■朝十時に執行現場で執行官と待ち合わせることになっているので朝食抜きで早めに河和田に向かう。戸の口トンネルを抜けて行く道は知っていたのだがもう15年ぐらい前だから、、ええっ、こんな山道だったっけ。
現場近くのユースの駐車場でサンドイッチをほおばりながら執行官を待つ。現場は駐車スペースがない路地の突き当たり。執行官といっしょに歩いて債務者宅を訪れると老齢の妻の母親が対応した。顔色ひとつ変えず「ムスメ婿がどうしているやら何にも知りませんがここには差し押さえられるものは何にもありませんので」と丁寧に三つ指をついて頭を下げる。
執行官も「養子さんですか。義理のお母さんから話していただいてもどうにもなりませんかねぇ、」ぐらいの話しかできない。いわゆる「お手紙」を渡して帰る途中、あとの対応を執行官と相談した。執行不能にするか執行取下げにするか?執行不能ならば裁判所の開示要求とやらができる。本人を裁判所が呼んで何か払えるものはないかと聞く、うそを言うと科料が発生する制度だ。取下げだと債務名義である判決を返してもらって再度執行の機会を狙うことになるが、これだと費用が1000円ほど安くなる。執行不能にしてもらった。
昔のように家にどかどか入って品物を持ち出すような時代じゃあないのだ。この時代、差押さえて競売手続きしたところで家財は売れない。費用倒れになるのがおちだ。執行不能にしてもらって今の勤め先を突き止めるか、預金口座を押さえるしかなさそうだ。それにしても年の割にしたたかなバアさんだョ。
執行官は車に書いてある「熊谷行政書士事務所」のシールを見て聞くので、昔は弁護士のO先生の仕事をしていたことを話した。「えっ、それじゃあ、あの熊谷謄写館の息子さん?」
急になつかしそうに昔の話が始まった。もう親父のことなど知っている人は少ないだろうと思っていたが「この業界」ではうわさの仕事師の親父のことを知っている人がまだいる。なにしろ裁判所ができたときから強制執行の現場を主戦場にして弁護士のために仕事をしてきた人だから、、。
「昔はK先生、T先生など大物がたくさんいたけど、、今は弁護士も変わったねぇ。S先生のところのNさん亡くなったんですか、よく裁判所へ来てましたけどねぇ」「NさんK社に入ってから競売物品を扱ってたようですよ」
帰宅途中、親父のことが脳裏に浮かんだ。もし、僕が司法試験など受けることなくエンジニアとしての人生を送っていたら、ただの親ばかな頑固親父にすぎなかったのだ。この業界での親父の知名度のすごさを知ったのは親父が死んだあとのことだ。普通の人が訴訟の果てに行き着くこの業界のことを知る機会はほとんどないのだから。
若き日に司法試験を目指したのは会社人間のむなしさを感じたというより、親父の「息子を弁護士にしてこの業界のことを教えたい」という気迫を無意識に感じていたからかもしれない。最初から弁護士になりたいと言う気持ちはあまりなく、親父とO先生の死後はこの業界に何のミレンも感じなかったが、今振り返ると、かっての司法試験の受験勉強はその後の自分の人生によく役に立っていたと思えるようになった。
現場近くのユースの駐車場でサンドイッチをほおばりながら執行官を待つ。現場は駐車スペースがない路地の突き当たり。執行官といっしょに歩いて債務者宅を訪れると老齢の妻の母親が対応した。顔色ひとつ変えず「ムスメ婿がどうしているやら何にも知りませんがここには差し押さえられるものは何にもありませんので」と丁寧に三つ指をついて頭を下げる。
執行官も「養子さんですか。義理のお母さんから話していただいてもどうにもなりませんかねぇ、」ぐらいの話しかできない。いわゆる「お手紙」を渡して帰る途中、あとの対応を執行官と相談した。執行不能にするか執行取下げにするか?執行不能ならば裁判所の開示要求とやらができる。本人を裁判所が呼んで何か払えるものはないかと聞く、うそを言うと科料が発生する制度だ。取下げだと債務名義である判決を返してもらって再度執行の機会を狙うことになるが、これだと費用が1000円ほど安くなる。執行不能にしてもらった。
昔のように家にどかどか入って品物を持ち出すような時代じゃあないのだ。この時代、差押さえて競売手続きしたところで家財は売れない。費用倒れになるのがおちだ。執行不能にしてもらって今の勤め先を突き止めるか、預金口座を押さえるしかなさそうだ。それにしても年の割にしたたかなバアさんだョ。
執行官は車に書いてある「熊谷行政書士事務所」のシールを見て聞くので、昔は弁護士のO先生の仕事をしていたことを話した。「えっ、それじゃあ、あの熊谷謄写館の息子さん?」
急になつかしそうに昔の話が始まった。もう親父のことなど知っている人は少ないだろうと思っていたが「この業界」ではうわさの仕事師の親父のことを知っている人がまだいる。なにしろ裁判所ができたときから強制執行の現場を主戦場にして弁護士のために仕事をしてきた人だから、、。
「昔はK先生、T先生など大物がたくさんいたけど、、今は弁護士も変わったねぇ。S先生のところのNさん亡くなったんですか、よく裁判所へ来てましたけどねぇ」「NさんK社に入ってから競売物品を扱ってたようですよ」
帰宅途中、親父のことが脳裏に浮かんだ。もし、僕が司法試験など受けることなくエンジニアとしての人生を送っていたら、ただの親ばかな頑固親父にすぎなかったのだ。この業界での親父の知名度のすごさを知ったのは親父が死んだあとのことだ。普通の人が訴訟の果てに行き着くこの業界のことを知る機会はほとんどないのだから。
若き日に司法試験を目指したのは会社人間のむなしさを感じたというより、親父の「息子を弁護士にしてこの業界のことを教えたい」という気迫を無意識に感じていたからかもしれない。最初から弁護士になりたいと言う気持ちはあまりなく、親父とO先生の死後はこの業界に何のミレンも感じなかったが、今振り返ると、かっての司法試験の受験勉強はその後の自分の人生によく役に立っていたと思えるようになった。