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儒教と近代日本の図式に縛られず、古訓を重視した「憲法十七条」解釈:保坂俊司「歴史的情報としての聖徳太子」

2022年07月08日 | 論文・研究書紹介

 少し前に、儒教を中心とする中国古典の立場で「憲法十七条」を解釈しようとした永崎氏の本を取り上げました(こちら)。そこで、今回は逆に、第一条の「和」を「ワ」と漢字音で訓んで中国風に解釈する方法を批判し、和語による古訓を重視すべきだとする「憲法十七条」論を紹介しましょう。

保坂俊司「歴史的情報としての聖徳太子ー日本的寛容思想の基礎的研究ー(1)」(『国際情報学研究』創刊号、2021年3月)

です。

 保坂さんは、私の早稲田大学大学院東洋哲学専攻の後輩ですが、儒教・仏教・道教の三教思想を中心としていた東洋哲学専攻にあって、インド中世の宗教思想を専門とするという変わり者ぶりであって、当時からマイペースで淡々飄々と研究してましたね。 

 後にデリー大学に留学して、以前はシーク教と読ばれていたシク教もやイスラム教などの研究を深め、インドの諸宗教と仏教との関連、現在の宗教事情などにも注意する珍しいタイプの研究者となりました。

 東哲の仏教は、東大印哲を定年退職された平川彰先生が教授として来られていたこともあって、厳密な文献学志向でしたが、保坂さんは、インド哲学研究者でありながら世界の諸思想を比較検討した中村元先生を尊敬し、中村先生が創設した東方学院の理事となったのも、保坂さんらしいところです(私は平川門下でありながら、東方学院の理事長となった先輩の藤井教公さんに講座を担当するよう頼まれ、この4月からお茶の水の東方学院で「中国仏教研究」担当ということで中国禅宗の形成史を教えています。来年あたりに出す本の準備です)。

 保坂さんは現在は中央大学教授であって、新たに創設された国際情報学部の中心の一人となっているためか、その立場からの研究も進めており、今回の「憲法十七条」論文もその一つのようです。私の『聖徳太子ー実像と伝説の間ー』(春秋社)も読んでくれたようですが、注には「石井前掲書」とあるものの、書名表示がないですね。

 それはともかく、保坂さんは、「初春令月、気淑風和」という『万葉集』の歌の序からとられた「令和」という年号の奇妙さから話を始めます。この年号については、歴史を読まず、漢文古文にうといのに、年号を日本の古典からとりたいと願い、「憲法十七条」が好きだという安倍元首相の意向に沿うように強引に切り貼りし、鶴のひと声でこれに決定したと私は考えており、安倍体質を良く反映し、漢語としては「和せしめる(仲良く同調しろ。しないと殴るぞ)」という意味となっているものと考えています。

 保坂氏も、同調圧力を嫌っているようで、そうした「和」は文部省の『国体の本義』における国家主義的な「憲法十七条」利用が影響を与えた面が大きく、保守主義的な人がそうした「和」を尊重し、それに反対する人が「憲法十七条」を批判することになっていると見るようです(『国体の本義』の「和」解釈の張本人である紀平正美については、以前、論文を書いてあります。こちら)。

 それは良いのですが、「五族協和」すべき帝国日本の状況に基づき、その源流として「憲法十七条」の「和」が注目されたとするのは、少し遅すぎますね。それ以前の時期から、植民地などのことは意識されずに「和」の国家主義利用は始まっていますので。

 保坂さんは、『日本書紀』には「憲法十七条」とあるのに、「十七条憲法」という言い方が増えるのは、明治憲法ができてからと説き、日本にも西洋に負けない憲法が早くからあるという主張と結びついているとします。そして、「憲法」という訳語を明治初期に確立した箕作麟祥は「憲法十七条」に親しんでいたと指摘します。

 これはそうですが、明治憲法に関する初期の本は、意外に「憲法十七条」に触れないものが多いことは、以前、オリオン・クラウタウさんのシンポジウム発表の紹介で触れました(こちら)。

 さて、保坂さんは、『日本書紀』岩崎本に見える平安時代の古訓によれば、「憲法十七条」は「うつくしきみのりとおあまりなな」であり、これを重視すれば、上記のようなナショナリズムに基づく「憲法」解釈に縛られずにすむと説きます。

 そして、「和」についても、「やわはぐをもてたふとし、さかふることなきをむねとせよ」という古訓に従えば、全員一致の「和」を強調する同調圧力的な解釈から逃れることができるとします。

 ここで問題なのは、「憲法十七条」の「和」は実は儒教とはかなり違っていることです。これについては、断章取義的な用法だと論じた論文を紹介しました(こちら)。また、最近の私の発見によれば、「憲法十七条」第1条は、礼楽を重んじ、孝を重んじる儒教文献の言葉を用いながら、「楽」を外し、「孝」を外しており、とても儒教とは言えないことが明らかになっています。

 このように、保坂さんのこの論文は、面白い視点から問題提示をしており、続篇の刊行が待たれます。

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