くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

今日は何の日?

2019年04月30日 | Weblog

■昼食にしようと、、アヒル食堂におりると、、なんと閉店、どこもかしこも閉店、ナニコレ!!

連休なんだ、ゴールデンウイーク、、みんなうちに帰る。やむなくビナマートで何か食べるものはないか、、蒸しマンとおにぎり、それにポリラップを買った。これは昨日買った種無しスイカを切って食べて残ったスイカをラップするため。

第16課の復習。長い間ごぶさたなので思い出すのに苦労する。3回は繰り返してようやく、、。

ルネスに行くとヨガ教室もキャンセル。水泳して帰ることにした。せっかくモールに来ているのだからとスーパーで日本食のすしパックの盛り合わせを買って帰る。やっぱりうまいわ!!

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ワイヤレスマイクに挑戦

2019年04月29日 | Weblog

■しばらく前にNHKベトナムニュースを聞くためにiPhon用のイヤホーンを角の「テージードン」(べトマムで1番人気の携帯電話チエーンショップ)で買った。しかし、最近,どこかで失くして見つからないので、代わりにワイヤレブルートースのワイヤレスをつかてみようとおもって近くのスーパーで買って使ってみた。1500円くらい。いつもブルトースはなれないせいかうまく使えない。しかし、これは便利だ、と思ったときにまた失くしてしまった。わずか1日つかっただけ、、。どうもバスで小物をしまうときか、ポケットから落したか、、、。

で、また「デージードン」で1000円ぐらいのを買って使っている。以前の奴はしらずに耳のパッドを外して直に聞いていたがパッドをつけると耳穴にフィットして装着しやすいことが分かった。そしてペアリングの設定もようやくなんとなくわかってきた。充電も2,3時間必要なこともわかり、耳にかけてスイッチ操作をするとパイロットランプが見えす,コントロールできないと思ったが耳にかけると操作キーのメッセージがはいることがわかった。しかし、電話連絡や複数機器との連結関係はよくわからない。ま。そのうち、、、。

ベトナムニュースの本文をスクリーンショットで写真にしておき、これで写真翻訳して勉強しながら耳で聞く。そのときはスクリーンショット写真を見ながらフォローする、、。バスの中でも、ベッドに横になっている時でもいつでも聞ける、、、これはいい。

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同窓会・キャンセル

2019年04月28日 | Weblog

■先週から旧ベトナムクラスの同窓会を計画し呼び掛けていたがチョウはインドネシアに行っていて、先生はこの連休で故郷に帰っている。シン・ユーシンは時間があったら来ることになっていた。チーファは出席し、ランも来ると言っていたが、直前の4時ごろになって2人とも欠席の連絡があった。で、シン1人が来るかもしれない事態になってしまったので今回は取りやめの連絡をした。シンから了解のSNSがあったが、ほっとした感じがつたわってくるみたいだ。なにしろ、昨日から5連休のゴールデンウイークだから無理もない。確かに連休前の予定はよくなかった。

僕も実はほっとしたところだ。今日はルネスに行かずに家で勉強。

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ベトナム語のローマ字表記にかかわった日本人の話

2019年04月25日 | Weblog

■これは福田康夫さんというハノイ大講師の方の歴史散策会のテーマでの話で驚くべき内容だった。

結論から言えば、ホイアンの日本人町はベトナム人のいない日本人だけの社会でここでフランシスコザビエルが布教したイエズス会の宣教師たちがここの日本人信徒や宣教師にベトナム語を習い、その中の1人フランシスコ・ド・ピナ(ポルトガル)がローマ字表記の発案者だという。従来発案者はアレクサンドル・ド・ロード(フランス人?)とされていたがほぼ同時代の師弟関係のある宣教師である。

秀吉がキリスト教を禁止したのはポルトガルの宣教師とつながると大儲けできると九州界隈の大名たちが競って信者になったので問題視したらしい、という話を聞いてみると福田さんは専門ではないがそうみたいだということだった。日本で活動できなくなったイエズス会はホイアンを基地にしてベトナムにキリスト教を布教していったのだ。

参加者の女性がゲアン(?)の教会にフランシスコ・ザビエルの名前が載っていたという。彼は日本だけでなくベトナムでも始祖なのだ。

日本人町の外に中国人町があったのかと思って聞くとなかったらしい。中国人は日本人がいなくなってから入ってきたということだった。

ホイアンの新しい姿がまた見えてきた。

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入学先を探す。

2019年04月24日 | Weblog

■9時に学校「ハノイ国家大学人文科学大学」の付属学校のKhoa Viet Nam Hoc Va Tieng Vietに行く約束だが、少々遅れ気味。35バスで統一公園の南東のあたりで降りてセーマイで、あいつ50請求しやがった。あらかじめバス内でネットを見て昨日の先生は学部長のグエン、ティエン,ナム准教授と知った。

事務室で事務員のおばちゃん3人で話し、担当が事故で入院しているとのことで来週休み明けの2日の10時に来てくれるとそれからすぐクラスが始まるとのことだった。そこでお近所探訪。なにしろここ一帯が大学施設構内になっていて道がどうなっているのかわからない。歩きまわった結果、バス停は3か所あって23,31,26が使えることが分かった。26がXuanThuyからで便利そうだ。近くの露店でヌックサウを飲んで食堂でブンカーを食べた。揚げた小魚をトマト風味でブンで食べるものだ。まあまあかな。30k。

帰宅後、4時ごろヨガに出かける。ハイバーチュンの学校のあたりはイオンモールにも近いし、ヌクガムバスターミナルにも近い。もちろんホアンキエムにも近い。タイムシティにも近いし、このあたりいいかもしれない。

 

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ハノイ国家大学社会人文大学

2019年04月23日 | Weblog

■昨年この大学でもらったベトナム語教室の案内をもとになんとかここのアドミッションオフィスにたどり着いたが、時間が遅く誰もいない。となりの教室にいた男の人(じつは学部長)に事情を話す。今日は担当者がけがをして休んでいるが明日の朝9時に来なさいという。そして、僕のことは知っているというのでびっくり!。日越大学に入学したいという70歳の日本人がいたという話は聞いているという。あなたは日越大学ではなくこちらへ来るべきだ、というのである。こちらで大学院に入ることもできる。なんとも頼もしい話ではないか!

僕は、修士号はもっているから大学院が目的ではなく、いいかえればベトナム語の勉強が続けれれればいいし、学生ビザは長いほうがいい。大学、大学院と6年こちらで生活できれば、、、75歳の大学生?もいいじゃん。とりあえず、ベトナム語のクラスに入り9月の入試に備えたい。

帰り際、彼が流ちょうな日本語を話す!びっくりだ。

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日本語発表会

2019年04月22日 | Weblog

■今日は午前中フォンドン大で日本語スピーチ発表会。審査委員長としては何か講評しないといけない。日本語教師のとつさんと滝田大会委員長の3人で審査の結果、1位、2位は三人とも同じ。3位だけばらばらだった。そこで用意してあった表彰状,書き違い用を含めて全部使って5人を表彰。後半の模擬クラスの授業はとても充実したもので感心した。とつさんの授業はすごい。さすがプロ。時制の説明に「いきます。いきます。きました」という説明が絶妙。最後の講評でぼくはつまずいた。インタビューの経験で、わかりましたか?の質問に、ベトナム人は「わかりません」と答えられない理由。日本人の「わかりますか?」は100%わかりますか?でベトナム人の質問は90%わかりますか?。

その答え。「すこしわかりません」「大体わかります」に対して必ず「どこがわかりませんか?」そしてその答えは「わからないところがわかりません」。

後は先生の仕事です。ひとつひとつわからないところを聞いていく、、。と、、「この話がわかりますか?」と1年生に聞いた「あまりわかりません」「どこがわかりませんか」「私の日本語がわからないのですね」、、「それで答えはいいのですよ」「、、???」と最後に滝田さんが「大きな声ではっきりと、、」そして浅田先生に「1年生にそんな話むりですよ、、」としかられ、、結局誰一人僕の真意を理解できなかった、ということ。僕のスピーチ大失敗。

バスでホテルに着いたら13時半。37Streetで食事のあと、ぼくの貸し付け分の清算をしようとATMで、、彼女のカードは使えず支払ってもらえない。  今度NYにいかなくちゃ、、。マレーシアの友人は彼女のコンピューターをみつけてくれたらしい。やれやれ。

ホテルで準備して空港行きのグラブを待つが来ない。トムがホテルに戻り、彼女が呼んだ車で空港に向かう。なぜ空港まで送るかというと、彼女の乗り換え便を確認するため、、。でも、彼女は故郷の友人に旅行日程をメールしてもらっていて、、なんだ、俺はくたばりもうけか?空港ではスムースに送り出せた。90番バス使用して帰る。

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ショッピングモール巡り

2019年04月22日 | Weblog

■バスでローヤルシティに行く。ローヤルシティの入口がよくわからず歩き回ったのでシリの機嫌が悪くなる。やっと、入り口をみつけドアをあけると広場の向こうに林立するレジデンスビルの風景に彼女はすっかり夢中になって写真撮影。階段を下りてモールに入り、ブランド店がならぶショーウインドーを歩くとすっかり機嫌が直ってしまった。

そこからバスに乗ろうとするとちょうどタクシーを降りる客がいてそのタクシーでイーオンモールまで行く。降りた場所が入り口から離れたショッピングセンターだったのでちょっとまずいなと思ったがショッピングセンターに入った途端、もう彼女はこんなところが来たかったのよとばかりに陽気になり、口数が多くなったがこっちのほうは一向に興味がないのでしぶしぶついて歩くだけ。

トイレが行きたいと言い出したので、待ってましたとばかりにいつものトイレに案内した。長く通路を歩かされ、途中のトイレも素通りして目的のトイレにたどり着き、用を足して乳児のおむつ替えや、家族用個室トイレ、そして図書館の待合室風な空間デザインを楽しめるかな、、と待てども出てこない。もしかして素通りしたかなと廊下にでてみるとやはりそこにいた。ちょっとみてよとばかりに案内すると一瞥するだけで出て行ってしまう。用が足せればそれでいいとばかりに何の興味も示さなかったので唖然とする、、。しかしNYの彼女は用を足したくなると超高級ホテルやデパートを選んではいっていくし、高級レストランで席を指示して用が終わったら、すでに食事の準備ができていても英語のわかるスタッフが呼べないと席を立って別のところに堂々と出て行ってしまう彼女にとっては、なんの興味もないのは当然かもしれない。トイレに趣味をこらして注意を引こうなどという文化になど関心はないのだろう。

それにしてもあの命令調で傲慢な文句のつけ方を見ているとほんとに敬語の日本文化に育った自分がラッキーだと思える。彼女が英語を話しているだけで腹が立ってくるくらいだ。インドカースト文化とはこういうものか、、。逆に身障者などには過度に同情する。かならずいくばくかの施しをする。これは日本にない文化だ。日本はノーカーストだけに身障者などには無関心な社会かもしれない。

食事がまた大変。ごま油アレルギーで倒れた時の注射器を持ち歩くくらいで魚介類以外は肉が食べられないとなると、食事を楽しむどころの騒ぎではない。高級レストランのスタッフを呼びつけ食材の説明をさせるのだが彼女の英語は僕だってよくわからないくらいなのにこのベトナムで、、、。それで日本食のこと何も知らないくせに大好きだというから始末が悪い。日本食にごま油は必需品に属するから危ないことこの上なし。ハノイ名物歩道上の露店食などとんでもない。この日は中華食の餃子風、僕はお好み焼き。

おみやげのチョコレートだのコーヒーこしき、ベトナムクッキーなど買い込んでバスで帰宅。

夕方ホテルへ僕のパソコンを持ち込み、マレーシア航空の遺失物オフィスにメール。なくしたパソコンの問い合わせ。

遅くなりすぎ、IPHのレストランはいずれも閉店。ようやくピザ店でチャーハンテイクアウトの注文ができた。そのねばりがすごい。明日は帰国。

 

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悪質タクシーばかりだ。

2019年04月19日 | Weblog

■ホーチミン廟に行ったが休みだった。後で、月金は休日と知った。そこでホーチミンの家の入場券を買って池や自動車の展示やホーチミンの事務所などを見て回る。そしてホーチミン博物館を見た。

そこから水人形劇を見ようかどうしようかということになってそばのタクシーに乗った。無知な旅行者だと思われ吹っ掛けられるからやめるよう言ったにもかかわらず、シリヤがいくらだと聞く。メーターついてるよ、とドライバーにいわれて安心して乗車してしばらくしてメーターの回転がひどく速い。湖畔に到着して200kの指示になっている。うそだろ!2,3キロ走っただけじゃないか2,3ドル(50Kくらいだろうか?)100K渡したがドライバーは聞かないので200K渡してすぐ後ろに回りナンバープレートの写真を撮った。(KIAマークの車30E909.79)これをタクシー協会に告発してやろうと思ったからだ。我々が降りるとすぐにドライバーは車をおりて100Kを僕ににぎらせ走り去った。

湖畔のこの前のレストランで食事して歴史博物館に行こうとすると、シリアはまたも歩きたくないと渋りだした。仕方なく近くのタクシーにのってすすむとメーターの色が真っ赤になって中が読めなくなっている。おかしい。先ほどの半分くらいしか進んでいないのに博物館に到着して200kのメータになった。壊れてる!さすがのシリアも「What!」。きっと彼女のこの迫力の1声がきいたのかドライバーはいくらでもいいから払って早く出てくれ、、みたいな態度に変わった。50Kを渡して出たが、20Kでよかったのにと悔やんだ。

歴史博物館は僕も初めて。展示物はさすが、、と思わざるを得ないものばかり、、。英語版とベトナム版の解説書を買った。ホテルに帰った後、僕はいったん帰宅して夜IHPの1階の客の誰もいない日本食堂で2人で焼きサバ定食を食べた。

夜、彼女のコンピュータがなくなりどこで亡くなったかわからないという連絡が入った。iPadが亡くなったのならiPhoneで「iPadを探す」を使って位置確認するよう返事した。旅行日程を忘れてきて彼女の帰り便がわからないというので僕のメモからようやくカタールエアのフライトを割り出したがドーハからNYまでの便はわからない。しかし、荷物はチャックイン時にNYまでの手配をするはずだからそこで分かるはずだ。

 

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ニンビン2日目

2019年04月18日 | Weblog

■ホテルはとても居心地がよかった。朝食後シリヤはベトナムカフェカップを4,5個買う。お土産にするという。

車で出発し、途中でツアーバスに乗り換えBai Dinh パゴダに行く。ここは今のところベトナム1の規模の寺院で、遠方にパゴダが見えるがとても数時間で回れるような場所ではない。大きな広場の門から入って仏像の並ぶ回廊を通り、ベトナム1の巨大なシャカムニ(高さ10m重さ100トン)をはじめ巨大でキンキラの仏像群を見て回る。昼食後はTrang Anの洞窟のボート巡り。「陸のハロン湾」といわれるここは僕の印象ではハロン湾よりも楽しめる感じがした。いくつかの長い洞窟があってそこを出ると湖の中にお寺のような柱と屋根だけのステージがあって民謡の演奏にあわせ歌手が歌っている。そこを一巡りしてまた長い水路を漕ぎ進み岩が直立しているような山に囲まれた幽玄の風景の中を進んでいくと途中に陸に上がって民俗村のような見世物やお寺などをめぐり又沖合に停泊していたボートが岸に戻って同じボートで帰るルートになっていた。

我々はバスで知り合った加藤さんという夫婦と一緒に回った。70をいくつか過ぎた彼は。神奈川かどこかの町工場主で、美人の彼女との新婚旅行だ。彼女は亡くなった日本人の旦那さんとの間に大きな子供がいて、40歳くらいだろうか?HCM(ホーチーミン)出身で彼もHCMしか知らずハノイに来たのは初めてだという。彼女のプランで明日はダナンに船旅で、HCMに戻って日本行きの準備をするそうだ。年齢差のある結婚で入管がいろいろうるさいことをこぼしていた。バスがハノイについて、我々と一緒に食事をした。ここでもシリアはアレルギーと魚以外の肉はダメということでたいへん、、。帰りは彼女の手配したタクシーを乗り継いでホテルに帰宅。

昼にツーリストのホンさんから電話があって前日のガイドの通報をありがとう、今のガイドはどうですか?と聞かれた.今日のガイドの子はとてもよくできるいいガイドだったのでホンさんを通じて是非報告したいと思っていたくらいなので、とてもいいですと答えた。

ここの社会では会社は従業員の活動を報告させたりしないから、各従業員がどんな活動をしているか上司はしらないので彼らの評価を顧客がすることは非常にいいことではないかと考えたのだ。

トムさんは明日の1日プランを考えると言っていたが何も連絡はなかった。我々は夕食を遅くIPHの日本食料理屋で取った。いまいちの「さばの塩焼き定食」

 

 

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