くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

クラス・総会・パーティ

2011年05月29日 | Weblog

■昨日は僕の新しい行政書士会員証が本会から届いた。これからは福井の会員として業務を行なうことになるので名刺ぐらいは作らないと、と思って「ラベル屋さん」をダウンロード。前日からFACEBOOKの設定に僕の写真を登録したりして友人検索をしていた。これからFACEBOOKに登録してあるといえば、名刺交換なんてこともいらなくなるなぁ。しかし、とりあえず書士会懇親会にまにあわせようと思ったが、印刷用紙がないのに気づいた。急いで「A-one」マルチカードを買いに、、、。あれっ、型番と設定がちがった、、設定変更しているうちに入力データが消えてしまった、、時間切れだぁ!

ボランティア日本語講座にでかける。このクラスは日本語教師検定にはあまり役にたたないというけれど、内容がとても面白い。日本語の通常生活で必要な語彙数が1万語でこれはヨーロッパ言語の3000語に相当するという指摘は意外だった。日本語初級で必要な漢字数は300。これは小学生で学習する内容だそうだ。日本語に過去形はあっても未来形はないとか、「この」と「これ」の違い、動詞は文の最後で過去や否定はさらにその後に来る、、など知らなかったことばかり。数を数えるにいたっては面倒なことこのうえない言語だ。なるほど、「いくらですか?」なんて言葉は覚える必要がない。それよりちゃんと数字を聞き取ることのほうが必要で困難だ。日本語はむずかしい、、、。

行政書士会総会会場に行ったときは政治連盟の総会の途中。ちょうど横の席が鯖江センター長の笠川先生。僕の「提案」について言いたいことがあるといわれ、会議の後会場で話した。提案自体がもう拒否された内容なので議論する意味がないのだが、僕の提案に対し細かくコメントをメモされているのを見てうれしかった。提案自体が伝えられたかどうかさえ疑問に思っていたから、、。こんなことがあればもう2度と話す機会もないと思っていただけに「提案」とは関係なく懇親会の席でいろいろプライベートな話ができたのはよかった。

彼女以外の「関係者」からも、ブログに関して直接抗議をうけた。実際に全体を読んでくれているのか噂を聞いただけなのか断片的な内容でわからないが、相当関心をもたれているらしい。これまで何の反論も抗議もコメントされなかったので完全無視かな、と思っていただけに意外に気持ちや主張はそれなり伝わっていたのかも知れない。僕のこれからの仕事やビジョンについて話たい人がたくさんいたのだが、時間をとられてチャンスがなかったのは残念!まぁ、それでもブログの反応が確認できたのはよかった。

いそいでサルサラボにかけつけたが、はかせさんのレッスンは始まっていた。他のメンバーは金沢のパーティに行ったのか、男は僕ひとり。
例のごとく、基本と称するややこしいステップは時間いっぱいに覚えるのでいっぱいいっぱい。エディ・トーレスのオン2最初のビデオを見せてもらった。「意外でしょ」と言われても、現在のオン2との微妙な違いはよくわからないというのが正直な話。しかし、妙にヒラヒラしたアフロなステップだな、という印象がある。きっと、これはNYスタイル創始者の「幻の映像」で貴重なものにちがいない、、、。

ルイスの留学生パーティが始まった。レゲトンみたいなクラブミュージックばかりでサルサがない。20代の男女中心で4,50人はいるだろうか?だから、当然いつもとは全然ちがうムードでみんな所在無くぶらぶらしている感じ。ルイスとは前日FACEBOOKでつながり、彼のイベント機能でパーティ参加予定者30人以上とアクセスがあることを知った。このFACEBOOKの「イベント」は使えるな、と思う。僕がいつの間にパーティ参加予定者になってしまっていたのかがわからないのだが、、、。

カップルで来ていた若い男女から「はじめてなのですが、どうやって楽しめばいいんでしょう?」と、聞かれて(そんなことこのオレにきくかなぁ)と思いつつ「クラブで踊るみたいに適当に体動かして、、、」「クラブって行ったことないんですけど、、」

そのうち、皆、数人でサークルになったり別のサークルにはいったりしながら踊りだし、そのうちどこからともなく電車になって人の輪が大きな渦になったりして盛り上がる。若いヨーロッパ系留学生など、ぼんぼん跳ね回って、、意外と日本人の男女や学生以外も来ているようだ。

今、大震災のボランティアに行っている中瀬さんに代って篠尾町Logyの6月25日のパーティの案内状を配っているうち、2時になってパーティも終わった。そして雨の中を自転車に乗って帰って行く人も多かった。

あぁ、今日は疲れた、、、。

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ターニングポイント

2011年05月26日 | Weblog

■先日、福井車庫センター所長から電話があって僕の丹生センターの処遇と会の規約整備の提案を拒否してきた。センター協議会も福井センターも関与しないという形になったので後は鯖江センターを相手にすればよくなったが、実質的にはもう仕事ができないのだから今までの経過で法的に保護される損害があれば訴訟で取り戻すということしかできない。問題は次の代理申請ネット企画に進むためにどう気持ちを切り替えるかということだ。訴訟で決着をつけると考えると時間がかかるのでなかなか気持ちが切り替えられないことにもなるが、、、。

訴訟代理人には僕の懲戒請求をした時の相手方代理人のA先生にお願いしよう。直接はなんだからまたI弁護士にお願いして紹介してもらうかたちにして、、、もちろん受けてもらえないかもしれないが、こうしておけば相手方はA先生に訴訟代理を依頼することはできなくなるのでA先生も断ることができる。おたがい仕事でやっていることで個人的な感情は何もないから特定の敵とみられるような関係にはなりたくないという配慮でもある。それよりI先生には訴訟での決着自体の考えを聞いてもらいたかった。I先生との連絡がつくまでの間、妙に重苦しい気持ちでぶらぶらしているといつの間にか同志S君の事務所のまえに、、、。

「なにかこのところくまさんおかしいよ!暗いブログばっかりで、、、本来のくまさんはいつも世界をとびまわっていてそんなごたごたなんて意に介しないはずなのに、、、大震災のときなどまさに専門に勉強してきた危機管理の話などブログで展開して欲しかったのに、しょうもない連中のごたごたの話など誰も関心ないんだから、、、いったいどうしたの!!」

「、、、、、(また言われたよ。自分でも、いったいなんでこんなムードになっていくのかわからないのだけど、、、)」

「もう齢なんだよ!年をとると人間視野がせまくなるもんだ!訴訟なんか絶対だめだ!くまさんならどんな仕事だってできるんだし、いくらでも新しい仕事はあるんだ。人間仕事とのかかわりで社会と繋がるんだから、きもちのふんぎりをつけて前を向いていかないと、、、」

「、、、(そうだとは思うが、、どういう風にふんぎりをつけるかがむずかしい、、、、でも、おっしゃるとおりです、、、」

先日、サルサの友にいじめの対策を相談された時に持ち出した僕の「着地点決定基準法則=真理は中間にあり」を思い出した。相手から逃げ出すか、それとも相手を追い出すか?その中間は、、なんとか相手との共存をはかる、、それが自分を守るベスト、とはならないにかもしれないがベターな着地点だ、という認識だ。そう考えると僕の方針もずれていたかもしれない。はじめからあきらめて廃業し趣味に生きる人生と、最後まであきらめることなく信念を貫きとおす人生。その中間で、周囲と協調できるかぎりの事をする。ならば、僕の提案がそれだろう。僕はちゃんと着地点に降り立っているのかもしれない。

どうしてぼくの判断や考えが暗くネガティブな印象を与えるようになってしまったんだろう?きっと、周りがみんなネガティブだったからだ。そうだ!僕のまわりは皆敵ばかりだと思っていたからだ。味方をつくれそうにないと思い込んでいた。それは俺一人で何とか処理できるだろうという傲慢さもあったろうし、なにより僕自身のためだけに努力してきたからだ。人は他人のために行動するときにこそ自己のパワーを発揮できるものだ。僕自身のためにだけでは僕自身の元気はでてこない、、、、、と、考えると気持ちがスーッとして元気が出てきた。

東京にいる会長に電話してネット受託関連の企画は支部長のいる広報でやらせてくれと頼むと総会には出るのかと聞かれ、総会が土曜だと知った。事務所移転手続き中で連絡が旧事務所に送られていたのだ。書士会事務所に行って懇親会にだけは出るようにした。その日は日本語のクラスがあり、夜はルイスの留学生パーティがある。

気持ちは決まっていたが帰りにI先生の法律事務所に寄って「人生相談」をうけた。

「長い人生、仕事とったとられたって事は誰にでもあるよ!今の人はネットとかあるんだし、、」

「僕は仕事を始めたときは救世主のように受け入れてもらったのにその1番の仲間から追い出されたという気持ちもあるし、、僕も人から同じ相談受けたらむずかしい訴訟なんてやめろ!って言うんですが、僕はもうこの年になって回りに気を使うようなこともない。人生最後の仕事と思うので他人から何をいわれようと気にしません。いままで何のために法律やってきたんだろう、と思うと僕のばあいは最後に自分のために訴訟技術を使うことでふんぎりをつけることもありかと、思って、、、」

「私はもう自分では仕事はしないのだけど、、論点を整理して是非「法テラス」に行ってみなさい!ご存知でしょ。若い弁護士が相談に乗ってくれますよ」

(、、、、、うーん弁護士が薦める「法テラス」か、、、、なるほど、、、)

いっときしてはっと気づいた。先生はすばらしいヒントを下さった。そうだ!行政書士会の「法テラス」ならぬ「手続き申請テラス」をネットで作ればいいのだ!

今日をターニングポイントとしよう。

 

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みんなの日本語

2011年05月21日 | Weblog

■国際交流会館の日本語ボランティア入門講座を受講することにした。時間が土曜の中国語のクラスと重なるので中国語クラスは中断することになる。この講座は2ヶ月続くがそのあと後半もあるようで一通り終わるのに1年くらいかかるのかもしれない。

時間を間違えて30分遅れてしまったのだが、初回なので受講者の自己紹介があって、その途中に席に着いた。隣の中年の男性の受講目的はロシアに住んで日本語を教えたいそうだ。引き続いて僕の番がきたので、僕も同様に中国に住んで日本語を教えたいと言った。

受講者は数十人いて女性が多いようだが僕のような中年の男もちらほら目にする。言葉の話になって明らかにタイ語に造詣が深いらしい人がいたりして、同じように海外で第二の人生を、、という考え方をする人が少なくなくなっているように感じた。

ロシアの彼はしょっちゅう行っているらしく詳しいようで、僕はロシアに行ったことがないがバルト3国など行ってみたい、と話していると、前の席の若い女性が「今年の夏にラトビアに行くんです」といって話に入ってきた。聞いてみるとロシアの彼とは顔見知りだとか、ラトビアに留学していたとか、、なんだかこのクラスもいろんな個性的な人がたくさんいそうだ。受講生には日本人だけでなく中国籍の人もいる。

テキストの「みんなの日本語」は海外で定番のベストセラーだそうで、十数ヶ国語の副読本が使われているそうだ。この中国語、スペイン語版は中国語、スペイン語の勉強にいいかもしれないと思った。

日本語としてちょっとした面白い発見がいろいろあるのがいい。外人に「シ」と「ッ」の文字の区別をどう教えるか?ひらがなの「し」「つ」の書き順で教える、、そうだ。なるほど。

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ブログの功罪

2011年05月18日 | Weblog

■友人から最近の僕のブログは相手批判が多くて感じが悪い、というようなメールをもらった(コメントではなく)。なるほどと反省することがある。書き手と読み手にはおのずと違いがある。読み手としては面白い内容を期待するが、書き手としては思いのたけをぶちまけてフラストレーションを解消したいという気持ちも確かにある。このところ僕がもっとも重視しているのは日記本来の記録という機能だ。大事な事件がいつ起きてどういう状況だったかを後で思い出すにはブログが役に立つのだが読者としては面白くもないだろう。

2年前に僕が理由なく懲戒請求された時、孤立無援の戦いの中で唯一の支えがこのブログだった。誰にも聞いてもらえないことでもブログの中では自由に言えるし、先の見えないプロセスの中でその時点での証拠を残せるし、記憶をたどって事件の流れを確かめ次の戦略をねることもできる。一歩まちがえれば無理やり犯罪者にされてしまうところを最後までぎりぎり気持ちをつなげて抵抗できたのはこれがあったからだ。以後、僕にとってブログは喧嘩に不可欠のツールとなった。相手を批判すればするほどアクセスは多くなることもわかった。一般の観客は正義正論など求めていない。下品な泥仕合が見たいのだ。

車庫証明の仕事のトラブルも売られた喧嘩を買うつもりで始めたわけではないのだが、敗戦続きでは文句もでるし愚痴もでる。みっともないことこの上ない。あきらめの悪いやつだと思われるのも癪だ、、、、、と、いうわけでアクセス数を犠牲にしても批判めいたと受け取られそうな特定の記事は非公開にすることにした。仮に公開することがあっても極く短期間だけにする。

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サンデル教授の大震災特別講義

2011年05月05日 | Weblog

■「究極の選択」というこの番組は見ごたえがあった。ハーバードと上海の復旦大学、東京の大学生に作家、女優、ジャパネット高田が参加していた。大震災復興の中で危険な作業をする者をどうして選定するか?原発の安全性を追求しながら推進するか、原発依存を止めるか?海外からの救済支援は国際政治に影響をあたえるか?等々興味深い内容で深い議論があった。

教授が紹介したルソーの言葉の中に、国際支援をしたい気持ちは相手が遠くにいるほど薄まってしまう、ヨーロッパ人相互の間とヨーロッパと日本との間の関係はちがう、という文章があるそうだ。これをどう思うか?という質問に対し、もし彼が現代に生きているならYou tubeで大震災の惨状を見てそんなことを言わないだろうという人がいた。

これを受けて、コミュニティの概念が現在は拡大しているのではないか?そして、ボストンの学生が、日本人は震災時に冷静で秩序を保って行動しているのを見て自分のことのように誇らしく思った、との発言を例にあげた。そして最後にこの講義が日本の被災者の皆さんを力づける一助になることを希望する、、、、なんて形で終わらせた。

うまいなー!という感じだ。「ハーバードの白熱講義」はさすがに講義のプロ。サンデル教授の研究者としての面は知らないが、プロフェッショナルとしての講義、討論の進行役のすごさを見せ付けられた気がする。アメリカはプロフェッショナルの世界だ。

 

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オサマラディン殺害

2011年05月04日 | Weblog

■このニュースでもう911から10年経ってしまったことに気づいた。NYのジャンジェイの時のチャールズ・ジェニングス教授から被災を心配するメールが来ていた。僕の担当教授の1人で危機管理の専門家。911事件の時は直後からTVで解説を続けていた。その後、ホワイトプレーンズ(陸軍士官学校)で教鞭を取った後、母校のジャンジェイに戻って教壇に立っている。

オサマラディンのニュースでNYのセキュリティレベルが急上昇しているはずで、彼も911関連などで震災と僕のメルアドに行き着いたのかも知れない。生活のいろいろなところに影響が出ていることや、風評被害が大きくなっていることなど伝えた。

2年前に元No1女性消防士だったブレンダが来日して京都で会ったことを伝えた。ブレンダが現役で活躍しながら同じクラスで授業を受けていたころ、彼女が日本の消防庁に招待され来日する直前に僕は彼から彼女を始めて紹介された。その後、3人で日本食料理店で楽しい酒を飲んだことがブレンダには忘れられないようだ。その後、彼女はホワイトハウスに入って働いていたので今のクリントン国務長官とも親しいと聞いている。

日本の外国人旅行者が来日をキャンセルする中、NYコロンビア大のドナルドキーン教授が日本国籍を取って余生の日本永住を決めたニュースも伝えて日本を宣伝するつもりでチャールズが日本を訪問するときは歓迎するからと書いた。危機管理の専門家として被災地を見に来たいだろうと思ったからだ。

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交渉2

2011年05月03日 | Weblog

■内藤先生宅で初めて吉田先生と話をした。結論を言えば最後まで平行線だったが、双方の言い分は明らかとなった面では意味があった。僕の知らない事実や決め事を持ち出されたのでは対応できない。

まず、吉田先生が僕の仕事を取ったという件に関しては、僕が鯖江センターに持ち込まれた依頼については鯖江が処理することに同意した、と言って譲らない。そんなはずがないと言っても聞かない。

各センターは担当地区の異なる依頼が持ち込まれた時に担当センターに連絡するか自分のところで処理するかは自由なのだというので驚いた。今まで福井センターからはいつも連絡があり、当初、鯖江センターからも連絡があったのに、なぜ変わったんだと言うと、丹生署が鯖江署に吸収されるときに当然担当地区は鯖江に変わることになっているから、その時鯖江に入るかどうか協議したじゃあないか、僕が今までどうり続けると言うと、そのとき鯖江に来たものは鯖江が処理することに同意したじゃあないかといって聞かない。品川先生も一緒にいて聞いているから間違いないという。

逆になぜ今頃になって文句を言うのか?鯖江に持ってくるセールスは丹生のセンターはいつも無人だから困ると言って持ってくるから仕方なくやっているんだ。誘導は一切やっていない。誰もやり手がないから吉田先生が他のメンバーと不公平にならないようにしてやっているんだ。という主張だ。

次に、僕が事務所を移転したことについては事務所が担当地区から離れた時点で丹生センターは消滅するからもう自動的に鯖江の担当になっているから、たとえ福井と協議して福井センターのメンバーとして丹生の仕事をするなら鯖江に渡すよう抗議するという。

それなら今の話し合いはなんだ?と言いたくなる、もうこの辺でむちゃくちゃだと思うが無視することにした。内藤先生は僕が知らなかった1警察署地区は1センターの原則は崩せない、と言う。

先生はどうして鯖江と一緒にやらなかったのか?という始末だ。そういう事は規則として書いたものはないがそう決まっているので、そんなにいちいち根拠を示せと言うと皆から嫌がられるよ、といい始めた。

もう充分嫌がられている感じだ。

センター譲渡の値段交渉に入ると、もし払うとすれば吉田先生が負担することになるが、それらは大して役に立たないからどうのこうの、、しかし鯖江センター長と話すことには賛成して自分からも話しておくからという。ということは交渉の余地ありとみた。

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