くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

1階食堂の家族たち

2018年11月26日 | Weblog

■ここ数日間太鼓や歌が盛んに聞こえていて祭りのようでもあるがわからない。周りの人に聞こうとするがまだまだ言葉が通じなくて、、、。

昼過ぎに下の食堂でチャオを頼むと奥の家族が一緒に食べようという。いきなり酒をすすめられ、、伝統的な家庭料理だかなんだかしきりと食べてみろという。ここの若い夫婦は27歳のなんとか(名前忘れる)おやじが43歳(53?)故郷はハロンだという。子供が2人いて6人に何人かの家族だか友達だか2,3人いてにぎやかだ。僕のことは気に入ってもらっているらしく家族の一員だそうだ。しきりといろいろゆっくり話しかけてくれるのでわかるところもある。料理はウナギだ。どうもこの祭りと関係あるかもしれない。旨いかと聞くので初めてだからよくわからないが、悪くないぐらいで答えた。

守衛のタンタンがチャンレオを作ってくれた。もう一か月すぎたから前払いしたチャンレオはなくなってもいいがまだでてくる。これ一杯50万ドンだというと彼らは目をむいて15万ドンで作るよと言ってくれた。

夕食に行きミエンを頼むと例の血を固めたゼリーに落花生を散らせた小皿と酒がついてきた。気持ちはうれしいが、、ちょっと、これは、、、。酒は断って、血のゼリーはすこし食べてそのまま残した。ここでは食事は残すのが礼儀かそれとも食べるのが礼儀なのか??

守衛のタンタンからメールがあって金がなくて明日故郷に帰れないので100万ドン(5000円)貸してくれというので貸して前回貸した20万ドン分を返してもらった。これから金額が増えていくのかもしれない。ちゃんとメモに借用書を書いて渡してくる。明日は守衛がタオにかわるのかな?

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同窓会

2018年11月24日 | Weblog

■コーエンの同窓会はIHP(インドシナプラザ)5fのなんたら37というレストランで、、。本当言うと大変だった。最初、韓国人主婦のチーフャが前回彼女の家でするなんて言うものだからそのつもりで準備しようとしたら試験でその後帰国するというので1週ずらして集まりやすいここにしようと決めて皆に連絡しようとすると帰国はやめたという。しかし何人来るかわからないし皆にsnsでの連絡するとなんと7,8人になるかも、、しかしハイホン(と思っていた)の中国人アンディまでくるという。3人の欠席は確認とれたものの、、チーファの電話も遅いし、、まあこれがベトナム式。時間になって2階の集合場所のEveryDayCafeで待っても誰も来ない。日本人妻チョウから電話があり直接レストランへ行けばいいかと聞いてきた。先生のコーエンやチーファでさえ何処に行ったらいいかと聞いてくる。ちゃんと集合場所も書いてあるでしょと思うが、、、結局チョウとチーファとコーエンの4人だけ、、。ワンは新しい彼女とのデート、アンディは中国に帰っているから来れるはずがない、、なんだ冗談かい、、。マイはたしかチョウに来ると聞いていたのに、、いや、知らないよとチョウに言われ??チョウは4か国語をあやつり完璧な日本語を話すけれどここのルールはベトナム語だからおちこぼれ爺さんとしては聞き間違いの連続、、ハノイ残留組のなかではチョウとチーファはとびぬけたベトナム語の達人であるからこの4人の同窓会の会話はまさにベトナム人でまがりなりにも雰囲気を楽しんでいられるというだけでも僕としては良しとしなくちゃ。コーエンは韓国語ができるから3か国語、チーファは英語ができないので2か国語だけ、、おっと俺だって4か国語だ中国語をいれると5か国語になるぞ!!

沢山来たら僕の実習生の調査研究の話をして協力を頼もうと思いベトナム語スピーチの下書きを書いてきたが発表する機会はなかったにせよコーエンには見せた。なにも反応なかったが、、。なにせ入学手続きの際のベトナム語クラスの推薦状を書いてもらう必要があるから、、、。

楽しい気分でわかれた。次は1月末。テト休みの前だ。

 

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ベトナム語勉強会

2018年11月23日 | Weblog

●林先生の企画でテキスト「123」を使ったベトナム語勉強会

僕が初回の「発音と語末子音の特徴」の話を担当するが参加者の希望と乖離していることがわかる。

参加者は珠美さん、その友人の日本語教師と、ゼンのベトナム語教室をお休み中の主婦の3人。

珠美さんは「勉強会」のことをただの教室と区別がつかない状態なので話があわない。

システム再検討の必要ありと感じて僕としてもプランを練り直すつもり。

 

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歯医者から帰って試食

2018年11月19日 | Weblog

■階下のレストランのメインの料理はアヒルの照り焼きだ。店舗の奥のほうに日本式に靴を脱いで上がってあぐらをかいて座れるようにひざの高さまで床を高くしてある。畳こそないがちゃぶ台のような机を囲んで車座になって男たちが飲み食いできるスペースになっている。夕方歯の治療を終えて帰ったのは6時前なのでまだ他の客はだれもいなかったが守衛のタウが家主のおばさんといっしょになって是非何か食べてみろという。

ブンのスープを食べた。名前は分からないが日本のラーメンのようなものだ。麺が材料によって3種類ある。ブンとミィエンとフォーだ。フォーはフォーガ—(鶏)フォーボー(牛)が定番で誰でも知っているがブンはこうしても食べるのかと思った。ブンは日本のソーメンみたいだから僕は自前で麺つゆとわさび醤油でソーメン風にして食べていたこともあるが、ニョーの店のメインだったブン・ダオは正直好きじゃなかった。これは茹でたブンを揚げた豆腐(ダオ)と肉野菜を一緒に食べるのだが、ようやく慣れたトックマム(エビの魚醤でヌックマムより濃厚)よりあのスライスした肉が嫌いだ。あの肉きっと内臓だと思う。トックマムと茹でたブンとの組み合わせもぼくにはかなり微妙。ブンダオはハノイだけのようだ。あのニャチャンのホアンも嫌いだといっていたのを思い出す。でもブンチャーはもちろん大好き。同じラーメン風でもブンチャーとこれはずいぶん違う。

ミィエン(これこそ「麺」に由来する言葉だ)は昨晩たべたが面が透明のやつだ。具の肉野菜が店特有の具材、つまりここではアヒル(ビット)ということになるらしい。味もまあまあいける。

日本の麺といえばラーメン、うどん、そば、ソーメン、、だがここではフォー、ミィエン、ブン、、ということになるらしい。あの世界に誇る日本の即席ラーメンもベトナムではぱっとしない。しかしベトナム製の即席ラーメンというのはすごい消費量なのだ。ベトナム人はなぜ日本のラーメンが口にあわないか?きっと醤油文化の塩味がベトナム人嫌いだからだと思う。僕がベトナム料理に慣れた原因はスープの味。唐辛子と酢とライム(チャイン)ニンニク、ショウガ、、、これは旨いなと思うようになったからだ。基本は酸味だ。逆に塩味中心の世界に誇る日本食こそ異端児。日本食は旨いから食べているのは日本人だけ。珍しいから食べているんだと思う。

でもここの店のチヤウ(おじや)は塩味がきいていて旨い。

今日は、エクスプレスのベトナム語教科書を読み返し、桜クリニックで歯の治療をした。土曜のクラス会出席予定は6名かな?

 

 

 

 

 

 

 

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発音開眼

2018年11月18日 | Weblog

■林先生から誘われているベトナム語勉強会に使うテキスト「ティエン・ビエット123」をなんとなく読んでいる内にベトナム語総復習をやってみようという気になってきた。まず発音。いままで使ったテキストをひっくり返し、エキスプレスのテキストの発音部分がようやくわかった。すると、このテキストすごいな!よくこんなにコンパクトにまとまったな!と思う。最初はベトナム語めっちゃ難しいと思ったのに本文全部覚えてレベルBクラスに入る準備をしてからこの本はやさしくて便利だと思うようになったが、時々参考にすると、えっこんなことも書いてあった、と思うことがあって復習用に最適だ。その最難関が発音部だった。

かねてより気になっていたこと。なぜベトナム人の英語は聞き取りにくいか?ベトナム語末子音が発音されないという根拠はなにか?ここが知りたかったのだ。ベトナム語の授業では発音練習だけで発声学的な説明は一切ない。しかし、レベルAテキスト付録にもかなり詳細に発生学的説明がある。そこで「日本語教育辞典」(「み日」の他、これと岩崎先生のNHKテキストだけは日本から持ってきている)の発音学を読み始めた。まず母音,子音は何か?声帯の開閉で有声音無声音の識別をするなら、母音(発声)子音(調音)という区別はできない。無声母音も存在するからだ。ようやく母音・子音はIPA(国際音声学会)の口内舌配置図(母音)と口内調音点・発声方法の表(子音)が定義なのだと気づいた。母音・子音の区別は有声音・有気音というような生理学的な分類ではなく、発声学的分類なのだ。まあ、しかしそう考えるとこの子音表というのはよくできている。見方がわかると発音のどこに原因があるのかこの表をみると想像がつくのだ。

ベトナム語の11の母音で日本語の「あ」に相当する音は3種。それぞれ6声調あるので18種類の「あ」が存在する。「お」も同じく3種、「え」「う」がそれぞれ2種類。だから18種類の「お」12種類の「え」「う」、6種類の「い」がある。つまり日本語の5つの母音だけでも相当するベトナム語母音は30種の組み合わせが可能。子音は29種。日本は拡大50音図によれば清音10種と濁音、半濁音5種、のわずか15種、拗音は36種(母音子音あわせて)だからトータルでも日本語は100ぐらいの音しか使われていない。ベトナム語は30の母音音と約180の子音音との組み合わせの音ということになるから相当に難しいということは想像できるだろう。

しかしである。ベトナムにts(IPA表記「ツ」)音はない。t(歯茎破裂音)とs(歯茎摩擦音)の中間音らしいと想像がつく。調音点が同じでベトナムにもsa「サ」はあるので歯茎にタップさせてt音とつづく「サ」を発音させれば似た形になるはずだ。

ベトナム語の末子音のうち、p,t,c,chがサイレントになるのだ。だから日本語のベトナムはベトナム語では「ヴィエッナーム」と聞こえる。バスの乗車券売り場のおばさんがバス出発は6PMだよと言ったんだろうけど僕には「CPM」にしか聞こえなかった。

h音は普通ヨーロッパ言語では発音しないことが多い。B音両唇音ミニマムペアはp音になるのだが日本語で濁音「ば」に対する清音は「は」だからh音になってしまう。pとhは違うようだが有声音・無声音の区別がない中国語・韓国語では「コーヒー」が「コピー」になってしまう。両音の間phはf音に近い。fのミニマムペアはvだ。そしてvとbは日本人が弁別しにくい代表的な音。hの調音点は喉の最奥。声帯付近。つまり中国人・韓国人は声帯で有気音・無気音として認識していて、hは音と認識しないということだろうか。なにやら面白い関係がある。

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開店準備

2018年11月16日 | Weblog

■一階店舗はニョーが出た後、2人の男が下見に来て開店準備が始まった。どんな店になるのか楽しみだが、きっとここは難しいと思う。なにしろ部屋代7チウ(3万5千円)は高い。日本の相場におきかえると4倍として月15万円、3m×15m位。今の工事が終わればハノイで恐らく1番広い通りとなるであろうファン・バン・ドン通りから入って4,50m入ったところで道幅は5,6mあって片側がビア・へ(ハノイ名物の歩道で屋台になっている)、、、うん、商売によってはいいかもしれないが、、。

ニョーからはソイができたとsnsが入るので下に下りて木の枝にぶら下がっているソイをたべる。チャンリャオは守衛のタオが作ってくれるのだが今日はいない、夜は6時半に一軒おいた隣のクアンの食堂で30kの食事の後屋台に戻って守衛の作ってくれるチャンリャオを飲みスマホを見て時間をつぶし8時ごろ部屋に戻るという毎日。

 

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フランス植民地支配の終焉

2018年11月15日 | Weblog

■歴史研究会の講演会のタイトルは上記で、慶応の難波ちづる準教授が講演した。確かはじめて開発研究会に出たときにおられたきれいな人だなあと思ったから記憶にある。小松みゆきさんも残留日本兵孤児つながりでみえていた。この会は午前中だけなので圧倒的に女性が多い。歴女の集まりだ。

東京裁判というのは極東軍事裁判の1つでA級戦犯(政治犯)だけを裁いたもの。サイゴン裁判をはじめBC級戦犯を裁く49もの軍事裁判があったことをはじめて知った。ベトナムはフランスから独立したとばかり思っていたのに実は日本から独立したのだと知ったのも意外だった。ビシー政権はフランスの歴史の中の暗黒時代。自由・独立の祖国がナチスと手をくんでユダヤ人を迫害したという矛盾に満ちた時代だからだ。この時代はフランスが歴史から抹殺したい時代なので資料もなく、このフランス人が知らないことを研究テーマに選んでいるのはいい着眼だ。

サイゴン裁判で戦勝国の一員として敗戦国日本を裁く際にベトナムで日本と協力してベトナム統治していた中でどうしてフランスが日本統治の被害者と言えるのか?北部仏印進駐の際、中国の日本兵に越境された事件(ランソン事件)このたった2日間の衝突を理由に裁判を得た。世界中の仏領植民地でドゴールの力の及ばないビシーの牙城がここベトナムだったのだ。

 

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つきあい

2018年11月10日 | Weblog

■僕のミニマンションの反対側はSOSという孤児施設で世界的な活動をしているようだが詳細は知らない。いつものように夕食後マンション前の屋台でチャンリャオを飲みながらボーとしているとSOSで働いている兄ちゃんが飲み会してるから来いという。普段は必ず数人の客がいるがニョーが入院後客数は減り、営業してないので、今日はここに僕と守衛のタン以外だれもいないので兄ちゃんに飲んでいるチャンリャオをひったくられ仕方なくついていった。

この施設に入るのは初めてだがとてもきれいなところだ。広い中庭の木々は手入れが行き届いていてテニスコートもある。2階の部屋のベランダに2人の男がテーブルを出して飲み食いしている。椅子を持ってきてくれて少し話しかけられて適当に答えるが聞き取りができないので話題にはついていけない。ただ、どんどんすすめてくるペットボトルの強い地酒を飲んでつまみの鳥の皮やら、骨やらをしゃぶる。ちっともうまくないのだが油揚げの煮付け風なのがあった。ああーわさびじょうゆで食いたい、、。発音もダオフで豆腐に近い、ブンダオのダオはこの豆腐のことだ。脇に携帯をおいてネットで民謡を流している。ベトナムではハットクアンホーのような民族衣装を着た祭りの歌のような伝統的民謡の流れを汲む演歌のようなものを年配の男女は好きなようだ。韓国民謡や日本の民謡にもつながるメロディだ。ベトナム人は日本のロマン演歌のような曲風がすきなようだ。

確かにこういう環境だと生のベトナム語の勉強になると言えばそれまでだが、こちらでどんどん話を引っ張らない限りなにもわからない。ずいぶん慣れたので、まるで十数年来の付き合いのように一緒に飲み食いしてニコニコしているが、話は全然わからないのだ。日本だと飲め飲めとやたらにからむ風が多いが、こちらは飲め飲めといってもこちらがあまり飲んでないと少ししか注がなかったりする気遣いがあるようでだらしなく酔って絡むようなことは全然ない。いつまでこれが続くのかわからないが適当に切り上げることにして別れを告げて帰ったがここの地酒焼酎のショットはきつくて、、いつの間にか寝込んでいた。

 

 

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テキスト本文記憶終了

2018年11月07日 | Weblog

■6月末の学期末より一貫して続けてきたテキスト本文の暗記作業が終わった、、と言っても最後まで手をつけてなかった12課「手紙」部分をやっと記憶したというわけで今やっと16課まですべて記憶している状態だ。訳文を見て書くことができる。9月までは記憶しても繰り返さないのですぐ忘れる状態。でも14課から最後までの一番骨の折れるところは必ず繰り返して記憶を維持しながら新しいところ、、と言っても一度覚えたはずのところを繰り返し記憶することを続けて4ヶ月だ。

毎日朝から夜疲れて横になったまま眠ってしまうまでの繰り返しの毎日。用事で1日休むともう忘れかかっている。ブログを書く余裕もない。ブログ書くくらいならもう一課やってしまおうと思う。今は眠くて気分転換しないと続けられなくなったからブログを書いているわけだ。しかしこのベトナム語レベル2というこの国家大学の本はガチで手ごたえがある。この本のクラスについていくために覚えたニューエクスプレスのテキスト(三上著)は数週間で覚えられた。20課ある140ページの本だが日本語なのでよく理解できたし各課が短く最後の索引に詳細な本文関連の索引を書き込んですぐに参照できるようにしたので今でも便利に使っている。それと比べると格段にハード。180ページだがA4より大きいサイズでエキスプレスの倍ある。一課をざっとやるのに1時間半から2時間かかる。一課覚えるのに最初1週間、早くて数日はかかった。

訳をみて文を思い出し書けるというだけで、、一体意味あるのか、、と正直思ったこともあるが、、止めればすっかり忘れてしまうし、とにかくこれをパスすれば大学入学レベルだから覚えれば何らかの専門家としてのレベルでベトナム語が使えるようになるはずだ、、と信じるのみ。おかげで最近話せるようになったという実感がある。テレビのニュースを聞くと、意味はわからないが言葉として聴けるようになっていたのでどきりとした。

今までにこれほど集中したことはあまりない。というか若いときはその必要なかったからだろう。老いとの戦い、と言ってもいいがそんな格好をつけるより、語学はこれしかない、、暗記、暗記、、、。

夜ハンさんとクンさんが同室の女性をつれていたので屋台でベトナム語で話した。やっと話せるか、、良く話せると言ってもらった。

さあ、も少し続けるかな、、。

 

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日本語教師・懇談会

2018年11月03日 | Weblog

■日本語教師会は懇親会だけがあって10人くらいが集まった。会場は50 Dao Tanの「はしや」。近くがリンラン通りで旧日本人居住区、ここに日本食料品店などがあり、以前フォンちゃんと行った日本のお茶菓子を出す喫茶店「HANA」が近くにあったはずだと思って時間があったので場所を確認してきた。
少し遅れて会長の土井さんと兵頭さんが来たがあとのメンバーは皆新しい顔ぶればかりだった。10年になる根本さんを除けば、1年半の僕が古手にはいるくらい。実はこの根本さんというのが辞書編纂された竹内与ノ助の娘だということを聞いて納得。彼女は日本語学校の校長でとても実験的な教育をされているので皆も興味津々。
話が日本語教育の話として非常に盛り上がってあっという間に4時間経ってしまって12番バスで終点の民族博物館についたときは10時を過ぎていた。タクシーで10時30分の門限ぎりぎりに到着。
全国から集まってくる教師たちがここで技術的な話だけではなく使命感みたいな話で盛り上がるの見るのは感動的だけど、そうして日本に送られた生徒たちには日本語を話す時間さえないまま3年を働き続けなければならない皮肉な現実にまで話が及ぶまでにはいたらなかったなぁ。

 

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