くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

参院選挙

2007年07月30日 | Weblog
■このところだいぶブログをサボってしまった。車庫証明以外の相談事が多くて踏ん張りが利かなかった。日曜も朝から依頼者宅にいたので選挙には行かなかった。

今回の選挙は全然興味がわかなかった。まだ比例代表制と1人区などの組み合わさった選挙の効果がピンとこないのだ。ただ結果の自民党の大敗で参院は民主党が支配することになったことには満足している。

日本の参議院の意味が突然見えてきた、という感じだ。アメリカの共和党、民主党が4年ごとに交代するという絶妙なバランスをずっと保っていることを、いつも”すごい”と思っているので、これをきっかけに遅れた日本の政治がもっと近代化するきっかけになればいいと思う。



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運転免許更新

2007年07月26日 | Weblog
■誕生日が近づき運転免許更新の通知が来たので運転センターに手続きに行った。信号無視の違反があるので違反者講習ということになった。この前、東京へ行ったとき夜中にトラックの後ろにくっついて走ってたら赤信号に変わったことに気づかず、後続の僕の車だけ捕まってしまったときのものだ。

講習はなかなか手際よく構成されていたと思う。特にケーススタディ風に事故の可能性を指摘させ、その対策を考えさせるブレーンストーミングのビデオがあった。なかなかうまくできていて、問題点がよくわかる。ビデオが終わって皆さんはどう思いますか?という話があって、ビデオで事例を討論した問題点以前に、その事例の状況設定自体がすでに違反状況にあるんだ、という「オチ」がついていた。憎い演出だ。

昔はほんとに退屈な講義だったが、いまは良くなったのだろうか?それとも人生経験を経て自発的に興味深く理解できるような歳になったからだろうか。
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M女史のこと

2007年07月24日 | Weblog
■劇場主M女史から事業手仕舞いの話を突然持ち出されてからはや1月が過ぎようとしている。ようやく決心してくれた、という感じで受け止めた。事業自体が低迷していたことよりも精神的な落ち込みが決定的だと思っている。

彼女の精神的ケアを助けるというようなことにもなるだろうと思い、鬱だと思い込んでいる彼女の話し相手をつとめるうちに、彼女の波乱万丈の半生に引き込まれてしまった。

極貧の幼児体験と母親の虐待、ばくち打ちの父親の事業の成功と大金持ちの生活。親から押し付けられた結婚相手は放蕩やくざ。離婚後1人で父親の事業を引き継ぎ魑魅魍魎渦巻く男の世界に飛び込み成功する一方で、家族間の遺産をめぐる争いと姉妹間の愛憎問題に悩む日々。

2人の息子を立派な医者に育て上げたことが彼女のすべてだったのだろうか。後継者がいないことが直接の原因なのだが、彼女自身何か感じ始めたのかもしれない。自分の直感だけしか信じないようなやり方になにか限界を感じたとか、、。それは違うかな。

彼女の人生はともかく手仕舞いの仕事がおもいのほか面倒になってきた。

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横井小楠のこと

2007年07月23日 | Weblog
■AOSSAの桜木図書館にはじめて行った。PCの持込みもでき席もすいているし、図書も充実しているように思う。駐車場は福井駅のところを使うのだろうか、ちょっと不便かもしれない。

書棚の横井小楠の本を見つけたのでついよみふけってしまった。ずっと知りたいと思っていた、彼と由利公正と坂本竜馬の関係がようやく明らかになった。なぜあの坂本竜馬が福井くんだりまで来たんだろう、という小さい時からの疑問。昔の足羽山にあった旧歴史館の中にあった坂本竜馬の肖像画の意味を忽然として了解した。

要するに日本で最初に株式会社組織を作って倒幕のための戦争を企てた坂本が薩摩・長州から兵や軍艦の現物出資を得て越前の松平春嶽から金銭出資を得る目的で福井まで来たのだった。それほどまで安政の藩政改革、財政再建は成功し福井藩は潤っていたようだ。

その仕掛人が熊本藩から春嶽にヘットハントされた儒学者横井小楠で彼の構想を忠実に実行したのが由利公正。横井の構想とは、年貢の残りの商人が取引していた部分を藩が藩札を発行することで買い上げ長崎などに作った代理店を通じて諸外国に売りさばいて利益をあげること。そして藩札の流通を担保するために取引の独占権を与える代わりに富農や豪商から拠出させて本来何もないはずの藩の金庫をいっぱいにするという離れ業をやってのけたのだ。

士農工商という身分職能制度を覆し、後の兌換紙幣制度、地域通貨、等各種金融制度に繋がるダイナミックな財政政策を実現したのがすごい。勝海舟に西郷隆盛とならぶ恐るべき男といわせた横井小楠とはそんなアル中の異端児だったらしい。由利は初代東京都知事をつとめたはず。そんな横井や由利を縦横に活躍させるという春嶽の人財活用政策はもっとすごいというべきかもしれない。

とにかくこんな郷土の歴史を今まで知らなかったことは内心じくじたる思いがするが、US独立戦争のときのワシントンの右腕のハミルトンのように、とかく財務担当者というものはきわめて重要であるにもかかわらず政治家の陰に隠れて影がうすいのかもしれない。

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上海旅行

2007年07月21日 | Weblog
■しばらく忙しい日々が続いていたので10月に予定している上海旅行の予定が気になっていたが今日はHISで相談して決めることにした。

美香さんとそのお父さんのアドバイスを入れて10月1日の国慶節でにぎわう1週間は人ばかりでゆっくりできないのでその後の第2週目が季節的にも最も気持ちのよいときだと判断。仕事が暇な月初めの内でウイークディを避けた日程を探した。

毎日上海便のある関空から出発するかそれとも火曜木曜日曜だが近距離の小松発にするかを決めることにした。関空までの旅費を考えるとコスト的には小松発が安くなりそう。

連休はじめの7日発は72000円、連休明けの9日発は58000円。帰りは14日の日曜便があったので、9日発14日帰国の日程にした。10月第2週は休業することになる。

■美香さんちに行ったらお父さんから上海で僕の嫁さんを探しといてあげるから写真持ってきてくれと言われた。50歳後半ぐらいがいいだろうという。ちょっとあせった。まだ上海暮らしまで6,7年はあるはずなんだけど、、もうちょっと若い子にしてもらえんかなあ。これは縁だから親戚みんなに声をかけて探してあげるから早くから準備をしたほうがいい、、というお父さん。8月には上海に戻るお父さん。こういうことはなりゆきに任せたほうがいいという。そして10月には間に合わせると胸を張る。いや~!妙な展開になってきた~!
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料理教室

2007年07月15日 | Weblog
■美香さんの上海料理教室にたくさん誘って参加。特にM女史をしつこく誘って彼女を家から連れ出すことに成功した。

Mさんは自称「うつ病患者」。医者からは直っているといわれているそうだが、本人は薬を飲んでいるし午前中は気力がなく「うつ」っとしているらしい。とくに最近、廃業し財産処分にとりかかっていることもありストレスのかかる毎日を送っている。毎朝、毎晩電話がかかってくる。いろいろ話すと不安感がなくなるようだ。

「上海料理きらい?」「わたし歯が悪いからあまり食べられない」「スープ飲むだけでいいじゃん」

「台風か来てる」「台風それたよ」

「犬がいる。わたし犬きらい」「あそこの犬はだらしなくて吼えてもかみついたりしないよ。家にも入れないし、、」

「せんせの車には搭乗者保険もついてないし、、」「友人のY君がプリウスで行こうって言ってくれてるから、、」

今日のレシピは麺のバリエーション。いろんな食材を組み合わせてを麺と一緒に食べるというもの。メロンの出荷時期なのでメロン作りをしている人がおいしいメロンを持ってきてくれた。この農場はこういうことがあるのでうれしい。

「全然知らない人と自然に食事ができるのがよかった」とのMさんのコメントを聞いて一安心。しつこく誘ってよかった。
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電子同窓会

2007年07月12日 | Weblog
■藤島高校「13組」の同窓会をした。場所は駅前「日本海庄や」。急に決めたのは東京で開催する同窓会と「同期」させて「同時多発」同窓会にして盛り上げようと画策したためだ。

東京会は6時30分から始まる。参加するはずのY君の携帯番号は知っているのでなんとか連絡はつくだろう。写メールの交換くらいはできるだろう。会場は何回か使ったことがあるが分りやすい場所で料理は3000円からあるので手ごろ。堀コタツ風に座れる座敷になっているのが楽。なにより適当な人数でパッと予約して半分くらいしか集まらなくてもあんまりうるさいこと言われないのがいい。

今回の大義名分は鈴木先生の「叙勲」祝賀と東京会との同時開催。用事のあった先生も出てきていただいたし、前回は皆に「出てこいよ」といっておきながらドタキャンしやがった3人組も来た。いつも法事で出られないといってるMも顔を見せたし、用事が重なっていたSさんも遅くなって駆けつけてくれた。

メールでの写真交換には手間がかかったがやっとできた。「これってだれ?」「どれどれ」、、、。東京のほうも苦労してるようだが、こっちはそんなもの興味もない、といった風情。かってにスイカのはなしとかで盛り上がっている。まあ、IT事情は遅れとるんだわ。Eメールする人が極めて少ないという、、、。

「叙勲」のお祝いなんて一切しない。単なる飲み会の口実。先生によると「叙勲」では他に何一ついただくわけではないのにどこから聞くのか有象無象が「せびり」にくるそうで大変だとか。お祝いをもらうとお返しもあるし、盛大な叙勲祝賀会もあるそうでうっとうしそうだ。こちらはこんなプライベートで気軽な同窓会なので今日は楽しんでくださったようだ。

先生からクラスの西川君が先日肺がんでなくなった話を聞いたのだが僕が間違って西田君と伝えてしまったので一部混乱が生じた。「えっ、2人も死んだんか?」

U君に電話連絡したとき、彼はいつも出席しないと言ってるわりにはいろいろ聞きたがるやつだ。「何人死んでる?」「5人死んだからクラスの1割だな」。

へぇーっ、我々はもうそういう時代なんだ。
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出店挫折

2007年07月11日 | Weblog
□美香さんから出店計画は頓挫したとの連絡があった。仕事を休んだ彼女はお父さんを連れて国際交流センターに行って職員を通じて名古屋入管に問い合わせた結果不可能という結論に達したという。だから出店申請自体を出さなかったそうだ。

僕はまず出店申請を出した上でゆっくり問題点を探して対策を練ればよいと考えていたので、しまった入管にしてやられたという気がした。もちろん現在の在留資格では適当なものがなく認められる可能性が極めて少ないことはよくわかっている。しかし、前例がないというときは実際にことをおこして始めなければ行政は決して動かない。というか動けないのだ。

と、いうわけで土俵に上がる前にぽしゃってしまったという残念なことになった。今回は失敗してもリスクがないという点でいい勉強の機会だったのに。でも、美香さんが「外国人に閉鎖的な日本なんだから仕方がない」とはき捨てるように言うのを聞くと胸がつまる思いがする。

もちろん本人が納得し混乱やリスクを回避することができればできればそれでいいし、行政の方針を的確に尊守させるのが行政書士の役割ということかもしれない。しかし、それではただ政府のいいなり、行政の下請けの域を出ることはできない。

違法行為を手助けしていると言われるのは心外だが、日本の国際化の観点からすると違法外国人の違法行為によって国際化が進んでいる面がある。法律改正がその証拠だ。違法行為というが、守るべき法律自体が不完全なのだから簡単に破られてしまうのだ。

「行政書士に頼むより本人申請のほうが早い」とよく言われるが、行政書士より担当職員の方が知識・経験も多いのだから当然。そんな申請は本人がすればよいこと。不許可を撤回させたり前例のないことを認めさせたりできることが行政書士の理想の姿だと信じているので単に知識経験から依頼者を説得するだけのレベルで安住したくないと思っている。

それには戦略が必要。今回は戦術レベルでぽしゃってしまうというお粗末な結果に終わった。僕が入管に行く前にことは終わってしまったのだから。




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出店計画

2007年07月10日 | Weblog
■夜、上海出身の美香さんから緊急で重大なお願いがあるからと言うので遅くかけつけた。机いっぱいに書類か散乱している。「あわら温泉屋台市出店応募」「事業計画書」などの用紙が見える。

上海から短期滞在で来ている日本語の全然できない彼女のお父さんと一緒に「上海料理のお店」を出すという。市長とその奥さんが必要なことは支援するからということらしい。明日が応募しめきりだという。申請用紙は白紙のまま、、。

まず、お父さんの在留資格申請を考えなくちゃ。即、力強い行政書士仲間であるKさんに連絡をとり対策を協議。可能性として①投資経営②技術③特定活動があるが、「特定活動」でいこうと決める。

となりで旦那さんが夜営業時間をとられて家庭が留守になることを心配。お父さんもこれが原因で彼女の仕事をやめるようになってはいけないと気にしている。言葉のできないコックひとりでどうやって店をきりもりしていくか?

券売機をつかえばいい。部屋を借りて寝起きすれば送り迎えがいらない、、、。

なんだか妙な展開になってきたが、だめならだめでいいんだからやれることやってみよう。「あわらに言葉の全然わからない中国人がはじめた上海屋台がある」ってニュース性がないかなぁ。

とにかく、申請を間に合わせなくちゃ。彼女のペースで文章を、、出店の動機は、、、と。

とりあえず、なんとかできた。なんか面白そうなことになるかも。
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在留国籍関連相談会

2007年07月08日 | Weblog
■行政書士会武生支部主催の在留国籍関連無料相談会があった。鯖江の交流センターの会議室で4人がかりで2つの相談に対応した。

ひとつは永住申請に過去の交通違反が障害になるか?という微妙な問題。運転経歴証明書を取れば5年前までの記録は分るがそれ以前の事項もチェックされて虚偽がないかどうか審査されるらしい。「素行が善良」であるという要件にあたるのだ。

家族申請の可否、保証人の要件、許可までの時間などのポイントが勉強になった。

もうひとつは在日中国人3世と結婚したいという女性はその親から結婚前に彼の帰化を要求されていると言う。娘の結婚相手が中国人ではいやだ、という親の心理だ。当然彼の親はその頑迷さに反発する。在日なら日本人と同じだからだ。

我々は結婚後の帰化の方が簡単だからさっさと結婚しなさい、親御さんも連れてきたらいい、説得したげるから、、なんて方向に持っていったのだが他の選択の余地はあるだろうか?帰化失敗の可能性は、、、?。

後で友人と相談してみると、2世3世の帰化申請で中国残留孤児1世の在留資格に不備が発覚したときは申請者が強制送還されてしまうという悲劇がまだ是正されてないという問題もあるそうだ。帰化もへたに間違うと危険な結果を招く。

行政書士の業務として在留国籍関係は必要な知識量に比例する需要が見込めない分野のようにも思えるところが悩ましい。しかし今後の需要の増加を信じてやってみるしかないかな。
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