■日本でのコロナ治療で多分大忙しのS先生にどんな年賀状を書こうか?と考えるうちになぜベトナムでコロナ対策が成功しているかがわかってきた。対策が成功しているのではなくベトナム社会がコロナ感染などに強い耐性をもっているのだ。例を挙げてみよう。もし若いベトナム人に発熱の症状が出た場合どうするか?彼、彼女は職場や学校に行かない。病院にも行かない。近くの薬局で降熱剤を1錠買って飲んで家で1日中YouTubeを見て過ごす。別に会社や学校に何時出社登校するとの連絡をするわけでもなく、良くなればそのうち、、と考える。まるで隔離生活!そうです!ベトナムでは隔離生活と日常生活はあまり変わらない。
会社の仕事とアルバイトやプライベートの区別がないのと同様だ。寒くなれば学校は休みだし、遅刻や欠席をうるさく追及なんてしない。自分が出社登校しないと他の人に迷惑がかかるなどという発想はまずないし、予定や計画性が重視される社会ではない。よほどのことがない限り時間がかかりすぎるので病院に行かない。感染症では病院が1番危険な場所だと認識している訳でもない。どこにでもある薬局では抗生物質でさえ1錠単位で買えるので便利だと考えている。しかも、ベトナムはスマートホン社会でネットが日本よりずっと普及していて映画でも音楽でも1人で楽しめる。有線電話などベトナムで見たことがない(もしかすると空港には公衆電話があったかもしれないが)。
もちろん政府の対策は社会主義国家らしく極めて迅速で政府の決定は「首相指示」として翌日の全国民の携帯電話にショートメールされ個人情報保護もさほどない国だからセキュリティーの観点から万全だ。しかし国民は政府を全面的に信用しているわけでもなく法律制度自体信頼性がないので1人1人が自分自身のいわゆる危機意識が高く維持されているのだと思う。こんなコロナ安全国なのに道行く人は皆マスク。バスもマスクなしで乗れない。
手洗いの習慣さえなかったこの国の住民のこの変わり様はいったいなんだ?と思う。しかしこの国では水道の水自体安全ではない。逆にトイレの後の手洗いの意味は?トイレで一体どんな汚いことをしているんだろうと考えると我々の公衆衛生観念もコロナ時代では破綻しているのかもしれない。この変わり身の早さ、逃げ足の速さがベトナムの強さだと思う。
コロナの拡大が止まらないという意味はコロナの拡大に対策のスピードが追い付かないということだ。スピードについていけない社会は滅びる時代になったのだ。とりあえず僕は、世界がコロナ共存社会を達成するまで安全国ベトナムで生きて行こうと思っている。