列の中ほどに押し込んでくれたのでもうかったと思ったがなんと、彼女自身がガイドするらしいということにその時気づいた。

彼女はボランティアのガイドとしてもう200回以上このツアーで同じ話をしているのだといった。多い人は500回しているボランティアもいるといい、東北の被災地にも行っている。スタッフの中に2度も行ったという女性もいた。この日風も強くひどく差もい日だったけれど観光客は多かった。

さすがに彼女の説明は当事者としての迫力があり、写真を示しての解説は効果的だと思った。スイスの客に対してはスイス関係者の貢献度を示したり、イタリアの観光客に対しては設計アーティストの紹介をするなど観光客層自体が十分このツアーに引き込こまれる要素を持っていてさすがだなあと感心した。1時間いくらかのツアーが終わると拍手が沸き起こった。

その間に僕のiPhoneバッテリーがなくなってしまったのでスタッフルームで充電するまで少し待つことにした。彼女はもうすぐ帰ってコンサートに行くようなことを言って別れを告げた。

■スタッフに元ウインターガーデンの場所へ行きたいと言って教えてもらったがこの名前はスタッフたち以外は知らないのかもしれない。やっとあのガラスのドーム天井がみえる建物が見えたときその名前が変わっていることに気づいた。BrookfieldPlace!となっていた。

でも後で調べてみるとこれは北側の入口の名前でWinterGardenの名前はそのまま残っているようだ。。

ガラスのドームの中は以前のままのイメージであった。前はなかった天井のランタン飾りがなにか台湾の九分を思わせるようでもあり、まあそれでもいいかもしれないと思う。なにしろここがどうなったかを知りたいという一念があって、それがいってみれば今回の旅の目的でもあったから感激であった。ドームを出てハドソン川の向こうに見えるNJの高層ビルがNYっぽいというところも昔と同じだ。

 桟橋からフェリー風の船が出港しサウスシーポート側に進んでいく。もう日が落ちかかっていてここから遊歩道ぞいにバッテリーパークを歩いていくと向こうにエリス島や自由の女神が見える。ここを歩いてボーリンググリーンのメトロ駅を通ってスタテンアイランドフェリー乗り場に到着。

当時片道50セントだったけど今は無料のフェリーの上から見るマンハッタンの夜景こそ僕の二ューヨークのイメージだったけれど、今はそれがどんなふうに見えるか?それを確かめるのがこの旅のもう一つの目的だった。新しいワントレードセンタービルのライトアップはカラフルになった分だけはバランスを取り戻しているようにも思えて、これはこれでよくなったのかもしれない。

ちょうど雪がちらほら降り出してきて写真の背景がぼけてしまうのだがまあいいか、、。帰りのフェリーでマンハッタンに戻ってからまっすぐNJの家に帰った。

■今は日が落ちるのが早く、4時になるともう暗くなりはじめてしまう。暗くなってから外がブライトンと我々3人は近くのゲームセンターへ行くことになった。ブライトンとジョージはバスケットボールが好きで、シュートを繰り返すゲームとか、ピンクパンサーといってスーパーマリオみたいなやつとかに挑戦。僕も誘われてローラーコースター体験で座席が震えて臨場感が増す奴なんかをやってみた。シューティングゲームみたいなのもある。そういえばブライトンはクリスマスプレゼントに柔らかいプラスチック弾を撃てるモデルガンをもらって喜んでいたがこれは日本なら問題になるかもしれない。Georgeもたのしんでいるし、親子できているというのは健全といえるかも、、。

 帰宅して遅くなってからブライトンをホームアローンにしてまた夫婦だけでカラオケにいくという。この神経は日本人としては考えにくいが、子供としては親の拘束からの自由があっていいのかもしれない。

カラオケといっても日本とちがって大きなバーの壁面にたくさんのモニターがあって2,3種類のTV番組を流しておりその中の1種類に歌詞が写されるようになっており、歌い手だけでなく店中の客が声を出せるようになっているのが違う。

隣の酔っぱらいのコロンビア人がショットをおごると言って盛んにオーラにはなしかけたりしてくる。曲がラテンならいいと思ったがラップ、ヒップホップ、たまにバチャータ風がかかって来たので誰かを誘って踊ろうとするがオーラもついに腰を上げなかった。さすが店の子やアフリカンはノリがいい。どうも68歳が踊っとるらしいというので「You are the hero!」なんて声をかけてくる子がいたりする。George夫妻にしても踊り出した僕を見て結構刺激的だったみたいだ。

今日は刺激的な1日だった。

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再訪NY 7日目

2016年12月29日 | Weblog

■朝、皆は起きてこない。ようやく起きてきたシリアはシルバナと連絡をとり、彼女がターンパイク駅に着いた時に僕と一緒に車で迎えに行った。昨晩PCを買ったときパワーコードをもらってくるのを忘れていたのでモールの中の店に取りに行った。そして、昼はそのフードコートで食事しようとしたが適当な店がみつからなかったので近くのレストランに行くことにした。とても広いレストランで注文したオムレツはとてもおいしかった。その日はずっと雨で傘が必要だしシルバーナの靴もぐしょぐしょになったみたいだった。シルバーナとシリアの会話は当時と一緒で早すぎて聞き取れないくらいだがちっとも気にせずに好きなことを話しているあいだがらは当時と同じ。

シリアの家を案内するうちに彼女の出勤時間の5時が近づいてきた。緑色の着衣を着たシリアはもう立派なナースだ。マンハッタンのマウントサイナイ病院まで車で行く途中のメトロの駅で2人はおろしてもらった。

明日ブレンダに会うために会う場所を決めないといけないがどこもわからないのでとにかくワールドトレードセンターに行ってみて決めることにしてシルバーナがついてきてくれた。フルトン駅を出てChurchDayの交差点とCortlandRW線駅出口の写真を撮った。フルトンセンター2階の写真も撮って12時にここで会いたいというメールをブレンダに出した。シルバナと別れてNJに戻った。

Brendaからフランス料理店のODEON1145分に会いたいというメールが来ていた。マップをひらくとグーグルビューで店の様子もわかるので安心。

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再訪NY6日目 Siriya 

2016年12月28日 | Weblog

■早朝家を出てメトロカードのカスタマーセンターへ行く。42からRでサウスシーポ∸ト近くで降りてストーン通りのオフィスに来た。65歳以上の市民が交通費を減額してくれる申請をするのだが旅行者でもOKだということで列に並んで申請書を提出し、結構待たされた上で写真付きのカードと説明書をもらい、メトロの駅の発券機で$15をチャージして42に戻った。

シルバナに電話すると今日は行かないというので1人で行くことにしてポートオーソリティからEに乗車直前にシリヤに電話を入れた。電話はメトロ内でできないところとできるところがあるので注意が必要だ。ターンパイクでメトロを出てQ44を探すがみつからない。Q46のバス停で人に聞くと別のところだという。シリアに電話するとその辺で待ってくれということでやっと1ブロック離れた場所から現れた彼女と会えた。Q44ではなくQ46の間違いだった。

道路横に駐車した彼女の車はホンダの大型バンでiPhoneのワイヤレススピカー付きのスライドドア。すごい車に乗っているんだなぁと思ったがどうも大家族のために必要らしい。これで彼女の家に行く前に、近くのリカーショップでクリスマスギフトのワインをしこたま買い込む。普通のショップだがすごい品数で、中には「くろさわ」と称する日本酒もあった。

彼女の家に着くと彼女の86歳のお父さんと74歳のお母さんが迎えてくれた。彼女の2人の妹と弟を含めて家族全員がここにいるのだ。NY生活の当時、彼女と2人でスリランカの彼女の実家を訪れて皆と一緒にバスを貸し切って旅行したことを思い出した。そこで「あなたは家の家族だ」と最大級の賛辞を受けたとたんにもう僕は彼らと常に行動を共にしなければならない運命になってしまい、僕のプライバシーがなくなるどころか旅の費用までみんな払わされることになった記憶がよみがえった。20年近くまえの話だ。その時のメンバーが全員ここにいるのだ。

後日、中根千枝が「縦社会の人間関係」と正反対の横社会の人間関係はインド社会だと言っているのを知って納得した。これからはちょうど僕の家族がシリアの家族と逆の関係になるのが面白い。

あの時ドバイで働いていた弟のスミスが奥さんと一緒に来て2人で話し込む。いきなり本当の家族のように話し始める関係は思えば不気味でもある。奥さんは今晩手術をうけるそうで出られないが夜一緒に食事をすることになった。

シリアは60年生まれの55歳。当時からずっと同じマウントサイナイ病院で働き、数年前に学校を終えてナースとして働く。そして1人づつ保証人になってスリランカからここに引き取ってきたのだ。移民の書類を書き、仕事をさがし、家を用意して金を貸す。仕事は夜勤専門で病院の都合で定まらない予定。お母さんはここは寒いのが嫌だというがお父さんはテロで危ない国よりここがいいという。当時パキスタン人の彼氏のいたことを思い出し、彼女に結婚はと聞くと「男はいらない、必要なのは金」と一言。

数年前に購入したこの家は地下1階、地上2階で合わせて15室ほどもあり地下は配線が入り乱れボイラーや洗濯乾燥機などの作業場で、僕の泊まる部屋は造作も終わってない作業室だがベッドの上には洗濯した下着1式とタオルがちゃんと置いてある。予備のベッドもあり隣はシリアの散らかったベッドのある寝室とバスルームがある。1階は大スクリーンモニターTV付きの立派で豪勢な作りのダイニング、両親の寝室バスルームと広いキチン。

2階は上の妹さんの部屋と、今度越してくる家族の部屋、改装中のキチン、などがあって2,3家族が住めるようになっている。昔、バンクーバーの妹夫婦が7年かけて造っていたスクアミッシュの家に似た構造かもしれない。

この近くはガーデンシティという有名な超高級住宅地になっていて、ジューイッシュの億ションの立ち並ぶ超きれいな街がある。この時期はクリスマスの夜の飾りつけでその雰囲気がわかる。その一方で夜などひどく危険な地域と隣り合っているらしい。

■シリアはふるいソニーのPCを持ち出して治らないかと聞くから、WindousXPは化石だから捨てるしかないというとデータが盗まれクレジット番号が知られるのが怖いという。HDを取り出してハンマーで叩いておいたらどうかなどと言っているうちに実はPCで家でも仕事がしたいが忙しくてメールも見てないと言い出した。

本当にiPhoneのメールが何か月もすべて未読になっていてびっくり。僕のメッセンジャーの返信はどうして来ないのか?実はTVしか見ないお母さんのPCにメッセンジャーが入っていてそれをすっかり忘れていたのだ。

謎がとけた。シルバナはメールを無視されたと思っていたし、シリア自身半年前の家族の病気や借金の話のメールが来ていることを知って大慌てで謝罪のメールを出したようだ。。

 彼女は今からモールへ行ってPCを買うと言い出したので同行することになった。彼女の友人から勧められていたようでWindowsSerface Pro を買った。仕事を家に持ち帰りワードやエクセルを使うだけだからそんなに高いものはいらないと思うが、$999に保険やらOfficeやらを含めて1300ドル以上になった。

そのロングアイランドのモールは巨大で祝日ということもあって平日にも関わらずすごい人出だ。規模やレベルは日本の大都市にもありそうだがこの客数が違うかなと思う。シリヤは洋服や靴を探し始めた。ここでは服など手に取ってみた後買わないときはちゃんと元に戻さず床に放りっぱなしにしてある。ちゃんと店員が直さないと順番などくるってしまうからだろうか。お買い物の付き添いで眠くなるほど疲れてしまう。

ようやく帰宅してもう9時近くになっているのに一眠りしてスミス一家と食事に行くという。11時近くになって起こされて近くのアメリカレストランに行った。

スミスの奥さんは手術があるので来れないが、男(20歳)女(17歳)2人の子供と妹さんの娘さん(17歳)と我々3人の合計6人での食事。男の子は物理が得意で女の子2人は生物学だという。ポケモンGOはしないといって笑った。彼女が支払い、皆をそれぞれ家に送って帰宅。

電話のつながらなかったシルバナにメールして返事のなかった理由の一部始終を報告。これで彼女はシリアと会いにくるだろうと思う。


 

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再訪NY5日目 Silvana

2016年12月27日 | Weblog

■朝は皆が遅いのでやむなく一人で出かけるとGeorgeがセブンイレブン横のバス停まで送ってくれた。バスは42のポートオーソリティまで行ったがそこから地下鉄に接続するところがわからず外に出て51の地下鉄駅まで歩いてそこでメトロカードの券売機の長い列にならぶ。その券売機がまたややこしくて紙幣を入れるところがわからなかったり、コインしかおつりがでないとか、、。クレジットカードを入れてZIPコードに9999と入れると$10をチャージしたという表示がでてなんとかメトロカードを買うことができた。このカードでバッテリーパークのカスタマーセンターまで行って、そこで65歳以上の証明をして無制限7日間のメロとカードを半額の$15で買うことが目的だ。

50からメトロに乗って42ポートオーソリティに戻ってそこでRのブルックリン行きに乗り換えるのだから間抜けな話だが15年ぶりのメトロ利用だから混乱するのは当たり前だろう。おまけに、オフィスの近所のサウスフェリー駅で降りそびれてブルックリンまで行ってしまう。こうなっては仕方ないと思い、シルバーナの指示にあったDekab Av.まで行くことにした。彼女に遅れるからと電話をいれると、「いくら遅れても気にしなくていいよ」ということだったんだが地下鉄駅を出るともうわからない。メトロの中では電話が使えないので駅を出るしかないが結局外で電話して道の交差点で彼女を待つことにした。随分時間がかかったがシルバーナがCITYBIKE自転車でやってきた。新しいレント自転車の交通ネットワークだ。

シルバーナのコンドミニアムはすごく高そうでいい。超高級住居地と低所得居住地が混在する地帯らしい、つまり住人を追い出し、リノベ∸トして高所得者にどんどん買わせている一方で追い出された低所得者が地域のプロジェクトとかのシステムで住む地域ができ、そこが犯罪地域になっているというのだ。マンハッタンが高くなりすぎてブルックリンに高収入層が移るとともに治安が悪くなっているということか。

彼女は手早く料理用のバナナを焼きサラダを作ってくれた。彼女の手料理は本当においしい。量が少ないのもいい。

シリアに電話して明日ターンパイクの出口にあるQ44バス停で待ち合わせることにした。夕方暗くなった中をカフェに行き、隣のラファイエット駅からEでポートオーソリティまで行って232ゲートからラザフォードNJ行きバスでジャクソンAVまで$4.5そこからリバーサイド通りを10分歩いて家に到着。もっと近い別ルートもGeorgeに後で教えてもらった。


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再訪NY4日目 kouji

2016年12月26日 | Weblog

■Georgeが車でハドソンリバー対岸のNJ側からマンハッタンを望む絶好のスポットに連れて行ってくれたので写真を撮ってきた。次に近くのホールマートに行くとボクシングデイということもあって込み合っている。帰りに家に戻るバス路線を教えてくれた。家に着くと誰かがちょうど訪ねてきたところだった。なんと功次だ。太って78キロあるという。

2人でマンハッタンを車で回って昔住んだクイーンズを見て功次家族の住むマウントキスコに行くことにした。

リンカーントンネルを通って懐かしい我々の卒業したジャンジェイ校の横を通り5番街を下ってバッテリーパークのMTAカスタマーセンターに向かった。1週間使えるシニア用アンリミティドメトロカードを半額の15ドルで買うためだ。

トランプタワーのあたりを通ると警察の警備がすごい。大統領選のあとの負担はNYPDにとって頭痛の種のようだ。ずっと南下してアイアンビルが見えてきた。近くにあったバーンズアンドノーブルはもうなくなったようだ。ようやくストーンSTのカスタマーセンターにたどり着くと月曜は休業日だった。明日にしよう。

クイーンズボローブリッジを通ってクイーンズに入って懐かしいラガーディア校に向かった。僕が最初に入学した学校で赤とクリーム色の校舎がセピア色の記憶をよみがえらせてくれた。

あのブロードウエイを通って僕のいたアパートや功次夫婦が住んだ家をまわった。功次はその後マウントキスコに移ったのだ。

ギリシャ料理店に入って昔街角でよく売っていた肉とパンのカバブを注文しようとするが店員は要領を得ない。ようやくポーク串焼きとジャガイモの皿がでた。肉はまぎれもなくあの味だった。

スターバックスでコーヒーを飲んで夕方になり通りに街灯の火が付く頃になってマウントキスコに向かった。

功次のコンドミニアムのあるあたりは超高級VIPの居住区でクリントン夫妻などの住む地域も近い。

奥さんと17歳の慎くんと13歳のカレンちゃんの4人暮らしだが子供が大きくなったらコンドミニアムは月20万くらいで貸したいそうだ。教育費が大変で学費も4,5百万はかかるみたいで年俸1000万でも苦しいという。今は仕事がネットワークのほうではなくシステムのマネジメントの方で死ぬほどのストレスを受けたような時期もあったそうで日本人居住者同士の付き合いとは一線を画しているという。さすがに車社会の国らしく車でのトラブルもよく経験していて僕が事故を訴訟で争った件についても保険の処理についても詳しく理解してくれていた。毎日通勤に片道1.5時間かけて100キロ走り。年間50000キロに達するという。そして当時の思い出話に花が咲く。

お土産のかりん酒とブレンダ用のスダチ酒を間違えて渡してしまった。ま、いいか。

シルバーナに電話して明日の待ち合わせの場所時間を打ち合わせる。

子供たちに手がかからなくなったときはまたいつか会いたいものだ。

家からジョージの家まで車で送ってもらう間の1時間も話しは尽きなかった。

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再訪NY3日目

2016年12月25日 | Weblog

■ 起きると11時。ぐっすり眠れた。外で太極拳をしてゆっくりしているとリンダが起き出し食事の支度を始める。

皆にお土産をわたし、ブランドンがクリスマスプレゼントを開き始める。僕にもパジャマの贈り物があって感激。

夕方Georgeの妹さんのエマの家を訪問する。ニューアークからエリザベスを通ってニューブランズウィックの近くまで車で40分ほどの距離がある。彼女と長身の息子の家で彼女の手料理の羊肉煮込みスープに小豆まぜご飯をごちそうになる。最高にうまい。

息子さんは高校生のバスケットボール選手。ブラントンと仲良く遊んでいた。

家に帰るともう寒いのでロックフェラーセンターのクリスマスライトアップ見物はやめて暖炉に火をいれてGeorgeとビールを飲みながらゆっくりする。

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再訪NY2日目

2016年12月24日 | Weblog

■朝は3時間ちょっとくらいしか寝ていないが気持ちよく起きれた。朝ご飯はちょっと見カレー風な玄米ご飯のアフリカ料理(georgeはフィリピナ料理と主張するが、、)とサバの味噌煮風なフィリピン料理などで満腹。フィリピンのパンというのもおいしかった、ちょっと見は甘く柔らかいコッペパン風だが、ココナッツミルクがなかにブレンドしてあって健康的だ。

Georgeの家は10メートル×2,30メートルくらいの敷地の半分ほどに2階建ての瀟洒な家で上下あわせて10室いじょうある築40年くらいの建物。45年前に3000万円ぐらいで購入し自分でできる部分は自力で改装しているそうだ。

オーラ(キャオラ)のお母さんのリンダが一緒に住んでいて、食事の支度や家事を手伝っている。リンダは僕の妹と同じ66歳。数年前からここに来ている。それにしては良く英語が使えるなあと感心する。もっともGeorgeの英語がわかりにくいとこぼすがそれは僕も同じだ。彼の英語は早くて聞き取りにくいんだ、というとオーラも笑って同意した。

昨晩の夜中に引き続き、Gergeと語り合う。彼は28歳の時にケニアから鞄2つと20万円くらいの現金をだけ持って留学してきた。その時から学校で数学を教えながら大学で勉強し始めた。そして僕と一緒に勉強したシティカレッジの大学院の数学課程を修了したあと就職し、同じ職場でオラと出会って結婚した。黒人ということでやはりいろいろあったようだけどなんとか彼女との思いをとげて一緒になった。その後、転職し、40歳を過ぎて別の大学院で統計学課程を修了して2つの修士号をもつことになった。その後、転職先の会社が転職元の会社と合併することになって、以前の同僚と比べると相当な給料の差が出る結果になったそうだ。転職は自分の意志ではなくエージェントの評価で転職を薦められたのだという。彼自身ラッキーだと思っているようで成功した人生だといえそうだ。いかにもアメリカ的だと思った。年収は500万ぐらいはあると思う。聞けば色々なところを旅行していて息子のブランドンにはいろいろなおもちゃを買っている。

一人息子のブランドンはアジアアフリカの混血でなかなかハンサムだ。いつもPCにかじりついているが日曜は友達が遊びに来る。歩いて通える小学校に行っていて、学校にはいじめもドラッグもなく成績もよいそうだ。数学が得意で将来統計と確率を勉強したいというからさすがだと思った。

奥さんのオーラは始めフィリピンのツアー会社にいたが仕事の関係で観光ビザでアメリカで働くようになり転職した先でジョージと知り合い結婚・出産後もはたらいていたが、いまは落ち着いて専業主婦をしている。

■夕方になってフィリピン家族のクリスマスパーティへ行くことになった。

場所はジャージーシティで車で30分くらいだろうか。部屋の中の飾りつけがすごくて壁一面の電飾で決めている。従妹関係の同居者だという男性に紹介されると彼はかって川崎で土方をしていたと自己紹介した。こんな時、彼は日本の外国人労働者がどのように違法労働をしていて日本人からどのように扱われているかを実際に経験しているのだから実態は僕より詳しいかもしれないのでめったなことは言えないなと思う、彼は別に日本のことを持ち上げたりもしないし、けなしもせず適当な距離感を保ちながら対応する。NY的だというほかはない。

そのうちだんだん人が増えてしまいには35人ぐらいになってパーティが始まった。30万ぐらいするスピーカーセットで音楽を流したり、フィリピンののど自慢ショーみたいなビデオをかけたりしながらフィリピン料理を楽しむような形で進む。そのうち景品の抽選が始まり、ブランドンなど子供には集中的におもちゃが当たったりでにぎやかに進む。そのうち皆から10ドル集めてルーザーと当選者を組み合わせて呼び上げていくゲームを始めた。景品が現金に変わり、当選者以外がなにももらえない、というのだからまるで博打なのだが、結構盛り上がる。

女性参加者のほとんどが兄弟かいとこ同士だというので沢山いても基本は1家族なのだそうだ。フィリピンの家族は10人兄弟みたいなのが普通にあるようだ。若い人のグループのNYなまりの会話にはついていけないし、年配のおばさんたちのタガログはわからないが別に気づまりでもないく結構興味深く人間ウオッチングをたのしめた。

サムという左手と下肢が不自由な障害者の若い女の子がひどく気になった。隣に座って特に介助するわけでもなく時々目を合わせたりするとにっこりする表情がたまらなく素敵で愛らしい。障害のある子は可愛いのだというのはこのようなことをいうのかなと思う。片手で器用にスマホを操り、ネットで盛んにコミュニケーションをしているようなので、つい、音声認識できるのか聞くと問題ないみたいなので感心した。あとで、Georgeに誰かいい子いたかと聞かれたときサムの話をすると彼も納得の表情。

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再訪NY1

2016年12月23日 | Weblog

 

■深夜バスで鍛冶橋駐車場に早朝ついたので空港バスで第2ターミナルについた時も時間があったので一度ゆっくり成田空港見物することにした。しょっちゅう利用する割には空港内のことをしらない。いつも時間に追われながらスケジュールをこなしているからだ。

まず、第二ターミナル国際線の出発階3階のチェックインで中国東方空港のチェックインカウンターCを確認する。今回初めてモバイルWiFiルーターを借りることにしたのでその引き渡し場所であるQRなんとかというコーナーを探した。ルーターの返却は同梱の封筒に入れて到着日の翌日消印までに間に合わせて投函すればいい。

2ターミナルから第1ターミナルへ行くバスがある。第2には国際線駐車場と国内線駐車場がある。第1は1か所だけだ。バスは無料。

ショッピング階の売り場を歩いている途中でハワイの新しいヒルトンホテルのキャンペーンにつかまってハワイ旅行の抽選応募させられた。お土産にもらったボールペンが意外に役に立った。

GeorgeからSMSで連絡がきた。彼とはこのショートメッセージで連絡することになる。

デルタラウンジを探したが第二ターミナルにはない。しかし中国東方航空はSkymilesのメンバーなのでマイレージもつくし、チャイナエアのラウンジが使えた。なかなかいい居心地だった。

上海までのフライトでは隣の席にIlia Blokhというロシア系ニューヨーカーが座って話し込むことになった。

上海のプードン空港では3,4時間待合室で待たされてニューヨークまでは隣に座る人もなくずっと映画を見ていた。

JFKではまず到着したことをGeorgeに連絡してパスポートコントロールの長い列に並んだ。パスポートの読み取りと指紋登録は機械でしたが、これは初めての経験だった。上海でもチケットとパスポートのチェックをマシンでしたが、NYのマシンでは日本語の説明が出てきた。

バゲッジクレームで荷物をピックアップして出口を通るとジョージの妻のキャロラ(オーラ)が待っていて外の車で待っていたGeorgeと彼らのラザホードの駅まで行く前にチャイナタウンで食堂にはいる。

チャーハンやラーメンを食べて車でロックフェラーセンターの前のクリスマスツリーの飾りつけの準備やタイムズスクエアのにぎやかなネオンをみて家に向かう。リンカーントンネルを通ってから15分も行けばラザホードの家に着く、すでに2時をすぎていた。

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おみやげ

2016年12月21日 | Weblog

■観光コンベンションセンターの橋本さんに旅の土産に友人に福井の観光資料がないか、と聞いたところ、いい写真集があるといわれてもらいに行った。昔、トンガの国王に写真家の水谷内さんの写真集を持参して喜ばれたことを思い出した。薄い写真集だが県外の写真家が協力したといういい感じのものだ。英語、仏語、簡体字、繁体字、韓国語の版がある。こんなのがあるとは知らなかったもったいない話だ。その他のパンフとともに4部もらってきた。いいお土産になる。
 
荻野さんから電話があり、ロシとも話した。来月16日からコスタリカへ行くとのこと。ロシに東京の生活は高くつくだろうと聞いたが意外と安上がりだという。別に出歩くこともなければそんなものかもしれない。荻野さんのアパートにもまたお邪魔することになるかもしれない。
 
やすぶん君のところでブレンダのお土産を探した。カボスとカリンを間違えたがカリンはコージの奥さんに持っていくことにして、間に合わないカボスの‎代わりに安文君おすすめの一本と500円の黒龍を持ってくことにした。梵は海外向けに作られているようで感じもいいが、意外とアメリカに出ていたりして黒龍のほうがレア感高いかなと思った。
 
今回訪問する4人は皆離れている。ジョージはNJのラザフォード、コージのマウントスコも相当あるし、シリのフローラルパークも相当ブルックリンの奥だ。シルバーナのブルックリンのホールStが一番町中かな、、。楽しみだ。
 
夜ソフトバンクの営業所でローミング設定の確認に行った。電話のほうはUS各社共通。機内モードはずし、キャリアを固定してモバイルデータ通信オフ、ローミングオフでモバイルWiFiだけでインターネットすれば1日1000円以下で使えるはず、電池切れなどの時にローミングすればいいが、そのとき着信データが全部一緒に入るから高くつくとのこと。ローミングより電池切れ対策のほうが重要ってことかな。そのため今回の予備バッテリー(ELECOM 6400)は強力なものを用意した。
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