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kotoba日記                     小久保圭介

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遠藤賢司さん

2017年10月25日 | 生活
雨は降った
あがった
グレイの空



揺れ
ラムネを飲んで

音楽家

もっと幸せになりたい

吹き

子供たち
歩道橋から
降りてくる

歯車の噛み合わせ

やっと青空14時半

続けて今日も
訃報が
遠藤賢司さん

15歳頃の時だから
40年前のこと
金沢卯辰山フェスティバルという
卯辰山の頂上で
3日間の野外コンサートがあった
泊りがけで
3日間見た
この金沢体験で
わたしは目覚めた
たくさんのフォークソングや
ロックをジャズを聞いた

その中に
遠藤賢司さんがいた
初めて見た
曲はレコ―ドで『嘆きのウクレレ』をよく聞いていたので
知っている

遠藤賢司さんは
一人で出てきて
椅子に座って
もぞもぞしてから
ウクレレで
『寝図美よこれがあの有名な太平洋だよ』
を歌いはじめた
あとは何を歌ったか
話したかは忘れた
それでも長い髪の遠藤さんが
そこにいたし
わたしはかなりの至近距離で
遠藤さんを見た
おそらく
見ただけではない
取り込んだことも
確かだ

そのコンサートのあと
わたしの進路はほぼ決定した
歌う生き方を選択します


動画サイトで
遠藤賢司さんの歌を
何曲か聞いた
歌手が終えた時
唯一の追悼は
残された
歌を聞くことだ

表現者は作品を残す
作家なら言葉を
画家なら絵を
何も表現しない人なんて
この世に一人だっていない
必ず
何か表現して
終えてゆく
あの時の、
一瞬の表情
短い言葉
あの時の、
静かな笑み
あの時の
怒り
それを思い出す
それが
唯一の追悼である

遠藤賢司さん
あなたは80年代になってから
自己プロデュースを始め
「エンケン」ワールドを作った
でもわたしはそれがあまり
好きではなかった
痛々しい思いをした
以前の静かや
凄いロックをやっていた時が
一番好きだった
しかし
世は
「エンケン」を愛したみたいですね
わたしは
考える
どうして
あなたは
自己プロデュースをして
「エンケン」をやったのかを
やらざるを得なかったかを
それは
あなたが残した
疑問です
時々
わたしは
考えるかもしれない
あなたの忍耐や努力の
源の思いを

遠藤賢司さん
ありがとうございました
そして
お疲れ様でした
ありがとう
たくさんありがとう