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守屋合戦と「憲法十七条」に見える「自敗」は巻13以前の用例とは性格が異なる:葛西太一「自敗自服する賊虜と日本書紀β群の編修」

2024年03月06日 | 論文・研究書紹介

 このところ、聖徳太子に関わる論文を含めた古代史の本が続いて刊行されていますが、面白いのは、以下の2冊が偶然ながらともに2月26日に出版され、同じ日に献本が届いたことです。

 一つは、山下洋平さんの『日本古代国家の喪礼受容と王権』(汲古書院、2024年)です。山下さん、有難うございます。「憲法十七条」における『管子』の影響を論じた山下さんのすぐれた論文は、このブログでも紹介しましたが(こちら)、その論文も収録されています。最近、考古学の発見が続いているだけに、古墳や墓の変化と中国から受容した喪礼がどう関わるかは重要な問題ですね。

 もう一冊は、『日本書紀』の編纂について語法の面で論じた論文集であって、このブログで取り上げた上智大学国文学科の瀬間正之さん(こちら)と葛西太一さん(こちら)の論文が収録された、小林真由美・鈴木正信編『日本書紀の成立と伝来』(雄山閣、2024年)です。瀬間さん、葛西さん、有難うございます。

 瀬間さんは、私が科研費によって仏教系変格漢文の国際研究プロジェクトをやった際のメンバーの一人であり、現在はつくば大の准教授となっている葛西さんは、その節は大学院生として会議に来たりしてました。

 なお、瀬間さんは、パソコンで漢字が使えるようになったばかりの最初期からのパソコン仲間であって、国文科で『源氏物語』を1年間講義する非常勤講師として私を招いてくれたうえ、昨年の『源氏物語』シンポジウムにも招いてくれています。

 おかげで『源氏物語』は、自業自得の「自」の和語化である「心から」の語を多用し、宿世に流される女と「心から」動いて問題を興して悩む男の対比構造になっていることを発見できました(こちら)。和語化というのは訓読の問題でもあり、「憲法十七条」をどう訓読するかという問題にも関わることは、少し前の記事で書いておきました(こちら)。

 それはともかく、今回の論文集では、瀬間さんが書いているのは「雄略紀朝鮮半島記事の編述」ですので、聖徳太子ブログとしては、太子関連記事に関わる葛西さんの論文を紹介することにします。

葛西太一「自敗自服する賊虜と日本書紀β群の編修ー太安万侶の関与をめぐって」

です。

 葛西さんは、『日本書紀』は、他の巻を参照するようにと指示があっても、そちらには記載がなかったり、同じ語について巻によって異なる注記がなされたりするなど、全体の統一が不十分であるものの、かなりの数の巻にわたって表記の統一がはかられている場合おあることから話を始めます。「天照大神」という呼称は、森博達さんが指摘したようにβ群にしか見えないこともその一例です。

 そこで、そうした例の一つとして葛西さんが着目したのが、「自敗、自服、自伏、自平」などの表現です。つまり、激しく戦わなくても、相手が勝手に敗北したり、服従してきたりするという意味の語ですね。たとえば、巻三の神武紀、巻七の景行紀、巻八の仲哀紀には中国文献にしばしば見える言い回しである「不血刃」、つまり、刀を血でぬらさないのに「虜必自敗」とか「賊必自服」などとあり、戦わずして勝つことが書かれており、しかもこれらはすべて森さんの指摘したβ群なのです。

 葛西さんは、これに類した表現が巻五の崇神紀、巻九の神功紀などβ群の多くの巻に見えているとし、国について「自ら平らぐ」と説かれるような例も、「天照大神や天神地祇の霊異を天皇が負うことによって」であって、上記と同じ発想に基づくことに注意します。

 巻二の神代紀下と巻四の綏靖紀には兄弟の間で用いられていますが、どちらも兄が正当な弟に自づと服従する形であって、タイプは同じだとします。

 これらはすべて巻十三までのβ群の用例であって、巻十四以降にも「自敗」「自服」の類の語が見えるが文脈が違うと葛西さんは説きます。このブログと関わる巻二十一の崇峻即位前紀の守屋合戦の例では、迹見首赤檮が木に登って矢を放っていた守屋を弓で射おとし、守屋とその子たちを殺すと、守屋の軍勢が「忽然自敗」したとあります。以後は、打ち倒さないのに逃げていったということですね。

 また、巻二十にの推古紀に見える「憲法十七条」の第三条では、「承詔必謹」が説かれ、地が天を覆おうとしてはならないとされ、天皇の詔勅を聞いて慎まない臣下は「自敗」するだろうと述べられています。これは警告ですね。

 ここで私の考えを書いておくと、古代の人々はこの世界には邪気や呪詛で満ちており、何かに守られないと死んでしまうと思っており、仏教信者の場合は仏法守護の神たちが守ってくれているものの、悪業をなすと神が見放してしまうため、自然と死んでしまうことになるのです。高祖の霊を背負う天皇の威徳によって自然に従うようになるという発想ではないですね。

 つまり、崇峻前紀はα群であり、推古紀はβ群ですが、いずれも巻十三までのβ群とは異なる用例になっているのです。β群の中にも矛盾するような箇所、表記が統一されていない箇所はあるものの、天照大神や天神地祇の威力を背負った天皇については賊虜が自然と従うという点については、表記がほぼ統一されていることになります。これは、「天照大神」の語がβ群にしか見えないことと連動しています。

 そこで、葛西さんは、「頼皇霊之威」とあるように、介詞の「頼」の目的語として皇祖などの霊威をあげる用例はβ群に限られており、そもそもその「皇霊」を初めとして、「皇命、皇位、皇威」などの言葉はβ群に集中し、「皇祖」とされる「高皇産霊尊」や天照大神が以後の天皇たちの行動と結びつけられていることに注意します。

 そして、葛西さんは、誰がそのような統一をおこなったを検討し、「頼~」の形は『古事記』序文に「頼先聖」とあることに注意し、太安万侶がβ群の統一に関与した可能性を示唆します。これは最後に触れただけで、以後の課題としていますが、可能性はありますね。

 この葛西さんの論文が示すことの一つは、『日本書紀』編集の後期になって、天照大神などの皇祖神が子孫である天皇を庇護することを強調する編集作業がなされたものの、「憲法十七条」はまったく方針が違うということですね。

 「憲法十七条」は「天皇」という語も「皇」の語も使わず、「神」に触れず、万国で尊重されている仏教による統治をめざしていますので、日本独自のx神話によって天皇を権威づけようとした天武天皇以後、とりわけ『日本書紀』編纂の最終段階における皇祖神重視の方針とはまったく違うのです。それなのに、十七条がそっくり記されているということは、いかに重視されていたか、ということですね。

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