■帰宅すると、、ここに来て1年半経つと、すっかり家に帰ったという感じになっている。ハノイの街に安心感を感じる。一仕事終わった気がするので部屋でくつろいでいると電話がかかった。トンの屋台で働いているシンちゃんからで、帰ってるなら降りてきて、、と言っているようだ。
降りると1階の改築中の食堂を通って屋台に出ると家主の夫婦や守衛のタオらがいて、まず僕の顔のガーゼをみていったいどうしたんだ、という顔をするので説明して大丈夫だから、、。
部屋に戻り掃除をすることにした。久しぶりに掃除ロボット「おしん」の登場。おしんとは僕が勝手につけた名前だが知名度が高いので「こうしん」と「おしん」の組み合わせで覚えてもらえるかな、という作戦だ。掃除の前に部屋の中を片付けて「おしん」が動きやすいようにする。バッテリーの充電は雑巾がけ1回とからぶき1回ができる。それでも完全にはきれいにならないが、また別の日にすればいい。旅の整理をする。
まず、旅の費用:ハノイーダナン間ベトナム航空で約15000円、帰路ダナンーハノイ約7000円、宿泊費3泊約8000円、その他8000円、
合計38000円ぐらい。なにも買い物はしないしパッと思いつきで出かけた旅だから特別な出費はない。それでも、前々から来たいと思っていて、それなりのイメージはあったので迷うようなこともなかった。
いろんなことを考えた旅だった。浦島太郎のタイムシフトのこと。
浦島太郎の説話がどうだったかというのではなく、僕のタイムシフト感がどうだったかという話。文化、言語がどんどん中心からはなれて周辺に広がるという有名な学説がある。僕が若い時、沖縄から宮古島に旅行した時、島民の言葉を聞いてびっくり!「~でござりまするか」、、これ侍の言葉??、、昔のことだから記憶は間違っているかもしれないが、いわゆる、こういうことだ。既に日本は何もかも変化してしまってまるで変わってしまったが、へき地の時代に取り残されたような所に、まさに取り残されたものが生きているということだ。
鎖国によって日本の文化が外界からの影響を受けないで独自に変容したかもしれないが、その前の日本がホイアンに残され、しかも現在生きているとするなら、それはいったいどんなものかを覗いてみたい、というのが僕の言うタイムシフト感である。
日本人はもういなくなってしまっているわけだから日本人が教えるようなものはない。日本人に教わった技術、日本人の好みだったスタイルという「もの」が残っている。ベトナム人が自分の技術、自分の感覚として取り入れたあと、このホイアンは中国人の街になり、そしてフランスの占領下にあった。そのなかでベトナム人のなかでベトナム人の「日本風」に作り替えられてきたはずだ。そんなものは日本の伝統とは言わない、という日本人もいるかもしれない。
僕はイサムノグチの作風が好きだ。ニューヨーク時代に彼の美術館の近くに住んでいたこともあり米国人である彼の作品に感銘を受けている。「日本よりも日本らしい」と言う意味は「日本」よりも「日本らしさ」を求めたこと、日本人ではない日系米国人のアイデンティティの主張でもあると感じた。だからこそ日本人より以上に日本を表現できたのだと思う。
僕のホイアンの印象はこれと似ている。ちょうちん。とうろながし、、、、日本人がいなくなった後も残った家屋建築技術。中国人の注文でヴェトナム技術として、、これが本当の技術移転であったと思う。日本人の潔癖さ綺麗好き、、これらは幸いなことにあまり感じられないとおもった。ぼくはこういうものが差別や排外主義の感情に似ていると思うので好きではない。日本人にしか日本伝統は理解できないとかいうような考えをする人がいれば納得できないし、日本人が関与しなくても日本の伝統は生き続けていると思う。
なにかにつけ禊ぎでうまれかわる昔の日本は今の日本に残らないのが常。ここホイアンのような離れたところに残る。伝統の考え方の違いだと言う言い方があるかもしれないが、、、。