くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

コスタリカ紀行7/30

2014年07月30日 | Weblog

■最後の1日になった。荻野さんは昨日の残りだと言ってパスタをだしてくれた。ゆっくりしてカルタゴにでかける。着くと雨だった。しまった傘をわすれた。たいした降りではなかったが通りの角のパン屋さんでケーキを注文して雨宿り。

方向がわからなかったので地球の歩き方の地図を見ながら歩くが何かおかしい。中央公園とその隣の教会跡も見つけたが地図にあるはずの郵便局、市場がわからない。まあいいや、とにかくロスアンヘルス教会さえ行けば他に見るところはないのだからとずっと歩いて街のはずれに来たが、あるはずの教会がないのだ。通りがかりのおばあちゃんに聞いたら反対側の今来た方向へ2kmだという。

おばあちゃんはすごく親切にタクシーをとめてくれようとするがなかなか見つからない。すると、道の反対側の屋台で新聞を売っていた2人の男にタクシーをとめてロスアンへレス教会につれていくように頼んで去っていった。タクシーはなかなか来ない。すると1人の男はちょっと待てと言って自分の携帯でタクシー会社に電話してタクシーを呼んだ。それでもなかなか来ない。空のタクシーが来ても今呼んだからちょっと待て、というわけで、、ま、僕も急ぐ旅でもなくせっかくの好意だからと思ってスペイン語はできないふりをしていたが、、あんまり来ないのでまた電話して近くを通りかかったタクシーに押し込んでくれた。

そしてようやく白いきれいな教会の前に、、そして地図の通りの方角が全く間違っているらしいことに気づいた。場所が間違っているというようなことではなく。通りの番号のつけかたから間違っている。これじゃあ使えないよ!

教会にはたくさんの人が集まっていて前の広場で写真を撮ったり、しゃべったりしている。もう巡礼ははじまっているようだ。自分の家からここまで歩いてきて神の祝福をうけるのだという。教会の隣にはテントが設営されていて救護チームが待機している。教会の中には自由に入れるようで後で聞くと何度持ち帰っても元の場所にもどってしまうというのでその場所に教会をたてたというこの奇跡を呼ぶ黒い聖母像をここで見ることもできたようだ。教会の入口から、跪いて聖堂の奥まですすむ人の列が続いている。

ようやくサンホセ行きのバスターミナルを見つけて帰ることになったがそれまでに何回か人に道を聞いた。ここの人はここを300m行って右に25mなどとちゃんと距離をいう。これもここに住所がないことからくることかなぁと思った。なたあるパン屋さんでコーヒーを飲んでトイレを借りたところ、トイレにでっかい鍵がついていて100c(20円)をまるで公衆電話のコインを入れるような装置が着いている。コーヒーを頼んだので店の人がコインを入れてはくれたが、、。サンホセに着いた時はすっかり疲れて眠り込んでいたので起こされた。

お土産にブリット社のチョコレートキットが欲しかったのでいつも朝食でつかう雑貨スーパーへ行ったら売っていた。空港で買うとばか高いという。残ったコロンをドルに換金しようとCITIBankへ行く。例によってサイドバックを空けて帽子をとってセキュリティチェックをうけ、番号札を機械から取ってカウンター前の座席に座って順番を待つ。

帰るとはおみとロシと荻原さんが待っていてくれた。夕食はハンバーグ2種類。自己流だというが、彼は料理がうまい。ロシ。なおみと近くのスーパーで明日の朝昼食事の準備の材料などを買いに行った。暗い道路で交通量もあるのだがほとんど横断歩道がない。信号機がほとんどないのだ。皆運転は乱暴であぶない。道路の横断には上海をうわまわる技術が求められる。近くのスーパーへ夜買い物に行くのも命がけだ。たいていのスーパーは夜の12時まで開いている。

なおみが寝静まったあと3人でお酒をのみながら雑談するのがたのしい。昨日、ロシとなおみがお金持ちのイタリア人の所へあそびにいった話になった。ニコヤ半島の太平洋側のゾートホテルの投資家だそうで自家用機だけでも3機持っているそうで年に何ヶ月か遊びに来ると言う。そのあたりは10年前は何もなかったところだそうだ。そういえばVictoria先生のまた別の妹さんのご主人もアレナル火山の温泉リゾートホテルの経営者だとか、、。

この国はスイスと同じ永世中立国でアメリカの信頼を得ながらも政治的に距離を維持して多数の中南米の独裁者の政治亡命を認めるなどしたたかな外交力で最近のエコツアーブーム観光投資を強力に推進している。中南米のドラッグマネーのマネーロンダリングの中継基地になっているようで、個人の銀行口座の開設も難しくなっているそうだ。ノーベル賞をとったアリアス大統領が親米政策の舵を切って中国本土の出資を受け入れたために今このあたりには中国資本の商業ビル建設のラッシュで朝はもう4時ごろからニカラグア人労働者が仕事に出かけるのでバスが動いてうるさくなっている。ここサバナ公園の開閉式天井の巨大ドームの国立運動場も中国のプレゼントだ。

宿の近くで夜間工事が進んでいる土地はバチカンの所有だそうで何を造っているのかわからない。イタリア人富豪にかわいがれれているロシが好きで聞いているのがアンディウイリアムスが歌うゴッドファーザーだったりして、、イタリアンマフィアとバチカンが、、この闇のオフショアビジネスの国で、、とかなんとか勝手に想像したりして、、、。

隣のニカラグアでは中国資本が運河を開設する計画が現在すすんでいるという。これはパナマ運河が出来る前からもあった計画で、ニカラグアでその一部を日本企業が分担していたことは荻原さんが通訳の仕事で経験していたそうだ。そもそもパナマ運河とはスエズ運河を造ったレセップスが始めたが失敗して放り出したものをアメリカが引き継いで、反対するコロンビア政府から取り上げるために独立させる形で造ったのがパナマという国である。パナマという国は昔はコロンビアの一部だったのだ。この長年のアメリカ利権に反対するパナマの歴史でようやく運河拡張をなしとげたばかりのパナマと、振興の中国資本では勝負にならないなぁ。

米国のインテルはコスタリカに進出したのに、日本企業と言えはコスタリカから後退するばかり。あぁ。

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コスタリカ紀行7/29

2014年07月29日 | Weblog

■昨晩はロシと一緒にはじめて近くのスーパーへ行った。アメリカのスーパー風で、酒やビールなどたくさん種類がある。。ビールはこちらで一番飲まれているimperial,pirzenの350mlがいずれも780c(150円)でこれが一番やすそう。旅行用折りたたみ歯ブラシと歯磨きペーストのセットは2725c(520円)パンやチーズなどの乳製品は種類も豊富。包装もしっかりされている感じだ。果物などはさすがに種類豊富でやすい。しかし、街と比べると街のほうが安い。こちら郊外はどちらかというとビジネスマンや外国人旅行者などが多いような気がする。こんなスーパーが歩いて5,6分のところに他にも1つ2つあるみたいだ。夜中の12時までやっている。

朝は荻野さんと、ロシ、なおみの3人で街に朝食に出ると言うので僕も一緒に出かけることにした。グランホテルの裏の雑貨スーパーの2階、いつものところだ。ガジョピントとスクランブルエッグ、とパンのセットが1100c(210円)でここが1番安いようだ。ここまで来るためにバス代は190c(36円)片道で20分ぐらい。15分おきに来る。交通費はここはとても安いが外食費、住居費は安くない。昨日の中華料理は900円ぐらいだし、あの太田さんのところの別荘風部屋代はあの郊外で月3万5千円ぐらいだ。Victoriaの弟ホルへの車は日産の中古だと思うが50万円ぐらい。こちらの最低賃金が4,5万円、、、と考えると生活費は福井の半分か1/3くらいとおおざっぱに捉えていいかもしれない。外国人としてはなにかと更にかかる費用もおおいはずだ。

こんな風に誰かと一緒に毎朝食事に出てぶらぶらするという生活もいいかなあという気はする。ロシ親子と荻野さんも家族みたいだし、、、。今日会うことになっている松本さんの話を聞いて一応の結論を出してみよう。コスタリカ永住を決めるかどうか、、。

松本さんとはカツコトラベルで10時半に会うことになっているので間に合うようにバスに乗った。遅れるかなと思ったが時間に間に合ったので、これはすごい、俺もずいぶん短期間で交通機関にも慣れたなあと思った。カツ子さんのところには毎週松本さんがパソコンメールの対応などを手伝っているようでもうすでに松本さんは来て作業をしていた。もう一人女性スタッフが事務をしていた。銀行に行く用事などはメッセンジャーを使っているようだ。現地ツーリストの女性販売員がパッケージの売り込みに来て、3,40分スペイン語で対応していた。

程なくあのオモテ君も来て僕とリモンとグアピレスを間違った話をしたら、彼があるNPOに投稿したコスタリカの住所の話をした。コスタリカの街はアベニーダ何番とカジェ何番、番号は西、南が偶数、北、東が奇数で中心から離れるほど数が大きくなるわかりやすい形になっているが、住所みたいなものではなくどこどこから70m北とか、パン屋のだれだれという呼び方になっている。グーグルマップででないわけだ。

松本さんは63歳、60の時からペンショナードだが、彼のコスタリカ人の奥さんと知り合って20年になりここにしょっちゅうきていたので、ペンショナードを決めたのは自然の成り行きだったみたいだ。しかし、かってはここまで来るには最低10日の休みが必要で長期休暇がとれずに上司とけんかして大企業をやめ運転手のような生活をしたらしい。もう日本に帰るつもりはなくこの3年1度も帰ったことはないそうだ。それなりの覚悟はあったという。ココナッツ畑を経営している奥さんとは別にくらしているが、日本人学校の生徒を呼んでココナッツをふるまうなど喜ばれているそうだ。神経痛のような持病があり、いつもあたたかい環境がいいので今の場所に決めたそうだ。問題は奥さんが日本語がうますぎて何でも奥さんがしてしまうのでスペイン語が上達しないとか、、。

彼のアドバイスとしては永住をきめるまえに半年、1年なり十分住んで事情を知ってからきめるといいという話だった。僕としてもコスタリカは初めて。中南米は旅行で数回という程度なので、これからいろいろ見てまわって検討する、という流れになりそうだ。その比較基準、行動基地としてここは便利でいいところだろうと思う。昨日は僕の66歳の誕生日。何人からかメッセージをもらったのでFBに投稿した。多分、これは僕のはじめての投稿だったがそれに対するメッセージも思いがけない人からのもあってよかった。

松本さんが帰った後、カツコさんにそのFBを使うよう薦めた。ちょうど、オモテ君がここにWiFiを設置したのでいいタイミングだと思うのだが、彼女の理解はビジネスホームページの考えから離れられなくて得られなかった。やはり、自分で入力できないことがネックになっている。しかし、とにかくやってみるということで僕としてもカツコトラベルを応援することを約束してお別れした。

時間があったのでサバナ公園の美術館を見てまわりながら、明日の最後の1日にどこへ行こうかと考えた。カルタゴはコスタリカ最古の町、ロスアンへルス寺院にある黒い聖母像を礼拝するために来る8月2日は巡礼の日だ。ここはひざまづきながら人々は行進するそうだ。一方、天気がよければイラス火山に登ってみるのもいい。出発のバス停を確認したいと思い街に出かけた。

地球の歩き方のバス停の地図は全く信用できないことがわかった。いろいろ歩き回り聞きまわってようやくカルタゴ行きのステーションを見つけた。タクシー呼び込みの男にイラス火山に行くバスはない。タクシーで行くしかないといわれたように思ったが、後で荻野さんと話すと火山行きは朝8時に1本あるそうだ。

宿に戻るとお金持ちの友達のところにあそびにいったロシとなおみはいなかった。夕飯は「てんぷら」だった。海老を大豆あぶらで、、、。ビールを買ってきて2人で、、、。

中南米諸国で次に旅行しやすいところはどこだろうか?グアテマラは地球の歩き方にはコスタリカと共におおきな字で書いてある。ここはスペイン語を安く学べるところとして訪れる人が多いという。40代の日本人ガ経営するこの宿と同じようなところがよく利用されているようだ。グアテマラはあんまり知られていないが中米総督府があって歴史的には重要な場所。有力な候補地だろうか、、。

 

 

 

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コスタリカ紀行2/28

2014年07月28日 | Weblog

■朝からずっと雨が降り続けている。家にはずいぶん立派な体格とのお手伝いさんとその子とは信じられないくらいの若い娘さんが来ていた。「かわいい子でしょ」とVictoria。少しお金があればたいていお手伝いさんを頼んでいるようだ。あの立派なおねいさんの大邸宅は毎日庭師が来ているそうだ。そうだ!もし庭師の「わたるくん」が日本から一緒にきてたらここに置いてったらよかったかも、、。

グアピレスのバスステーションへ車でVictoriaに送ってもらってSanJoseへの帰路につく。SanJoseでは時間があったのでヒスイ博物館へ行ってみると今日も入れない。ふと張り紙を読んでみると展示施設が移転するので当分閉館とちゃんと書いてある。だめだなあ、こんなことにも気がつかないで、、。

中華街を歩いてみる。今日は中華料理にしよう。そのあたりの店に入ると中国系の店員が注文をとりに来た。中国語でチンジャオロースーあるかと聞くとないけどこれがいいよと言って薦めてきたのがあったのでそれにした。すぐに話がわからなくなってスペイン語にもどすと、「あんたどこ?マンダリン?英語できるの?」英語で日本人だというと、あっそう、みたいな感じで別に驚く風でもない。まわりのコスタリカ顔の客も中国語(台湾系みたい)話していて、ここは英、中、西語が日常的自然に話されているんだろう。考えると彼女のような能力は、すごいというか、、ただスペイン語ができる高齢日本人が仕事を探そうとしても、、とても太刀打ちできる場所じゃあないなぁ~。

歩いていると映画館があったので言葉の勉強にと思って入ってみるとポルノだった。こういうのって特に文化・趣味の違いを感ずるなぁ。近くのお土産やに行くことにした。やはり民芸品になるのかなぁ~。見てまわるだけは楽しいんだが買い物は苦手。まだクロン、ドル、円変換とスペイン語の数字がすぐごちゃごちゃになって、、、。

宿に戻るとロシとなおみが戻ってきていて、、。僕がリモンとグビアレスを間違ってタクシーで戻るのに100ドル払ったと言うと荻原さんとびあがってびっくりしていた。でも初めての場所の1人旅なんてそんなもんですよ。まだ戻れたのがましなほうで、、。

 

 

 

 

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コスタリカ紀行2/27

2014年07月27日 | Weblog

■朝はゆっくり起きた。Victoriaは帰国してもあまり外出しないそうだ。外はずっと雨が降っている。今は雨季でここは本当にじめじめした天気。まるで福井のようだ。中央高地のサンホセからこちらのLimonまではずっとバナナ畑がつづいていた。昔、中央高地でできたコーヒーはプンタレナスなどの太平洋側からマゼラン海峡を通ってヨーロッパに出荷したが、カリブ海からアメリカのマーケットに出荷するためサンホセからリモンまで鉄道を作る計画があった。これを実現したのがアメリカの若い企業家で、彼はこの鉄道を延ばすついでにその沿線にバナナ畑を作ってコスタリカの最初の産業であったコーヒー栽培というモノカルチャーからバナナ栽培という新しい産業を展開していったのだ。

彼のアメリカンフルーツ社とかなんとかいう企業はこの国の産業を支配する帝国として君臨することになる。その時代の片鱗を残すのがサンホセの国立劇場のコロニアル様式だ。もともと何もないこの土地にヨーロッパから資金を引き出しアメリカの大陸横断鉄道建設に従事した中国系労働者やジャマイカ移民を国外から導入し、アメリカの巨大マーケットに向けた産業を構築していくやり方は中南米のはてしないインフレを引き起こした外資主導の産業様式の典型を形作ったのかもしれない。アメリカの中南米支配はそんなときから始まっていたのだろうか?そんなわけでVictoriaの家系のようにここには中国系出身者が多いのだろう。

Victorianoお母さんの家の付近をちょっと歩いてみた。もう街中とはちがい、椰子やバナナの茂る庭や緑のうっそうとした中を雨でぬかるんだ道が続いている様子はまるで昔旅したことのあるフイジーやトンガのポリネシアを彷彿とさせる。コンクリート地肌の柱や壁、有刺鉄線や鉄格子で補強された柵、立派な造りの家もあれば、密林の中の柱の上に作られた丸太小屋みたいな家まである。はたして、こんなところで一生住む覚悟はできるだろうか?などと考えながら歩き回った。

「くまさん、くまさん」と言ってホルへと2人の息子がトヨタのピックアップトラックに乗ってきた。オーブン燃料にする薪を取りにいくがコスタリカの自然観察に一緒に来ないか?ということで郊外の密林の作業小屋に向かう。途中でビールでもどうかといわれコスタリカのインペリアルビールをコップいっぱい飲んだ。作業小屋にはそこで働いている家族がいて、そこに向かう道はぬかるんでいてトラックを皆で押さなければ前に進まないありさまだ。そのあたりにはスイートレモンの木とか(硬いグレープフルーツみたいだがスカスカの実はおいしいというものではない)ピカンテ(メキシコ料理の香辛料)とかココナッツなど生えている。いきなり腹に痛みが走って声をあげた。赤い点ができてはれてきた。露出している腕に蚊がまとわりついてくる。腕にたちまち血の粒がいくつも現れた。皆、蚊をふりはらいながら作業している。こんなことならビール飲むんじゃあなかった。防虫スプレーちゃんともってきてるのに、、いまさら手遅れだ。

一人が声をあげて皆が駆け寄ると、積み上げた薪の中に毒蛇がいた。ホルへが作業用皮手袋で3,40cmあるやつを尻尾をつかんで引きずり出す。あの動物園でみたのと同じ褐色で白いすじの斑点があるハブのようなやつで最強毒蛇だという。皆でしっかり写真を撮ったあとで遠くに放り投げた。つづいて誰かがでかいカエルをつかんだ。こいつは食用がえるみたいなかんじだったが、一人が自分のスマホで写したカエルを見せてくれた。あの真っ赤なやつ、そして有名な緑の斑点のやつ、どちらも有毒。薪に巨大なムカデが、、。ヤモリが、、、。手軽なコスタリカ自然観察ツアーになった。帰る途中でまた警察官の検問があった。さっき検問を受けたばかりなのに、、。ホルへがなにくわぬ風に対応したが「ここの警官は賄賂を要求しているんだ」と耳打ちした。

帰るとVictoriaが車で待っていた。これから1人のお姉さん夫婦のところへ行くと言う。お母さんと2人の息子をつれた妹さんがもう1台の車を運転していくことになった。Victoriaは長く日本にいるので最近のコスタリカ事情の話題についていけないことがあり、言葉もわからないことがあるそうだ。どちらにいても外国人みたいで、日本がいいといいながらいずれは夫婦でこちらに住みたいというようなことを話していた。見るとびっくりするよと言われていたお姉さん夫婦の家に到着した。

その美人のお姉さんは薬剤師だったそうだ。顔つきからはヨーロッパ系に見えるが中国系だという彼女の旦那さんはガソリンスタンドを2社経営するお金持ちだ。ベージュ色の壁が6,70メートルほども続く巨大なお屋敷に着くと、ご主人がゲートをあけてくれた。車で中にはいると、広大な敷地の中は、芝生に綺麗に剪定された木々が植わっていて、外壁のないあずまや風の建物が何棟か母屋につながり、きれいなプールがあって、、、ビバリーヒルズの資産家の壮大な別荘をおもわせる大邸宅だった。邸宅内の各部屋はレストラン風だったり美術館風だったりで、ヨーロッパ風家具調度品も立派なものばかりでまるでお城のようだ。

御影石のテーブルのある大きな食堂でお姉さんが食事を作ってくれ、86歳のお母さんを中にして延々と家族の会話が始まる。お母さんには9人子供がいて年に一度はこうして家族が集まるそうだ。Victoriaも昔は毎年帰っていたが、子供たちは長い旅をいやがるのでだんだん帰らなくなったそうだ。お母さんや兄弟たちは皆日本各地を訪れており、日本語の挨拶などができる。庭のあずまやの椅子に座っているうちにうつらうつらしてきた。こちらの雨と言ってもふったりやんだりでとても静かな環境なので気持ちがいい。椅子は伸ばすと寝ることができるようになる。夕方おいとまするまでぐっすり眠っていた。帰りの車でVictoriaはもうひとりの妹さんのところはもっとすごいよ!と言った。アレアル火山だかどこかの温泉リゾート施設を経営している家族がいるという話は聞いていたが、、、。

この国の貧富の差ははげしい。ここのLimonにも貧民窟があって決して近寄るなと言われている。麻薬がはびこっている様子もこの旅の初めからうすうす体験してきた。このお母さんの家の近くでもマリワナを買える店があるんだそうだ。

「僕がNYにいた時はクスリをするチャンスがなかったけど、もう今はこの歳になって健康のために体に気をつけようという気はなくて、楽しいことなら体に悪いことは何でもしてみたいと思っている」というと「マリワナそこで売ってるからいつでも買えるよ!でも、匂いがついて空港でばれるとまずいでしょ。メキシコは最近厳しいからちょっと出るともう日本に帰って来れないよ」

だって、、、。

 

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コスタリカ紀行2/26

2014年07月26日 | Weblog

■朝、荻野さんのコスタリカ人の元の奥さんが宿の手伝いにきていた。神戸サルサの東山さんのアドレスを聞いて福井のビーチサルサに勧誘メールをだしてみた。この宿には28日に戻るつもりなので不要な荷物は宿にのこしてバッグパックでリモンに行くことにした。バスの出発10時30分発までベンチに座ってとなりのおばちゃんにキャンディもらったりしながらじっと待つ。

バスは2階になっていてもし全部座席があると100人や120人は乗れるくらい大きい。1階の半分は荷物が置けるくらいのだだっ広いスペースになっている。アバホ64だといわれてバスに乗り込むと入口すぐそばのメガネのおばあちゃんがクリアな英語で下の階の64番は私の横だからと言ってくれた。こちらの人は年配でもしっかりした英語を話す人が多い。半白髪の髪を後ろにきゅっと束ねて目鼻立ちがしっかりしていて(めじからがあるというのだろうか)特に話しかける風でもないがバス停で乗り込んだ物売りから買ったフライバナナ風のスナックを買って少したべろと出してくれたりする。

ここの人(特に女性)は実に多様なタイプがある。大抵は太めでお尻と太ももがでかく、ぴちぴちのジーンズでアフロ風髪型、褐色の肌に丸い鼻(ローマ鼻)輪郭のはっきりした眉毛、、、カリビアンタイプなのだが、若くてすらっとしたタイプもいてまるでインド人のようなタイプになるとぞくぞくするような美人も見かけた。若くて太ってない女の子は肉感的でグラマラス。男は細身のヨーロッパ系、真っ黒のジャマイカン、東洋系もみかける。中南米系は肩幅がある小太りで背はそんなに高くない。金髪はみかけないが、なおみのような小さい子供もいる。こちらの子供は特にかわいい。

途中の停車場でグアピレスという声を聞いて、あれっ行き先住所にそんな地名があったな、とふと思ったのでメモを確認してとなりのおばさんに見せた。彼女はすこしわからない風でもあったが特になにも言わなかったので僕としては目的地がリモンであることに全く疑問を生じなかったのだが、、、、。

終点でおばさんと一緒に降りてタクシー乗場に行くと日本人とみたか、いやに愛想のいい若い運転手が呼びかけてきた。それは、いかにもぼろい車で、ドアのハンドルが取れていて開けてもらわないとドアが開かないぐらいだ。とにかく、乗り込んでメモを見せるとこれはリモンじゃあないという。半信半疑だったけど、もう時間も過ぎていたので反対行きのバスを待つのも面倒。ここからいくらかかるんだというと、10ドルだという。それじゃあここまでのバス代より高いがいいだろうと思って乗った。

自分のことをスティーブだかスティファンだか名乗り、お前はコーシンだからコシだとか言って親しく話しかけてくる。スペイン語と英語でサッカーのことや中南米人のことを呼ぶスラングのことだとか、周りに広がるバナナ畑や工場のことだとか説明してくれるので言い話し相手ができたと思っていた。ところが道端の標識からグアビレスがまだ50Km先だと知って、、うそやろ、、。

そのうち車のボンネットから水蒸気が上がり始め、止まって彼は道端の家で水をもらって来てキャブレターに注ぎ始める。これディーゼルなんだ。この木アーモンドなんだけど実をたべるか?と、そばの石で割って実を出してくれたりでサービスすることしきりだ。だんだん僕も事の重大さに気がつき始めた。こりゃあ10ドルなんかじゃないぞ。さっきガスステーションで給油した時でさえ5000c(10ドル)払ってた。へたすると、行きつかないかもしれない。こんなに親しげだが豹変した時対抗できるかな、、などと考えるうちに言葉数も段々少なくなる。雰囲気が伝わったのか彼の口数も少なくなる。彼もたぶんどうなるかわからないまま客を乗せてしまったと思っているのかもしれない。最悪のシナリオは到着できなくて途中でどこか泊まれるところを探さないといけないか、サンホセの宿まで戻って連絡方法を考えてみるか、、、しかし、十分お金はおろしてきてあるし、、ハプニングのスペシャルツアーになっちゃったな、とおもうと気が楽になった。

ようやく街に到着し、そのへんの人にメモをみせてようやくPanaderia Don Chumioという店にたどり着く。午後4時ごろになっていた。彼は車をおりてわざわざ店を探してきて連れて行ってくれた。店から威勢のいいしゃきっとした感じのおじさんが飛び出してきて迎えてくれた。先生の弟ホルへだった。運転手君の提示した料金を聞いて一瞬ホルへの顔色がかわった。「10ドルじゃあない、100ドルだ!」

ここには住所というものがない。このメモに書いてある意味は「Limonへいく途中のGuapilesのパン屋Chumino」ぐらいのことらしい、ということが今になってわかった。

店の中は大きな古い石のかまどがあって火がついている。その部屋のとなりが厨房風でいろんな形のパンを数人の男が作っている。ここは日本のパン屋さんと同じ。ここでパン屋をはじめてどれくらいたつのかきいて「1000年」と言われた時はなんのことかと思ったが、シエンアニョ:百年の聞き間違いだった。弟さんの奥さんと2人の子供が働いていたのだ。

仕事が5時過ぎに終わるまでぶらぶら通りを歩いてみた。道端に商品を並べで電池を売っていた。丁度カメラの電池が切れていたので買ってその場でカメラに装填したが作動しない。切れた電池だとまだスイッチが入るのでこれ壊れているといって400cを戻させた。切れた電池を綺麗にシールし直して売っているのだが考えてみれば4個80円なんて子供だましだ。しかし、チェック時にシールをはがす時も親切そうに手伝っていて、返金の時もじっと見ていて一言も言わず顔色一つ変えないこのじいさんは気合が入っているなあと思ってしまう。僕も何事もなかったように歩き去るしかない。

ちゃんとした店でホテルに置き忘れてきた髭剃りと爪きりを買って帰る。ホルへが電池は隣の店で売っているからと言って買ってくれた。フリーのWiFiが使えないかと聞いたら隣の店では最近ID変えたからわからないと言われて断られた。皆の車でVictoriaの待つお母さんの家に行ってそこでとめてもらうことになった。

夕ご飯はコスタリカ大学で教えている妹さん夫婦のお宅ですることになった。とてもシンプルで綺麗に内装された素敵なお家で妹さんの旦那さんはハンサムな中国系の大男。かわいい息子さんと、体が悪いと言うVictoriaのお母さんと、妙に僕になついた犬がいた。メキシカンの辛いソーストマトとカラマリとポルボ(イカ、タコのフライ)とお店のパン、これは最高においしい。そして、ようやく病みつきになりそうなたっぷりミルク、砂糖のコスタリカコーヒー。ようやくお宅のWiFiでiPhoneのLINEがつながった。本当は夜ダンスパーティーしているところがあるそうだったのだが遅いし、、、、。

 

 

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コスタリカ紀行2/25

2014年07月25日 | Weblog

2/24
■朝、ゆっくり荻野さんとコーヒーのみながらまたノンストップで話しはじめる。ひと休みしてVictoriaの実家に電話するとVictoriaが出てきた。彼女は昨晩到着したそうだ。もう少し早く連絡すれば今日中にリモンに行けたかもしれないと思ったが、今日は昨日カツコさんに紹介された松本さんと連絡してみよう。

松本さんはオロティナというサンホセから1時間のところに1人で住んでいるペンショナードだ。今風邪気味で外に出られないから来週の29日にカツコさんのところに来る用事があるのでそこであいましょうということになった。

今日はゆっくりとまだ見ていない動物園やヒスイ博物館に行って見よう。荻野さんと一緒に街に出て、まずカリベバスターミナルにいく。ここから1時間ごとにLimon行きのバスがでている。運賃は約4000コロンで、時刻表を見せてほしいというと、手書きの時刻表を正面ガラスに押し付け、早くiPhoneで写真を撮れという。iPhoneはどうも容量超過ぎみの様子なので写真などはカメラで記録することにした。復元しても訳がわからなかったが、、。

動物園は近くにあった。シモンボリーバルの名を冠したこの動物園の前には縁日の出店みたいなみやげ屋さんがすこしあって、子供のおもちゃ類、動物のキャラクタのついたネックレス、ブレスレット、、、など売っていて数組の家族が行き来している。規模は小さな田舎の動物園だけど、園内の植生は本当の熱帯雨林だから、そのうっそうとした草木の茂みと急勾配の階段や道の様子はコスタリカの自然を彷彿とさせるものがある。入場料2500コロン。

さる、鳥、ライオン、アライグマ、毒蛇等々、、。コスタリカの動物種や生態について予備知識を得たり学術的興味をもって訪問するには期待はずれかもしれないが家族連れで週末を楽しむにはいいかもしれない。

近くのヒスイ博物館に行こうと通りがかりの親子にスペイン語で道を聞こうとすると英語が出来るか聞いてきてその女の子は一生懸命英語で説明しようとする。この国はやはり英語はよりよい仕事や生活に必須なものとなっているのだろう。

博物館は大きな保険会社かなにかの1階にあるのだが、近くの人に聞いても知らないという。ビルの1回受付でムゼオなんとかと言おうものなら国立博物館への行きかたを指示するありさまだ。Jadaをハーダとはっきり言わないとわからないのだ。旅行者しかいかないようなところについて一般市民は何も知らない。1階の入り口のドアは閉まっていた。今日は祝日なのだ。グアテマラ総督府に編入されていた時代にグアナカステ地方がニカラガからコスタリカにずくするようになってから**年の記念、みたいなことだったようだが、、、。

宿に帰ると荻野さん一人。すっかり静かになって彼は寂しがることしきり。また2人で話し込むことになる。この日の夕食はマーボ豆腐と目玉焼き、味噌汁。たまねぎなどは入ったマメスープ風マーボ豆腐はなかなかおいしかった。ここはいつも3品、大盛りで若い1人旅旅行者モードになっていて、自称かなりの大食漢の僕も腹いっぱいになる。

今日の2人の話題はスペイン巡礼。宿の主はもう10年煮なるそうで年1,2回、2,3ヶ月かけてあらゆるルートを踏破してきたそうだ。巡礼宿は昔は無料で、寄付という形が今は流行で観光ムードで全世界から押し寄せるものだから有料の民間宿がいっぱい出来て、、、。1日20キロ30キロ、時には50キロも歩くそうだ。足の豆がやぶれ、やどがどう、食事がどう、、と言う話から、見知らぬ人がいつのまにか友人となって自分のことや悩みを打ち明けるような人間関係ができてくるようになるのがたまらないそうだ。

年金のない彼にとっては貯金を食いつぶす生活に不安を感じてはいるが、かといってこの「あんみん宿、安明宿、安眠宿」をすぐに売却するには心苦しいものがある。かといってずーっとこのサンホセにいるのも退屈。それならいっそスペイン巡礼ツアーをやったらどうか、、。数人だけで各人の体力、興味に合わせたコースを、、彼が1人巡礼に費やす費用だけでればいいとなれば高い同行ガイド料じゃあない。彼はいつでもいけるというから一肌ぬいで僕も考えてみようか。はやりの高齢者登山よりどれだけ健康的なことか。

 

 

 

 

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コスタリカ紀行2/23

2014年07月23日 | Weblog

■iPhoneがだめになってしまったのはこまったが、Victoriaの連絡先がわからなくなってしまったのはもっとこまる。彼女へ僕の予定と宿泊先・連絡先をメッセージしてあるのだが、読まれた気配がない。連絡してほしい旨のメッセージも読まれない可能性が大なので、彼女の夫で今は福井にいる中山先生にもメッセージを送った。

朝、買い物に出かけるという荻野さん、ロシとなおみと一緒に街に出た。グランホテル裏の雑貨屋風店の2階に安いガジェピント(コスタリカ定番の混ぜご飯:タイ米のようなこちらのロンググレインに油を加えて炊いた後、煮た小豆を混ぜてたもの。これにスクランブルエッグやとうもろこしの粉や小麦粉から作るトルティージャ、それに場合によってはサワークリームがつく)が食べられるので、彼らはよく行くのだそうだ。これにコーヒーをつけて2000c弱。400円しないのだ。コーヒー党でない僕が気に入っているコーヒーは牛乳たっぷりのエスプレッソ風のもの。

なおみはあいかわらず大声で走り回りながら愛嬌をふりまいていて、いつもロシと荻野さん2人は振り回されている。その店では雑貨の75%引きのセールをしていて中古品なども売っているのだが、荻野さんは中古の寝袋を見つけた。1000円ぐらいだから250円?。スペイン巡礼に持って行きたいという。食器やなおみの傘、開くとコミックキャラクターが現れるもの。そして僕はタオルを1本買った。ホテルでは不要だから持って来てない事に気づかなかった。僕の買い物は彼らとは別のレジで支払ったのだがこれは75%引きにはならないといわれた。後でちゃんとこれは2階の特売にあったんだと主張したのかと聞かれたが、僕のスペイン語ではそこまでのプッシュはまだ、、それに安いし、、。

iPhoneをどこか見てもらうところがないかとおもって近くの電化用品店のスマホ売り場で聞いたがわからないという。グランホテル横にアップルらしき店があったとかでいってみることにした。僕が店員に手渡して英語で説明しているあいだ、店員が本体を手にとっている内にiPhoneが起動しだしたのでびっくり、、。とにかく直った!詳細をチェックするとやはりだめだった!ということになるかもしれないが、、いまはそっとしておいて、、後で宿に戻ってから、、、そっと電源を切る。

3人と別れて僕は今日カツコトラベルのカツコさんと会うつもりだけど、時間があるしまだ銀行博物館以外どこもちゃんと見ていないので、まず、国立博物館をのぞいてみることにしよう。その前にCITIバンクのATMでお金を降ろすことにした。

銀行が開いているときはATMコーナーの扉は開かないので玄関入口から1人づつ入る。ドアの内側でドアマンが持ち物検査をしてから1人づつ通していくのだ。その後で帽子を脱いでATM機に向かうことができる。野球帽はちょっと後ろ向きにかぶればいいよと荻野さん言ってたけどどこでも全部とれ!と言われる。CITIBankの海外のATM機の操作は日本のものとちがっているのかもしれない。海外ではいつもすこし迷う。それでも10万コロンを2万コロン札5枚でてきた。2万コロン(4000円)は普通におつりもらえるのかな?ドルで出すこともできるが、ドルを使うのは旅行者で、換金するには特定の換金所で並ばないといけないのでこちらの人は喜ばないし、まずバスに乗れない。だからドルは嫌がられると聞いていたのでコロンにしたのだが、、。

国立博物館というのは昔の軍司令部だったところなので砦ふうな建物になっていて銃眼のような隙間が付いた塔がついている。道路の横の壁には銃弾痕が一面についたままになっている。入り口で2万コロン札をだすと細かいのがないか?と案の定いわれたのでそこに書いてあった560コロンを出していやに安いなとおもったら、それは推奨チップだったらしく本当は8ドル(2000コロン)くらいだった。受付の兄ちゃんはいやいやそうにおつりをくれた。

内部はまず、広いふきあげの空間が熱帯植物園風になっていて喋が飛び交っている。そのなかの階段を上がって2階、3階の展示室に入れるようになっている。展示物は古い歴史的な埋蔵物の品々、コロニアル様式の格部屋の再現、調度品の数々だが僕の興味をひいたのは暗い室内にTV画面とイヤホーンがセットで並んでいるコーナーがあって各地方、各年代の音楽、ダンスが紹介されているコーナーがあった。キューバのダンソン、ソン、サルサ、ルンバ、タンゴ、メレンゲ、、、カンシオンネグロ、ボサノバ、ロック、ジャズ、ボレロ、ヒップホップ、、それに聞いたことのないカリブ音楽やダンスの数々。けっこう楽しめた。

例の石の真球はいくつも庭や室内に展示されていた。とくに説明もないけれど事前にいろいろ調べたところによると偽物疑惑のはなしもあったけれど時間さえかければ手作業だけで石を削って真球にちかづけることは可能だと言うテレビ番組もあったようでそんなものかなと思った。

博物館を出てグランホテル前からバスに乗ってカツコトラベルに向かった。このバスルートは覚えたかったので、交差点の角の家の壁に注意して地図にアベニーダとカジェをメモしていった。トヨタの大きな建物の裏側の道沿いにある店を見つけたが、室内に誰も見えない。大声で「ごめんください」と言ってみると奥からコスタリカ人の若者が出てきてカツ子さんはちょっと出ているからここで待ってくださいと言われた。

表君という彼は「顔はこんなですけど日本人のハーフです」と自己紹介した。

まもなく現れたここの主、カツコさんというのは70歳ぐらいの小柄でうわさどおりの話好きで愛想のいい女性だが、もうここで40年になると言う日本人会の長老である。日本人会というのは忘年会やカラオケをやったりするが、荻野さんのようにそういうことが好きでない人もいて最近はあまり行かないという。家族を含め200人ほどいるが参加するのは7,80名だという。いろんな人がいて、だれとだれが合わなくて、最近は誰がどうしたという話がつづく、、これを太田さんは眠ってきいてたといってたなぁ、、などと思い出しながらきいていた。僕にはとても興味深くていろんなことを聞いてみた。

ここで住むにはまずサンホセで住むことに慣れてから郊外にいくといい。アウトドアタイプの人も楽しめる。60歳の会社社長が1週間でこちらのインストラクターに習ってライセンスを取って今年は沖縄でもぐるといっているとか、、。「昨日は今度協力隊で来た人は太田さんにあいそうだから一度あって見たら言いと昨日電話で話したのよ」「丁度そのとき僕太田さんとあってたんです」「あそー」、、。

前回日本に帰った時の話などしているうちに彼女はここは住みやすいいいところだけど、ここで死ぬつもりはなくて最後は日本がいいというようなことを言ったのが印象的だった。「荻野さんは家を売りたがっているけど買い手にはいつも高いこというのよ!結局、売る気はないのよ」などともいう。

僕が「ちょっと話すのがはずかしいんだけど」と前置きしてここに来た直後に不審な男に不憫さを装われて120ドルまきあげられた話をすると、真顔になって、ここには薬でいかれた人間が多いのよ!あいつらは頭だけははっきりしていて、かもだと思えばずーっとつきまとってくる。注意しないと、、。ここは貧しいでしょ。リモンのあたりも貧民窟があってそこは絶対に危険だから、、、。

あすは表君がリモンに行くからあなたの先生と連絡がついたら一緒にいったらいい、といわれ彼の連絡先をメモしてくれた。

■宿に帰ると誰もいなくて、疲れたのでベッドに横になるとぐっすり眠ってしまい、夜、ロシに食事が出来たといって起こされた。

その晩はロシの好物の「卵カツどん」それに今日はひよこまめ(ガルバンソ)のスープとサラダ。量が多いが平らげておなかいっぱい。荻野さんとワインを飲みながらノンストップで延々と話が続く、、。あれっ、三戸部君はどうしたの?彼はお昼に出て行ったよ。そういえば持っていた本を宿の本と交換したいとか、持っている衣服をどこかで売れないかとか言ってたなあ。自転車でパナマのほうでも向かうんだろうか?ここには世界一周の連中などもよく来るそうだ。

Victoriaの実家に電話してみた。お母さんらしき太い声の女性がでて、まだ帰っていないと言う。どうしたんだろう?明日また電話するといって切った。
旦那さんの中山先生からは連絡先と23日帰国予定を知らせるメッセージが入っていた。オモテ君に明日は一緒に行けないと連絡した。

ロシのわかれた旦那さんかだれからか迎えに来るというので彼女となおみは家に帰ることになった.
はしゃいでいたなおみもちょっとさみしそう。見送る荻野さんはもっとさみしそう。

 

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はじめての1日ツアー報告 2/22

2014年07月22日 | Weblog

■はじめての1日ツアー報告。
朝6:30にバンが「喜多側」前に迎えに来る。運転手と添乗員の2人で各ホテルを回ってお客をピックアップしていく。僕の場合はその場で105ドルでの支払いをカードでした。カードは機会読み取りではなくサインだけの決済。ツアー名はCombo.地球の歩き方に紹介されている内容とほぼ同じでポアス火山、コーヒーツアーと平和の滝。この平和の滝がサルチーでのカレータ(牛車)作成工程見学と入れ替わっている。ExpedicionesTropicos(2257-4171)のウエブページでは「歩き方」と同じく朝昼食事込みで75ドルになっている。バンはあと2箇所のホテルを回り、客は12人。英語のサポートが必要な客は僕を含め2、3人だと思う。

まず、ブリット社(世界的ブランド)の農園見学だが、車中でツアー紹介がある。添乗員デビットの英西語での説明は超早いのでかなりの英語力が必要だと思う。もちろん必要なことは行動の度に、何時にどこへ集まれということは個別に説明してくれるから心配は要らないけどこの種のツアーは説明を聞いて歩くだけだから、説明がわからないと何も面白くないと思うが、他のお客と仲良く話したり、お土産を買ったりするにはいいかもしれない。実際、ブリット社のお土産ツアーの趣がある。

農園到着までの1時間ぐらいでツアー内容だけでなくコスタリカの一般的な説明もあって、人口が460万で7つの郡に分かれており、平均的国民の収入レベルが400ドル以下のクラス800ドルまでのクラスとそれ以上のクラスに分かれてどうのこうの、といった説明も分るととても役に立つ。もちろんスペイン語の聞き取り練習にはちょっときついけど最適だ。

まず、「プラビダ Pure Vida」というコスタリカ特有の言葉の紹介。原義は英語読み Pure Lifeそのままで喜多側のWiFiのIDに使われている。あとで荻野さんにも聞いたが「いやー、どうもどうも」みたいな感じでどこでも使える表現のようだ。ツアーのあと宿に送ってもらって別れ際にデビッドに言ってみたらすごく反応がよかった。

農園に着くとそのレストランでバイキング形式の食事。ガジョピントという小豆まめご飯に卵くだものみたいなここの典型メニューだろうと思う。小雨が降っていてレインコートがあるといい天気だ。サンホセ自体高度1000メートルをこえるようなところだから日本の軽井沢みたいに結構寒いんだ。さらに1000メートルぐらいの山で今は雨季。土産物屋で傘や合羽も売っていたが、持参折りたたみ傘があったのでそのまま行くことにした。せっかく昨日準備した合羽を持ってくればよかった。

コーヒーつくりのプロセスをデビットが紹介していく。苗が段々大きくなって2年後にどうなってこうなって、、。白い花がさき、青い実ができて収穫が手作業になる。大きい実だけ10月ごろ摘み、一番小さいのは2月ごろに摘むことになる。その実を摘む作業でつかうカフェイーラとか呼ばれる20cm角ぐらいの箱(caja)があってそこに実だかお金だかを入れるのにつかった様だ。朝収穫を初め午後の2時に収穫物を引き取りに来るまで働いてその場で直接賃金が支払われる。1箱2ドルになり、多い人は週に20も30も収穫して当時はけっこういい収入になったのだとかいう説明が続く、、、。

このカフェーラという箱から「Cafe,コーヒー」という呼び方になったんだと聞いて納得。荻野さんもそれは初耳のようだった。

工場では実をむいて温水につけて乾かすというプロセスの説明。そして種だけが輸出されどうたらこうたら、、ジャマイカ産のブルーマウンテンはじめ各種ブランドの名前で出て行くが、元はみんなこれだとか。焙煎という工程があってここだけは全てドイツで行われて戻ってくると言う。そして最後に製品陳列棚の前で商品を手にとって、これが酸味も少なく何も入れないで飲むのに最適なマメだ、とデビットが紹介する商品を一袋を知り合いのコーヒー屋さんへのお土産に買うことにした(8ドル)。紅茶党の僕はこんな説明を聞いていても細かいこと知らないし分らないが面白かった。

次はポアス火山。当日は霧で真っ白。展望台から何も見えない。今日は下のミュージアム(と言ってもただの休憩所だが)で休むかエキササイズにするか勝手にして、、ってことで集合11時半。僕は何も変わらない風景をただ歩いて、、途中リスに遭遇。記念の動画を、、ここの動物や鳥はさすがに踏みつけそうになっても人を怖がらない。

バスで動物園のような施設へ行って大きな編ドームの中に放し飼いになっているオオムなどの鳥、サル、ジャガー、ハチドリ、蝶、蛇、カエル,蜘蛛、、、まさにコスタリカ。その休憩所で食事。時間指定してもみんなどこへいったやら、、という感じなのだがデビットも別に急ぐ風でもなくのんびりと、、。デビットも施設の職員でもないのにかなり詳細な動植物生態説明が出来るのに驚くほどだが皆しらんかおでよそをむいていたりする。そのくせ時々するどい質問したりして、、、。

最後は滝の見物。もちろん熱帯雨林の中の滝だから迫力あるが、見せ方が違うなぁと感じた。滝をバックに記念撮影するのだから、そのポイントをどこにするかに工夫が凝らされている。滝の裏側だったり橋の上だったり、、。それが延々とこれでもかこれでもかと続く。興味ないと歩きつかれるだけ。それで終了。終点のお土産屋さんでLonlyPlanetの動植物カラー写真版39ドル西語版(たっかー)買ってしまった。

お客の中で品のいいインテリ風のメキシコ人に話しかけられたり、ドイツ語みたいな言語だけど分らないのでどこから来たか尋ねるとスイス人で日本びいきのおじさんだったり、そこは日本人などアジア人系ツアーの超親密関係とは一味違うけれどさらっとしたいい感じの人間関係ができて僕は好きなのだが、言葉の壁や閉鎖的性格のある人には面白くないツアーかもしれない。最後の車の中で運転手、添乗員デビットの評価をするアンケートが着たのでデビットを優、その他すべてを良として評価した。

明日のツアーはキャンセルになった。サラビキが洪水でキャノピー(ゴンドラのことらしい)が止まったとか。サクラツアーから別ツアーの誘いもあったがことわって、太田さんや北条さんとあうことにしようと思った。

宿ではまた荻野さんとはずーっといつまでもしゃべり続ける。彼自身しゃべりすぎだと言う自覚がないわけではないが同類がいればそーなることは必然。若い自転車一人旅の超無口の彼は(名前がなんで覚えられないのか)聞いているのかいないのか、興味あるのかないのかわからないが、今日もなにかいつも横にいる。「なおみ」は大声で走り回るか、テレビのまえで寝ているか。ロシがにこにこしてお茶をいれてくれる。

 

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コスタリカ紀行 2/21

2014年07月22日 | Weblog

■朝食のバイキングのあとすぐに銀行カードで引き出してみたかったがまだ早すぎるので昨晩のバス停のあるコカコーラ地区を歩いてみることにした。ここは夜は怖そうなところだ。バスがやたら込み合っていること以上のことはわからない。どこで、乗車券を買い時刻を調べていいかもわからない状態だ。近くのマーネット街を詳しく歩いて、熱帯雨林ツアーに持っていく合羽をどこで買ったらいいかしらべようとしたがわからない、総合百貨店風なところも聞いたがequipo de lluvia は扱ってませんといわれた。ようやくCITIBankの支店でATMから2万コロンをおろした。ここでATMは初体験、緊張した。

明日のツアー確認をホテルのロビーそとがわでiPhoneで代理店にSKYPEOUTしたら繋がった。チェックアウトしたら国内電話は何もチャージしてなかった。電話代は無料とは太っ腹。

1時間ほどすぐ横のコスタリカ中央銀行博物館見学。埋蔵されていた金の装飾品の創造力のすばらしさ、芸術性の高さにしびれた。展示場のデザインにも高いレベルの評価眼がうかがえる。

もう一度、今度は宿泊先のサバノ喜多側にスカイプアウトするとなぜか繋がらない。やむなくホテルのオペレーターに外の公衆電話の使い方を聞いてやってみたが、25コロンをいれたきりうんともすんともいわない。もう一度やってみてもだめ!やむなく、オペレターに相談したらカウンターの電話で連絡してかけさせてくれた。

宿に着くと主は買い物に出かけないで待っていてくれた。今日は若い男子1名アラスカから南米まで自転車で走ってきた子が宿泊していた。

3歳のなおみがしきりに口にする「クニ」というのは彼女のお気に入りの宿泊者「東山さん」のことだときいて、もしかしたら中国語を話すサルサをやっている東山さん?僕は一緒に上海へサルサを踊りに行ったことがある、、と言うことになり皆びっくり。世の中せまいものだ。

それから、ロシとなおみと宿の主の4人でバスで街に買い物に出た。僕は場所に一緒に行ってもらってその「雨具屋」さんで「合羽(4,5百円)を購入できた。その後一人で歩いてみる。僕は観光案内事務所をやっと見つけて宿の主の言っていた大きい観光地図を入手できた。

コカコーラ地区を歩いていると昨日おれにたかったあの男と偶然顔をあわせた。彼はそこらへんのごみ処分の仕事をしていたが「この辺は危険なところで何をしているんだ」と聞くからバスターミナルの様子を知りたいからだがおまえは金をどうしたんだ、ちゃんと飲んだか?と聞くと答えず、自分を500ドルで手術してくれる医者がみつかったので喜んでいる、とか最初は飲めなかったが今度は飲んでみるとかいう。この辺を走るバスのことなら何でも知っているからこの仕事をやめて案内すると言う。俺がいやここで帰りのバスを待って帰るだけだと断ると、いま一緒に食事しないか?腹がへっているのでおごって欲しいという。俺は安宿に移ってそこで食事する。いったい何を言っているんだ、とにらめつけたらもじもじして離れていった。なんともいえない嫌な感じだ。

丁度来合わせた黄色いバスにSABANA CENTRY (実はCEMETERYだったようだ)160cの車掌に「SABANA NORTEへいくか」と言うと「行くから乗れ」という。ところが走れども走れども見慣れた光景にならない。歩いて30分のところを1時間以上かかり雨まで降り始めたのにまだ墓場のあたりをうろうろ、、たまらず「Estacion Nacionの前で降りたいんだ」というとびっくりしたようで「それはSABANA ESTACIONに乗らないといけない。バスがちがう」
しばらく考えていた車掌は雨の中を交通規制している警察官に窓から話して通行中の車両をとめて後続の「Estasion」バスの前扉をあけさせて交差点で僕を乗り換えさせてくれた。

車のなかでは横の女性が英語で「スペイン語はなせるの?」と心配したり、横の男性が車の行き先を書いた紙を渡してくれたり、、、、。

ようやく宿にたどりついて遅れた説明をすると、もしそのまま最後までいくとこの時間一番やばいところに行ってしまう所だったと言われて冷や汗!

あるじの手作りイカ墨パスタ、煮魚の地中海風、トマトとたまねぎのサラダ、これが5ドル!宿泊料15ドル。これじゃあやっていけるはずがない。だから「SeVende」の表示がしてあるのだ。

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コスタリカ紀行7-20

2014年07月21日 | Weblog

 

■サバナ公園まで2kmぐらい歩いて「サバナ喜多側」を探しに行った。喜多側だから公園の北側だろうと思って広い公園を歩くとLaTorreSabanaビルが目に入った。日本大使館、トリニダードトバゴ大使館などが入っているのがわかった。隣のブロックにEl Chicoteというレストランがある。この道まではグーグルマップでわかっているのだが、駐車場横の家にはSeVende(売り家)とあるから空き家と思い込んでいたが、そのブロックを一回りしてもう一度確かめようとすると、El Chicoteの横に座っていた若いのがしきりに手を振っている。近寄って聞くと一緒に行ってあげるという。彼はクバーノだというが、俺もキューバへ行ったぞというと、実は嘘で二カラグァ人だという。このあたりはニカラグァ人の居住区らしい。彼が売り家の柵をどんどん叩いて大声をあげると中から大柄で年配の日本人が出てきた。

彼がオーナーの荻野さん。僕と同年の一人住まいで、コスタリカに初めてきてから40年になるという。東京出身の人だがこれまでほとんどスペイン、南米各地で通訳やレストランの手伝いをして暮らしてきてようやくここに落ち着いてこの場所を買ったという。2人娘さんがいるが離婚したので同居してないそうだ。宿には今、自転車でカナダのバンクーバーから来たn青年が宿泊しているそうだ。

友人のRosyさんというコスタリカ人の女性が娘さんの「さおりちゃん(?)」と一緒に手伝いに来ていた。彼女も日本人の夫と離婚していて近くに住んでいるのだそうだ。この宿は日本人だけが利用していてオーナーの彼は日本食を5ドルで作っているという。雨季は宿泊客も少ないので、よくスペイン巡礼の旅にでるそうだ。彼はここでは2年以上連続して居住したという資格がいろんな手違いで作れなかったので帰化はできず最近永住資格を取ったという。

ペンショナードで田舎に住んでいる僕たちと同年代の友人がいるそうだ。600ドルの年金資格は実際は1000ドル必要らしい。僕は素人じゃあないから弁護士までは必要ないが、けっこう手続き的にはややこしそうだ。彼は例のシルバーコロンビア計画のこともいろいろ見聞きしているそうだ。やはりこのようなリタイヤーライフを楽しんでいる人はいたんだ。

今サクラツアーと連絡しているというと、ここにはもっと古くから旅行業をしている人もいるそうで、サクラツアーの下村さんとこは高いという話も出た。やはり、思ったように日本人社会らしい微妙な人間関係を垣間見るようで僕としては重要な情報である。なんとかこういうネットワークに繋がりたいと思った。

バスの乗り方が知りたいと思っていたら、これから彼が街に買出しに出ると言うので一緒にバスに乗って案内してもらった。ここに来るには、丁度、グランホテル前から乗れるバスでCalle LuisaのICE(Instituo Costaricanse Electroricidadという大手電気会社でこのグランホテルのWiFiのキャリアーもこれみたいだ)で降りてあるけばよいようだ。190コロンで来れる。もっと頻繁に街へいく便はアメリカス通りの反対側からコカコーラまでいくバスもある。300コロンだ。車両の前の運転席横から乗り降りする。車掌に直接小銭を手渡しして支払う。バス停では手を上げないと止まらないし行き先で合図しないと止まらないそうだ。

サバナ公園は元は飛行場で入口の塔は管制塔だったらしい。公園内のどでかいドームのEstadoNacionalは中国の出資だという。従来は台湾香港がメインだったが近年大統領の政策変更で中国本土からの出資が激増しているようだ。このあたりにどんどん商業ビルが建設中で、ニカラグア人の建設作業員が朝早くから仕事に集まってくると言う。反対に、日本からの投資は減少するばかりで、昔からの日本人学校も駐在員が減って日本人子女は少なくハーフのネイティブが増えていると言う。こういうところに今の中国の経済力の強さが反映しているようだ。

ホテルに帰って下村さんに電話して22日と23日の日帰りツアーの予約をとった。一度お会いしたかったと言うと、郊外で仕事をしているから電話連絡だけにして欲しいようだ。どういう仕事のやり方をしているのかなと思ったが、現地ツアーパッケージをウェブで広報し、予約客からうけたクレジットカード情報を保証にして現地ツアーに請け負わせているようだ。なるほど、これなら長期出張の添乗ツアーに専念できるし、お客も面倒でなくていい。一応こんな一般的ツアーも経験しておこうと思う。当日はホテルにツアーが迎えに来る手はずになる。喜多側宿泊時はICE裏のBarceloPalmaRealHotelになる。

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