くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

ホイアンへの旅の総括

2018年07月29日 | Weblog

■帰宅すると、、ここに来て1年半経つと、すっかり家に帰ったという感じになっている。ハノイの街に安心感を感じる。一仕事終わった気がするので部屋でくつろいでいると電話がかかった。トンの屋台で働いているシンちゃんからで、帰ってるなら降りてきて、、と言っているようだ。

降りると1階の改築中の食堂を通って屋台に出ると家主の夫婦や守衛のタオらがいて、まず僕の顔のガーゼをみていったいどうしたんだ、という顔をするので説明して大丈夫だから、、。

部屋に戻り掃除をすることにした。久しぶりに掃除ロボット「おしん」の登場。おしんとは僕が勝手につけた名前だが知名度が高いので「こうしん」と「おしん」の組み合わせで覚えてもらえるかな、という作戦だ。掃除の前に部屋の中を片付けて「おしん」が動きやすいようにする。バッテリーの充電は雑巾がけ1回とからぶき1回ができる。それでも完全にはきれいにならないが、また別の日にすればいい。旅の整理をする。

まず、旅の費用:ハノイーダナン間ベトナム航空で約15000円、帰路ダナンーハノイ約7000円、宿泊費3泊約8000円、その他8000円、

合計38000円ぐらい。なにも買い物はしないしパッと思いつきで出かけた旅だから特別な出費はない。それでも、前々から来たいと思っていて、それなりのイメージはあったので迷うようなこともなかった。

 いろんなことを考えた旅だった。浦島太郎のタイムシフトのこと。

浦島太郎の説話がどうだったかというのではなく、僕のタイムシフト感がどうだったかという話。文化、言語がどんどん中心からはなれて周辺に広がるという有名な学説がある。僕が若い時、沖縄から宮古島に旅行した時、島民の言葉を聞いてびっくり!「~でござりまするか」、、これ侍の言葉??、、昔のことだから記憶は間違っているかもしれないが、いわゆる、こういうことだ。既に日本は何もかも変化してしまってまるで変わってしまったが、へき地の時代に取り残されたような所に、まさに取り残されたものが生きているということだ。

鎖国によって日本の文化が外界からの影響を受けないで独自に変容したかもしれないが、その前の日本がホイアンに残され、しかも現在生きているとするなら、それはいったいどんなものかを覗いてみたい、というのが僕の言うタイムシフト感である。

日本人はもういなくなってしまっているわけだから日本人が教えるようなものはない。日本人に教わった技術、日本人の好みだったスタイルという「もの」が残っている。ベトナム人が自分の技術、自分の感覚として取り入れたあと、このホイアンは中国人の街になり、そしてフランスの占領下にあった。そのなかでベトナム人のなかでベトナム人の「日本風」に作り替えられてきたはずだ。そんなものは日本の伝統とは言わない、という日本人もいるかもしれない。

僕はイサムノグチの作風が好きだ。ニューヨーク時代に彼の美術館の近くに住んでいたこともあり米国人である彼の作品に感銘を受けている。「日本よりも日本らしい」と言う意味は「日本」よりも「日本らしさ」を求めたこと、日本人ではない日系米国人のアイデンティティの主張でもあると感じた。だからこそ日本人より以上に日本を表現できたのだと思う。

僕のホイアンの印象はこれと似ている。ちょうちん。とうろながし、、、、日本人がいなくなった後も残った家屋建築技術。中国人の注文でヴェトナム技術として、、これが本当の技術移転であったと思う。日本人の潔癖さ綺麗好き、、これらは幸いなことにあまり感じられないとおもった。ぼくはこういうものが差別や排外主義の感情に似ていると思うので好きではない。日本人にしか日本伝統は理解できないとかいうような考えをする人がいれば納得できないし、日本人が関与しなくても日本の伝統は生き続けていると思う。

なにかにつけ禊ぎでうまれかわる昔の日本は今の日本に残らないのが常。ここホイアンのような離れたところに残る。伝統の考え方の違いだと言う言い方があるかもしれないが、、、。

 

 

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さあハノイに帰ろう!

2018年07月28日 | Weblog

●朝食時に同席はドイツ人の若い女性2人。ハロン湾,サパも回ってきたというから、さすが旅行好きのドイツ人。後ろの席に2人の子連れの若い日本人夫婦。僕と同じ日程3泊なのにはじめて会う。結構日本人多いかな?このホテルで韓国人は見かけない。通りを歩く観光客の半分くらいは韓国人なのに、、。Booking.comで予約したからかな?チェックアウトする。3泊81ドル。

11時にセーオムのおっちゃんが来てくれるはずだが、ホテルのデスクでは必要ならバス停までバイクで乗せて行ってあげるよ、と言ってくれた。セーオム40Kdはまあそんなところだという。バスが同じルートなのに20Kdと50Kdはなぜだ、と聞くとバスによるらしい。そういえば50Kdバスは荷物やらいろいろ載ってた。バスのドア横に料金別の表示があるそうな。人数で割引などもあるという。もうひとつ聞きたかったことがある。ホイアンの市のマークはもしかしたらムギェン・チィ・ミンカイ通り(日本橋の西側、日本人町のあったところという説がある。通説は逆)の一番突き当たりにある日本式鳥居をデザインしたのではないか?いや、日本橋(チュア・カウ、寺橋の意味、日本語ガイドブックはカイ・ライ・オン来遠橋となっている)だよ、で一件落着。あの鳥居はなんだろう?日本の鳥居とそっくり。横に展示してある朱印船は長崎市が贈ったものだが、鳥居まで作ったという話は聞かない。

11時に来たのはあのセーオムのおっちゃんの友達というおっちゃんだった。バス停にはダナン行きのバスが止まっていたが30分まで時間があるので横の屋台でヌク・ミァ(サトウキビジュース)を飲もうとしたらいきなりバスのエンジンがかかった。先ほど誰も乗ってなかったのに、今たくさん人が乗っている。運転手にダナンに行くのか、と聞くとそうだというのであわててジュースの10Kdをはらってバスに飛び乗った。まだ11時をちょっと回ったところだ、ドアの表示は出発時間らしく金額は出ていない。30分にいつもの20Kdバスが出るのかもしれないが、いろいろ乗っておきたい。1時間に1本という便がいくつもあるのかもしれない。

バス代は30Kd,中にバイクが1台載せてありダナンに着くとバス停で待っていた兄ちゃんに引渡しでいた。さすがベトナムなんでも載せる。僕はダナン駅近くで降ろしてもらう。ダナンのバスはちゃんとバス停があるけど運転手が気がつけばどこでも乗り降り自由ということだ。

1時58分の列車の出発時間まで時間があったので駅横の屋台でミー・クアンを注文した。きし麺風にいろいろなトッピングがつくダナンの名物料理で日本人観光客には好評。ホイアンのラオカウと同じく、もともと日本から伝わったといわれる。トッピングおまかせが失敗だったか、ちっともうまくない。

時間が近づき皆が並んだので後に並び入ってきた列車に乗ろうとしたら車掌に止められた。これはホーチミン行きだ!まだ1時半だった。なにしろアナウンスはうるさいせいもあってまったく聞き取れない。

時間になった。近くでは誰も乗り込んだような気配がないが、、ホームの列車がハノイ方面に動き出した。エェーッ!時間はまさに1時58分。おどろいてホームへ入ろうにもロックされてガラス戸は開かない。ホームの駅員に向かって、ガラス越しに切符をみせると、、、まだ、だった。別の列車だったらしい。まだ頭が日本なのか、、、列車は定刻に着くと思いこんどるわ!

2,30分遅れて列車は来た。まわりのおばはんに確認したから今度はまちがいなかった。列車の席は前回にニャチャンへ行った時と同様車両の前のほう、6番だった。外国人にはそうなのかもしれない。同室者は3つの男の子をつれた若いお母さんと学生の男女。2人の学生は僕に興味あるらしくいろいろ話した。男の子はインターネットで日本語少し覚えたという。女の子は日本語専攻と聞き取ったのが間違いでドイツ語専攻。「イッヒ、カンテ,二ヒト、シュプレッヘン、ドイッチュ、、」「???」。

列車の旅は毎回こんな話ができるから楽しい。車内はクーラーもきいていて半ズボンでは結構寒い。毛布にくるまってうつらうつら。今度はバスで来て見よう。ハノイ着は明朝5時半。

 

 

 

 

 

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ホイアン最終日・ダナン

2018年07月27日 | Weblog

■朝食のテーブルはドイツ人夫婦と。旧東ドイツ人、チャンパ遺跡にバイクで行ったそうだ。1時間ほどだそうだ。これからフエに行くという。後ろの席の夫婦はマレーシア在住の日本人。仕事で来ているそうだ。マレーシアは1000万預金条件に永住権を与える制度があるので定住する日本人が多い事を知る。

バス停に行き、ダナン行きのバスに乗る。バスにセクシーな若いカップルがいて僕の後ろの席に座った。てっきりポルトガル語と思ったのでブラジレーノかと聞いたらスペインからきたという。バルセロナだというのでやっと納得。カタルーニャ方言は標準スペイン語と違うしすごく早口なのでわからなくても仕方ない。男のほうが、僕がハノイに住んでいる、と言うと、しきりにベトナム戦争の時何をしてたか?と聞く。俺は大学生でもちろん日本にいたから、、。彼は僕のことをスペイン語を話すベトナム人とばかり思っていたようだ。京都と東京には行ったことがあると言っていた。フエに列車でいくというのでダナン駅で降りるそうだが大聖堂で降りる僕のほうが先に降りることになった。

ダナン外語大日本語学科のビンさんには早くつきそうだと連絡したにも関わらず約束の9時半になっても何の連絡もない。外に出たようだからSNSで電話は通じない。彼女に僕の電話番号を教えてあるからと思っていると、電話でもう少し待つよう連絡があった。待ち疲れたころ、後ろから声がかかった。僕は大聖堂の外側にいたのに彼女たち2人はもう中庭にいたのだ。

近くのハン市場を歩き、ガネーシャ像などのインテリアがインド風なカフェに入って話した

ビンちゃんは3年生で卒業後は日本に行きたいという。今は授業が始まる8月まで栄養サプリメントを扱う日本企業でアルバイトをしているという。その会社の社長は21歳の日本人女性ですごい人だそうだ。一緒に来た同居のランちゃんは同大韓国語学科。卒業後は在越韓国企業、サムソンに入社したいという。ダナンでの韓国進出の様子を見るにつけ、手堅い選択かなと思う。

2人はこれから開催される日越友好フェスティバルの準備があるというので今日は別れて僕は駅で明日ハノイ行きの切符を買い、フェスティバルは後でのぞいてみることにした。

駅までランちゃんのグラブアプリで呼んだセーオムで駅まで12Kd。僕もアプリをダウンロードしたがアップルIDのところでストップ。僕のアップルID問題があるようでログインできない状態が続いている。あきらめる。

駅構内の発券デスクは当日券だけで、前日購入は別ビルの発券デスクでできることがようやくわかった。明日の2時ごろ発、ハノイ着は明後日早朝5時半。約6000円(外国人)

駅近くの食堂で食事してグラブをつかまえてフェスティバル会場のドラゴンブリッジふもとまで行く。「いくら?」「50Kd」またか!半額の25Kd払って去った。アプリで呼ばないとここのセーオムはいつも50Kd!

会場に行くと誰もいなくて準備も出来てない状態だった。それではホイアンに帰ろう。ダナンはまたの機会にゆっくり来よう。バスの時間があるのでしばらく大聖堂周りを歩いていた。

突然道端で足をすべらして顔から路面に転倒した。メガネのフレームからレンズが飛び出し、右頬上が切れたようで出血。しばらく止まらない。ちょうどメガネ屋さんの家の前だったので仕事中の店の人がメガネフレームをタダで直しレンズを入れてくれた。すぐ横の薬屋で薬を買って傷を消毒してもらおうとしたところ、そばで見ていたおじさんがバイクで診療所に連れて行ってくれた。スタッフの人から傷の手当をしてもらっている間、おじさんは自分の血圧を測ってもらっていた。僕の治療費30Kdのほか、おじさんの料金を払おうとしても受け取ろうとしない。ホイアンに戻ることを知ると大聖堂の停留場まで載せてくれた。

なんてまた,親切で世話好きな人たちなんだろう。中部の人柄を見た気がした。ベトナム人の人柄について、こんな話を思い出す。

坂道で車を押している人に、ちょうど通りかかった北部の人は、押し方の方法が悪いとさんざん批判して去る。通りかかった南部の人は助けたいけど時間がないからとお金を置いていく。通りかかった中部の人は一緒に車を押してくれたという話だ。

やっといつものバスが来て乗りお金を払おうとすると50Kdだという。あれっ!!20Kdじゃあないの??外国人だったらいつも50Kd!ま。いいか。

ホイアンの終点に着くと、最初にホテルに乗せてくれたおじさんが来て握手!今度は30Kdに値切ってやろうと思っていたが、気力がなくなってしまい、明日11時にこのホテルに迎えに来てと頼んで40Kd払った。

ホテルで一休みする時間も惜しんで旧市街に出る。サーフイン博物館を見て、次に不思議の井戸を探したがわからなかった。

海のシルクロード博物館にはもう一度行った。ここは日本人には人気があっていつも日本人のグループを見かける。2階にあがるとべレンダがあったり部屋中央にふき抜けがあったり、建物として面白い。

市場や川沿いレストラン街、土産物街、を通って日本橋に来る。ここで最後のチケットを切って橋をわたり例のカフェに行く。彼女はいなくて別の女性がいた。ここのオーナー。あの彼女はここでアルバイトしてたのか!今日は休みだという。オーナーにチャンレオ、ミルクコーヒーを頼んだ。オーナーはアラビカコーヒーを扱っていて、いくつか店も持っている事業家のようでもある。再会を約し別れる。

最後の食事はいつもの店。ホイアン名物のホワイトローズ(餃子の皮をアレンジしたようなもの)とタイガービール。これがホイアン最後の夜。明日は69歳最後の日。

 

 

 

 

 

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ホイアン2日目

2018年07月26日 | Weblog

■朝、朝食(朝食付きだ)の時30代のブルース・ウイルスのようなオーストラリア人と同席で話た。彼は3日目でもうこれから帰るところだという。今日がランタン際で毎月に1度、満月の日の晩街中の電気を消してランタンだけの幻想的な夜になるんだ。それが今晩だよ、ぼくはそれが見たさに昨日空路でここに来たんだ、というと、彼はここは2度目だけどそれは知らなかったと言って地団駄ふんで帰って行った。

街に出てタンキの家を探した。最初なので道を間違えていた。フーンフンの家と同じような感じで、2階にあがろうとすると止められた。人が住んでるという。えーっ、、、そうなんだこれら皆プライベートハウスで子孫かどうかしらないけどちゃんと住んでる。で、切符切りのお姉ちゃんは?、、公務員かな?ベトナムは社会主義の国だということをわすれちゃいけない。今度きいてみよう。

海のシルクロード博物館(貿易陶磁博物館)をさがしてはいるとしばらくして日本人ツアーグループが入ってきた。背の高いベトナム人が日本語で解説しているがすごいうまい。伊万里焼がどうだ備前焼がこうだと、、これは面白いなあと一緒になって聞いて回ることにした。福建会館に入るとき彼に自己紹介して名刺をもらう。トゥン君と言ってホーチミンの旅行社の日本語ガイドだが日本には行ったことがないという。フエの国家大学日本語学科卒だ。詳しいところを見るともしかするとフエの遺跡発掘に関与したのかもしれない。僕が帰国実習生の調査をすることになれば情報源のお願いをするかもしれないと思うから名刺を渡した。ツアーはマーケットで果物を皆が買い始めてだれてきた。ぼくがヌクサウが好きだというとヌクサウはハノイだけでしょうここにはないと彼は言った。皆はこれから食事に行くというので別れた。

ニャートクチャン(陳家の祠)は、まず庭を通って家にはいると受付で日本人とわかると日本語の説明書をくれる英語が分かれば英語で説明してくれる。ここはそのまま説明してくれる姉ちゃんがいつのまにかお土産屋の販売員になって、、内部がお土産屋になっていたのだ。英国人の夫婦と一緒にまわった。でも銅銭が展示しているところではハッピーコインの販売、各種お茶のサンプルの匂いをかがされたり、日本の銅銭も沢山あったでしょうといえば彼女は知っているらしいけど販売にいそがしくて、、。

ここの観光客は本当に多岐にわたる。フランス人、ロシア人はもとより、スペイン語圏も多い。僕が話しかけたチリの夫婦を案内していたベトナムのガイドは僕のスペイン語はすぐにベトナム語と混ざってしまうというと、全くそうだと同意してくれた。インド系、マレー系、あり僕も知らない言葉を話すヨーロッパ系もいた。しかし、なんといっても韓国人が多い。とくに若い韓国人女性がどこにでもいた。この街は日本人と中国人が作った街なのに現在のホイアンは若い韓国人のフィーリングに一番合っているというのは面白い。食堂にハングルのメニューが並んでいたり、、韓国資本がどんどん入ってきてハノイのようになってしまいそうだ。その点、日本は現在ベトナム関係が最良の時代にあるというのに、ダナン、ホイアンの観光人気が高まってきたというのに、まだ観光のレベルでさえも訪問客は思ったより少ない。

昼はホイアン橋ふもとのタンロンレストランでワンタンスープと333ビールで70Kd!タカッ!350円でもタカッ!

ホテルで一休みして4時ごろダナン行きバス停で明日のダナン行きバス時刻表を確認して来ようと出かける。歩いていくつもりが人に道を聞いたらセーオムのじいさんにふられてしまい30Kd!

バス停にはバスが来るだけでオフィスもなければ、係員がいるわけでもないようだ。運転手に聞くと始発5時半で1時間ごとに出るという。

明日は8時に出て9時半にダナンの大聖堂前でダナン大学のビン・レさんと会う予定をした。彼女は午後からダナンで始まる日越友好行事に参加しなければならないとのこと。ぼくものぞいてみたいと思っている。

歩いて帰る途中で「バインチュン」と表示のある食堂があったので店の人に誘われて座る。テトの正月料理と思い込んでいるからちょっと重いかな!とおもいつつ、、あれ、なにか違う。誘われて注文すると、小さい卵をのせた揚げワンタンみたいなものが出てきた。隣の子供連れの女子高生風の子と色々話すうちにそれはバイン(菓子)チュン(卵)だと気づく。日本語表記だと全く同じになってしまうところがベトナム語発音の難しさ。

彼女たちにベトナム語をほめてもらって、外交辞令の域を出ていないことわかっていてもうれしい。店のおじさんがほかの客に自慢するような感じで話しかけるのも悪い気がしない。ベトナム語を話す外国人観光客なんてめったにいないのだろう。

今日はいつから電気が消えて幻想的なホイアンになるのだろうと思いながらトーボン河沿いのレストラン街を歩く。感じのいいヨーロッパの田舎並みの雰囲気、、それ以上だと思う。ハノイのホアンキエムに負けない人出。それもほとんどが外人。日本でベトナムにこんな雰囲気があるとは夢にも思わなかった。そして市場、ここはベトナム。そして日本橋へ!あれっ夜は観光券の切符切りはいないんだ!橋を渡って歩くと既に店以外の電気は消えてランタンだけの街。昨日のカフェで止まると昨日のパッションフルーツジュースの彼女がうれしそうな声をあげた。

ココナッツミルクカフェを注文。待っていると若い日本人カップルが店に入ってコーヒーを買っていたので声をかけた。友達のお土産だそうだ。彼らが帰った後、彼女といろいろ話をした。彼女は19歳。英語を勉強したい。このみせは隣のランタン・小物店3軒が同じ1つの家族の家でここに住んでいるという。聞くと、生活するにはダナンと比べてホイアンは物価も安く、ここがいいという。

灯りの消えた街は足元が暗いだけで思っていたような幻想的な風景とは無縁にも思えたが、人出の多さには驚くばかり。川沿いを歩くので河を進む船と一面に流れていく灯篭の灯りは水面に反射して幽玄でもあり豪華でもある。人の波を押しのけるようにホイアン橋を対岸にわたり、川沿いを昨日の食堂まで歩く。

食堂の席はヨーロッパ系家族連れで満席。昨日のおっちゃんも忙しすぎて出てこれないようだ。9時近くになっていたが、そこで川岸で一休みして30分ほど時間をつぶして再度行ってみるとまだ家族連れは食事していたが、おっちゃんは席をとってくれて、僕はホイアン3大名物の1つカウ・ラウ(焼うどん風)とハイネッケンを注文。懐かしの焼うどんとはいかないけど、まずくはなかった。日本の伊勢うどんがルーツだとか、、。「今日は忙しいね、毎日こうなの?」「今晩14日(旧暦)は祭りだから特別だよ」。10時になると周りもだんだん人出がなくなって店片付けにかかる。50Kd払ってホテルに戻る。長い1日だった。

 

 

 

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ホイアンという街

2018年07月25日 | Weblog

■ここは僕が探していた街かもしれない。

ノイバイからダナン国際空港に着いたのが2時ごろ。空港の外に出るとバイクのおっちゃんが声をかけてきたのでニャトー(大聖堂)まで行ってくれと言った。ダナン行きバスはここか博物館前から出るはずだ。50Kdだという。

ニャトーに着いて50Kd札渡すと、急にニコニコして「にいちゃんホイアンまで行くんやろ!やすうしとくでぇ!250、、いや全部で150でええわ」「やめとくー、急ぐ旅やないし」

ところが、、、バス停が見つからん!人に聞いても、この辺やというだけで、ようわからん。おばちゃんが身振り手振りでバスが来たらこうして手を振って、、と、言ってくれた。そうか、ここは、そんなところか!、、。ベトナムの田舎はバス停がなく、決まった場所でバスが来る時間に行って手をあげて乗る。ベトナム語が話せないとバスには乗れない。いつくるかわからんでぇー!バイクのおっちゃんと行ったらよかったかなあ、どんなバスかもわからんしー、、、と、思っていると、あっ来た来た!あの黄色いバスやホイアンて書いてある、、。

いくらかと聞くと20Kdだという。20Kd札の裏のデザインはここホイアンのラゥラィビェン(日本橋)!、、、へぇー、、考えとるんかなぁー、粋やなー、、、。

1時間後にバス停についてセーマイ(バイク)のおっちゃんが近づいてきたので「セーオム?(オムは抱きつくの意味)」そうだというからホテルを示して「いくら?」「50」「また50かい。ここはみんな50やなぁ!ハノイやってそんなにぶったくらんでぇ!40にしたらんかいな(みたいな感じで言ってるつもり、、)」おっさん、、無言!!それでも着いて50Kd札渡すと10Kdのお釣りをくれた。

ホテルについて荷物をおいて街に出る。チケットセンターを見つけ観光チケット(120K)買って日本橋を渡りグエンティミンカイ通りのフーンフンの家(200年前の貿易商の木造建築、現在のこの観光客の洪水にもびくともしない。しっかりしたものだ!)

カフェのかわいい子に呼び止められてジュースでも飲もうかと思い、チャンレオを頼んだ。少し考えていたが彼女にやっと通じたらしく作ってくれた。パッションフルーツジュースのことだと知った。25Kd!

「オイチョイ!(OMG)」いつも飲んでるやつは50Kd!うちのトンのやつ、ふんだくっとる!!

カムフォ集会所で日本茶のお点前をしていた。見物客は誰もいなかったが僕が日本人と知っておばちゃん達が僕一人のためにお茶会を開き始めた。ベトナムに緑茶を教えたのは日本だ、とのこと、、じゃあ僕のいつも飲むタイギュエンのお茶も元はといえば、、えっタイギュエンのお茶ですって!、、ああ、やはりハノイだけじゃなくベトナム中で有名なんだ。、、、で45Kd請求された。ただじゃなかろうとは思ってたけど、、。通りの出口に鳥居がある(まさに日本の鳥居の構造そのまま)横に長崎から贈られたという大きな朱印船のレプリカがあった。

一度ホテルに戻り(アンホイの中にあるHanHuyenHomestay、38NgoQuyen)一休みして夜食事に出る。クーアムトックの食堂でエビトッピングのホイアン3名物の1つ揚げワンタンとホーチミンビール(ここは既にハノイビール圏外なのかな)55Kd.食堂のおっさんの話によると、この辺日本人は少ないよ。韓国人、中国人観光客多いけどみんなダナンで泊まるとか。

夜9時ごろのそこら中ランタンでいっぱいの街。外国人観光客で町中がいっぱい。テュポーン河のアンホイ橋の下を外人カップルのせた手漕ぎ船が通り、まわりに灯篭が流れていて、、、これがホイアンの毎日!

なんだろうここは?ベトナムであってここは確かにベトナムではない。町中が台湾の九分?ベトナムの浅草?

そうか!400年前はここアンナンは日本にとってのニューヨークだったのだ!と気づいた。ここが僕の探していた場所かもしれない。

 

 

 

 

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口答試験

2018年07月24日 | Weblog

■昨晩9時ごろに停電してしまった。もうこの時間はだれも文句を言わないのか修理される気配はない。仕方ないと思い疲れていたこともあってそのまま寝たが朝には通電していた。当日の朝、学校から試験の場所は402号室だと連絡があった。さすがベトナム。ぼくもちっともあわてなくなった。早く起きて多少復習もしたが時間になったのでバスに乗ったはいいが降りるバス停を間違え仕方なくセーマイをつかまえ学校まで行く。いくらだと聞くと距離のチェックもせずに30Kだという。このやろうこいつもかと思い、にやり、とするとむこうもわかっていてちょっとはずかしそうににやり。時間前にぴったりついたので20kで十分とわかっていたが25K渡すとほんとにうれしそうに「ありがとう」。

10人定員中7人が受験。ぼくは6番目で2,3時間待たされることになった。順番を早くするかと聞かれたがそのままでいいと言った。後のほうが試験管も疲れてくるだろうから、、。7名中男は僕のほか1名、後5名は女性。うちの1人が日本語を話した。やっとこの大学は学生全員日本語を話すのではなく、日本学の学生だけが日本語を全員はなすのだと初めて気がついた。俺はベトナム学だから、、ま、いいか。

時間になって試験室に入ろうとすると荷物を全部とりあげられ、ペンとメモ用紙1枚だけで入室しろという。あれまーっ!準備したベトナム語用の想定問題回答例が使えないとは、やばいな!、、ま、いいか。と入室するとビックリ!2,3人かな、と思っていたのに校長を中心に10数人が被告席を取り巻き、まるで査問委員会だ。

正面の国家大学ハノイ校地域研究プログラムディレクターのザン教授がベトナム語でいくつか質問し答えていたが質問がだんだんわからなくなって沈黙時間がながくなったので、みかねたのか隣の先生が英語に切り替えてくれたのが地獄に仏。

用意した内容の帰国技能実習生フォローアップ調査研究をまくしたてた。こんなことなら英語でざっと予習しとくんだった。ひとわたり質疑がおわるとビデオインタビューには入ると言われて初めて右手上方に大きなモニターがあり共同ディレクターの東大のI教授が写っている。なんやー、そこで見てたんかー!

その研究はこっちにインターネットで送れるか、とか聞かれ、もちろんどこでも公表できるようにします、彼らは日本語がわかるので僕一人でも調査はできますから、、(前にいるザン教授が全てを察したようににやりとした)I教授は、、ベトナム語しか話せない人とはどうするんだ、、いや、ベトナム語が第一です。そのためにこの大学に来たんですから、、みたいな受け答えをしているうちに突然インタビューは終わった。おかげで全体的に皆さん研究内容には一定の関心は示してくれたようで実行可能性を伝えることはできたと思う。できそうもないことは言っても仕方がないから。

それにしても東大の先生は英語が上手ではないな。こっちの学生よりわかりにくい、、、とにかく終わった。ま、いいか。

結果は今月中にメールするとのこと。問題はないだろうと思う。

緊張がきれたせいか、気分が高揚し、、そうだホイアンへ行こう!と思う。

帰宅後、ホイアンのハンフェンホームステイで明日から3泊の予約を入れる。81ドル。ダナンまで列車やバスで15時間はかかることがわかり間に合わないのでベトナム航空VN173のフライト予約をする。12:30発、13:55着。約1万5千円

明日からホイアンでランタン祭りがはじまる。

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カラオケ

2018年07月22日 | Weblog

●トンの屋台にはじめて見るけどちょっと小太りで子連れの人なつっこそうな女性が来ていてシンさん(チャイ・ロイを僕に飲ませようとした張本人)と友人らしく、やたら僕になれなれしい。そして誘われて夜、カラオケにいくことになった。

常連のこの前バイクを盗まれたシェフのやさおとこ君と、いつものトック・ラオ氏。が1台のバイクで、僕は2人の女の子と一緒に彼女のバイクの後ろに乗った。つまり4人乗りだ。そして夜の街中をひとしきり走って立派なカラオケにはいる。エレベータから降りて部屋に入ると、あのニャチャンのカラオケのように豪華でギンギラの部屋だ。前面と部屋の背面の壁にモニターがあって中央のテーブルにビールやフルーツが山盛り。

皆が歌うのはベトナムの民謡っぽい歌で、男も女もうまい。とくに女性では歌手並みのソプラノで歌う人がいる。その時だけは、ベトナム語の発音は小鳥の鳴き声のように聞こえる、という話が本当に思える。彼女もうまかった。僕にも歌えというがベトナムの歌は知らない。すると日本にあるような膨大な歌詞リストをもってきた韓国、中国と日本の歌が並んでいて、やっと陽水を見つけたのでワインレッドの心をオーダー。

ミニター速度と伴奏があわず苦労しても音階がとれないが、どうせ誰も知らないんだから、と大声張り上げ、皆も大喜び。そのうち酔いもまわってきた。ぼくは彼女の手を取って踊っているうちに彼女は相当酔いが回ったようでトイレに駆け込む。

シンさんが入ってきて、少し一緒に歌ったが子供の1人を連れて帰った。もう相当彼女の酔いがまわったのでお開きとなり、彼女どうするのかと思うとちゃんとバイクに乗り、僕にも乗れという。ぼくも乗ろうとすると、家の方向が違うらしく、さすがにほかの2人は僕を彼らのバイクにのせて、かの女たちだけで帰らせることになった。それでも分かれ道のところで僕を下ろし、ちょっと待てと言って2人は彼女の後を追いかける。さすがにベトナムとだといっても危険なことを放置はしない。そういう実際的な危険の対応は日本以上だ。

しばらくして彼女の安全を確認したのか2人は戻ってきたが3人でしばらく走るとバイクがガス欠。歩くことに。帰って玄関のシャッターは当然しまっているので、ツウに電話するも出てこない。守衛のタンを呼ぶとすぐ開けてくれた。守衛室に行くと玄関のモニターにぼくがちゃんと映るようになっているわけだ。

僕のiPhonに彼女の電話番号が入っていた。そういえばグーグル翻訳で歌詞番号を入れてと打ち間違えて、電話番号を教えてと打ってしまったらしい。楽しかったよとショートメイルした。

後日、アパートオーナーの2人から、僕の夜遊びの、おしかりがあったようだ。その後、彼女は見かけない。

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眼科検診・試験予告

2018年07月20日 | Weblog

■今日はなにかやる気が出ない。雨のせいもある。でも頑張って午後久しぶりに眼科病院に行って薬をもらうことにした。アプリに住所をまちがっていれたかバスを降りるとずいぶん離れた場所だったのですぐセーマイ(バイクタクシー)を止めて85バーチュウ通りの病院まで。30K(150円)だという。こいつ外人だと思って、回り道したことはわかってるぞ、倍でふっかけてる、とわかったが面倒、支払う。

俺はいつもこうだ。ふっかけられても金額を日本円に換算すると文句言う気がなくなり面倒に思う。だから、いつまでたってもベトナム語上達しないのだ!

病院でも聞き取れない。エレベータが故障だから歩いて降りなさいと言われてもピンとこないで連れてってもらう。窓口でもちゃんと説明できず、前回の領収書を見せて患者番号で受付してもらう。でも今回は事務も診察も1度も英語使わず終了。いつもの眼圧降下剤トラバタンのほかにVISMEDという点眼薬がついてきた。よくわからないので薬剤師のKさんに問い合わせるとヒアロエン酸ナトリウムで角膜保護剤だという。なるほどトラバタンの副作用で目がごろごろするときつければいい。老齢でドライアイになりやすいということに対しては僕はすでに対処しているが(どういう療法かは秘密だ)安いので(1月分100円くらい、、、ベトナムの薬価はとても安いようだ)使ってみよう。

バスの中でVJU大学の学務から電話が入った。やはりベトナム語はおてあげ!メッセージを見ると24日の午後に僕の口頭試験があるということ。やっと来た。

 

 

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先行研究の検索・見つけた!

2018年07月19日 | Weblog

〇技能実習生の帰国後の実態を研究したものがないかネットで検索するとすぐに労働政策研究・研修機構JILPT(理事長 菅野和夫)の「帰国技能実習生フォローアップ調査2014、p190」が見つかった。中国、ベトナム、フィリピン、インドネシア、タイの5か国の帰国実習生571名のアンケート調査と41名のインタビューの分析である。うちベトナムは26名のアンケートと数人のインタビューのみ。

はじめ、既にちゃんとした研究あるんだ!とがっかりしたが読み進むと、これは5か国比較に力点がありベトナム国内事情を調査する規模のものではない。僕は100データの収集を考えているから十分で、ベトナム視点からみて同じアンケートで別の結果を出す可能性も考えられると思いはじめた。これは使える!

著者の渡辺氏の過去の研究資料を検索すると学者ではないが、外国人労働制度専門のこの法人生え抜きの研究員であることがわかった。2016年に「企業における外国人技能実習生の受け入れに関する調査」p420は新制度にいたる総整理になるような詳細なものでこれは役に立つ。とおもった。

PDFでダウンロードしたものをいつものマイジックのコピー屋さんに持っていくと2冊を製本してくれて150k(750円)とはなんと安い!!日本の書籍だとすると4,5000円はするだろうに、、。コピーとしても合計710ページだから1枚10円で7100円!!、、、これがベトナムだ!!

 

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勉強方法再考・OneDrive

2018年07月17日 | Weblog

■今日は1日中部屋で勉強。夕食にいつもの食堂へ行き、食後はトンの屋台でサウを1杯。隣のビンマートで「から揚げおにぎり」をみつけ、牛乳など買って戻る。今は1日1食にしている。

毎日、レベルBのテキスト本文を書いて覚える作業を続けているが進まない。歳をとるとこうも記憶力が落ちるものかと我ながらあきれるくらいだが語学は記憶だから文句をいってもはじまらない。よく考えると知らないうちにぼけっとほかの事を考えている時間が長いのだ。これも歳のせいかも知れない。集中力が続かない。いや、しかしこの数日VJU図書館で本を読む時間は集中している。日本語の本ということもあるが面白いからだ。ベトナム語の勉強法再考の余地あり。

テープを聴くと全然ついていけない。あきらめちゃいけないと聞き続けると何とかフォローできるようになった。せっかくだから以前の部分を聞きなおすと要点がヒアリングで思い出せるようになった。興味が出てきたので聞き取り中心で総復習をはじめた。なにしろ問題はヒアリングなんだから、テレビやウエブオンラインもいいがまずテキストの書き取りからテープ聞き取りに重点を変えよう。

アイデアパッドでウエブを使うと容量が足りないのでアップデートができないたらいろんなメッセージが出てくる。OneDriveの容量が足りないというので中の写真を削除することにした。エーサーのほうはOSが7なのだが日本語。こちらはベトナム語だから勉強のためと思い単語をしらべながらOneDriveの設定に挑戦。やっと不要な写真を削除したが驚いたことにあの壊れたiPhon時代の写真がすべてアップロードされていた。一昨年のベトナム旅行くらいからのものが全部で4.5G。これをファイルでダウンロードしようと思ったがあまりにも時間がかかるのでやめた。

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