くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

コロナの後。経営不振。

2020年05月23日 | Weblog
■下の食堂で夕食:ちょっと変だ!
 今日は登校時に財布を忘れたので学校前のビアへ(舗道の露店)のおばちゃんに来週払うからと言って毎朝のヌクサウ(僕の大好物の飲み物)1パイ飲んで、授業の後はすぐ帰宅してマンション1階の食堂で食べようとしたが看板がしまわれていていつもの定食がない。でも、すっかりここで気に入られているので、ここのおばちゃん一家と同じ特別食を作ってくれる。ご飯に青菜、卵焼きと骨付き鶏の甘煮(これがうまい。ベトナムで最高かも、、)20Kしかとらない(普通のブンは30K)。午後バスでスーパーへ買い物に行って帰った後もマンション前のビアへで食堂のおばちゃんにチャンレオ(パッションフルーツジュース:僕の2番目の大好物飲料15Kは市価の半額以下)を注文して飲んだ。そして、7時半ごろ夕食に食堂に入ると誰も客はいなくてスタッフだけが食事をしていたが、僕を見るとあの特別食が出た。ご飯1杯が終わると、ご飯たくさんあるからもっと食べろと件のおばちゃんがよそってくれる。
 おばちゃんは50歳、旦那が亡くなって娘夫婦と姉とで店をきりもりしている。僕にやさしいのはぼくのことを気に入っているからだと取り巻きは言う。娘婿でさえ彼女がきれいかと聞く。仕方なく、きれいだというが、確かに顔つきも整っていて30年前はさぞかし、、と思わせる風情がある。今は野性的な感じがセクシーと言えなくもない、、かな。昨日はつたないベトナム語でいろいろ話した。賃料が高すぎる(店舗分が3万5千円、住居込みで5万;日本の価格にするとこの約4倍)1日30客でも固定費1万円下げないと損益分岐が出ないことは以前計算したことがあるが、客数約20だという。設備もあるし電気も別、40ないと駄目だと娘婿は吐き捨てるように言った。COBID19の期間賃料もきっちり請求されているという。
 僕が来てから3年になるが彼らは既に7代目だ。1か月で撤退した例もある。ただ1例だけ、例のアヒル食堂だけは数軒離れた場所に移って生き延びている。夜の飲み会的常連が取り込めたのかもしれない。皆北部へき地や農村から都会へ一旗揚げるためにやってくる。この地下鉄高架工事中のファンバンドン通りは恐らくハノイ一広い通りで地価も高いはず。この3年で通りの様相もすっかり変わった。いくら彼らが失敗を重ねても儲けが変わらないの家主だけ。代りはいくらでもいるからだ。といって家主が悪いわけでもない。家主のツウも実はこの建物を知人から借りて管理しているらしい。この社会自体がこういう形でしか存続できないようになっているのだ。この熾烈な格差社会こそがこの国の原動力となっている。どこかにいる一握りの特権富裕層のことなどベトナム人には関心がない。もともと彼らは他人のことにあまり関心をもたない。しかし、まさにその真逆の、他人のことばかり気にして、皆が中流だと思い、カルロス・ゴーンを決して許さない国民性というのも特殊な社会に違いないと思う。
 夕食が終わり、チャンレオを飲みながらみているとスタッフが忙しそうに連絡を取り始めた。今は月半ばだが金曜の夜。もしかして、、聞いてみようか?やめよう。聞いてどうなるわけでもなく、、、思い過ごしで来週もいつも通りかもしれず。でも、ベトナム人の逃げ足の速さは尋常ではない。賃料踏み倒して一晩でいなくなる、、、それで誰も困らない。それが普通。すごい社会だ。せっかくおばちゃんとも仲良くなれたのに、、もし、、だったらブオンクア(とても悲しい)。、、、あっ、、、雨だ!

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