寄贈した品と御坊市が借り受けるパネル
(写真左から中野氏、遠藤さん)
幕末の鳥羽伏見の戦いで敗れ、紀州に落ち延びて小松原村(御坊市湯川町小松原)の中吉旅館で命を救われ、その後、同旅館主人の中野吉右衛門と交流を続けた会津藩士で「会津の知将」と称される山川浩ゆかりの品が、今年1月に中野家子孫から戊辰150周年記念を迎えた会津若松市に寄贈されたのをきっかけに御坊市と会津若松市との交流が活発化してきた。来年2月には150周年記念事業で展示された戊辰戦争に関するパネルを会津若松市から借り受け、御坊市内で展示することが決まった。双方で今後の交流を検討しながらゆくゆくは姉妹都市協定やパートナーシティ協定につなげたい考え。
山川浩は会津藩国家老家の長男。藩主・松平容保の京都守護職就任に伴って上洛。鳥羽伏見の戦いで敗れ、紀州に落ち延び、江戸、会津に帰還。その後、東京高等師範学校(現・筑波大)校長等を歴任。落ち延びた際、重病になったところを中吉旅館で主人・中野吉右衛門の母おこうの献身的な治療看護で命を救われ、その恩義に報いるため、明治15年に感謝の手紙と大皿(九谷焼)、21年に学事巡視で和歌山を訪れた際に会津塗りのわん、22年の大水害時に見舞い状、見舞金を贈るなど交流を続けた。
この中野家所蔵の品が今年1月に「中吉旅館子孫一同」を代表して中野吉右衛門のひ孫の中野健氏=横浜市在住=から室井照平会津若松市長に寄贈された。御坊市から龍神康宏副市長らも同行し、室井市長に「会津若松市と友好的な関係を築ければ」と交流促進を打診。室井市長は「今度は御坊市を訪問させていただきたい」と応じ、150年前の山川浩と中野家との縁を架け橋に両市で交流促進を図ることになった。
13日には寄贈した品が展示されている会津若松市歴史資料センター「まなべこ」で歴史文化講座「鳥羽伏見の戦いと山川浩」が開かれ、中野健氏と山川家を研究している遠藤由紀子・昭和女子大学人間文化学部歴史文化学科講師が講演し、100人参加。中野氏が山川浩の史料発見と寄贈に至るまでの経緯、鳥羽伏見の戦いと山川浩の動向、明治期の山川浩などを説明し「会津若松市と御坊市の友好の架け橋になることを願っています。今日お越しいただいた皆さんに御坊市との交流を応援していただきたい」と呼びかけた。
この講演には御坊市から森田誠教育委員会生涯学習課長、古谷守幸企画課長が同行。14日に会津若松市総務課、教育委員会文化課と今後の交流について協議し「今後、何ができるか互いに検討しながら交流を進める」ことで一致。寄贈した品とともに展示されているパネル10枚を御坊市が借り受け、来年2月に市内でパネル展を開くことが決まった。パネルは「会津藩士の戊辰戦争」をテーマに鳥羽伏見の戦いから会津戦争、函館戦争での会津藩士の行動とそれに関わる出来事を紹介。御坊で命を救われた山川浩のエピソードも詳しく解説されている。
森田、古谷両課長は「今回も有意義な話ができた。パネル展の場所、開催日時は今後検討しますが、多くの市民の方にご覧いただき、山川浩と中野家の交流、戊辰戦争での会津藩士の行動などを知っていただきたい」と話した。中野家だけでなく市内や由良町、美浜町などでも多くの会津藩士を世話し、小舟で印南からみなべ、田辺へと命がけで送り届けた。お礼の品として鎧や兜、刀、陣羽織、和歌、書などが贈られ、今も残されており、日高地方と会津若松市との交流拡大も期待されている。
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