kotoba日記                     小久保圭介

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構造構造・・・・・

2010年12月10日 | 生活
昨日は、
曇っていて、
とても寒い日でした。
けれど、
今日の労働は、
年に2度ある室内労働なので、
温かい思いをしました。

久しぶりに布爺と会い、
もうここでは書けない内容ですけど、
大笑いさせられることばかりで、
今度、
オジに会った時、
それを報告するのが今から、
楽しみでしょうがないです。
オジも抱腹絶唐キるに、
決まっているから(笑
74歳の布爺は、
まるで、
高田渡さんみたいに、
飄々としていて、
ユーモアがあって、
反骨的で、
くしゃくしゃになって笑う、
その表情は、
ケータイで写真に撮りたいほど、
素敵です。

夜は、構造主義の入門書を読みましたけれど、
固有名詞や概要は判った気になれるけれど、
構造主義をどう実践に結ぶかの方法が、
判りません。

---

今日も構造主義について、
考えていました。
昨夜読んだおさらいです。

構造。

1,一軒家ではなく、住宅(マンション)のようなもの。
2,テクストという言い方によって、作品から「テクスト」になる。
  これは「作者の死」、解釈は読者に任せる、というロランバルトの考え方。
  これは納得で、僕は構造主義を知らずして、
  そう思っていた。構造とは、すでに生活にあるのだ。
  文学作品の、解釈の自由と拡大。
  バルトの言っていることだけは、理解できた。
  だから、バルトをもっとやれば、総体が見えると思う。
3,人間中心主義からの反省からの発生。

内田樹の著作からは、

1,主体の「存在」にあるのではなく、
  主体の「行動」のうちにある。

2,レヴィ、
  「意識」「主体」から、「規則」「構造」へ。

まだぜんぜん駄目だ。。。。。
でも、ャXト構造主義の、
ドゥルーズの、
「静止する構造主義」から、「流動」へという感覚は、
すごく興奮した。バルトのテクストという言い方も、
かなり興奮したけれど。
ドゥルーズについては、
吉増剛造が記事に積極的に書いていたし、
一時期、宮嶋哉行さんも、
口にしていた言葉。
みんな頭ええわ。。。

あと、構造主義っていうのは、
数学から来ている、
というのは判った。
僕が今、一番思っているのは、
構造主義が、
小説書きにどう応用できて、
それを実践できるかどうか。
すでに、それを知らずにやっているのかもしれないけれど、
資質として、僕に合っているかどうかも怪しい。
僕はきっと叙情が強いから、
構造がどれだけ活かされるかどうか。
けれど、
叙情に過ぎるであるからこそ、
構造が必要なのではないか、
と思う。
あと、平行、並列、パラレルワールドとのことも、
関係してくるだろうし、
大江が以前よく言っていたバフチン、ロシアフォルマリズムなんかも、
入門書には出てきて、
これは全部、繋がっている、
一筋縄にはいかない、無数の綱で成り立っている、
と、自分の無知が浮ュなってきました。
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