くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

カード紛失、口座凍結問題の解決

2017年09月11日 | Weblog

◼️新しい先生はまだ現れない。先生は3人いるはずだ。yến先生は、韓国語と少し中国語ができる。英語は比較的上手で話もまとまっていてわかりやすいとてもいい先生だ。

クラスが終わって周さんと食事に行った。学校の中の教員の食堂みたいなところでフオーを食べた。
彼女は自分が勉強が遅れていると思い込んでいてちょっと焦っているのかもしれない。全く初めてだから無理もない話だ。僕は相当準備してるから単語もわかるしついていけるが全く初めてでは大変だ。

これが英語もろくすっぽわからないような17 8歳ではスムーズにいかないのは当たり前の話だ。しかし、みんなとても熱心だ。

信金のヴィザカードの紛失、再発行申請書とプレスティアSMBCの住所変更届がようやく届いた。来越3ヶ月にして起こりそうなトラブルはほぼ経験した形だ。カード紛失、転居による銀行口座停止、各種ヴィザ発給手続きに金融機関の海外への年金振込、国民健康保険喪失による海外での診療対策、等々。
 
もうベトナム人のつもりなんだが夜、屋台でサウを飲みながらそれとなく聞いているまわりの話はわからない。全然わからないんだー。
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日本語教師会例会

2017年09月09日 | Weblog
■ 9月の教師会は西湖の桜クリニックで行われた。例会の課題はまずタイの日本語教師会の状況説明。次に、茗渓学園の校長の話。ここは筑波大学の研究者たちが姉弟を入学させるところだ。
 
最後に桜クリニック総合医療の担当医から「デング熱」の解説があった。なんと権代副代表は4回かかったそうだ。5回目は無いとの事なぜならデング熱は4種類しか種類がないからだとか。
 
二次会の「鉄板」に行くまでが大変だった。みんなと離れてバスで行こうと思ったが55番線のところを60番線に乗ってしまい反対方向へ。変なところで降りてやっとタクシーを捕まえて鉄板につくと、なんと一緒に行った人たちも丁度着いたところだった。彼らの乗ったタクシーが道を間違えたようだ。フォンディエン大学の林さんといろいろ話した。
 
帰りは内野さんと土砂降りの雨の中をタクシーで帰る。彼は日本に帰っていたそうだ。僕が連絡した事は知らなかったみたいだ。
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周さんのこと

2017年09月08日 | Weblog

■今日は25歳のYew先生のリスニング、スピーキングのクラス。この先生は若さがあって英語も悪くないしよくまとまっていて言い感じの先生だ。この日も結構の量の文章が紹介された。

クラスのメンバーのようすが少しずつわかりだした。いつも反応の遅い数名のうち1番が韓国人の若い男。個性的で皆からいっぱい笑いをもらって人気者になっている。彼の横でいつもサポートしている茶髪の女性は少し年長者。僕以外の年配者のうち、結婚願望のあるリーダー格の彼は僕が申請時に会った韓国人の男だ。自分でメンバーの連絡係りをかってでていてよく勉強しているようだ。同じ年配の男がいて聞いてみるとまだ住むところが決まらないらしく、毎朝タクシーで通っている。もう一人韓国人の女性でかなり長く滞在しているらしいので口数も多く韓国人のサポート役。韓国の若い子の2,3人もスロースタートだ。でも子のクラスで全くの初歩ならやむを得ないかな、というレベルではある。

帰るとき周さんに誘われてフォーボーを食べに出た。49番バス停近くの店でコムザンを食べる。周さんのだんなさんは送り出しの仕事関係らしい。太極拳もするというので興味がある。その川島さんとやらに周さんが是非あわせたいというので僕も楽しみだ。周さんは28歳、旦那さんは5才上の33歳とか。彼女はすでに学生時代から日本語を勉強していて日本企業に中国事情などを説明するコンサルタントをしていて彼にめぐりあったらしい。最近まで上海の会社にいたらしい。今度のインドチャイナカフェに誘ってみようと思う。

 

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クラスメート台湾編。

2017年09月07日 | Weblog

■今日はTam先生のリーディング、ライティングで週に1回だけ。サブテキストコピーで発音練習だが単語の意味を言っているだけ、みたいな印象の薄い授業だった。でも時間が終わったら皆で7階の職員用かどうかしらないがきれいな食堂があって食事35000d。

クラスの大体の構成がわかった。中国人6人(男3、女3)台湾2(男女)残り韓国の面々。台湾の張さんが日本語をちょっと話すのがきっかけで台湾の2人と一緒に話す機会があった。2人ともハノイに来てまだ1週間もたたないという。寮はきれいだが250ドルは高いので僕のところを見たいというので僕の部屋に案内した。お茶をしようとインドチャイナプラザの2階に行った。

2人は働いているミディア系会社から1年ベトナム語を勉強するよう指示されて派遣されてきた。初めてのことなので右も左もわからない状態のようだった。僕は台湾にも行ったことがある。九分にも行ったよという話をしたり、タイムズシティのことや北朝鮮の学生が他の大学にいることなど話した。2人は同じ会社で一緒になって来ただけのようだ。台湾も物価が安いから年金生活には良いところだがハノイはもっと安いがきたない、とうような印象だという。

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東大生が南京豆売り?

2017年09月06日 | Weblog

■留学生活の最初の授業:朝、大学A1棟406号室に行くと丁度中国人のシンシンも登校してきた。今日の彼女はとてもかっこよくてチャーミング。背中のタットゥが気になるが、、。すぐ周さんも来てクラスが始まる。25歳のイエン先生はとても優秀。発音の非常に基本的なところを見事にわかりやすく解説してくれた。ベトナム語が全く初めてならちょっと理解できないかもしれない。どうもこのクラス日本人僕一人、中国人の女性は3人だけらしい。後ののこり10数人は全て韓国人。イエン先生が黒板にハングルを書いて説明するのにはちょっとびっくり。彼女は中国語も勉強している。まあ、ここは全員が皆少なくとも3ヶ国語を話すことになるわけだから驚くに足りないが、

授業が終わって帰り途、いつもの食堂で食事して、ミニマンションの前のフックくんの屋台に行くと、みたことないおじさんが手招きして一

緒に1杯飲んで行け、食っていけという。話も通じず、グーグル翻訳で訳のわからない会話をして、たらふく食って飲んで部屋に戻ってバタン!

はっと目がさめて、そうだ今日はティさんとカラオケに行く約束だった。

6時にマンションの前で待っていると彼がきて2人でバイクでどこやらいろいろつまみを買いに回ってからタイ湖のそばのビアガーデン「Bia Tay  Ho」に行く。ハノイで人通りの一番激しい時間帯に70近い爺さんが(ティさんは3,4歳僕より若いはず)バイクで2人乗りをして車やバイク、バスでぎっしりの大通りを、走る車の間を縫うように赤信号をものともせず突っ走っていく、なんて普通なら想像するだけで恐ろしいことだが夢のような現実だ。

ティさんの行きつけのこの店にまもなく47歳のチィさん(タトゥしている女性)も来て3人でたらふく食ったり飲んだりしていると、若い日本語を話す男が南京豆を売りにきた。2袋で5万ドン(250円)だという。高い、高いと言いながら聞いてみると帰省している東大の留学生だという。コンピュータープログラミング専攻の2回生でもうすぐ東京へ戻るらしい。浅草橋で下宿しているという。びっくりだ。僕の名刺を渡し、南京豆を買って「がんばってね」と声をかけた。

今日もなにか変なハノイの夜だ。こうして僕はハノイにはまっていくんだと思いながら、、、。

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留学生活のスタート

2017年09月05日 | Weblog

■初めて登校するのは午後3時。なにしろファンバンドン大通りを渡りさえすれば学校だから歩けばいいのだがいつもの交通量。そして学校の門までバイクや車をかいくぐりながら、、、。A棟の入り口を入り受付けデスクの守衛さんが「日本人?」と聞く。時々いろいろなところで日本語を聞くからそんなに驚かないが、、さすがーと思う。なにしろここはベトナムトップの外国語大学だから、、。

オリエンテーションの講堂には既に何人か集まっていて、振り返ってにっこりした女性に軽く会釈して彼女の後ろの席に座る。やがて人がたくさん入ってきてオリエンテーションが始まった。まず、この学校で勉強した先輩のスピーチとして最初に素敵な女性がパーフェクトなベトナム語で挨拶をした。とても背が高くて長い髪のびっくりするほどの美人で、はじめはベトナムにはすごい美人がいるなーと思っていたのだが彼女が「ミサキ」と呼ばれたので、あれぇー、、、。日本での学習暦を合わせると5年になるというが、、新入生の間にため息のような声があがる、、。是非声をかけてみたかったがオリエンテーションが終わる前に彼女は退室してしまった。

新入生はほとんどが韓国人のようだ。1人1人の自己紹介が始まる。みな結構英語がうまい。中には相当勉強している人もいて、来てから1年ほどになる人もいる。20歳くらいの若い学生で英語はまだおぼつかないような子もいるし、ベトナム人の彼女同伴で来てる子もいる。僕の番が来て準備していたようにベトナム語で自己紹介を始めたのはいいが、最後の「どうぞよろしく、、」の部分で真っ白になってしまった。全然思い出せない、空白の時間が過ぎていく、、久しぶりにすっかりあがってしまい「ヘルプミー、プリーズ」と思わず叫んでしまった。ま、しかし69歳のところで「オー」というリアクションもうけたし、ベトナム語で挨拶する人は少なかったから、それなりインパクトはあったと思う。

最後に2人の先輩男性の我々に対するアドバイスとなるベトナム語のスピーチがあった。はじめの1人は韓国人、なにかちんたらした感じだったので思わず聞こえよがしにベトナム語で「チャン、ヒウ、チー、カー(全然わからん)」とつぶやいてみた。通訳のヒウ先生が笑い出し、件の韓国人呆然と、、。だって僕たちこれからベトナム語を勉強するんだからちんぷんかんぷんは当然だろ!!

2人目は中国人のスピーチ。手際よくまとまっているようだ。中国語は聞き取れなかったけど、、。終わって韓国人の数人が韓国語でぶつぶつ言い出した。どうも、20人近くもいるのに1クラスなんておかしい、、みたいな事のようだ。ほとんど韓国人のようなので韓国語ばかりになりはじめた。そこで思わず「ハングーマル、モリュムニダ(韓国語わからん)」とつぶやいてみた。

すると僕の後ろの席から日本語で独り言のようなが、、。あれっ彼女中国人のはずなのに、、驚いて振り向いてしまった。周袁さんという日本人配偶者でだんなさんの仕事関係で1月前からきているという。パーフェクトなバイリンガル。「すごいです。韓国語もできるんですね。」

中国語でどこの出身かと聞くと目をまるくして「安徽省!安徽省!すごーい」
 
僕は文章をいくつか暗記してるだけであんたの日本語のほうがよっぽどすごいよと思ったが、ちょっと得意顔!
 
前の席のチャーミングな女性は「シンシン」という2ヶ月前に広州から来た中国人だった。そしてもうひとり中国人の子がいるようだった。
 
A棟の入り口でみんなで写真。ほんとにベトナム人は写真がすきみたいだ。あすから早起きしないと、、、。

 

 

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indo chjna cafe

2017年09月04日 | Weblog

■この日僕の声かけでインドチャイナカフェをしたが、小泉君は日本、平井さんは仕事、たまみさんは遊び疲れで渡辺さんだけとなった。

会場をプラザの2F喫茶店内とし、ここでは彼仕事をしながら休んだ。彼の帰国は結婚報告のようであり、10月にもこちらで挙式のようだ。20代のおくさんは旅行者に勤めるベトナムの人でいつもは英語でコミュニケートしているそうだ。なにしろ彼は33歳の若さだが、20代後半になるとこちらの女性は周りからの結婚プレッシャーが高くなるようだ。

こちらの結婚式の様子など興味深く聞いた。とにかく親戚がたくさん集まり1日中だらだらと人が出入りしてすぎていくらしい。せっかくの機会だから招待された折には是非みてきたいと思っている。彼女は日本にきたことはないので日本に新婚旅行だそうだ。結構おめでとう。

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事業再開

2017年09月03日 | Weblog

■急に閉店していた件の食堂が再開した。

はじめいつもの手伝いのおばさんがいたから彼女が事業を引き継いで始めたのかと思ったら事業主のおばさんも何時の間のにか現れていつものように店はにぎわっている。キツネに憑かれたような話だがことの詳細を確かめるには僕の語学力ではいかんともしがたいところである。いつかわかるときがくるだろうが、だれもここでは何時何が起こってもおかしくないということはかわらないと思う。

もし、僕の想像したことが本当だったとしたら、ちょっと日本では考えられなかった特異な商法というか、商売のやり方があることに気づかされた。つまり、事業を立ち上げるだけが目的で、維持しない、という商売。うまくいけば誰も傷つけないし、誰も困らない。ひょっとしたら引き継ぐ誰かが棚からぼたもちになるかもしれない。慣れれば企業経験ができてだんだん成功確立が上がりそのうちにすごい商売になるかも知れず、その時腰をすえてしっかり儲ければいい。

もしかしたら、今まで成功した企業家というのは多かれ少なかれこのようなタイプの商売だったのではないかな、と思うようにさえなった。そうだ、事業は失敗するまで続けるから失敗なのだ。それはいつも時期を読み違えた、引き際の決断ができなかった、ということになる。一つのことをやり続けるということは才能ではあるけれど、事業を立ち上げる創業ということとは別物であるということだ。

僕の食生活が変わるかもしれないときであったかもしれないが、ここのメニューに段々なれてきて、そのよさがわかって来た、みたいな感じもする。いつもどうりの生活がまた続いていく、、。

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謎のフルーツ

2017年09月02日 | Weblog

■今朝もいつもの食堂はしまったままののでフット君に聞いてみると手をクロスしてなんとかかんとかチャイ、、と言った。「チャイ」といえば走ると言う意味だ。さては逃げたなと直感した。あんたに被害はないかと聞くとそれはないとのこと。あの店はほんとに夜遅くまで人が絶えずはやっていた。おかげでフット君の店は一時あがったりだったくらい。

 経営者のおばちゃんも、とてもいい感じで開店前から顔見知りのため無理しても食べに行ったのに、、。手伝いのあの元先生がスタッフで旅行に行ったのだと言って写真を見せてくれたことがある。すごいビーチの別荘で豪華な室内、これベトナムと思ったくらい。でも、彼女は僕と深くは話そうとしなかったな、と今になって思う。ここは急に閉店する店があると聞いてはいたけどこういうことなのか。開店三ヶ月目の最高にはやってきたときに止める。詳細はわからないが、、、

 食堂がなくなったので市場でフルーツをたくさん買ってきた。フック君の屋台で管理人のタオさんに見せると、その中でとんでもない物があるといって、返して来いという。それはいかにも妙なまるで手の指が集まったような形のフルーツ。名前も知らないがきっとスターフルーツの親類だろうくらいに考えて買ってきたもの。彼は僕の手を引いてフット君の店先に連れて行き神棚を見せてくれた。仏様のお供え用の同じ果物があった。なるほど人が食べるものではないんだ。

 グーグル翻訳で「食べられないと知らずに買ったので、食べられるものと替えてください」をタオさんに見せて市場まで取替えにいった。かえりは特大のザボン、大きいパパイヤ3つ。なんか得したような気持ちでかえると、いくらと聞くから10万ドンというとせいぜい7万ドンだと言われた。ま、いいや数日フルーツ漬けだ。

 今度ハノイに友人が来て案内するならどこに行くかをシュミレーションしてみようと思い、ホアンキエムの旧市街散策の1時間コースを歩いてみた。福井の書店で旅行の本を立ち読みして書いてあったルートを確かめようと思った。

よくシくろや電気自動車が走っているコースもはいっていてチャーカー通りや、薬草店のあるランオン通り、金物店のトクバック通り,仏具店のならぶハンクオト通りなど初めての場所があって面白かったがちょっと横道に入ると古物店がならんでいたり、サングラスばかり売っているところとかそのコースにないところのほうが楽しいんだが、、。

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SMBC Prestia

2017年09月01日 | Weblog

■家の近くのインドチャイナプラザのCitiBankのATMをチェックしたが今日も駄目だった。帰って銀行のオンラインのアカウントにアクセスしようとしてもできない。問題があるようなので直接電話で確かめることにした。当座の資金はあるし、昨日のように急を要することはなかったのでゆっくりSkypeを使えるようにしよう。

 なにしろスカイプさえ使えればすぐにどこでも電話できるし簡単なのだがしばらく使う機会がなく、うまくつながらなくなっていたのだ。多分、電話番号が変わってしまっていたからだと思い、新たにヴェトナムの住所と電話番号でアカウントを作り、どこにでも電話できるように料金10ドルをチャージし不足すれば自動で補填するようセットした。

 iPhoneで通話しようとしたが対応が難しいかなと思い、ノートPCにアプリをダウンロードしヘッドホンとマイクを使って電話した。繋がって担当者と話し始めたが、まず暗証番号入力の際、モニターの電話番号の枠をクリックしてもうまく入力できない。スカイプを使っていると言うと銀行から電話すると言ってきた。

 カードの支払いが止まっているのは新しい住所変更が提出されていないことが原因だったことが解った。それにしてもベトナムの住所が1月前に変わったことがどうしてわかったのか不思議だ。隣になっただけだから支障はないだろうぐらいに考えていたのだけれど、、.

 日本のCITIBANKがなくなってからこの住友三菱信託銀行がCITIBANK口座を引き継いでSMBCPrestiaという別の銀行になっているらしい。大手町の支店に行った時うろうろした覚えがある。

 住所変更届けを提出しさえすれば回復するというが、ファックスで用紙を送るといってもあて先に使えるファックスのあてもないし、銀行はe-mailを使わないからファイルを送ってもらうわけにも行かないので新しい住所に郵送してもらうしかない。2週間かかるかもしれないとのこと。それまでに急な入用ができれば1時的に支払いできるような処理もあるようだ。とにかく、原因がわかって良かった。
 

 夜、大学から新学期の授業時間表をと入学案内の日取りをメールしてきた。朝メールとメッセンジャーで催促したのも日本語センターから9月の予定を聞かれたいたからだ。
 

月曜が休日で火曜から学校が始まることがはっきりした。ここでは本当に直前になるまで何もわからない、という感じだ。

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