kotoba日記                     小久保圭介

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『海の時間』

2023年07月04日 | 生活詩
    『海の時間』





永遠
なんて言っているけけど
そんなにいい顔ではない
十三歳の詩を書くわけでもないのだし
恥ずかしいほど
海と海と永遠なんて
話も
どこにもない

しかし
私は
本当に海と波と永遠を
胸に宿したのは本当のことです

三十年前
私は
新宮から熊野駅まで
歩いたことがある
十一月の暖かい日
浜辺で
丸い石に座り
太平洋の海を見ていた
気持ちが良くて
波際
リュックを枕に
太陽の下にいた

青い空の中で
トンビが私の上を
大きな円を回っていた

気持ちいい
ああ気持ちいい
耳から波の音が
聞こえていた
私は目を閉じて
波を体で聞いていた
打ち
寄せ
浜辺で
塩分を
吸い込んでいた

波のすることを聞いていると
不思議な音が聞こえる
浜辺に波の中に
何か違う音が聞こえる
やっと分かったのは
たくさんの
魚の群れ
浜辺のすぐ近くで
たくさんの
小さな魚の群れが
飛んでいる
魚の腹を
十一月月のひかりに
反射していた

私は育ったところが
田んぼ畑と
たくさん川があったけれど
波際をすることなんて
初めてだった

魚の 群れの音は
だんだん馴染んできて
昼または
朝の海
夕方は海は
写真でも見たし
実際に 海の動きを
旅行で
何度も見てある

波が
寄せて
引いている

私はそのうち動き
違う町に行ったはずなのに
波は
夜になっても
午前零時になっても
午前二時になっても
午後三時半になっても
波は休むことがない
二十四時間ずっと
誰にも見えない時とでも
聞いてない時でも
昔から
今もこれからも
波は
動き続けていたのだ
それは 過去も未来も現在も
三十歳の時から
私がどんな生活であったにしても
あなたもどんな生活であったにしても
みんないろんな暮らしがあった
人の思いなど関係なく
永遠

と思った

海は
表面だけでも
豊かで宿ってくれる
海の中といえば
それこそ永遠の永遠の世界だ
水の中の暮らしは
空の中の暮らしは
人間にはできないことだ

二千年
雨が降ったという

永遠ということは
私に言えることはない
海はもちろん永遠ではない

二千年
雨が降ったという
私は
祖先を
二千年後
海ができたという
塩辛くて海だったという
小さな生物が
出たかもしれないという

私は
今になっても
熊野駅の海を歩いて
大きな波を体全部思って
半日間
海の運動を見ていた

その時見えるのは
太平洋が
ちゃんと見れば
まるく見えるのが思った
水平線

私は海から離れる
いつもの生活を
みんなと同じように
仕事をして
くたくたになっても
暮らして行くのだ こんにちは



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