くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

交渉

2011年04月29日 | Weblog

■車庫の内藤先生から連絡があった。鯖江センターがいうには、丹生署がなくなってから鯖江に回ってきた依頼については鯖江が扱うということで、僕の同意を得ているというのだ。とんでもないことだが、言った言わないでは拉致があかない。どうにも鯖江センターとの話がつかないようで、中にはいるからYと直接話をしてはどうか、と言われた。

そこですぐYに直接電話して会う場所と時間を決めたいと言った。Yとは問題発生後はじめて話をする。こっちはこのときを待っていた、という感じなのだが、、。Yははじめ何の話かわからないというような感じで応対してきたが、そのうち鯖江センターと丹生の話だから私が話す筋合いはない、あんたがやりたいのなら勝手にやればいいだろうと声を荒げて拒否してきた。内藤先生にそう話すと「話すことは全部話したからもう話すことなないというんだろう、、、提案をことわればあなたどうするの?」

「僕は福井支部会員として福井センターに入れてもらって今までどうり続けたいと思います。そうすると丹生を福井と鯖江がすることになりますが、、しかし、その前に鯖江が約800件の丹生のデータを買ってくれれば僕はセンターから一切手を引きます」「なに、、データがあるの?もう一度話してみるから、、」ということになった。

あれっ、丹生センターを譲渡したいって言った意味が通じてなかったのかな?僕がいったい何の金を払えと要求していると思い込んでたのだろう?

今の車庫センターが機能するといえば、こういうセンター間のトラブルを処理することができるかどうかだ。以前、公取から指摘された個別受託禁止を行政書士会が撤廃してからはセンター間のルール尊守はセンター自治に任せられているわけだが、、、こういう処理も出来ないようではもうセンターは崩壊したも同然、、、。

まず、センター長のKさんが一切出てこない。ぼくは最初からKさんはただ名前だけと直感していたのでYとの直接交渉を図ったのだが、内藤先生もKさんにはふれない。さて、これからどうなるのか??

夜、内藤先生からYが話し合いに応ずると言う連絡があった。Xdayは3日、13時半、内藤宅。

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面談

2011年04月28日 | Weblog

■支部移転となると事務所の写真がいるので、大急ぎで部屋をそれらしく片付けてパチリ、パソコンで看板を印刷してその紙をドアに貼り付けてパチリ。しかし、面談があるとなるとそんな看板じゃあだめだからシオタサインに頼んであった。マグネットシートで鉄のドアに取りはずし出来るものをただで作ってもらった。一緒に仕事をした彼とは長いつきあいになるがそのセンスは看板屋さんのレベルをはるかに超えるものだ。その彼も今は仕事をやめ、孫相手の毎日みたい。


あんまり無機質な事務所でも、と思い、英語の図書や大学のディプロマを飾って個性を強調!おかげで一日部屋掃除。随分片付いた。


支部長の高村さんが訪ねてきた。農業分野の知的所有権保護関係も仕事の範囲にされているという。韓国語も話せて朝鮮半島事情にも詳しいのでいろいろ話がはずんだ。前回の会長選挙の際に体制派と改革派双方から請われて支部長になったという。。金沢会と比較して行政書士の研修育成と広報活動が段違いに遅れている事情を熱く語ってくれた。専業の福井支部長は将来の会長候補だから頑張って欲しい人材だ。

僕の印象を聞いた。会で前代未聞の懲戒処分をうけた男だから悪、い印象をもたれているかもしれないと思ったからだ。彼は広報部長としてHPに僕の処分を広報する責任者だから知ってはいたが、運が悪くて税理士法違反に問われた行政書士、といった認識しかなかった。その真相を話すと、すばらしい体験をされたのだから、機会があれば是非そういう話は若い会員の研修などに話して欲しいといわれたので、ぼくも喜んで協力すると言った。僕の名誉回復にもなる。車庫証明や行政書士会の運営などにまで話が及び、重要な情報も得ることができ、僕も彼には強く協力していくと約束した。

昔の書士会のことを思い出しながら変わったと思った。扱う仕事領域が実に細かくなっている。昔、行政書士の仕事を聞いて見当がつかないことなどなかったが、、。若い会員は仕事がなく食っていけないのは今も同じだが競争相手のいないニッチな領域を気長に追跡していく途がいろいろあるように思えた。こうした専門領域とそのスペシャリストに誰でもが安心してアクセスでき、申請代理が簡単にすすんでいくサイトを行政書士会として持つ、ということが僕の最終目標となる。

どっちの面談かわからなくなってしまったぐらいだが、僕としては福井支部にとてもいい印象をうけている。もうひとがんばりするか、という気持ちになった。

車庫証明のY事務所に行く。彼はまったくのアナログで、デジタルはお手上げだから、僕の状況説明から先は話がわからない。ま、いっか。

彼のところも震災で仕事が落ちている。工場出荷前の新車がながれてしまったので車庫申請にフレームナンバーが入らないまま宙ぶらりんのケースが相当数あるのだ。今日言われて気づいたのだがY事務所の依頼フォームはすべて代理形式で委任状がつく。僕が常々問題視していた代行形式を一切使っていない。当然のことだわな~。これに対し車庫センターの意識の低さには目をおおいたいほど、、、。

ついでにT事務所に顔を出した。ここはまたいつも忙しくて、、先生はすぐに飛び出していってしまった。まあ、話しても念仏かも、、、。ここもアナログだから、、、。
久しぶりに戦場に赴くべく昔の戦友を訪ねると皆年老いて、、、どうしよう~。

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真相解明

2011年04月27日 | Weblog

■先週末に車庫証明委員長の内藤先生に私の丹生センターを鯖江センター譲渡したいという話を打診してくれるようにお願いした。対価は仕事をとられた分の範囲内で協議したいという条件だがその後はまだ何の連絡もない。内藤先生は武生と今立センターのように一緒にやればいいというのだが、いきなり仕事を横取りしておいて一緒にやろうはないだろう。

武生のW先生に電話して事務所移転の手続きをしているというと、頭ごなしにそんなことはまず武生の支部長に言うのが先でしょうと叱られたが話の中で意外な事実を知った。ディーラーから私の事務所はいつも人がいないから困るというクレームがあったというのだ。もちろん、私の耳には入っていないので恐らくセールスが間違って鯖江センターに持ち込んだに違いない。それを機会に鯖江でもやりますからこれからはこちらに持ってきて下さいといえばそうなるだろう。どうやって仕事を取ったのだろうという疑問が氷解した気がした。

委員長の考えだと丹生警察署が鯖江署に統廃合されたのだから鯖江管轄となるのだが、丹生センターの経緯は清水町が福井に統廃合され、センター長が亡くなってから一旦鯖江にやらないかと打診したがやらないというので福井がいやいや受けたのだ。そこに、僕が入ることになったので福井の会員から感謝されたくらいだ。それほど遠いし、トラブルの多い難しい地区だったのだ。僕としては一緒になるなら福井センターだと思っている。

問題はそうではなくて、横取りしたYをどう対処するかということではないのか?勝手に個人受託だ営業努力だというのでは車庫センターは一体なんだということになる。この問題をうやむやにすれば車庫センターは崩壊する。鯖江のセンター長はきっと事情さえ知らないのではないか、という気がする。

W先生に最初から知りたかったことをなんとなく聞いてみた。「YとはいつもS先生が一緒に会っていたんだけど、S先生は何も言ってくれなかったけど、、」

とたんにW先生の口調が柔らかく変わった。ぼくとの関係はしらないが、、とかなんとか曖昧に逃げられた、、。我々3人は交流センターで仲良く外国人在留相談会をやっていた時の仲間じゃないか!僕が懲戒処分を受けて国際部から離れている間に僕と不仲だったA部長に代わってS先生が部長で、Aが副部長、、、。関係ないかも知らないけど、、、。

僕が武生で信頼関係を持ったのはこの3人。うち2人に裏切られたと思った。のこるW先生も微妙になってきた。もうこれ以上内部情報は入らないかもしれない。

明日は福井支部長と支部移転のための面談予定になっている。どういう方か興味深々。


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噂の効用

2011年04月25日 | Weblog

■サルサの友人から誰にも口外しないで欲しいということで悩みを打ち明けられた。人からこういう形で打ち明けられた場合には次の3つの場合がある(と僕は考える)。まず、①1人ではとても耐えられない、あなただけには私のつらさをわかってもらいたい。②1人ではどうしてよいかわからないので、なんとか解決方法を考えて欲しい。そして③この噂を皆に流して欲しい。

黙っているだけではなにも解決しないこともあるので普通は②と理解することにしている。サルサ仲間で最年長の僕だから気を許して相談してくれるのかなとも思う。彼の悩みとはこうだ。

人付き合いが良く話しやすい彼はある女性から交際を申し込まれたのだが、年下に見えた彼女が自分より年上と知って驚き躊躇したそうだ。すると、彼女との関係が急に悪化し彼女から「貴方はもうレッスンには顔を見せないで、、」みたいな怖いメールが来たのでもうサルサの練習に行きたくない、という。

常連で古参の彼女に周囲の女性と一緒にシカトされるかもしれない。踊りに自信のない男がパーティで相手から次々と無視されるほど惨めなものはない。言ってみれば日本社会の陰鬱な典型「いじめの構造」で、「なんだい小娘のたわごとにいい男が振り回されて、、無視しろ!しっかりしろ!、、」とも言えない気がする。

実は僕自身も彼女から嫌な間合いを取り続けられていて不快感を感じているので彼の気持ちは良くわかる。情報通の彼からサルサを始めた当時から僕には加齢臭がする、とか風呂に入らないから臭い、とかいう噂が広まっていた、という話も聞いていて、女性を相手にするグループの中での人間関係の難しさは自覚している。

お陰で僕もいつも背中に女性の視線を感じて、ここでは僕が普通の年寄りだと見られると、はじき出されてしまうという緊張感をいつも感じながら行動するようになった。特殊な雰囲気や対応に流されないように情報収集しないと脱落してしまうと考えると、あの人はああだ、こうだ、あんなことがあった、こんなことがあったという「噂」は真偽は別にして知っておくことが必要なことだ。

だれがこういった情報を発信し、だれがアクセスするかということを知ることも大切だが、このグループの中で、このようなことを知るべきなのは誰なのかを考えることが重要になる。おのずとタブーが見えてきて、それがいつの日かルールになる。、、、と、考えた。


それにしても日本社会で男がサルサを続けるというのはイバラの道を進むがごとく、、、、あぁ、、、。

 

 

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soul dancer

2011年04月24日 | Weblog

■週末は忙しい。土曜はサルサカリエンテで数曲聴いて鯖江で中国語講座。帰って労働状況調査を一部回って、急いで片町のケネディクラブに、、。もうLAに戻ったのかと思っていた江川さんからライブの知らせがあって予約しておいたのだ。この後、サルサラボのレッスンに顔を出してからカホちゃんが支援しているプロペラーでのジャズライブがある予定。

クラブの中央にハモンドオルガンがあって、今日の客は妙な雰囲気。いやに田舎のおっさん、おばはん風が多い。今日は橋本有津子トリオのジャズライブでユミコさんはそこでボーカルをやらせてもらうということらしい。このトリオは全米ヒットチャート10何位かを急上昇中の世界的ミュージシャンとか。なにかちょっと品のいい普通の大阪のおばさん、て感じなのだが、、。金沢のグループが北陸ツアーを計画して福井はオルガンの手配ができたのでここに呼んだそうだ。ユミコさんだけがこの米国で名前の知られた日本人で5本の指に入るというバンドを前に緊張気味。

これはすごいな!と思った。しばらくJazzを聴いてないのだが、、。オルガンのJazzLiveなんて初めてだし不思議なくらいズーンとくる。後半など目を閉じて暗い宇宙をさまようような陶酔感に酔った。ユミコさんは翌日LAに発つという。

ラボでレッスンを半分受けて10時にプロペラーに行くと誰も来てないので、すぐそばのアリスで時間をつぶすことにした。カウンターで隣り合わせたSさんがiPodTouchを持っていたので「iPhoneつながり」になった。ソウルのグレゴリーが自慢していた星座アプリと同じような無料アプリを入れていた。聞くと、天体オタクらしい。iPhoneアプリの話でバーチャルでないリアルな関係ができるのもいいもんだ。後でアプリ情報のサイトを教えてもらうことを約束して12時になったのでプロペラーに行く。

去年と同じようなスタイルでジャズライブというよりクラブという感じで、ここは対照的に若者ばかり。テクノハウス系の曲で踊っている。ラボの連中もたくさん来ていて途中でサルサの曲がかかりだすと、とたんに狭いサルサパーティに一変した。そんなホットな雰囲気の中ではもうon2だのキューバンだの関係なく没頭できる。ラボの皆もいつになく盛り上がったような気がする。

大部分の客がいなくなっても僕一人で曲に会あわせてふらふらよろよろとゆれ動いて陶酔していると、すてきな女性が来て「ソウルダンスされているんですか?すごく、かっこいいです!」といわれて、、、「いえ、、昔、世界中のいろんなディスコを歩き回っていたもんですから、、」なんてわけのわからんことを口走って1人で盛り上がっていた。

おれってソウルダンサーなんやろか?

 

 

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不良長寿

2011年04月06日 | Weblog

■「ふたば会」の4月例会は花見の宴、、といってもまだ、、、でも、宴もたけなわのあたりで外を見ると、なにかつぼみが開きかけたような、、、。

福井新聞社の製作したニュース映画上映があった。50年ほど前のTVが登場する以前のもので、フィルムをDVDに落として一般公開できるようにしたもの。子供のころの福井の街、ハギレヤなどのセピア色の記憶をかきたてる。

久しぶりに織田病院の嶋田先生が来ていて並んで話していたら、こんな話をしていた。中高齢者を2つのグループに分けて一方はしっかり健康管理して生活し、もう一方はぐうたらで好き勝手な生活をさせたそうだ。その結果、後のグループが断然長生きをしたというデータがあるそうだ。これを不老長寿ならぬ「不良長寿」と呼ぶんだそうだ。

、、、わかる、わかる、、、。

ついでに、この前僕が食べすぎで死にそうになった話をしたら「ありうるやろ」と、、いともあっけない会話に終わってしまった。ま、いいんだけど、、。

「ふたば会」は普段どおりだが、この時期、東日本大震災でいろんなイヴェントも中止が相次ぐ。しかし、店や宿側ではキャンセル料を取れないので大痛手だ。こんな不景気はじわじわ効いて来そうだ。

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「扉をたたく人」

2011年04月04日 | Weblog

■以前に「河合」のマスターのいっちゃんが話していた「扉をたたく人」(原題TheVisitor)のDVDを借りて見た。タイトルもうろ覚えだったがiPhoneで検索。ツタヤに1本だけあった。2008年のアメリカ映画。主演はリチャードジェンキンスで脇役専門の彼が始めての主演映画でアカデミー主演男優賞にノミネートされ口コミで多くの観客を獲得したようだ。

ピアノの好きな妻をなくした62歳の大学教授ウオルターと、彼のNYの別宅に紛れ込んだ不法滞在の移民のカップル、その1人シリア人ダレクが逮捕され収監されてから心配して現れたダレクの母モーナとの関係を描いている。彼女はパレスチナ人の女優ヒアム アッパスが演じている。いっちゃんのタイプだそうな。

ピアノを習うことに失敗したウオルターがダレクにジャンベ(アフリカの太鼓)を教えてもらって夢中になるが、急に国外送還となったダレクを追って帰国するモーナとは別れなければならなくなるという悲しい物語だ。9.11後の厳しいUS移民政策の中でよくありそうな話で、地味な作品だが妙に印象が深い。

タイトルの「扉をたたく人」は意味深長でもある。映画の冒頭で、扉をたたくのはピアノの先生だが、次に扉を叩いたモーナはその後ウオルターと同居するようになる。彼女と別れた後ウオルターが地下鉄の駅でジャンベを叩き続ける最後のシーンはUSの移民政策の扉を叩き続けているようなイメージさえあった。

収監された息子ダレクと会えないモーナがダレクの彼女ゼイナブに息子が一番好きな場所に連れて行ってもらうシーンがある。スタテンアイランド行きのフェリーに乗ってただ往復するだけのコースは僕が1番好きだった場所だ。

僕との共通点は主人公の年齢とパーカッションにのめりこんでいること。辞めるつもりだった仕事をやってみる気持ちになった心境も関係あるかもしれない。

印象深いのはダレクがジャンベを教える際に「ヨーロッパのクラシックは4拍子が基本だがアフリカは3拍子なのだ」と説明した。僕はそのときサルサの音楽の特徴はまさに両者の混合なのだ、ということがひらめいた。キューバのアフリカ奴隷とスペインのフラメンコなど、そして革命前のアメリカ植民地の時代、、、、。

その代表がクラーべのリズムだ。コンガのリズムの2小節をゆっくり3-2のリズムがちょうど1回重なる。だからクラーべのりズムはコンガと1/16拍子づつずれていて、決してリズムが「合わない」のである。4拍のうち最後がヌルビートになる。4拍子だが、「ため」のある3拍子、それがサルサリズムの複雑な特徴で、魅力的なところだ。

、、、と思った!

 

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いろいろと、、。

2011年04月02日 | Weblog

■この数日はいろいろあった。パソコン修理の件は31日の年度末ぎりぎりに買い換えた中古PCが送られてきてHDDを入れ替えたらちゃんと走ったので実はほっと胸をなでおろした次第。

昔、あるシルバーセンターのLANをいじった時、後でフロア全体のPCが止まったので局長が青くなった時があったことを思い出した。デフォルトゲートウエイに同じIPアドレスを設定したルータが別にあったことがわかって解決したのだが、やばい、やばい、、、。

しかし、ネットワークに接続するためにPCのIPアドレスを確認したり、アプリケーションを遠隔操作できる状況に戻すうちにMSオフィスの毀損が見つかって、これもリモートで修復する必要があり、もうしばらく仕事が続きそうだ。

のぞみさんちで「しのぶ会」の食事会をしたとき、あんまりおいしくて食べすぎで(それが原因と思う)体調を崩し、死にかけた(ように見えた)。血の気が引き、視界が紫色に、、、。

驚いたのぞみさんが救急車を呼んだとき、僕はトイレで下痢をしながら正気に戻った。僕はもうなんともないと言って丁重に救命をお断りしたのだが、こんな夜遅く3人の中高齢女性と1人のおっさんが一緒に一体何をしていたのか?と聞かれてのぞみさんも困った、、、ようだ。翌日、近所の人は何と思うだろうか、、などと気になったりもする。

そして、NYのペルー人の友人ダンテから始めて地震被害を気遣うメールをもらった。若いときは警察官としてペルー大統領のボディガードをしていたという男でJhonJay大学の同級生で、よく一緒にプロジェクトを組んだものだ。今までメールアドレスが見つからなかったとか。返事を出した。またあってみたいものだ。

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