kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

あ、と思いきや!に会う。

2007年01月20日 | 生活
昨日、わいは夜おそうまで労働していた。
夜7時ぐらい、ローソンにパンを買いにいった。
その途中でわいの前を見たことある帽子が歩いていた。
!だ。わいは、後ろから「!あああああ」とか細い声で言った。
!は、「あ、小久保さん」とか言った。
「寒いよお」とわいが言うと、
「今日はそんなに寒くないですよ」
と!は言った。
とにもかくにも、めでたく!は帰国した。
そいからわいはパン食べて、労働場のまわりを
ずっと歩いていた。歩けば体はあたたかくなる。
9時半に終わって、帰ってジュースの仕込みと弁当を作って寝た。
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良寛様!

2007年01月20日 | 音楽
ある朝、ツバキノオジはテレビで良寛を見た。
その字はへなへなな字だったらしい。
でも、全体で見ると絵みたいになっているらしい。
それに感動したらしい。
で、職人に「良寛で誰?」
と我々はしつこく訊いた。
そしたら、数日後ネットで調べてくれて、わざわざカラーでプリントダウンして持ってきてくれた。
たいへん我々はうれしいには違いない。
内容は「禅僧」としか書いてない。でも似顔絵があった。
「こんな顔なんだ」
とか言って、良寛に飽きた。
まあ、でも、
「人生勝ちも負けもない ただ愚痴だけがある」
という良寛の言葉を知っていたので、
僕に愚痴を言う人が、
「ごめんね、愚痴ばっかりで」
と言うのが常なので、
上の良寛の言葉を言って、ぴしゃりと差し押さえるのである。
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ペンキぬりたてを観察する。

2007年01月19日 | 生活
消火栓標識をを替えて、ペンキを塗る人達を観察。
人員 2名。
時刻 9時17分開始 44分作業終了。
天候 晴
車種 2tトラック 白
「消火栓標識パトロール」と書かれてある。
作業員2名は、それぞれが赤と白のヘルメットを着用。作業着は規定なし。
質問してみた。
「何故、ヘルメットの色は紅白なのか」
「最初は2人とも白かった。でも、赤いペンキで汚れるので、真っ赤にした」
納得。
「メ[ルにぬったペンキは何時間で乾くのか」
「冬場で二時間」
納得。
「何故、まだペンキは剥げていないのに、上塗りするのか」
「さび止めの為でもある」
大納得。
「一日、何本ぐらいペンキを塗るのか」
「25本」
「雨天は?」
「できない」
納得。
彼らは『ペンキぬりたて』と書いた紙を細い針金で二枚巻いて、
消火栓標識のメ[ルから去っていった。
「オジ、何で『ペンキぬりたて』の字は、漢字じゃないのだろう」
とツバキノオジに訊いたけれど、
オジは真っ赤に塗られたメ[ルを見入って、何かたくらんでいるようだった。

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レアとは何か

2007年01月18日 | 生活
何故、絵は額に入れると良くなるのか。
何故、生け花に名前をつけると良く見えるのか。
何故、宝石はケースに入れてプレゼントされるのか。
何故、文は本になると良くなるのか。
何故、人は服を着ると違ってくるのか。
梱包とは何か。装飾とは何か。
そして、
レア(生)とは何か。
そういうことを考えていた。
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友部正人が今に来ている

2007年01月17日 | 文学
昨日、今日と友部正人のビデオを見ています。
「ブルースを発車させよう 2」と、「フォークの達人」のビデオです。
今日は「私の踊り子」という歌を口ずさんでいると、雨はやんで晴れました。
友部正人を見ていると、聞いていると、「僕がいる」と思う。
今、僕はやっと友部正人が見えてきたように思う。
僕の友達みたいに思う。もちろん、そうじゃないのだけど、
どこかがとても似ている気がする。
それがどこだかは判らないけど、
ぜんぜん似てはいないのだけど、
ふるさとが同じような感じがして、
そのふるさとは、実際にはどこにもなく、
友達であって、しかもふるさとが同じであっても、
ひどくさみしくてしょうがない。
このさみしさは、とても親しみがあって、しかもいとおしい。

言葉は友達、
誰よりも何よりも大切で、
さみしさは、空のようで、
いつでも、一緒。

友部正人の言葉が、
今、やっと聞こえるようになった。


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きれい?

2007年01月15日 | 生活
同僚でツバキノオジという人がいる。
労働場の一角に、プランターがある。
元は花が植えてあったのだけど、枯れて、
昨夏以降、そこらへんで調達してきた花や草で、
僕とツバキノオジは、生け花というか、花がない土がさみしいので、
適当に植えて遊んでいる。
「ここの角度がどうの」とか「バランスがどうの」とか、
そういうことをして遊んでいる。
タイトルが必要だということで、
適当にタイトルを付けて、プランターに添えてある。
最近の作品名は「わ」。これで5作目だ。

ツバキノオジと僕は朝、若者達が歩いてくるのを見ていた。
若者達は信号待ちをしていた。
女の子3人と男の子2人。
近くの美術大学の学生さんである。
何故判るのかというと、
キャンバスを持っていたりする風は、一様に雰囲気が似ているのだ。
で、オジは若者の中の目立つ男の子に声を出した。
「おのれらあっこの学生じゃろう?」
「はい」
と言う。
「じゃあ、ちょっと見てほしいものがあるんじゃあ」
オジは作品「わ」を見せたいのだ。美術を志す若者達に。
「今、急いでいるんで」
と若者はオジに言った。
「件pじゃあ、わいらが作ったんだ」
とオジは引き下がらない。見せたいのだ。無理でしょ、急がしいのだから。
「きれい?」
と若者が言った。
きれい。その言葉がなんだかいやらしく聞こえた。
「信号待ちの間でいいから」
とオジは言う。
言うと同時に、仕方がないな、というふうに「きれい?」
と言った若者がオジの後ろを小走りに着いていく。
他の女の子も、「何何?」と言って、驚いたように着いていく。
数メートル先にある「わ」を見て、
美術大学の学生さんたちは、笑った。
そして、僕にも会釈して信号を渡っていった。
オジはご満悦である。
ツバキノオジは、抜けている。
「見てよ見てよ」と自作をアピールする。
作品の善し悪しはともかく、
オジのエネルギーに僕は圧唐ウれた。
また、あの学生さん達も。
件pとは何か。
どこぞで拾ってきた草木をまだ暗い朝、プランターに挿して、
活けているオジ。
タイトルを一生懸命考えるオジ。
自画自賛するオジ。
誰彼の腕を引っぱって見せるオジ。
「誰もが件p家である」と言ったのは現代音楽家のジョン・ケージだった。
オジは件p家である。生活は件pだ。
そのことを、彼らは判ってくれるだろうか。
判ってほしいと思う。
きれいなのは、ツバキノオジの遊ぶこころなのだ。
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楽しい日曜

2007年01月14日 | 生活
日曜日 晴

南の窓から太陽の光がたくさんで、
部屋は暖かい、ので、Tシャツになった。
ギターの弦を張り、ハーモニカの数を数え、
東に向かって歌った。
 S宅にて。

ーーー

セザンヌ先生から、アメリカの牛の飼育についてゾッとする話を聞いた。
アメリカ大陸横断をバスで行った話や、
乗ってみたいシベリア鉄道の話。
セザンヌ先生は地図を広げて。
地球のほとんどの国に、足を伸ばしているのだった。
大陸(アメリカや中国)の話や、
日本の小ささについて、
または日本の繊細について。
セザンヌ先生は、外国人の目線で日本を見ている。

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トヨハシカレー

2007年01月12日 | 音楽
金曜日 晴

今日はトヨハシカレーを作った。
トヨハシとは渥美半島があるあの豊橋が発祥である。
具はブロッコリー、たまねぎ、にんじん、ちくわである。
トヨハシカレーは、豊橋名産のちくわを入れる。肉は入れない。
ちくわは太いものが望ましい。豊橋名産なら申し分なし。
もっとトヨハシカレーを極めたい時は、ちくわを切らずに入れる。
野菜は、どんなものでも入れて良い。
冷蔵庫の奥でしなびたナスとか、すべて入れて良い。

トヨハシカレーはおいしい。
ちくわは3本で100円のもの。
5本で100円のものは、適さない。
輪切りにする。煮るとふやけて大きくなると思われるかもしれない。
ところがトヨハシカレーに入れると、ちくわはさほど大きくならない。
最近は、ちくわの代わりにはんぺんを入れるトヨハシカレーもあるらしい。
次回は、はんぺんに挑戦してみよう。頑張ろう。




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あさのできごと

2007年01月11日 | 生活
木曜日 晴

今朝、聡怩オていた。
ちりとりに枯葉を集めていた。
イチョウの枯葉は薄い黄色で、
ちりとりに入れてから、それは蛾の屍だと気づいた。
しばらくそうして聡怩オた。
でも、蛾が気の毒になり、ちりとりを道路にぶちまけた。
蛾の屍をさがす。小さいし、もう粉々に近かったので、判らない。
手袋でゴミをかき分けたけど、判らない。
ツバキノオジが来て、どうしたのだ、と言う。
「オジ、間違えて蛾の屍、曹「てしまった」
しばらくして僕はあきらめた。
「小久保君、探したんだから神様は許いてくれる」
「ほうやな」
「そうじゃ」
と聡怩ア行。
蛾の屍をちりとりに入れたところを見てみたら、
そこに屍の一部があった。
「オジ! あったぞ!」
「そうか!」
とオジは駆けてきた。
で、近くのプランターの土に指を入れて、穴をほり、
蛾の屍を入れ、土をかぶせ、しゃがんで二秒合掌した。
これで僕は僕の気が済んでほっとした。

ーーー

朝も過ぎてくると人々がつまらなそうな顔をして、
道を急ぐ。
そんな中に自転車に乗って布教活動をしている外国人の青年がいる。
キリストという文字が自転車や青年の衣服に書いてある。
自転車に備えられたスピーカーから、
テープでキリストの教えが流れている。
僕はその痛ましいほどの純粋さに、
宮澤賢治の友人を重ねていた。
今、名前が出てこないのですけど、
やはりキリスト教だったと思うのですけど、
裸に近いかっこうで花巻の町を毎日、布教活動をしていた賢治の友人。
そうとうの距離を毎日歩いていたという。
誰もが相手にしなかったという。

自転車に乗って、布教する青年は、
一日どれぐらいの距離を走るのだろう。

朝は、誰もまだ汚れてはいない。
少し経つとすぐに汚れる。
だから仕方なく空を見ては、「ヨシ」とさせる。


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木景

2007年01月10日 | 生活
水曜日 晴

空、青く
雲、南西に向かう
陽、木を照らし
枝枝、光るなり
「地の物は、自ずから光らず」
と言ったのは誰だったか

柳の木に触り
葉は、やわらかき若葉なり
夏はこの柳、アリが往来する

陽、春の如くあたたかきなり
通りの向こうの丸裸の木
その枝は
青からの言葉を受けるアンテナの如く、
八方に広がる

木よ
まだ残るクリスマスイルミネーションを
陽の力を借りて
はじき飛ばせ
バーン、と
蛇に巻かれたキジが
羽を広げ
蛇を砕くが如く

木よ
飛べ



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作品 『わ』

2007年01月09日 | 生活
火 晴

陽光、来、
それ、頬に当たり、
体、良く、
空、青く、
風、なし。

昨日、労働場のプランターにツバキノオジが新作を作った。
道ばたから抜いてきた草花で作った。
今日、やっとタイトルが決まった。

「わ」です。

昨日の段階では、
「緑のワ」、「ミドリノワ」、「緑の輪」、「みどりのわ」、「みどりの輪」、
「緑環」、と色々あったけど、あまりに寒いのでテンションはどんどんさがりまくり。
オジは作った作品を見て言った。
「タイトルだよ、小久保君」
「はい」
「まあ、いいか、適当で」
とオジは言い、ペンを出して、「わ」と書いた。
すると、俄然、作品が生きてくる。
タイトルをつけるということは、意味を生じさせるということだ。
僕は見ていないけど、「わ」というタイトルをつけたあと、
どっかのおとーさんが、パッと見て、吹き出したそうだ。
オジは笑いを取ろうと思って「わ」とつけたわけじゃない。
職員も、見て、笑った。
どうも、<みどりの葉っぱが、ちょうど丸く円を描いているので、
輪>、という我々の意図はまったく通じず、だ。
民は作品が「わ」の字に似ているから、という意味で笑っているのだ。
「だったらなあ、オジ、『川』とか『上』とか、すぐできるやんけ」
「ほうじゃあ。でもまあええ。確かに『わ』に見えるな、気が付かなかった」
っつーか、「あ」の反対じゃろう、これは。

夕方、我々がプランターの前で青い空を見ていると、
別のどっかのおとーさんが散歩がてらに、我々の作品を見た。
オジは待ってましたとばかり、そのおとーさんに、作品アピールを開始した。
そいでもって、どっかのおとーさんは言った。
「いいですねえー、和ですね。みんなねー、和のこころを持って云々」
どっかのおとーさんは、気弱そうで何とも覇気がない。
どっかのおとーさんは、「頑張ってください」
と言い残し、去っていった。
「オジ、なんだかわいは疲れた」
「そうやのう。何が和じゃ。喧嘩じゃよ。この世は」
とオジと僕は、これでもかというほど激しく毒づいたあと、
枯葉を聡怩オた。汗かいた。

労働場の小さな一角の、プランター作品。
ツバキノオジと僕との合作は、これで5作目になった。めでたい。






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パフィー

2007年01月08日 | 音楽
月 雨のちくもり

今日は寒かった。これが冬の寒さだ、とツバキノオジと言っていた。
オジは生け花の新作をプランターにこしらえたけど、
あまりの寒さでタイトルをつけることもできず、凍えていた。意気消沈。

帰ってから、寒さをぶっ飛ばすため、去年録画したパフィー10周年記念ライブの、
ビデオを見た。日比谷野外音楽堂でのもの。
寒さの中で、思っていたのだ。今日は帰ってから絶対パフィーを見ようと。
何故、パフィーなのかは判らない。
ただ、何というか、今日はパフィーじゃないとにっちもさっちもいかないのだ。
東京スカパラが出てきたり、奥田民生が出てきたりで、
やっぱり僕は元気になった。

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6時間睡眠

2007年01月07日 | 音楽
日曜日 雪のち雨のち晴

ずっと睡眠時間は7時間にしていた。
去年の暮れ、つい夜更かしをして6時間しか眠れなかった。
ところが朝、スッキリして起きたのだ。
それから6時間睡眠になった。問題なし。
整体だかアロマテラピーだか睡眠治療だか、
そういうことを職業にしている方と知り合いになって、
睡眠時間を訊いたら「6時間で良いの。3時間、3時間の波だから」
と笑いながら教えてもらった。
それから一日、1時間も得するようになってとてもうれしい。
だからといって、1時間分、何かしているというわけじゃないのだけど。

ーーー

朝、雪が降っていた。
起きてから、窓の外を見ていた。
雪の粒は白いのだけど、
陽の加減でグレイに見える。
西の空にグレイの粒が高い密度で降っていた。
数週間前に見た映画「北の零度」は北海道を舞台にしたもので、
バッタの大群が作物を食べ尽くすシーンがあり、
雪の粒がバッタの大群に見えなくもない。
雪は激しく、屋根と車をまず白くした。それから道路。

昼前、雪は雨に変わり、風が猛烈に吹き始めた。
それから晴れた。午前中に洗った洗濯物を干した。

熊野本宮から送ってもらったお札を先日貼り、
今日、近くの神社に古い熊野本宮のお札を返しに行った。

映画「阿修羅のごとく」見る。

睡眠時間は6時間。まだ1時間半も起きていられる。
そうだ、詩集を読もう。そうしよう。


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クリームパンよありがとう

2007年01月06日 | 音楽
土(雨)

朝から冷たい雨が降っていた。
けっこう雨足は強いのだけど、着込んでいるので寒くない。
8時前、気配を感じて見てみると、バスの前でどこぞの娘さんが唐黷トいる。
自転車も。頭から血が流れていて、意識なし。
道をふさぐかっこうでバスはとまり、
運転手さんに救急車の要請の電話をするように言う。
「話してくれないか」と言うので、
僕が第一通報者になった。
救急車が来るまで、気道確保。大声で声をかけていると、
意識戻り、起き上がろうとするので、とどめる。
救急車が来るまで、元気づけのあらゆる言葉を鰍ッる。
娘さんが手を空にあげるので、その手をつかんで握っていた。
「大丈夫だから」とか「すぐ救急車来るから」とか、
言っていると、娘さん笑顔で僕に抱きついてくる。
ほどなく救急車来る。
状況説明と引き渡し。
僕の白いカッパは真っ赤になって、
ツバキノオジにホースで水をかけてもらう。
娘さんは救急隊員にうながされ、立ってタンカーに乗った。
たいしたことなし。
それでも、僕は消耗して、クリームパンを食べて、3時間ぐらいは、
疲れていた。ほんの数分の出来事なのに。
「よくやった」
とオジが言ってくれたので、ホッとした。


3時に雨はあがった。
青空をオジと見ていた。

ーーー

映画『忠臣蔵 1/47』見る。

ーーー

夜、風、吹き始める。


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言葉

2007年01月05日 | 文学
津島佑子の言っていることは、
近代文学、現代文学を机の上から払い落とし、
ゼロクリアの状態で、と考。

中上健次の追悼番組で、津島佑子は、
「言葉を持たない者(物)たちのための通訳者だ」と文学者の役割を言った。

この言葉をずっと僕は記憶している。

また、中上健次の言葉で、
「外国人の目で物を見ろ」

という言葉も。

そして誰だったか忘れたけれど、
「大江健三郎は文化人類学を文学に導入したが、中上健次は文化人類学の対象そのものだ」

という言葉も。

記事の大見出しの四つは、

 「未来を信じない時代」

 「多様性で開く」

 「歴史の変曲点」

 「種の共存楽しもう」

です。
この4つはすべてリンクされ、起承転結ですけど、
特に僕は、
「多様性で開く」
に注目しました。

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