シュリン
今読みました
面白かったです
最後の方になると
どうなるんだろうなと思ってたんですけど
カレーの鍋をかき混ぜている自分がいる
と
主人公が見る
そしてひかりの輪の中に
ランタンを持った老人の群れが照らし出される
時間というのは人間が便宜上作ったものです
本来は時の流れというのはないですね
この一瞬一瞬の連続の中で
時間という定義は社会必要不可欠の中の定義であって
異なった空間では
全く通用しない
この目が見たことが
本当であり
本人が
見た
感じた
触った
聞こえた
というのが真実です
ニーチェの言葉で
『真実はない解釈だけがある』
というふうに言っていまして
私は大好きな言葉です
この小説を幻想小説だ
と言ってしまえば
それまでであって
主人公が
というか主人公の目が
見たものが
本当の出来事なんです
みんな言葉の世界を
架空のものだと言うけれど
実は違う
作者本人が
架空のものであるというふうに
思って書いたものであっても
読んだ人が
それは本当だ
って思えば
それは本当になる
それが
個々人の読者の解釈です
『無何有の郷』
と言ったのは
老子だったか孔子だったか
つまり
桃源鄕と
同じような意味なんですけども
この漢字を
ご覧になってください
無何有の郷
何もなくて何でもある
これが東洋思想の深さです
儒教の色めきです
日本の禅を世界に広めた鈴木大拙は
ヨーロッパの大学で講義をしました
キリスト教についてです
エデンの園で
りんごを食べてしまった
禁断の果実を食べてしまった
アダムとイブは
エデンの
園を追放される
鈴木大拙は
キリスト教を主とする学生たちに問います
「だったらアダムとイブはどこへ行ったんだ」
誰も答えることができなかったそうです
鈴木大拙は続けます
西洋思想ではそこで終わる
ところが東洋思想というのは
もっと奥まで答えることができる
キリスト教なしでは
文化も何も言えないという
欧米において
東洋思想の凄さを説いたのです
この作品の中に
何が本当で何がそうでないのか
ということは全く愚問であり
大事は
その東洋思想の一風を
物語小説にした事の意味です
私はそんなことを
考えながら
社会で通用するモラルというものは
異なる世界では全く通用せず
新たな価値観であり
空間性であったり
瞬間性であったりする
この世で
偶然とか奇跡といわれるものは
異なる世界では当然の出来事
そんなことを彷彿とさせる作品でした
読ませていただき
ありがとうございました
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